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星空の約束 ③
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話を聞くと、魔族は基本的に寿命という概念がないそうだ。老衰ということがないからだということだが、死なない訳ではないという。
争いの絶えない種族であるために、戦いの中で死ぬことが多いのだとか。
「エルヴァは、争い事とかしなさそうだけど」
「好きではないのう。」
「そうしたら、天寿を全うしそうだよね。」
「…そうじゃの。そうしたら魔族初じゃぞ。」
彼に重くのし掛かっていたものが、消えてなくなった。そんなような表現が当てはまりそうな、エルヴァは屈託のない笑顔を見せた。
それからも私は日々エルヴァに魔法を教えてもらいながら、生活に必要なことも学んだ。
エルヴァと出会って一月が過ぎた頃には、家事を一通り出来るようになっていた。
それからさらに一月が過ぎ、魔法の知識を色々と教わった私は、朝からエルヴァに連れられて森の中を歩いていた。
「どこに行くの?」
「秘密じゃ。」
森は朝露に濡れた葉が太陽に照らされて、とてもきれいな景色を作っていた。
朝の森は空気が冷たくて少し肌寒かったが、差し込む太陽がポカポカと体を温めてくれる。
少し先を歩いているエルヴァが先が私の道を示してくれる。歩いている間にエルヴァの講義が始まり、植物や動物の説明をしてくれた。
「そろそろじゃ。」
そう言われて私は胸がドキドキする。何が待っているのかと期待して、自分がわくわくしているのだと気付く。こんな感情は昔に失くしたと思っていた。
エルヴァが先に森を抜け、私もその後を追って森を抜けた。
「うわぁ…すごい…」
私からこぼれた言葉は後ろから吹き抜けた風に乗って飛んでいく。なびく髪を押さえながら、目の前に広がる景色に目を奪われていた。
開けた大地には水が張られ、大きな湖を作っている。その先に森はなく色とりどりの花が咲き乱れている。湖面に反射する空の青を吸ってさらに幻想的に見せる。
「どうじゃ?すごかろう?」
誇らしげに聞くエルヴァは、何だか褒めて欲しそうな顔をしている。
「うん、とても綺麗。…。」
「どうかしたかの?」
何も言わなくても私の表情を読み取って、心配そうに声をかけてくれるエルヴァ。そんな彼の優しさに触れる度、私は胸が苦しくなる。
「こんな景色、エルヴァと会わなかったら見なかっただろうなと思って…連れてきてくれてありがとう。」
「喜んでもらえたなら良かった。連れて来たかいがあると言うものじゃ。」
満足そうに笑うエルヴァを見て、私も嬉しくなるのを感じた。
「ここは夜景も綺麗なんじゃ。湖の上には空を覆い隠す木々がないから、星空がとてもきれいでな。しかもそれが湖にも映るからまるで夜空の中にいるみたいなんじゃ。水の上を歩いたらそれはもう言葉では表現できんくらいの感動じゃぞ。」
「…水の上を歩けるの?」
「そんなこと容易いことじゃ。ほれ。」
エルヴァが湖に足を踏み入れる。すると、水面に足が着いているのだ。沈むことはなく、まるで浮いているみたいに。
「お、落ちないの?」
「魔法じゃからの。落ちるわけがない。」
クスクスと笑っていたエルヴァは得意げに言う。その瞳が僅かに赤く輝いている。
「魔法は想像力が大事じゃと教えたろう?これも同じじゃ。」
「私にもできる?」
「そうじゃな。もう少し魔力が貯まればできるぞ。」
「本当!?」
思わず大きな声が出てしまい、ハッと口元を手で覆う。エルヴァも一瞬驚いたように目を開いたが、それはすぐに優しい笑みへと変わる。
「感情を出すのは良いことじゃよ。それが魔力を貯めるからのう。…大丈夫。ルネならきっとすぐ出来るようになるじゃろ。わしが保証するんじゃ、大船に乗ったつもりでいるがよい。」
