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『徒人草』・あだひとぐさ
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『徒人草』・あだひとぐさ
「徒人草ってなんだ?『徒然草(つれづれぐさ)』なら知ってるけど」
「ああ、あれね、ネットニュースに出てたわよ。
有名な『徒然草』を元に五十年くらい後の室町時代に書かれたパロディーなんだって。
それが奈良か京都のお寺の調査で古文書の中から見つかったと書いてあったわよ」
「へえ、そりゃ面白い、どんなことが書いてあるんだろ」
テレビを点けると丁度そのニュースをやっている。
「さて、次のニュースです。
先日、京都府京田辺市の寺院で見つかった、つれひとぐさ、が文化庁の審議会で国の重要文化財に答申されました。所蔵する権加持寺(ごんかじじ)にリポーターの馬場が行っています、ばばさーん」
「はい、馬場です。こちら重要文化財に答申された、つれひとぐさ、を所有する京田辺市のごんかじじ、です、権加持寺の、吉田建興(よしだけんこう)住職にお話を伺います。
ご住職、この度、つれひとぐさ、が文化庁の審議会で国の重要文化財認定の答申になりました。
これをどう思われますか?」
「そやねえ、見ての通りここは山あいの村の小さなお寺でっしゃろ。立派なもんは何もおまへんねん。
そこに重要文化財の古文書があったちゅうのんは、ほんまビックリでしたなあ。
京田辺市の文化財調査で教育委員会の調査員の先生が本堂の須弥壇下の箱の中に他の古文書と一緒にしまってあるのを見つけられたんだすわ」
「つれひとぐさ、は現在、京都国立博物館に寄託されて保存修理と研究が行われていますが、今後はどうなさるのでしょうか?」
「そうですなあ。ここに置いといても十分な保管が出来ませんよって、博物館さんに預けっぱなしになりそうですが、修理が済んだら一旦はこちらにお返してもろて、短い間でよろしいんで村の檀家さんたちに見てもらおうと思っとります」
「檀家さんたちは重要文化財答申をどう言っておられますか?」
「そりゃ皆さん喜んではりまっせ。
うちの菩提寺にも日本中に誇れるお宝が有ったんや!言われましてなあ。寄ると触るとその話ばっかりですわ」
「それは良かったですね、おめでとうございます。
以上、重要文化財答申に湧く、京田辺市の権加持寺からでした」
「あの、あの、ちょっとすんまへん。
つれひとぐさ、やのうて、あだひとぐさ、でっせ。
博物館の先生がマスコミは読み方を間違えとる、あかんでえ、って言うてはります」
「あ、そうですか・・。
失礼しました。あだひとぐさ、が正しいそうです。では、スタジオにお返しします」
「はい、ご住職、馬場さんありがとうございました。
あだひとぐさ、が正しい読み方とのことです。
失礼をいたしました、お詫びして訂正します。さて次のニュースです・・・・」
私はテレビを切った。
「あの住職、面白いなあ、小柄でコロンとしてお狸さんみたいな愛嬌があるよ。
いかにも人のいい田舎のお寺の和尚さんって感じで、おまけに名前が、よしだけんこう、だってさ。
徒然草の吉田兼好と同じ音だよね」
妻は、
「それ、私も思った。だけどツッコミが入らなかったから残念だなあ」
「同じことはニュースを見た人がみんな思っただろうな。
でも短いリポート時間にそれをぶっ込むと肝心の話が出来なくなるから、触れなかったんだろうな」
「あ、そうかあ。でも最後の、「あだひとぐさでっせ」はちょっとパンチがあったわよねえ」
「そうだな、ハハハ」
と、どうでもいい夫婦の会話をしてから1年後のことだった。
★重要文化財『徒人草』は贋物か?研究家が疑義発表 問われる文化庁の鑑定力!
