拾ったのが本当に猫かは疑わしい

ねこ沢ふたよ

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4巻

4-2

 ♢ ♢ ♢


 育児というものは、仕事が終わって帰ったところからまた戦いが始まる。
 柿崎に恋人ができたかもしれない疑惑のあった日の夜、私は、会社での出来事をモドキに相談した。

「ふむ。いろいろとあったようじゃの」

 モドキは、ささみスティックをかじりながら、私の話を聞いてくれている。
 猫に話したところで解決なんてしないだろうが、こういう小さなモヤモヤを聞いてくれるだけでもありがたい。
 今は、手元に理歩の着替えを用意して、優一さんがお風呂から合図してくれるのを待っている状態だ。
 風呂からは、理歩の機嫌がよさそうな声が聞こえてくる。
 優一さんが、「いちご、にゃんこ、さんま、しろねこ、いつでもニコニコ五つ……」なんて、創作数え歌を歌って理歩と遊んでいる。
 いや、理歩の好きなものを並べて歌っているのだろうけれど、多いな……ネコ。十まで数え終わるまでに、何度猫が登場するのだろうか。

「はちわれ猫さん、クッキー食べて、モドキとマロン……ワンコもくるりん、はい、おしまい!」

 良かった。最後は、ワンコも登場するんだ。
 いや、そこを良かったと捉えるかどうかはとても微妙だけれども。
 これ……数は数えられているのだろうか?
 元々、数え歌って変なものが多いし、かなり独特だ。
 まあ、理歩も優一さんも楽しそうだから、いいけれど。

「薫さん! 理歩、お風呂から出ましたよ!」

 優一さんの声がして、理歩がとことこれた体のままこちらへ走ってくる。
 理歩用のタオルにくるまれてはいるが、まだ全然体はけていない。
 当然だ。
 理歩の体を拭くのは、私の役割だ。
 本当は脱衣所で待っている理歩を私がつかまえて、入浴で濡れた理歩の体を拭いてあげるはずだったのだけれど、理歩は待てずに脱衣所を一人で出てきてしまった。

「モド!」

 理歩は一刻も早く、モドキに会いたかったのだろう。
 モドキを見つけて、大喜びだ。

「いかん。ささみが見つかってしまう!」

 モドキは慌ててささみスティックを袋に入れて、後ろに隠す。
 タオルを羽織っただけで、まだ湯がしたたっている理歩がモドキに抱きつけば、猫毛は理歩につくし、モドキは濡れてしまう。
 危険だ!

「ささみよりも! ほら、逃げて、モドキ!」
「うお! それよりも早くつかまえんか! 薫!」
「ワン!」

 マロンも私を応援してくれている。
 ここは、ラガーマンのようにタックルして、理歩を止めなければ!

「モド!」

 風呂上がりでピンク色のほっぺをした理歩は、お風呂が楽しかったのかテンションアゲアゲだ。
 さあ、迎え撃つ私は、体力に自信のないアラサーのインドア派。
 エンジン全開の元気な幼児、理歩に勝てるのか?
 だが、見切っているのだよ。
 生まれてからずっと、理歩のよちよち歩く姿を見ている私だ。
 理歩の行動パターンは……あ……れ?
 くっ! 抜かれてしまった。
 つかまえ損ねた!

「うおお! 理歩、理歩、ちょっと待て! 先に体を拭くのじゃあ!」

 モドキは、慌てて猫タワーを駆け上る。
 良かった。モドキの運動神経が発達していて。
 ……まあ、人間よりも俊敏だよね、猫だもん。
 時々猫なのか疑いたくなるけど、モドキは猫のはずなのだ。


 その後ようやく理歩をつかまえて、体を拭いて着替えさせる。

「どちらも放っておけばよいのじゃ。簡単じゃ」

 猫タワーの上で香箱座こうばこずわりしたモドキが、我々下々の人間を見下ろしながらのたまう。
 私の膝には、ベビー用のマグで風呂上がりの麦茶を飲む理歩が座っている。
 マロンは、騒ぎが落ち着いたので、部屋の隅のクッションでスヤスヤ眠っている。