「うん、頑張ってみる。」
私の様子を見て嬉しそうに微笑んでいるエルヴァは、湖の上でくるりと回って見せる。
「そうじゃ。ルネが湖の上を歩けるようになったら、夜空の下で一緒に踊るかの。」
「え?」
「わしは、ダンスも得意なんじゃぞ。」
ポンッと湖の上から降りると、私の手を取りくるくると回る。エルヴァは無邪気な笑顔で、私をリードして手を引いてくれる。
「どうじゃ?うまいもんだろう?」
実際はリズムもステップもいい加減なものだったが、私が今までで踊った中で一番心が躍る一曲だった。
「楽しみじゃ。」
「うんッ。」
だが、その願いが叶うことはなかったのだ。
息を切らして私はひたすらに走っていた。そして、見えてきたのは森の中に佇む一軒の小さな家。ほんのひと時の間過ごしただけの場所だったが、私にとってはここが帰る家だった。
いつもなら私が魔法の練習から帰ると、エルヴァは無邪気な笑顔で私を出迎えてくれていた。そして、美味しいごはんを用意しているのだ。小さなテーブルに向かい合わせで座って、楽しく食事をする。その後は、一緒に片づけをして、夜遅くなるまで色々な話をして長い夜を過ごした。それが日課で私の楽しみだった。
だけど、目の前の家はしんと静まり返り、まるで時間が止まったかのように見える。
扉を開けると油切れの蝶番が音を鳴らす。部屋の中には誰もいない。テーブルやキッチンはさっきまで人がいたかのような、生活感のある物が置きっぱなしにされている。だけど、そのどれもが埃を被っていた。
テーブルに置かれていた本を手に取り埃を払う。その本は私が魔術を習うのに初めて彼からもらったものだった。たくさん読み込んでいたので、内容は覚えてしまっていたけれど、とても懐かしくて、私はその本をぎゅっと抱きしめる。
17歳になった私は明日、結婚式を控えていた。
どうしてこうなってしまったのだろうか。考えても出てくる答えは一つだった。私が悪いのだと。
10歳の時に黙って家出をして、私はエルヴァに拾われた。彼といると毎日が楽しくて気持ちが明るくなった。こんな生活がいつまでも続くと私は思って疑わなかった。
だけど、ある日多くの兵士が森へとやって来た。
目的は明白だ。
私を探していたのだ。
いくら広い森とはいえ、国の兵士が総出で探していたのだ、すぐに見つかってしまった。
昼前の太陽が昇った頃だった。私はちょうど一人で湖を歩く練習をしていたのだ。
私を見つけた兵士たちは私を捕まえて連れて戻そうとした。そこに私を迎えに来たエルヴァが現れて、兵士たちは彼に剣を向けた。
兵士たちを束ねている隊長-ジラールが前に出て来る。
「王女を誘拐したのは貴様か!」
「誘拐?何のことじゃ?」
「ええい!白々しい!この方は我がレイナール国の第一王女ルネ様にあらせられる。」
叫ぶジラールの言葉に、エルヴァは私の方を見た。その顔は驚きでも、黙っていたことに対する怒りでも、ましてや悲しみでもなかった。そんなこと知っていたぞ。と、言っているように見えたのだ。
「ルネからは自ら国を出たと聞いているぞ。」
「そんなでたらめ誰が信じるか!」
エルヴァの言葉に数人の兵士が弓を引き構える。ジラールが合図をすれば、すぐにでもその矢は放たれるだろう。だから私は慌てて声を上げた。
「ほ、本当よ!」
私の声に驚いたように振り向くジラールは、小さくため息をついた。
「どうやら王女様は魔術で操られているようだ。錯乱しているとしか思えん。」
「ち、ちがっ!」
さらに声を上げようとしてその口を塞がれてしまう。強い力で腕を掴まれ痛みが走り、顔をしかめた。
「乱暴はやめるんじゃ!痛がっているではないか。」
「貴様が魔術をかけているから悪いのだ!」
「さっきから何を言っておる。魔術などかけてはおらんと…」
「貴様、魔族だろ。気づかないとでも思ったか?」
エルヴァの言葉を遮りニヤリと嫌な笑みを浮かべてジラールは続ける。