との報道が新聞、雑誌に踊った。
それを特集するテレビ番組の放映があったので妻と見ることにした。
番組によれば、『徒人草』には発見当初から幾人もの研究者が疑問を寄せていたために、名古屋在住の古筆研究家の高芝湖水(たかしばこすい)氏が依頼を受けて京都国立博物館で展示された『徒人草』の実物の検分を行った。
その結果、幾つもの疑問点が指摘された。
高芝氏の指摘は次の通りである。
〇墨色が薄くて紙に馴染んでいない。これは古い紙に近年になって書かれた偽造品に見られる特徴である。
〇書体は室町時代に行われた青蓮院流風ではあるが運筆がぎこちない。当時の教養人がこんなに書が下手なはずがない。室町時代の書体を真似て近年に書かれたものと思われる。
〇仮名がおかしい。室町時代の文書に通常見られる変体仮名が一つも使われていない。
〇文体がおかしい。『徒人草』は先行する南北朝時代の『徒然草』の文体を基にしているが、所々に江戸時代以降の文体が混じっている。
これに対して『徒人草』の国の重要文化財答申を行った、文化庁の文化財審議会議長の高階秀一(たかしなしゅういち)氏は下記の反論を発表した。
▼墨色が薄いのは『徒然草』の影響を受けた風刺精神を記すには薄墨が相応しく、『徒人草』は意図的に薄墨で書かれたと推測される。
料紙の放射性炭素年代測定では西暦1400年±20年の結果が出ており、料紙が室町時代の物なのは科学的に立証されている。
古い紙に近年に書いたのでは?との指摘であるが、『徒人草』は九寸に六寸の紙七十七枚に書かれて冊子本に装丁されており、これほど大量の紙が、室町時代から近年まで何も書かれず白紙のままの状態で保存されてきたというのは不可解である。
▼青蓮院流の運筆がぎこちないのは書いた人の個性である。教養人であっても字の下手な人は現代においても見られる。
▼室町時代の筆記でも変体仮名が使用されていない例もあり、変体仮名が無くても奇異とは言えない。
▼『徒人草』に江戸時代の文体は使われていないと感じるのは高芝湖水氏の主観に過ぎない。
番組を見終わった妻が、
「『徒人草』が本物か贋物かでなんだかえらく揉めているのね」
「そうみたいだな。俺たち素人には古筆のことは難しくてよく分かんないけど、文化庁が面目を保つのに必死なのは分かるな。全体に文化庁の反論はちょっと苦しいように思うなあ。
文化財審議会議長の反論する、
「・・と感じるのは高芝湖水氏の主観に過ぎない」
なんて子供の言い訳みたいでオソマツの感が否めないなあ。
そもそも高芝氏だけでなく贋物と思う人がたくさんいるから騒いでいるんだもんな。
文化庁が言う、
「纏まった量の紙が、室町時代から近年まで何も書かれず白紙の状態のままで保存されてきたのは不可解」
という点だけは、
「ああ、そうかもなあ」
と思うけど、それもあり得ない話でもないよなあ」
「そうねえ、これからどうなるのかしら、楽しみだわ」
妻は大学で日本文学を専攻していたこともあり、このニュースには格段の関心があるようだ。
『徒人草』の真贋は専門家の間でも決着がつかず侃々諤々の論争と騒動の末に、結局はウヤムヤになり、『徒人草』の重要文化財の指定解除も行われなかった。
『徒人草』はその内容が諧謔と機知に富み、独特な軽妙さが時代を超えた日本文学史上の傑作であると一部の研究者には評価が高く、発見当初は高校の古典の教科書に『徒人草』の文章を掲載する案さえも出ていたが、結局は立ち消えとなった。
文化庁においては真贋の学術的判定が下されることはなく、全ては曖昧で誰も責任を取らず、棚上げされて世間の徒人草への関心が薄れ忘れ去られるのを待つかのようだった。
その頃、『徒人草』を所有する京田辺市の権加持寺である。
住職の吉田建興住職は手にした日記から目を離すと大きな声で叫んだ。
「あ、あかん、エライこっちゃ、オヤジはなんちゅうことをしてくれたんや!」
「どないしはったの、大きな声を出して?」
と住職の妻が問うた。
「『徒人草』のことや、あれはオヤジが書いたもんやったんや!」
「ええ、なんやて、お義父さんが書いたんやてえ、一体どういうことなん?」
「『徒人草』の真贋がどエライ騒ぎになってしもうたやろ。
それがようやくこのところ静かになったんで、前から気になっとったことを調べてみたんや」
「何が気になったん?」
「『徒人草』の漢字や。
昔オヤジが檀家さんの卒塔婆に書いた漢字と『徒人草』の中の漢字によう似たのがあるなあ、となんとなく思っておったんや。オヤジは手習いが好きでようやっとったやろ。
わしは書には詳しゅうないから、『徒人草』の「青蓮院流」たらいう書体もオヤジが手習いで勉強しとったから似とるんかなあ、と漠然と思っとったんや」
「ふん、それで?」
「それでオヤジが筆で書いた字をもっとよう見たろうと思うて、寺の過去帳を取り出してオヤジが書いた漢字を見たんやが、どれもキッチリした楷書で書いたって『徒人草』の崩した字との比較はわしにはできん。
それで、オヤジが日記を毛筆で書いとったのを思い出して、裏の物置を大探したらこの日記を見つかったたんや、