「そういうものかなぁ?」

 私が相談したのは、最近の理歩のイヤイヤ行動と、会社での柿崎のバンドマン年下彼氏問題。
 モドキは、その両方を放っておけと言っている。

「理歩は、自我が芽生え始める自分の気持ちのバランスが上手く取れないのであろう? 成長している証拠だ。ほれ、思春期に突然、母をクソババア呼ばわりし始める年代と一緒だ。放っておけば、成長に伴い自然と収まるじゃろ」

 そうか……そうよね。
 中学生になった理歩が、「うるせえ、ババア!」と言ってくる姿は、全く想像がつかない。しかし、思春期に大人と子どもの狭間はざまで、なぜか不安になりイライラしてしまう気持ちも、反抗したくなる気持ちも、分からなくもない。
 青春小説なんかは、そんな不安定な年頃のガラス細工のような心の動きを描いたものが多く、とても感動する。
 この間読んだ本なんて、ラストで号泣してしまったものだ。
 今、理歩は赤ちゃんと子どもの狭間なんだなあ……と、思えば、ちょっと感慨深かんがいぶかい。

「そして、その会社の親友の話。別段、気にする必要はないであろう?」
「だって、ちょっとは気になるじゃない」
「助けが必要ならば、向こうから話をしてくるじゃろう。そのときまで、放っておけばよいのじゃ。話をされたときに、静かに聞いてやる……それが、友というものじゃ」

 猫タワーから、モドキの神託しんたくが下りてくる。
 猫のお告げが正しいかどうかは分からないし、モドキは、別に神でも猫又でもないので、ありがたみもご利益りやくもないのだが、なんとなくに落ちる。

「そうよね。言う必要があるなら、言ってくるでしょ」

 別に、友人だからって全てをさらけ出す必要はない。
 いっそ……結婚とかが決まってからでも、遅くないくらいに。
 一抹の寂しさは感じるが、恋愛のことを話すのも話さないのも、柿崎が決めることなのだ。
 なんだ。簡単なことだ。

「理歩、麦茶飲み終わったみたいですね」

 お風呂から上がってきた優一さんが、理歩の手からマグを取ろうとする。

「いや!」

 理歩は、マグを離さない。え、なんで?
 だって、もう飲み終わって空っぽなのに?

「もうちょっと持っておきたいようじゃの。放っておけ、じきに飽きる」

 モドキが解説してくれる。
 まあ……そっか。お気に入りのマグだものね。
 いっか、そのくらい。

「あ……そうだ」
「なんですか?」

 コテンと首をかしげる優一さん。
 可愛いな、私の夫。理歩そっくりの仕草だ。
 そういう仕草、私的には、最高にツボなんだけれど。
 つい、ふへへと、変顔になってしまいそうになるが、なんとかこらえる。
 て、そうじゃないのよ、気になったのよ。

「優一さんって、やっぱり中学か高校のときには、クソババアとか言っていたの?」

 そう。
 全く言わないと思うの。
 だって、優一さんはこんなに穏やかな性格だし。
 でも、意外と昔は反抗期で暴れていたとか?

「ああ~反抗期ですか?」

 優一さんは考え込む。
 しっかりと正確に想い出してくれているのだろう。
 真面目だ。

「いえ、なかったですね。部屋に閉じこもっていました。会話が減ったことはありましたが、クソババアとかは、言わなかったです」
「そうなんだ」
「だって、ラクシュがいましたから」
「ラクシュ?」
「ええ。ラクシュです。悩みは全部、ラクシュが聞いてくれていましたし……」

 いかん、優一さんの目がウルウルし始めた。
 いまだ心の傷がえない優一さん。
 ラクシュのことを思い出すと、つい涙があふれてくる。
 そうよね……あんなに治療を頑張っていたし、ずっと、一緒にいた相棒だものね……
 いかん、私も泣けてきた。
 夫婦二人して、泣きそうになってこらえていると、鼻先をかすめて飛んでいくものがあった。
 理歩のマグだ。
 マグは、フローリングの床に当たって、カラカラと転がっている。