「魔族は見逃すな。というのが、我が国王の命でね。悪いがついでに始末させてもらう。」
「勝てると思うておるのか?」
ゾクリと鳥肌がった。いつもニコニコと笑っているエルヴァが初めて見せた怒りの感情。私に向けられたものではないと分かってはいるが、体が震える。
他の兵士たちもその殺気に後退りしていた。そんな中、ジラールだけが怯んだ様子もなくなぜか私の方へと歩いて来て隣に並んだ。
そして、剣を私に向ける。
「動けばルネ様を切るぞ。」
「正気か?」
「ああ、正気だとも」
「フン、そんな脅し…」
ザクッ
痛みに息がつまる。ジラールは何の躊躇いもなく私の足を切りつけた。深くはないが血が流れ出ている。
「ルネ!!」
エルヴァが叫び駆け寄ろうとするが、私の首元に剣が突きつけられてその動きを止めた。
私は痛みに涙を流しながらもジラールを睨み付けた。
「これはどういうことですか…こんなこと許されるはずありません。」
「そんなことはございませんよ。ルネ王女。魔術で操られており抵抗されて致し方なく…と言えば何の問題もない。それに、貴女が死んだところで、そこの魔族のせいにすれば良いだけです。」
「貴様…」
いつもと様子が違うエルヴァ。唸るような低い声で小さく呟くと、瞳がルビー色に染まる。
ジラールの言葉にエルヴァの殺気が一気に膨れ上がるのを感じ取った。魔力が溢れているのか髪が風もないのに揺らめいている。
そんな様子にもジラールは怯むことなく、今度は私の方に視線を向けた。その顔は人を蔑んだ不快なものだった。そして、楽しそうに笑って言葉を続けた。
「魔法も使えない国の汚点はいらないのですよ。」
ハッとなったのはジラールの言葉に傷ついたわけでも、彼が向けた剣が私を切ろうとしたことでもない。エルヴァがこの場にいる私以外を殺そうとしているのだと分かったからだ。魔術の発動は何となく分かっていた。彼の瞳は彼の魔法の発動で赤く染まるのだ。それが分かるのは何度も彼が見せてくれたから。
私は自分が切られることなど全く気にせずに、力いっぱいに叫んでいた。
「エルヴァ!止めて!!」
その言葉が合図だったかのように、その場のすべてが時を止めた。私一人を除いて。
私は首に触れそうな剣を除けて立ち上がると、エルヴァの前まで痛む足をゆっくりと動かして近づいた。
時が止まっているために彼は動かない。私は怒りに満ちた表情をしている彼の頬にそっと触れた。
「ごめんね。…今まで、ありがとう。」
聞こえていないとは分かりつつも、言葉は口からこぼれていた。
私はそっと彼に口づけをする。
その時私が考えたのは、どこか安全な場所へと彼が転移すること。
それから私に関する記憶の全てを失くすことだった。
私の初めて使った魔法は上手く行ったようで、時が戻るとエルヴァは姿を消していた。エルヴァという魔族を見失った兵士たちは、私を殺すこともできなくなり、意気消沈したまま私を連れて帰国した。
それから私は王や王妃に散々に言われて、呪われているのだと城の牢屋に閉じ込められた。食事はちゃんとしたものだったが、どれも美味しくなかった。エルヴァと一緒だから美味しかったのだ。そう考えては涙が零れた。小さな窓から見える星を見るたびに彼を想った。
そして、7年の月日が流れた。
ある日突然、王と王妃が現れて私に告げる。
「お前の結婚相手が見つかった。隣国のクリス王子だ。」
「お前みたいな者をもらってくれるなんて、心の広いお方だわ。」
隣国の評判はすこぶる悪い。女好きで知られている王子が確かそんな名前だった。私は感情のない瞳で、私を生んだ人たちの顔を見た。
見下ろす視線は子供を見るような目では到底なかった。
「何か言ったらどうなの?お前のために探した相手なのよッ。」
お金のためでしょう…と、言葉が出そうになり飲み込んだ。
「ありがとうございます。お父様。お母様。」