見てみい」
住職は古ぼけた日記を妻に渡した。
「お義父さんが日記を書いてはったなんて知らんかったわ。
ああ、ほんまに毛筆でビッシリ書いたるねえ、上手な字やわ。
流石に若い頃に美術館にお勤めやったからねえ。
ほんでもこれは『徒人草』の字とは全然違うんちゃうの?」
「そうや、書体は全然違う、そやけど、書体はどうでもええんや。
中味にどえらい事が書かれとる。ほれ、ここを読んでみい」
住職は父親の日記を妻に押し付けた。
「昭和41年4月4日晴 先月に京都縄手のN骨董店で購入の旦入作の赤楽茶碗を、ツテを得て京都国立博物館の藤岡了三先生にご鑑定賜る、即座に贋物と断言さる、大枚30万金を出せしに大後悔なり、衝撃この上なく、しばらく賀茂川畔で心を落ち着かせんがため川面を眺めたり、
やがて気持ちを整えて、N骨董店を訪れ、藤岡了三先生に贋物と鑑定せられし旨を告げ、返金を求めるも、店主曰く、藤岡了三先生は茶道具には眼利かずなり、本品は何処に出しても恥ずかしからざる物なり、他の博士を頼みて再鑑定されるべし、と言われる、
我、心安らかならざるも思い直して京田辺の自坊に帰り、心を鎮めんと本尊の阿弥陀仏に読経し就寝せしが、眠りに入れず悶々と夜を明かしたり」
「昭和41年4月27日雨 夕刻に京都の知人のK氏より自坊に電話あり、つい先ほど縄手のN骨董店にて聞き捨てならぬことあり、是非とも汝に報じたし、とのこと、
K氏がN骨董店にたまたま立ち寄りて、店先の展示品を眺めおりしが、店先には誰もおらず、奥より店主が誰かと話す声、かすかに漏れ聞こえたり、店主曰く、過日、嫌悪する客に巧妙なる贋物の旦入の茶碗を売りしが、その客(間違いなく我のことなり)返品に来店せり、されど店主は言葉巧みに追い返したり、今後、幾たび訪問ありてもその客の返品要請に応ずる用意なし、店主重ねて曰く、骨董は己の眼力こそ命なり、騙される者こそ愚かなり、眼力なき者が悪なり、
贋物茶碗を求めしこの愚か者(我なり)は以前に上京の松兼美術館の学芸員なりしが、美術品に見識無し、されども悲しき哉、その自覚無し、また悪しきことに骨董商を見下す態度は尊大にして人格低劣、店主は度々、その愚か者に不快の思いをさせられたり、
この愚か者、松兼美術館を退職し、頭を丸めて僧籍に入るなり、されど坊主になりてもその人質の悪辣さ変わることなし、とのこと、
知人のK氏によれば、店主は、この我をかねてより激しく嫌悪せり、とのことなれども、我にその心当たりなし、まことに不可解千万の思いなり、
K氏、店主の我への悪口を漏れ聞きて怒りを覚え、速やかに店を出でて、直ちに我に電話で報ぜしなり、K氏には礼を言いて電話を切りしも我は怒気込み上げて夕餉を食すに能わざるなり、
我、悪人の詐欺に遭いしなり、我が心の尊厳は大いに傷つき今も怒気治まらず、床に入りても如何せんと考慮ひたすらにして眠れずこれを記すなり」
「昭和41年4月28日曇り 昨夜は怒気に駆られ一睡もならず、早朝の読経にも力は入らず、妻、何事やありしかと訊ねるも返答する気力なし、午後になりて、思いは高ぶり、やはりN骨董店の店主を詐欺にて告訴せんと決意して知人の弁護士に電話せしも、不在なりと秘書の返答にて、機先を挫かれしなり、
数刻して我が思いは変化せり、我は小なりといえど一寺の住職なり、兄の急逝によりて心ならずも住職を継ぎたるとはいえ、檀家諸氏には大いに人望あり、ここで心卑しき骨董店店主を告訴し、そが世間に知らるは我が人望を傷つけるものなり、心悪しき、卑しき者と真っ向から対峙するは、我までも餓鬼畜生道に堕ちることなり、よくよく分別すべきなり」
「昭和41年4月29日晴れ 昨夜の床の中で閃きたり、『目には目を、歯には歯を』これは古代バビロニアの諺なり、我はそを行わんと思うなり、
かの悪人N骨董店店主に弟あり、弟は古門前通にて書画、古筆のA骨董店を営むなり、
我、その弟には面識なし、そこで我はこのA骨董店店主を古筆の贋物にて騙さんと思うなり、我は古筆に優れたり、かつて松兼美術館に奉職せしは古筆研究によりてなり、
N骨董店店主曰く、
「骨董は騙される者ぞ愚かなり、眼力なきは悪者なり」
ならば、我が贋物を以てA骨董店店主を騙せしとも、そは彼が愚かで悪なるが故なり、
我は愚か者を出し抜きし勝者にして善なり、ひいては我には罪無きなり、との論法なるべし、N骨董店店主の言をそのままに施行して悪人に思い知らせん、これぞ『目には目を、歯には歯を』なり、
A骨董店店主が騙されるは兄の悪行の報いなり、兄のN骨董店店主への恨みを弟のA骨董店店主で晴らすはいささか筋違いの感ありしも、他に我が恨みを晴らす方策なし、我ここに『目には目を、歯には歯を』の実力行使を明確に決意せり」
「昭和41年5月6日 今宵より古筆の贋作を始む、
ここに天祐あり、我が寺の古文書に応永6年(1399年)4月8日付の寄進帳ありしが、わずか四頁のみの記載にて、残り九十余頁は白紙のままなり、この白紙に秘蔵の明代の古墨を磨りし墨液にて我が筆先の妙技を振るいて大稀品の古筆を贋作するなり、
