愛する女性の行方

一宮 沙耶

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16話 元カレ

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 私は、特に勉強した記憶はないけど、成績はよくて東大に現役で入った。それから、特に苦労もなく、日本で一番実力のあるIT会社に入社した。だから、あまり苦労した記憶もないけど、その分、喜びもない。

 どんな時も、親は、紗世はすごいって褒めてくれたけど、私は、別にって、いつも冷めていた。

 仕事も、お客さんから提示される要件に沿って、業務フローの最適化をするだけ。フローを作れば、AIがシステムをコーディングしてくれる。業務フローの最適化もAIのサポートがあるから、AIが作ったものをチェックしているだけかもしれない。

 別に、やりがいのある仕事でもないし、達成感も少ない。そのうち、この仕事もAIがやってくれるんじゃないかというレベル。

 私って、本当に感情の起伏も少ないし、楽しかった記憶、悲しかった記憶、そんなものは覚えていない。多分、ないんじゃないかな。

 そういえば、1つだけあった。会社に入って4年ぐらい経った頃、ある先輩に憧れて、1日中、その先輩のことを考えていた。その頃は、いつも、心はキラキラしていた。

 初めて先輩に会ったのは、若手交流会という、会社が用意した研修会だったの。そこで、先輩は、この会社がより成長するために、どの分野で、どんな事業をしたらいいのかと力強くプレゼンをしていた。

 そこに惹かれたのかよく分からないけど、この会社を動かしてやるという情熱はかっこよかった。私は、何をしたいのかという情熱とかなくて、なんとなく要領よく過ごしてきただけ。研修会で、言えることがなくて、ずっと遠慮してるふりしていた私とは大違い。

 そして、研修会が終わり、会社が用意した懇親会で、先輩の横に自ら行って座ったの。今から思うと、そんな勇気があったなんてびっくり。でも、自分でも分からなかったけど、そうしたい気持ちが抑えられなかったのね。

 先輩は、この会社の社長になってやるって、私に、ずっと、力強く語っていた。こんな、将来に向かって直進する人って初めて。人をひきづり落としてやろうとばかりする女性とは違う。そんなこと考えていたら、先輩が、お酒を注いでくれた。

 ワイシャツを腕まくりした先輩は、筋肉もしっかりとあって、お酒を注がれている間、私はずっと、その腕だけをみていた。そして、こんな腕で抱きしめてほしいって、考えていた私が恥ずかしかった。

 私は、これまで男性に感情が動いたことなんて1回もなかったのに、どうしたの? 先輩の顔を見るのが恥ずかしくて、顔を上げることができない。心臓が飛び出てしまいそう。体が動かない。どうしよう。

「コップを見ないと溢れちゃうよ。顔、赤いけど、もう酔っちゃったの? 初々しいね。木本さんだっけ。今日は、おつかれさま。どの部署で働いているの?」
「え、あの、第一開発本部で、お客さまの業務最適化とか業務要件定義用とかしています。」
「あの稼ぎ頭の本部ね。大変だね。木本さんが働いてくれてるから、僕たちが将来のビジネスモデルとか検討できるだ。感謝だ。」
「そんなことないです。私なんて。」
「いや、頑張っているんだから、そんなに謙遜しなくていいんだよ。」

 今まで、一緒に飲んだ男性って、私のこと、可愛いねとか、彼氏いるのとか、若い女の子としてしか見ていない感じで、私の気持ちなんて、全く見てなかった。

 でも、先輩は、こんな感じで、私に、ずっと、自分の情熱を語っていたの。私を、この会社の同僚って、一人の人間って思ってくれてたんだと思う。こんな人は初めてで、その日からずっと憧れてしまったわ。

 私は、その日から、毎日が輝いて見えたの。家で、食事作っている時とか、これまでなかったのに、気づいたら恋愛ソングとか歌ってる。自分の部屋で、踊ったりもしてる。どうしちゃったんだろう。

 私は、先輩のことばかり考えてしまって、会社でも、気づくと、先輩がいる事業戦略室のあたりをうろうろしていた。そして、先輩は、会社のクラブ活動で、フットサルをしているって聞いて、応援とかにも行ってみた。

 メタバースで開催されるフットサルだったけど、先輩は、汗をかきながら、逞しい体で、チームをリードしていたのをみて、改めて、かっこいいと思った。男性の体から汗がほとばしるって、こんなにかっこいいんだって初めて気づいた。

