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企む姉崎

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「な~んかイイムードだなあ」
 姉崎淳哉はビール片手に、沖に見える同輩二人を見ながら呟いた。
「ああ?」
 かみついたのは隣にいた大熊である。
「なにがだよ」
 不機嫌そうに自らの集団をすがめた目で見やる。
 良い雰囲気になりかかってる同輩を「なにがってアレ」と指さそうとした姉崎は
「……別になんでも~?」
 朗らかに誤魔化してニッと笑った。こっちの方が面白そうだったからである。
 大熊の視線は、男ばかり十数人の集団に向けられている。
 はっきり言ってむさ苦しいし、良いムードなんて欠片も無い。むしろ和やかな家族連れの中では不審者めいてもいる。
 特に怪しいのは会長の津田と尾方だ。オタ全開なキャラTとハーフパンツはアキバあたりから歩いてきたみたい。津田はぼさぼさの長髪にひしゃげた麦わら帽子、尾方は黒縁メガネにチューリップハット(どこで買ったんだろう)という怪しさ全開の格好でタブレットのゲーム画面をのぞいてる。そこに子供が近づこうとするのを、母親が引っ張って止めたりしてて、妙な雰囲気醸してるけど、それはそれで笑えるからOK。
 そんなメイン集団から少し離れたパラソルの奥で日差しを避け、姉崎と大熊はのんびりビールを飲んでいた。
「な~に怒ってるの?」
 朗らかに、しかし声を潜めて問う姉崎に、大熊はチッと舌打ちして呟いた。
「夏のビーチったらナンパだろーが。なのに女がいねえ」
 わりと誰に対してもなめた態度の大熊が苛立たしげな表情なんて滅多に見られないけれど、昨日の酒が残ってるからかも知れない。
「そう? けっこう女性いるじゃない?」
「ばか。俺が言ってるのは、十八歳以上、三十八歳以下、ウエスト六十五センチ以下、バスト八十八センチ以上でコブついてない、ちゃんとした意味の女のことだ」
 立て板を流すように滑らかな滑舌。
「ちゃんとって」
 姉崎はクスクス笑ってツッコみつつ、(言い慣れてるなあ、このセリフ)と思う。
「ばーさんかガキしかいねえ。こんな海なら俺はいらねー」
「ああ~、そうだねえ。ご家族様ばっかりかも。かなり沖まで浅いみたいだし、子供向けなのかもね、ここ」
「ったく、むかつく」
(つまりさっきのセリフは彼のテリトリー内で言ってるんだ。日常的に)
 姉崎は思考を進めてほくそ笑む。
(そういう言動がオーライの楽しそうな場所を、この人は知ってる。いいね)
 なのに本領発揮できないのが面白くないのだろう、と姉崎は推察した。露悪趣味は分かるし自分もやってることだけど、大熊は女性に対してのアドバンテージを誇示したがるところがある。つまり『俺ってモテるんだぞ、いいだろう』と言わないけど態度で示す、というやつ。
 なんてコトを思いつつ、眉間に縦皺を刻む大熊をチラッと見る。この世渡り上手な先輩は、たいていニヤニヤしてるし、少なくとも寮内で本音は口にしない。そういう用心深さは理解できる姉崎との間には、同類だとお互いを感知した故の気安さが、そこはかとなくできつつあった。どっちもそんなこと、くちにするようなキャラじゃ無いけど。
 だから他のメンバー、特に庄山などには聞かれないような小声で文句を呟いてるわけだ。