文は5年前に東京神田の古書店で購入せし、江戸期の面白き散文を元に室町期の文体に変え、年代相応の青蓮院流にて書きしなり、筆を採れば我が心は自ずと室町の人となりて、無心に書写の境地に没入せり」
「昭和41年8月3日 昨夜いよいよ贋物古筆、完成す、三ケ月の刻苦の賜物なれば見事なる出来栄えにして、和式エッセエ『徒然草』の流れなる文章なれば『徒人草』を表題とせり、
早速に京都に持参して素人のふりを装いA骨董店に売り付けんとす、覚悟を決めてA骨董店の店先に立ちしも店舗は閉店の様子なり、怪訝に思いて隣の骨董店に入りて仔細を訊ねれば、A骨董店店主は半月前に兄のN骨董店店主と連れ立って福井県に骨董の仕入れに出掛けしが、自動車の運転を誤りて崖から谷底に転落し、両人共に死亡せしとのことなり、
我、これを聞きて驚愕す、三ケ月に亘り悪人に復讐せんとひたすら精魂を込めて贋物を制作せしも、その甲斐無きとなるなり、我は放心せり、
されど帰りの電車で両名の転落死は仏罰と気付き、心は一気に爽快となる、悪人に復讐せんと一心に贋物を制作せりしを阿弥陀如来が憐れに思召されての仏恩なり、これにより我は詐欺の穢れを犯さずに済みたり、寺に帰りて本尊の阿弥陀如来像に深甚の謝意を表し、長らく読経せしなり、これ、仏僧となりて最高の法悦なり」
「どや、読んだか?」
「読んだわ、お義父さんは若い頃こんな人やったん?全然知らんかったわ。
温厚な人やとばかり思っとったけど、ずいぶんとエキセントリックなところがあったんやね」
「ああ、昭和41年いうたら、わしが生れる2年前や、オヤジもまだ若かったんや。
その頃のオヤジは骨董が好きで、大金を注ぎ込んどったとおふくろに聞いたことがあるわ。
それがなぜかある時からフッツリと何も買わんようになったそうや。
きっとこれがその時やったんやろなあ。
そやけどいくら騙された復讐やいうても、贋物を3か月も精魂込めて作ったちゅうのはなんとも陰気でキショク悪いことやのお。実の親ながらもなんとも気分の悪い話や。
そもそもオヤジが骨董屋の店主に偉そうにしたんが嫌われて偽物を売りつけられたんやから、元はオヤジが悪いようにも思えるわなあ。
それにいくら詐欺に遭った言うても人が死んだのを喜んだら僧侶としてはアカンわ、なんともオヤジには幻滅させられたわ」
「そやけど、僧侶や言うても人間やないの。
あんたかて陰では人のことを怒ったり、悪口をようけ言うてはるやないの。
昭和41年の30万はえらい大金やろ、それをだまし取られたんはさぞ腹が立ったやろ。
お義父さんが、自分を騙した者が死んで嬉しい、と公言しはったんなら問題やけど、日記に書くくらいは大目に見てあげたらどないやの」
「お前はやけにオヤジの肩を持つなあ。死んだオヤジとは仲良かったもんな。
でも、今となってはオヤジのことはどうでもええわいな。亡くなって20年も経つんやから・・。
そやけど『徒人草』はどないするんや?
今でも国の重要文化財のままやで・・。
オヤジが作った贋作が国の重要文化財なんやぞ、ほっとけんやろ」
「そやなあ、でも考えたら、あのお義父さんの書いたもんが日本国の重要文化財になっとるなんておもろいなあ。
もうちょっとで教科書にも載るところやったんやろ、なんか誇らしい気持がするわ」
「アホウ、何を言うてんのや!
わしは僧侶やで、うちはお寺やぞ。
誰よりも倫理観が問われる職業や、こんなことがバレたら、マスコミがどっと押しかけて来て、
「和尚さんはこのことをはじめから知っていたんじゃないですか?」
としつこう聞かれるぞ。
警察も来て捜査するかもしれへん。そうなったらうちの寺の大恥や。
檀家も他のお寺に逃げてしまうかもしれへんぞ。
そんでSNSにはまたもやわしの悪口が書かれるんや。
そうなるとみっとものうて人に合わす顔がないわいな。
それに子供や孫たちも嫌がらせをされるかもしれへんで。
こないだの真贋論争の時には、わしはSNSに散々におかしなことを書かれたんや。
名前が吉田建興やから『徒然草』の吉田兼好と音が同じの生まれつきの偽者で、『徒人草』も贋物なんやろ、とか、
わしの見た目が狸みたいやからあの和尚は人を騙すに違いないとか、狸和尚に騙されるな、インチキ狸和尚、チンチクリン狸とか、ほんまに失礼な言葉の目白押しや。
そんな無茶苦茶で下らん話が受けてもうて、ネットでは大バズりやったんや。
中にはわしのことが、実直そうで人を騙せそうにない、と見出しにあったんで、嬉しなって読んでみたら、
「お人好しで人を騙す知恵は無さそう」
と書いたったんやぞ。
ほんまに失礼やろ、アッタマに来たわいな」
「わたしはSNSはやらんから知らんし、なんも見てへんわ。
あんたはお人好しだけが取り柄なんやから怒らんでもええやないの、ホントのことやで。
それがあんたの唯一のええ所なんやから。
せやけどうちの子供や孫らが辛い思いをするんわ嫌や、絶対に嫌や。
なあ、わたしら、このまま口をつぐんでたらどないやの?
このところ真贋論争はすっかり下火やし、このままほっといても何も起こらんのと違うの?