「式は3日後だ。準備はこちらでしておく、感謝しろ。」
そう言い捨てて王は牢屋を出た。その後を追う王妃の声が牢屋に残る。
「やっと厄介払いできるわ。」と。
争いの絶えない種族であるために、戦いの中で死ぬことが多いのだとか。
「エルヴァは、争い事とかしなさそうだけど」
「好きではないのう。」
「そうしたら、天寿を全うしそうだよね。」
「…そうじゃの。そうしたら魔族初じゃぞ。」
彼に重くのし掛かっていたものが、消えてなくなった。そんなような表現が当てはまりそうな、エルヴァは屈託のない笑顔を見せた。
それからも私は日々エルヴァに魔法を教えてもらいながら、生活に必要なことも学んだ。
エルヴァと出会って一月が過ぎた頃には、家事を一通り出来るようになっていた。
それからさらに一月が過ぎ、魔法の知識を色々と教わった私は、朝からエルヴァに連れられて森の中を歩いていた。
「どこに行くの?」
「秘密じゃ。」
森は朝露に濡れた葉が太陽に照らされて、とてもきれいな景色を作っていた。
朝の森は空気が冷たくて少し肌寒かったが、差し込む太陽がポカポカと体を温めてくれる。
少し先を歩いているエルヴァが先が私の道を示してくれる。歩いている間にエルヴァの講義が始まり、植物や動物の説明をしてくれた。
「そろそろじゃ。」
そう言われて私は胸がドキドキする。何が待っているのかと期待して、自分がわくわくしているのだと気付く。こんな感情は昔に失くしたと思っていた。
エルヴァが先に森を抜け、私もその後を追って森を抜けた。
「うわぁ…すごい…」
私からこぼれた言葉は後ろから吹き抜けた風に乗って飛んでいく。なびく髪を押さえながら、目の前に広がる景色に目を奪われていた。
開けた大地には水が張られ、大きな湖を作っている。その先に森はなく色とりどりの花が咲き乱れている。湖面に反射する空の青を吸ってさらに幻想的に見せる。
「どうじゃ?すごかろう?」
誇らしげに聞くエルヴァは、何だか褒めて欲しそうな顔をしている。
「うん、とても綺麗。…。」
「どうかしたかの?」
何も言わなくても私の表情を読み取って、心配そうに声をかけてくれるエルヴァ。そんな彼の優しさに触れる度、私は胸が苦しくなる。
「こんな景色、エルヴァと会わなかったら見なかっただろうなと思って…連れてきてくれてありがとう。」
「喜んでもらえたなら良かった。連れて来たかいがあると言うものじゃ。」
満足そうに笑うエルヴァを見て、私も嬉しくなるのを感じた。
「ここは夜景も綺麗なんじゃ。湖の上には空を覆い隠す木々がないから、星空がとてもきれいでな。しかもそれが湖にも映るからまるで夜空の中にいるみたいなんじゃ。水の上を歩いたらそれはもう言葉では表現できんくらいの感動じゃぞ。」
「…水の上を歩けるの?」
「そんなこと容易いことじゃ。ほれ。」
エルヴァが湖に足を踏み入れる。すると、水面に足が着いているのだ。沈むことはなく、まるで浮いているみたいに。
「お、落ちないの?」
「魔法じゃからの。落ちるわけがない。」
クスクスと笑っていたエルヴァは得意げに言う。その瞳が僅かに赤く輝いている。
「魔法は想像力が大事じゃと教えたろう?これも同じじゃ。」
「私にもできる?」
「そうじゃな。もう少し魔力が貯まればできるぞ。」
「本当!?」
思わず大きな声が出てしまい、ハッと口元を手で覆う。エルヴァも一瞬驚いたように目を開いたが、それはすぐに優しい笑みへと変わる。
「感情を出すのは良いことじゃよ。それが魔力を貯めるからのう。…大丈夫。ルネならきっとすぐ出来るようになるじゃろ。わしが保証するんじゃ、大船に乗ったつもりでいるがよい。」
「うん、頑張ってみる。」
私の様子を見て嬉しそうに微笑んでいるエルヴァは、湖の上でくるりと回って見せる。
「そうじゃ。ルネが湖の上を歩けるようになったら、夜空の下で一緒に踊るかの。」
「え?」