 そして、寝ていると、先輩に抱きしめられている夢で起きることも増えていった。恥ずかしいけど、そんな時はパンツも汚れてる。本当に、私は変わった。

 そんな私がフットサルの練習に数回行って気づいたんだけど、練習が終わると、タオルとか手渡して、その後、一緒に食事に行く彼女がいることがわかったの。やっぱり、すてきな人は1人じゃないのね。

 でも、その女、見た目は本当に普通で、というよりどちらかというと先輩に相応しくない感じ。調べてみると、同じ会社の財務部で請求書発行とかの管理しているらしい。今どき、そんな仕事、AIができるんだから、頭も良くないのね。

 そんな女が、どうしてこの会社にと思ったので調べてみると常務のコネで入社したみたい。そうよね、先輩がこんな女に興味を持つはずない。この女から誘われて、断ると、常務とのリレーションが壊れるんじゃないかと思って、断れないに違いない。
 
 ある日、先輩とその女が歩いているのに着いていくと、一緒にラブホに入っていった。そうよ、あの女、体を武器にして先輩を誘惑しているの。汚い女。ここがメタバースで、先輩の本当の体が汚れていないことだけが助けだわ。

 あの女の穢らわしい体で、現実世界の先輩の体が汚されたら、絶対に許さないから。そう思うと、あの女を絶対に許さないからという気持ちを抑えられなくなってきた。

 私は、社内の数人の携帯をハッキングしてみたら、営業部の課長の斉木さんの携帯から、女性とベットで一緒に撮っている写真を見つけた。

 そこで、ベットの写真だけじゃなく、海外旅行の写真とかの数枚をコピーし、その顔を、あの女の顔と入れ替えて、営業部や財務部だけじゃなくて、人事部とか、監査部とかに匿名で送りつけてやった。

 社内では、思ったより大騒ぎとなったの。斉木さんは最初は否定していたんだけど、どういうわけか、あの女から誘われて、断れなかったと言ったらしい。多分、そこに写っていた女性のことは、言えない事情があったんだと思う。

 そこで、斉木さんは、社内不倫ということで処罰の対象となったんだって。そして、あの女も処罰され、体を使って男を誘惑する尻軽女って、毎日のように女性たちから言われたの。そして、耐えられなくなって会社を辞めた。

 先輩とも別れたみたい。それ以降、フットサルの練習でも見たことないもの。先輩も、体しか売りがない女なんだって、やっと気づいたんだと思う。先輩のためにやったんだから、褒めてもらいたい。そう言えないけど。

 ところで、その女を紹介した常務は、勧められたから推薦しただけで、よく知らなかったと逃げ回っていたみたい。男性として、責任をとればいいのに。

 そして、1人になった先輩に私は、あの女のことは知らないふりをして告白することにした。

「先輩、私、ずっと、先輩のこと好きだったんです。彼女がいないのなら、迷惑かもしれませんが、付き合ってください。」

 そう言って、たまたま訪れた先輩のお誕生日に、自分で作ったチョコレートと、ブランデーを先輩に渡した。もう、先輩の顔を恥ずかしくて見れなくて、ずっと下を向いてた。

「迷惑なんてことはないよ。お互い、そんなに知らないと思うし、まずは、一緒に食事でも行ってみようか。」

 そうして、私たちは付き合うことになったの。

 これまで、気がつかなかったけど、朝のランニングをしてると、川沿いに桜が満開で、見える世界が薄いピンク色でいっぱい。桜のお花も、早朝とか、まだ時々寒い中でも、これから暖かくなる日に向かって頑張ってるんだと思って、心が躍る。

 これまでは、走っている時は、仕事のことを考えたり、周りから言われた嫌なことを否定したり、心が弾むことなんてなかった。でも、今日は、走っていて、時間を忘れ、とっても気持ちがいい。こんな気持ちになったのは初めて。

 そういえば、この前まで寒かったのに、日に日に暖かくなり、草木も踊り出しそうに新しい芽を吹き始めて、生命を謳歌しようとしている。私も、そうなのね。これから、明るい先輩との日々が始まる。

 犬のお散歩をしている人がいた。これまでは、邪魔だと思っていたけど、犬が私に尻尾を振って応援してくれている。そう、私も心が明るければ、周りも応援してくれるの。そして、みんなが幸せになれるのよ。

 私は、ずっと先を見ながら、笑顔いっぱいで走っていた。
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