いくら正しいことが大切でも、あれはうちの父が書きましたあ、なんて言うて、わざわざ自分で火を付けることはないやろ」
住職はしばらく黙っていたが、
「そやなあ、その通りではあるな。いや、それしかないなあ」
「そやろ、そうしようやないの」
妻は立ち上がると義父の日記を手に取り外に出て行った。
「おい、どないするんや?」
住職が追いかけると、妻は庭先の焼却炉に日記を放り込み、灯油を掛けてボーボーと燃やしてしまった。
「何も燃やさんでもええやないか」
「何言うてんの、こうするしかないやろ、これで証拠隠滅や。
これでもう誰もあれがお義父さんの拵えたニセモノやと証明できんようになったんや。
完全犯罪の成立や。
私らもこのことは初めからなんも知らんかったことにしよな。
あんたも記憶から消しなはれ。
わたしはもうキレイに消してもうたで、もうなんも知らん。
ああ、わたしは忘れてもうたわ、もう、なーんも憶えてへん」
住職は妻の言葉をうなだれて聞くしかなかった。
こうして、国の重要文化財『徒人草』は公開されることなく、
今も京都国立博物館の所蔵庫の奥深くに眠り続けている。
「徒人草ってなんだ?『徒然草(つれづれぐさ)』なら知ってるけど」
「ああ、あれね、ネットニュースに出てたわよ。
有名な『徒然草』を元に五十年くらい後の室町時代に書かれたパロディーなんだって。
それが奈良か京都のお寺の調査で古文書の中から見つかったと書いてあったわよ」
「へえ、そりゃ面白い、どんなことが書いてあるんだろ」
テレビを点けると丁度そのニュースをやっている。
「さて、次のニュースです。
先日、京都府京田辺市の寺院で見つかった、つれひとぐさ、が文化庁の審議会で国の重要文化財に答申されました。所蔵する権加持寺(ごんかじじ)にリポーターの馬場が行っています、ばばさーん」
「はい、馬場です。こちら重要文化財に答申された、つれひとぐさ、を所有する京田辺市のごんかじじ、です、権加持寺の、吉田建興(よしだけんこう)住職にお話を伺います。
ご住職、この度、つれひとぐさ、が文化庁の審議会で国の重要文化財認定の答申になりました。
これをどう思われますか?」
「そやねえ、見ての通りここは山あいの村の小さなお寺でっしゃろ。立派なもんは何もおまへんねん。
そこに重要文化財の古文書があったちゅうのんは、ほんまビックリでしたなあ。
京田辺市の文化財調査で教育委員会の調査員の先生が本堂の須弥壇下の箱の中に他の古文書と一緒にしまってあるのを見つけられたんだすわ」
「つれひとぐさ、は現在、京都国立博物館に寄託されて保存修理と研究が行われていますが、今後はどうなさるのでしょうか?」
「そうですなあ。ここに置いといても十分な保管が出来ませんよって、博物館さんに預けっぱなしになりそうですが、修理が済んだら一旦はこちらにお返してもろて、短い間でよろしいんで村の檀家さんたちに見てもらおうと思っとります」
「檀家さんたちは重要文化財答申をどう言っておられますか?」
「そりゃ皆さん喜んではりまっせ。
うちの菩提寺にも日本中に誇れるお宝が有ったんや!言われましてなあ。寄ると触るとその話ばっかりですわ」
「それは良かったですね、おめでとうございます。
以上、重要文化財答申に湧く、京田辺市の権加持寺からでした」
「あの、あの、ちょっとすんまへん。
つれひとぐさ、やのうて、あだひとぐさ、でっせ。
博物館の先生がマスコミは読み方を間違えとる、あかんでえ、って言うてはります」
「あ、そうですか・・。
失礼しました。あだひとぐさ、が正しいそうです。では、スタジオにお返しします」
「はい、ご住職、馬場さんありがとうございました。
あだひとぐさ、が正しい読み方とのことです。
失礼をいたしました、お詫びして訂正します。さて次のニュースです・・・・」
私はテレビを切った。
「あの住職、面白いなあ、小柄でコロンとしてお狸さんみたいな愛嬌があるよ。
いかにも人のいい田舎のお寺の和尚さんって感じで、おまけに名前が、よしだけんこう、だってさ。
徒然草の吉田兼好と同じ音だよね」
妻は、
「それ、私も思った。だけどツッコミが入らなかったから残念だなあ」
「同じことはニュースを見た人がみんな思っただろうな。
でも短いリポート時間にそれをぶっ込むと肝心の話が出来なくなるから、触れなかったんだろうな」
「あ、そうかあ。でも最後の、「あだひとぐさでっせ」はちょっとパンチがあったわよねえ」
「そうだな、ハハハ」
と、どうでもいい夫婦の会話をしてから1年後のことだった。
★重要文化財『徒人草』は贋物か?研究家が疑義発表 問われる文化庁の鑑定力!