「わしは、ダンスも得意なんじゃぞ。」
ポンッと湖の上から降りると、私の手を取りくるくると回る。エルヴァは無邪気な笑顔で、私をリードして手を引いてくれる。
「どうじゃ?うまいもんだろう?」
実際はリズムもステップもいい加減なものだったが、私が今までで踊った中で一番心が躍る一曲だった。
「楽しみじゃ。」
「うんッ。」
だが、その願いが叶うことはなかったのだ。
息を切らして私はひたすらに走っていた。そして、見えてきたのは森の中に佇む一軒の小さな家。ほんのひと時の間過ごしただけの場所だったが、私にとってはここが帰る家だった。
いつもなら私が魔法の練習から帰ると、エルヴァは無邪気な笑顔で私を出迎えてくれていた。そして、美味しいごはんを用意しているのだ。小さなテーブルに向かい合わせで座って、楽しく食事をする。その後は、一緒に片づけをして、夜遅くなるまで色々な話をして長い夜を過ごした。それが日課で私の楽しみだった。
だけど、目の前の家はしんと静まり返り、まるで時間が止まったかのように見える。
扉を開けると油切れの蝶番が音を鳴らす。部屋の中には誰もいない。テーブルやキッチンはさっきまで人がいたかのような、生活感のある物が置きっぱなしにされている。だけど、そのどれもが埃を被っていた。
テーブルに置かれていた本を手に取り埃を払う。その本は私が魔術を習うのに初めて彼からもらったものだった。たくさん読み込んでいたので、内容は覚えてしまっていたけれど、とても懐かしくて、私はその本をぎゅっと抱きしめる。
17歳になった私は明日、結婚式を控えていた。
どうしてこうなってしまったのだろうか。考えても出てくる答えは一つだった。私が悪いのだと。
10歳の時に黙って家出をして、私はエルヴァに拾われた。彼といると毎日が楽しくて気持ちが明るくなった。こんな生活がいつまでも続くと私は思って疑わなかった。
だけど、ある日多くの兵士が森へとやって来た。
目的は明白だ。
私を探していたのだ。
いくら広い森とはいえ、国の兵士が総出で探していたのだ、すぐに見つかってしまった。
昼前の太陽が昇った頃だった。私はちょうど一人で湖を歩く練習をしていたのだ。
私を見つけた兵士たちは私を捕まえて連れて戻そうとした。そこに私を迎えに来たエルヴァが現れて、兵士たちは彼に剣を向けた。
兵士たちを束ねている隊長-ジラールが前に出て来る。
「王女を誘拐したのは貴様か!」
「誘拐?何のことじゃ?」
「ええい!白々しい!この方は我がレイナール国の第一王女ルネ様にあらせられる。」
叫ぶジラールの言葉に、エルヴァは私の方を見た。その顔は驚きでも、黙っていたことに対する怒りでも、ましてや悲しみでもなかった。そんなこと知っていたぞ。と、言っているように見えたのだ。
「ルネからは自ら国を出たと聞いているぞ。」
「そんなでたらめ誰が信じるか!」
エルヴァの言葉に数人の兵士が弓を引き構える。ジラールが合図をすれば、すぐにでもその矢は放たれるだろう。だから私は慌てて声を上げた。
「ほ、本当よ!」
私の声に驚いたように振り向くジラールは、小さくため息をついた。
「どうやら王女様は魔術で操られているようだ。錯乱しているとしか思えん。」
「ち、ちがっ!」
さらに声を上げようとしてその口を塞がれてしまう。強い力で腕を掴まれ痛みが走り、顔をしかめた。
「乱暴はやめるんじゃ!痛がっているではないか。」
「貴様が魔術をかけているから悪いのだ!」
「さっきから何を言っておる。魔術などかけてはおらんと…」
「貴様、魔族だろ。気づかないとでも思ったか?」
エルヴァの言葉を遮りニヤリと嫌な笑みを浮かべてジラールは続ける。
「魔族は見逃すな。というのが、我が国王の命でね。悪いがついでに始末させてもらう。」
「勝てると思うておるのか?」
ゾクリと鳥肌がった。いつもニコニコと笑っているエルヴァが初めて見せた怒りの感情。私に向けられたものではないと分かってはいるが、体が震える。