 鈴木旅館は湯治客が中心のひなびた宿で、インターネットはいまどきレア過ぎなISDNで玄関周りのみ、携帯の電波も3Gしか入らないという、ありえない施設だった。
 外観は古びて内装もチープだし、カネを落としてくれるような旅行客は呼び込めない。ただでさえ経営が厳しくなってきている上に、お盆の時期は湯治客が家族と過ごすため、客数が落ちるのだというような話は、以前鈴木から聞いていた。
 そして今回、離れの修復というタスクを聞かされて鈴木の思惑に乗ったわけだが、根回しは上々、里帰り中の小谷や大田原も呼べたし、結果オーライだな、と姉崎は満足していた。
 ここまでの車内で、天才と呼び声も高い尾方と語り合えたのは収穫だった。この先輩は知己として抱えて使える人材だ。同じ理由で鈴木も使えると考えていて、だから英訳など頼まれれば気軽に応じている。そうでなければ簡単に人の頼みなど聞いてやる姉崎では無い。
 そして近しくなりたかった大熊とも今回で気安い雰囲気が作れた。
 今まで総括となかなか接点が作れなかったのは、副部長である藤枝がコッチを極端に警戒しているからだ。そのせいでなかなか話し込むチャンスが無かったのだが、この旅行はイイ機会だったと言える。
 などと考え、姉崎は内心でガッツポーズを取っていた。
 なにせ大学に入ってから、おとなしく品行方正に過ごす生活(一般的な観点で言えば全く違うと怒られるだろう、という自覚はある)をしていたので、いいかげん飽き始めていて、寮内でもっとも楽しそうな生活を営んでいるらしい大熊に近づけば利用できると考えていたのである。こうまで思い通りに事が運ぶと笑いが止まらない。
 そして、ふと楽しそうなことを思いついて笑みを深め、「ねえ先輩?」耳にくちを寄せて低く囁いた。
「そういえば女の人、いるじゃない」
「ああ? どこに」
 やけくそ気味にビールを呷りつつの声にニッと笑みを深め、さらに接近した姉崎は耳元になにごとか吹き入れる。
 その言葉を耳にした大熊は少し目を見開き、すぐに姉崎へ責めるような視線を向けたが、それを受けた男はメガネの奥でニッと笑みを返すのみだ。
 しばし黙って見返していた大熊は、やがて何かを考え込むように少し目を伏せて、くちもとに笑みを刻んだ。

 ちょっと曇ってたけど、それでも真夏の海はメンバーをもれなく日焼けさせた。
 宿に戻ると、皆で大浴場に向かい、ヒリヒリする肌を擦り合ったりしつつ、塩と砂にまみれた体を洗い流して、温泉に浸かって筋肉を弛緩させている。
 歴史ある賢風寮の執行部、なんて物々しく言われて、それなりな感じ醸してるけど、なんだかんだ言って先輩たちも平和だよなあ、と姉崎は考える。
(所詮は苦労知らずの平和ボケした日本の大学生。チョロいよなあ)
 姉崎の知己には戦場で使うためのシステムを開発しているやつがいる。いうなれば効率的な人殺しの手段を構築しているわけだ。そいつを雇っている紳士は大金持ちで温厚な顔をしているけれど、その実態は武器商人。国家のためという大義名分があるから、大いばりで人殺しの道具を開発し、売りつける。
 世の中は不公平で、持つものと持たざるものの間にある溝は深い。
 たとえば日本で当たり前に享受できる平和な日常、質の高いサービス。そんなのは他の国ならそうとう裕福な者でなければ持ち得ないものなのだ。
 その自覚も無く、外国の自国より優れて見える面だけあげつらって、声高に政府を批判する連中はバカだ。外国にならうべきだと言うけれど、それを得るために何を犠牲にしているかには考えが及んでない、近視眼的な奴ら。
 何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。そんな当たり前のことが、平和ボケした日本人には分からないのだろう。
 とはいえバカじゃ無いやつももちろんいる。たとえば執行部で言えば会長と乃村、そして同輩の丹生田なんかは、なにを考えているか読みにくいので警戒してしまうのだが。
 そしていち早く浴場を後にした大熊が、どこへ行ってなにをするつもりか、姉崎にはすっかり読めていた。その後に起こるであろう事態に対する対処もシミュレーション済み。
 それでもどんな展開になるか、楽しみではある。
 ふふ、と笑いながら、姉崎は平和に温泉を楽しむことに専念することにした。
 何でも楽しんだモン勝ちだからね
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