との報道が新聞、雑誌に踊った。
それを特集するテレビ番組の放映があったので妻と見ることにした。
番組によれば、『徒人草』には発見当初から幾人もの研究者が疑問を寄せていたために、名古屋在住の古筆研究家の高芝湖水(たかしばこすい)氏が依頼を受けて京都国立博物館で展示された『徒人草』の実物の検分を行った。
その結果、幾つもの疑問点が指摘された。
高芝氏の指摘は次の通りである。
〇墨色が薄くて紙に馴染んでいない。これは古い紙に近年になって書かれた偽造品に見られる特徴である。
〇書体は室町時代に行われた青蓮院流風ではあるが運筆がぎこちない。当時の教養人がこんなに書が下手なはずがない。室町時代の書体を真似て近年に書かれたものと思われる。
〇仮名がおかしい。室町時代の文書に通常見られる変体仮名が一つも使われていない。
〇文体がおかしい。『徒人草』は先行する南北朝時代の『徒然草』の文体を基にしているが、所々に江戸時代以降の文体が混じっている。
これに対して『徒人草』の国の重要文化財答申を行った、文化庁の文化財審議会議長の高階秀一(たかしなしゅういち)氏は下記の反論を発表した。
▼墨色が薄いのは『徒然草』の影響を受けた風刺精神を記すには薄墨が相応しく、『徒人草』は意図的に薄墨で書かれたと推測される。
料紙の放射性炭素年代測定では西暦1400年±20年の結果が出ており、料紙が室町時代の物なのは科学的に立証されている。
古い紙に近年に書いたのでは?との指摘であるが、『徒人草』は九寸に六寸の紙七十七枚に書かれて冊子本に装丁されており、これほど大量の紙が、室町時代から近年まで何も書かれず白紙のままの状態で保存されてきたというのは不可解である。
▼青蓮院流の運筆がぎこちないのは書いた人の個性である。教養人であっても字の下手な人は現代においても見られる。
▼室町時代の筆記でも変体仮名が使用されていない例もあり、変体仮名が無くても奇異とは言えない。
▼『徒人草』に江戸時代の文体は使われていないと感じるのは高芝湖水氏の主観に過ぎない。
番組を見終わった妻が、
「『徒人草』が本物か贋物かでなんだかえらく揉めているのね」
「そうみたいだな。俺たち素人には古筆のことは難しくてよく分かんないけど、文化庁が面目を保つのに必死なのは分かるな。全体に文化庁の反論はちょっと苦しいように思うなあ。
文化財審議会議長の反論する、
「・・と感じるのは高芝湖水氏の主観に過ぎない」
なんて子供の言い訳みたいでオソマツの感が否めないなあ。
そもそも高芝氏だけでなく贋物と思う人がたくさんいるから騒いでいるんだもんな。
文化庁が言う、
「纏まった量の紙が、室町時代から近年まで何も書かれず白紙の状態のままで保存されてきたのは不可解」
という点だけは、
「ああ、そうかもなあ」
と思うけど、それもあり得ない話でもないよなあ」
「そうねえ、これからどうなるのかしら、楽しみだわ」
妻は大学で日本文学を専攻していたこともあり、このニュースには格段の関心があるようだ。
『徒人草』の真贋は専門家の間でも決着がつかず侃々諤々の論争と騒動の末に、結局はウヤムヤになり、『徒人草』の重要文化財の指定解除も行われなかった。
『徒人草』はその内容が諧謔と機知に富み、独特な軽妙さが時代を超えた日本文学史上の傑作であると一部の研究者には評価が高く、発見当初は高校の古典の教科書に『徒人草』の文章を掲載する案さえも出ていたが、結局は立ち消えとなった。
文化庁においては真贋の学術的判定が下されることはなく、全ては曖昧で誰も責任を取らず、棚上げされて世間の徒人草への関心が薄れ忘れ去られるのを待つかのようだった。
その頃、『徒人草』を所有する京田辺市の権加持寺である。
住職の吉田建興住職は手にした日記から目を離すと大きな声で叫んだ。
「あ、あかん、エライこっちゃ、オヤジはなんちゅうことをしてくれたんや!」
「どないしはったの、大きな声を出して?」
と住職の妻が問うた。
「『徒人草』のことや、あれはオヤジが書いたもんやったんや!」
「ええ、なんやて、お義父さんが書いたんやてえ、一体どういうことなん?」
「『徒人草』の真贋がどエライ騒ぎになってしもうたやろ。
それがようやくこのところ静かになったんで、前から気になっとったことを調べてみたんや」
「何が気になったん?」
「『徒人草』の漢字や。
昔オヤジが檀家さんの卒塔婆に書いた漢字と『徒人草』の中の漢字によう似たのがあるなあ、となんとなく思っておったんや。オヤジは手習いが好きでようやっとったやろ。
わしは書には詳しゅうないから、『徒人草』の「青蓮院流」たらいう書体もオヤジが手習いで勉強しとったから似とるんかなあ、と漠然と思っとったんや」
「ふん、それで?」
「それでオヤジが筆で書いた字をもっとよう見たろうと思うて、寺の過去帳を取り出してオヤジが書いた漢字を見たんやが、どれもキッチリした楷書で書いたって『徒人草』の崩した字との比較はわしにはできん。
それで、オヤジが日記を毛筆で書いとったのを思い出して、裏の物置を大探したらこの日記を見つかったたんや、
見てみい」
住職は古ぼけた日記を妻に渡した。