他の兵士たちもその殺気に後退りしていた。そんな中、ジラールだけが怯んだ様子もなくなぜか私の方へと歩いて来て隣に並んだ。
そして、剣を私に向ける。
「動けばルネ様を切るぞ。」
「正気か?」
「ああ、正気だとも」
「フン、そんな脅し…」
ザクッ
痛みに息がつまる。ジラールは何の躊躇いもなく私の足を切りつけた。深くはないが血が流れ出ている。
「ルネ!!」
エルヴァが叫び駆け寄ろうとするが、私の首元に剣が突きつけられてその動きを止めた。
私は痛みに涙を流しながらもジラールを睨み付けた。
「これはどういうことですか…こんなこと許されるはずありません。」
「そんなことはございませんよ。ルネ王女。魔術で操られており抵抗されて致し方なく…と言えば何の問題もない。それに、貴女が死んだところで、そこの魔族のせいにすれば良いだけです。」
「貴様…」
いつもと様子が違うエルヴァ。唸るような低い声で小さく呟くと、瞳がルビー色に染まる。
ジラールの言葉にエルヴァの殺気が一気に膨れ上がるのを感じ取った。魔力が溢れているのか髪が風もないのに揺らめいている。
そんな様子にもジラールは怯むことなく、今度は私の方に視線を向けた。その顔は人を蔑んだ不快なものだった。そして、楽しそうに笑って言葉を続けた。
「魔法も使えない国の汚点はいらないのですよ。」
ハッとなったのはジラールの言葉に傷ついたわけでも、彼が向けた剣が私を切ろうとしたことでもない。エルヴァがこの場にいる私以外を殺そうとしているのだと分かったからだ。魔術の発動は何となく分かっていた。彼の瞳は彼の魔法の発動で赤く染まるのだ。それが分かるのは何度も彼が見せてくれたから。
私は自分が切られることなど全く気にせずに、力いっぱいに叫んでいた。
「エルヴァ!止めて!!」
その言葉が合図だったかのように、その場のすべてが時を止めた。私一人を除いて。
私は首に触れそうな剣を除けて立ち上がると、エルヴァの前まで痛む足をゆっくりと動かして近づいた。
時が止まっているために彼は動かない。私は怒りに満ちた表情をしている彼の頬にそっと触れた。
「ごめんね。…今まで、ありがとう。」
聞こえていないとは分かりつつも、言葉は口からこぼれていた。
私はそっと彼に口づけをする。
その時私が考えたのは、どこか安全な場所へと彼が転移すること。
それから私に関する記憶の全てを失くすことだった。
私の初めて使った魔法は上手く行ったようで、時が戻るとエルヴァは姿を消していた。エルヴァという魔族を見失った兵士たちは、私を殺すこともできなくなり、意気消沈したまま私を連れて帰国した。
それから私は王や王妃に散々に言われて、呪われているのだと城の牢屋に閉じ込められた。食事はちゃんとしたものだったが、どれも美味しくなかった。エルヴァと一緒だから美味しかったのだ。そう考えては涙が零れた。小さな窓から見える星を見るたびに彼を想った。
そして、7年の月日が流れた。
ある日突然、王と王妃が現れて私に告げる。
「お前の結婚相手が見つかった。隣国のクリス王子だ。」
「お前みたいな者をもらってくれるなんて、心の広いお方だわ。」
隣国の評判はすこぶる悪い。女好きで知られている王子が確かそんな名前だった。私は感情のない瞳で、私を生んだ人たちの顔を見た。
見下ろす視線は子供を見るような目では到底なかった。
「何か言ったらどうなの?お前のために探した相手なのよッ。」
お金のためでしょう…と、言葉が出そうになり飲み込んだ。
「ありがとうございます。お父様。お母様。」
「式は3日後だ。準備はこちらでしておく、感謝しろ。」
そう言い捨てて王は牢屋を出た。その後を追う王妃の声が牢屋に残る。
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