魚の奇術

アジ

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僕の1話

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夜。
隣駅のロータリー近くでアコースティックギター片手に路上ライブをしていると、ワンカップを片手に陽気な笑顔を浮かべた老人がやって来る。その汚れたジャンバーや縮れた長い髭、穴の空いたズボンに靴が、老人の生活スタイルを物語っていた。
面倒なヤツだ、そう頭で分かっていたが、歌を止めることはしなかった。
「兄ちゃん!」
真正面にどっかりと腰を下ろして、しゃがれた声を向けられる。仕方なく演奏を止めた。
「もっと盛り上がる曲やってくれよ。こーんな世知辛い世の中なんだ。せめて音楽の中では楽しくやろうぜ。」
何本か歯が無い口がそう紡いだ。
とりあえず受けたリクエスト。仕方なし、僕はギターを抱えなおして、リズミカルでアップテンポな曲を弾いやる。
老人は大声で「お~!いいねいいね!」と叫び、手を叩いて立ち上がった。
やめてくれ。目立つじゃないか。路上ライブは目立つものだろうけど、老人の宴会を盛り上げたいわけじゃない。
「ちょっとそこのお嬢さん!…あぁ、いいよ、いいよ。近づかないでいいから、そこで足を止めてってよ。」
ついには客を呼び止め始めた。
僕はギターを弾きながら、そろそろ老人を注意した方がいいのではないかと考えていたが、老人は拍手をしながら時折ステップを踏んで、それはそれは楽しそうに舞台を作って見せたためしばらくその様子を見届ける。
3人、やや遠くからこちらを覗くように足を止めた。
老人はワンカップを取り出すと、グイッと中身を飲んで空になったビンのカップを見せる。
「ねぇ、お兄さん。その飲みかけのジュース、掲げてくれよ。」
観客の持っていたペットボトルの黄色く色付いた炭酸ジュースを指差した。
戸惑いながらも言われるがまま、スーツ姿の男性が
持っていたジュースを持ち上げる。もっともっと、と促され、頭の上まで高く上げると、老人もワンカップを頭の上へ掲げた。
「いくよ。一瞬だ。…3、2、1!」
その掛け声に合わせて空のワンカップを左右に素早く振ると、容器の中には黄色いジュースが満ちている。
「…えっ!?」
男性は思わず自分の持っていたペットボトルを見た。その中身は向こうの風景を映す、空。
「はははっ!後でお金渡すからよ!最後まで見てって!」
陽気に笑って見せた後、ワンカップに入った炭酸ジュースを飲んで見せる。ゲップ。
その瞬間、辺りから戸惑い混じりの拍手が起こった。
僕は驚きのあまりギターの手を止めそうになる。
一体何者なんだ。マジシャンか?俺はドッキリに掛けられているのか?
その後もどこからともなくハトを出したり、花を出したりと次々にイリュージョンを繰り出す老人は、あっという間に多くの人だかりを作り上げた。
僕はそんな老人の背中を見つめながら演奏していたが、いつしか観客と同じように楽しんでいただろう。
もう、その老人を渋い顔で見る者は居なかった。

最後にトランプマジックと称して無数のトランプを舞い上げる。さながら花咲か爺さんのようだ。
散る。
目を疑った。
「どーもー!!最後まで見てくれてありがとー!」
その姿は先ほどの見すぼらしい老人ではなく、深緑のキャップに金髪、ミリタリー系の服が良く似合う若々しい青年。
割れんばかりの拍手と止まない歓声。そこは彼のステージだった。
キャップを外して手を広げた後、頭を下げた青年は観客に囲まれ、感動の感想とお金を受け取っていた。
「さっきのジュースのお兄さん!」
そう声を上げると、先ほどのスーツ姿の男性に律儀にジュース代を手渡し、握手を交わしてお礼を言う。感動と驚きのイリュージョンに僕はジュースの事などとうに忘れていた。
しばらくして、人集りが落ち着くと青年は呆けていた僕に近づいて来る。
「騙してごめんなさーい。」
このふにゃふにゃと笑う青年が、先ほどのマジックをした者と同一人物とは思えないほど彼は柔らかく優しい表情を浮かべていた。
何より、老人の姿とはまるで別人なのだ。所々抜けていた歯はきっちり生え揃っている。骨格や瞳までも老人だったことを感じさせない。これもマジックだ、というのか。
「俺の名前は、三浦 吉平。よろしくお願いしま~す。」
そう言って、青年は僕に手を差した。
彼との出会いになる。
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