「お義父さんが日記を書いてはったなんて知らんかったわ。
ああ、ほんまに毛筆でビッシリ書いたるねえ、上手な字やわ。
流石に若い頃に美術館にお勤めやったからねえ。
ほんでもこれは『徒人草』の字とは全然違うんちゃうの?」
「そうや、書体は全然違う、そやけど、書体はどうでもええんや。
中味にどえらい事が書かれとる。ほれ、ここを読んでみい」
住職は父親の日記を妻に押し付けた。
「昭和41年4月4日晴 先月に京都縄手のN骨董店で購入の旦入作の赤楽茶碗を、ツテを得て京都国立博物館の藤岡了三先生にご鑑定賜る、即座に贋物と断言さる、大枚30万金を出せしに大後悔なり、衝撃この上なく、しばらく賀茂川畔で心を落ち着かせんがため川面を眺めたり、
やがて気持ちを整えて、N骨董店を訪れ、藤岡了三先生に贋物と鑑定せられし旨を告げ、返金を求めるも、店主曰く、藤岡了三先生は茶道具には眼利かずなり、本品は何処に出しても恥ずかしからざる物なり、他の博士を頼みて再鑑定されるべし、と言われる、
我、心安らかならざるも思い直して京田辺の自坊に帰り、心を鎮めんと本尊の阿弥陀仏に読経し就寝せしが、眠りに入れず悶々と夜を明かしたり」
「昭和41年4月27日雨 夕刻に京都の知人のK氏より自坊に電話あり、つい先ほど縄手のN骨董店にて聞き捨てならぬことあり、是非とも汝に報じたし、とのこと、
K氏がN骨董店にたまたま立ち寄りて、店先の展示品を眺めおりしが、店先には誰もおらず、奥より店主が誰かと話す声、かすかに漏れ聞こえたり、店主曰く、過日、嫌悪する客に巧妙なる贋物の旦入の茶碗を売りしが、その客(間違いなく我のことなり)返品に来店せり、されど店主は言葉巧みに追い返したり、今後、幾たび訪問ありてもその客の返品要請に応ずる用意なし、店主重ねて曰く、骨董は己の眼力こそ命なり、騙される者こそ愚かなり、眼力なき者が悪なり、
贋物茶碗を求めしこの愚か者(我なり)は以前に上京の松兼美術館の学芸員なりしが、美術品に見識無し、されども悲しき哉、その自覚無し、また悪しきことに骨董商を見下す態度は尊大にして人格低劣、店主は度々、その愚か者に不快の思いをさせられたり、
この愚か者、松兼美術館を退職し、頭を丸めて僧籍に入るなり、されど坊主になりてもその人質の悪辣さ変わることなし、とのこと、
知人のK氏によれば、店主は、この我をかねてより激しく嫌悪せり、とのことなれども、我にその心当たりなし、まことに不可解千万の思いなり、
K氏、店主の我への悪口を漏れ聞きて怒りを覚え、速やかに店を出でて、直ちに我に電話で報ぜしなり、K氏には礼を言いて電話を切りしも我は怒気込み上げて夕餉を食すに能わざるなり、
我、悪人の詐欺に遭いしなり、我が心の尊厳は大いに傷つき今も怒気治まらず、床に入りても如何せんと考慮ひたすらにして眠れずこれを記すなり」
「昭和41年4月28日曇り 昨夜は怒気に駆られ一睡もならず、早朝の読経にも力は入らず、妻、何事やありしかと訊ねるも返答する気力なし、午後になりて、思いは高ぶり、やはりN骨董店の店主を詐欺にて告訴せんと決意して知人の弁護士に電話せしも、不在なりと秘書の返答にて、機先を挫かれしなり、
数刻して我が思いは変化せり、我は小なりといえど一寺の住職なり、兄の急逝によりて心ならずも住職を継ぎたるとはいえ、檀家諸氏には大いに人望あり、ここで心卑しき骨董店店主を告訴し、そが世間に知らるは我が人望を傷つけるものなり、心悪しき、卑しき者と真っ向から対峙するは、我までも餓鬼畜生道に堕ちることなり、よくよく分別すべきなり」
「昭和41年4月29日晴れ 昨夜の床の中で閃きたり、『目には目を、歯には歯を』これは古代バビロニアの諺なり、我はそを行わんと思うなり、
かの悪人N骨董店店主に弟あり、弟は古門前通にて書画、古筆のA骨董店を営むなり、
我、その弟には面識なし、そこで我はこのA骨董店店主を古筆の贋物にて騙さんと思うなり、我は古筆に優れたり、かつて松兼美術館に奉職せしは古筆研究によりてなり、
N骨董店店主曰く、
「骨董は騙される者ぞ愚かなり、眼力なきは悪者なり」
ならば、我が贋物を以てA骨董店店主を騙せしとも、そは彼が愚かで悪なるが故なり、
我は愚か者を出し抜きし勝者にして善なり、ひいては我には罪無きなり、との論法なるべし、N骨董店店主の言をそのままに施行して悪人に思い知らせん、これぞ『目には目を、歯には歯を』なり、
A骨董店店主が騙されるは兄の悪行の報いなり、兄のN骨董店店主への恨みを弟のA骨董店店主で晴らすはいささか筋違いの感ありしも、他に我が恨みを晴らす方策なし、我ここに『目には目を、歯には歯を』の実力行使を明確に決意せり」
「昭和41年5月6日 今宵より古筆の贋作を始む、
ここに天祐あり、我が寺の古文書に応永6年(1399年)4月8日付の寄進帳ありしが、わずか四頁のみの記載にて、残り九十余頁は白紙のままなり、この白紙に秘蔵の明代の古墨を磨りし墨液にて我が筆先の妙技を振るいて大稀品の古筆を贋作するなり、
文は5年前に東京神田の古書店で購入せし、江戸期の面白き散文を元に室町期の文体に変え、年代相応の青蓮院流にて書きしなり、筆を採れば我が心は自ずと室町の人となりて、無心に書写の境地に没入せり」