「理歩? それはダメだと思うよ?」

 心が不安定な時期なのは理解した。
 だが、破壊行動はよくない。
 お母さん、それは、ちょっと駄目だと思う。

「いや!」

 何が嫌なのか分からないが、理歩は、何かを否定する。
 まだ、厳密には二歳になっていない一歳十一か月の理歩だ。
 このイヤイヤ行動が、一年近く続くのかと思うと、ちょっと私のほうが情緒じょうちょ不安定になりそうだ。
 世のお父さんお母さんは、こんな子どもの行動を受け止めているのかと思うと、すごすぎる。


    ♢ ♢ ♢


 次の日、出社すると何やらめている。

「だから! あんたに関係ないでしょ?」
「ええ~。気になりますってば!」

 柿崎と幸恵が、わあわあ言い合っている。
 さては幸恵のやつ……私が柿崎に彼氏の話をしないのにしびれを切らして、自分で聞きに行ったな?
 そして、柿崎に『関係ない』と一蹴いっしゅうされたと。
 始業時間にはなっていないけれど、やっぱりプライベートなことを会社で聞くのは、よくない気がする。
 本人が自分から言うのであれば、世間話となるけれどもさ。
 他人が詮索せんさくするのはやはり違う。
 そういう詮索って結局、『髪切ったってことは、失恋?』とか『不機嫌だね、彼氏と喧嘩した?』とか聞いてくる、昭和のしき習慣と同じではないか。

「はい、終了。もう、始業時間だし! 幸恵は、ちょっと遠慮しなよ」

 私は柿崎を助けようと、間に割って入る。
 柿崎は、係長の立場上、幸恵にはきつく言えない。
 幸恵がすぐパワハラだって言い出すし。
 ここは、平社員の私、本田薫が、末端の末端である立場を利用して、正しく幸恵に注意するべきであろう。

「でもぉ。気になります……」

 幸恵よ、まだ言うか。
 てか、何を指さして……うおい。
 柿崎の指を彩る指輪、なんだか増えている。
 二匹の蛇が絡み合うデザインだったのに、もう一つリングが追加されて、蛇の頭数が四匹になった上に、さらに赤い石まで付いている。

「いや……それでパソコンは……きつくない?」

 いいんだよ、柿崎に彼氏がいたって、誰から指輪をもらったって。
 だって、柿崎のプライベートだもの。
 友人なんだから、相談されれば聞けばいいこと。こちらから詮索すべきではない。
 それは、猫モドキに言われるまでもない真理だ。
 だが、あまりにコテコテの指輪の装飾。
 キーボードを打つときに、大変ではないだろうか?

「大丈夫よ。根性あるから!」
「おお……柿崎に根性あるのは知っているけど……」

 うん、知っている。
 ええ、知っている。
 我が部署の頼れる西根にしね課長が、介護のために時短勤務している昨今、我が部署を一番支えてくれているのは、係長の柿崎だ。
 前例のない大変な仕事に、誰しもがどんなときも働きやすい職場を目指して頑張ってくれているのは、根性がないとできないことだ。

「ほら、仕事!」

 おおっと、そうだった。
 柿崎に言われて、私は自分の席に着き仕事を始める。
 本日もたくさんやらねばならぬことがあるのだ。


 カタカタカタカタ……
 あちらこちらかのデスクから連続した音が鳴り響く。
 柿崎も軽快にキーボードを叩いているようだ。
 さすがだ。なんの差しさわりもないみたいだ。

「くっ! 指が!」

 痛かったのだろうか。
 柿崎が、左薬指を押さえている。
 いや、差しさわりあるんじゃない。
 ダメだろ、それ……
 柿崎は気になるけれども、私も自分の仕事がある。
 そう思って、それからしばらく一生懸命に伝票と向き合っていると、目が痛くなってきた。
 ちょっと立ち上がって、トイレに向かおうと廊下を歩いていると、幸恵に給湯室に引きずり込まれた。

「何度でも言うけれどさ。私、仕事したいの」
「もう! 薫さんたら! 柿崎さんが詐欺師にだまされていてもいいんですか?」

 え、詐欺師?
 なんの話だ。

「バンドマン年下彼氏の話ではないの?」

 そう言っていただろ? 幸恵よ。

「そうです! そのバンドマン年下彼氏が、結婚詐欺師でロマンス詐欺師なんです!」
「なんでそんな極端な設定になるのよ」

 柿崎は、ちょっと個性的な指輪をしているだけでしょ。
 本人が、彼氏からもらったとも、結婚の約束とも言っていないんだったら、何をそんなに極端な妄想を膨らませているのだろう。

「柿崎さんの表情をよく見てください! 時々スマホを見て真剣な顔したり、嬉しそうな顔したり」
「あんたね……柿崎のこと観察している暇があったら、仕事すれば?」

 そう。幸恵が仕事をバリバリやってくれれば、私の分担も減るの。
 そうしたら、愛する我が子と愛する夫、愛するワンコと愛する猫モドキにも、早く会えるの。
 そうよ、こうしてはいられないわ。
 さっさと仕事して、定時には帰りたいのよ。

「待ってください!」

 袖を幸恵に引っ張られて、私は身動きが取れない。

「だって、スマホに連絡があって一喜一憂いっきいちゆうくらいするでしょ? 私だってそうよ」

 私だって、優一さんからの連絡には、きっと微笑みを浮かべて見ているはずだし。

「薫さんがスマホ見て変顔しているのは知っていますけれども、柿崎さんのは違うんです!」

 幸恵? そんなに私、変な顔している?
 そりゃ、スマホの待ち受けは、うるわしの推し俳優、ティミー様だし……ご尊顔を拝するたびに、その後光が差す笑顔にとろけはしているかもだけど。
 変顔にはなっていないと思うのよ……自信ないけれども。

「柿崎さん……年齢的にもきっと結婚に焦っていらっしゃるんです。そんなときに、年下バンドマンの彼氏に、結婚をえさにいろいろと言われたら……そりゃ必死になっちゃいますよね……『俺がビッグになるためだ』なんて言われれば、お金もたくさんむしり取られちゃうかもです。きっと、あんな安物の指輪一つで、柿崎さんはいろいろとひどい目にあっているんです」

 悪い男に騙される柿崎を心配して、涙ぐむ幸恵。
 だが待て、それ、柿崎に失礼じゃない?
 私たちよりも年上の柿崎とはいえ、別に今時、三十代の独身女性なんて珍しくもないし。
 特に焦る必要なんて、柿崎には全くないじゃない。
 そりゃ、好きな人と結婚できたら幸せだけれども、嫌なやつと結婚するくらいなら、独身のほうがよっぽど幸せだと思う。
 幸せの形も、家族の形も、それぞれだ。
 他人が口を出す問題ではない。
 そもそも、バンドマン年下彼氏なるものが、柿崎に存在するかも分からないんだ。

「幸恵、それは……」
「ともかく! 本日のお昼! 柿崎さんに問いただしてみますから!」

 ええ、せっかくのお昼休憩を、そんな不穏なことに使うの?
 せっかく今日は、美味おいしいパン屋さんのパンを買ってきたというのに。
 美味しく食べられなくなっちゃう。

「薫さんも協力してくださいね!」
「嫌だよ」

 即答した。
 だって、嫌だもの。
 なんのメリットがあって、幸恵に協力せねばならぬのだ。

「薫さんは! 柿崎さんが心配じゃないんですか!」
「いや……だからさ、そんなことを勝手に……」
「協力、頼みましたから!」

 入社以来ずっと、相変わらず、まるっきり、私の言うことを全く聞かない幸恵は、息巻いて席に戻ってしまった。給湯室に私を残したまま。
 言ったよね、私……嫌だよってはっきりと。
 言ったんだよ。聞いてもらえなかったけれども。

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