「昭和41年8月3日 昨夜いよいよ贋物古筆、完成す、三ケ月の刻苦の賜物なれば見事なる出来栄えにして、和式エッセエ『徒然草』の流れなる文章なれば『徒人草』を表題とせり、
早速に京都に持参して素人のふりを装いA骨董店に売り付けんとす、覚悟を決めてA骨董店の店先に立ちしも店舗は閉店の様子なり、怪訝に思いて隣の骨董店に入りて仔細を訊ねれば、A骨董店店主は半月前に兄のN骨董店店主と連れ立って福井県に骨董の仕入れに出掛けしが、自動車の運転を誤りて崖から谷底に転落し、両人共に死亡せしとのことなり、
我、これを聞きて驚愕す、三ケ月に亘り悪人に復讐せんとひたすら精魂を込めて贋物を制作せしも、その甲斐無きとなるなり、我は放心せり、
されど帰りの電車で両名の転落死は仏罰と気付き、心は一気に爽快となる、悪人に復讐せんと一心に贋物を制作せりしを阿弥陀如来が憐れに思召されての仏恩なり、これにより我は詐欺の穢れを犯さずに済みたり、寺に帰りて本尊の阿弥陀如来像に深甚の謝意を表し、長らく読経せしなり、これ、仏僧となりて最高の法悦なり」
「どや、読んだか?」
「読んだわ、お義父さんは若い頃こんな人やったん?全然知らんかったわ。
温厚な人やとばかり思っとったけど、ずいぶんとエキセントリックなところがあったんやね」
「ああ、昭和41年いうたら、わしが生れる2年前や、オヤジもまだ若かったんや。
その頃のオヤジは骨董が好きで、大金を注ぎ込んどったとおふくろに聞いたことがあるわ。
それがなぜかある時からフッツリと何も買わんようになったそうや。
きっとこれがその時やったんやろなあ。
そやけどいくら騙された復讐やいうても、贋物を3か月も精魂込めて作ったちゅうのはなんとも陰気でキショク悪いことやのお。実の親ながらもなんとも気分の悪い話や。
そもそもオヤジが骨董屋の店主に偉そうにしたんが嫌われて偽物を売りつけられたんやから、元はオヤジが悪いようにも思えるわなあ。
それにいくら詐欺に遭った言うても人が死んだのを喜んだら僧侶としてはアカンわ、なんともオヤジには幻滅させられたわ」
「そやけど、僧侶や言うても人間やないの。
あんたかて陰では人のことを怒ったり、悪口をようけ言うてはるやないの。
昭和41年の30万はえらい大金やろ、それをだまし取られたんはさぞ腹が立ったやろ。
お義父さんが、自分を騙した者が死んで嬉しい、と公言しはったんなら問題やけど、日記に書くくらいは大目に見てあげたらどないやの」
「お前はやけにオヤジの肩を持つなあ。死んだオヤジとは仲良かったもんな。
でも、今となってはオヤジのことはどうでもええわいな。亡くなって20年も経つんやから・・。
そやけど『徒人草』はどないするんや?
今でも国の重要文化財のままやで・・。
オヤジが作った贋作が国の重要文化財なんやぞ、ほっとけんやろ」
「そやなあ、でも考えたら、あのお義父さんの書いたもんが日本国の重要文化財になっとるなんておもろいなあ。
もうちょっとで教科書にも載るところやったんやろ、なんか誇らしい気持がするわ」
「アホウ、何を言うてんのや!
わしは僧侶やで、うちはお寺やぞ。
誰よりも倫理観が問われる職業や、こんなことがバレたら、マスコミがどっと押しかけて来て、
「和尚さんはこのことをはじめから知っていたんじゃないですか?」
としつこう聞かれるぞ。
警察も来て捜査するかもしれへん。そうなったらうちの寺の大恥や。
檀家も他のお寺に逃げてしまうかもしれへんぞ。
そんでSNSにはまたもやわしの悪口が書かれるんや。
そうなるとみっとものうて人に合わす顔がないわいな。
それに子供や孫たちも嫌がらせをされるかもしれへんで。
こないだの真贋論争の時には、わしはSNSに散々におかしなことを書かれたんや。
名前が吉田建興やから『徒然草』の吉田兼好と音が同じの生まれつきの偽者で、『徒人草』も贋物なんやろ、とか、
わしの見た目が狸みたいやからあの和尚は人を騙すに違いないとか、狸和尚に騙されるな、インチキ狸和尚、チンチクリン狸とか、ほんまに失礼な言葉の目白押しや。
そんな無茶苦茶で下らん話が受けてもうて、ネットでは大バズりやったんや。
中にはわしのことが、実直そうで人を騙せそうにない、と見出しにあったんで、嬉しなって読んでみたら、
「お人好しで人を騙す知恵は無さそう」
と書いたったんやぞ。
ほんまに失礼やろ、アッタマに来たわいな」
「わたしはSNSはやらんから知らんし、なんも見てへんわ。
あんたはお人好しだけが取り柄なんやから怒らんでもええやないの、ホントのことやで。
それがあんたの唯一のええ所なんやから。
せやけどうちの子供や孫らが辛い思いをするんわ嫌や、絶対に嫌や。
なあ、わたしら、このまま口をつぐんでたらどないやの?
このところ真贋論争はすっかり下火やし、このままほっといても何も起こらんのと違うの?
いくら正しいことが大切でも、あれはうちの父が書きましたあ、なんて言うて、わざわざ自分で火を付けることはないやろ」
住職はしばらく黙っていたが、
「そやなあ、その通りではあるな。いや、それしかないなあ」
「そやろ、そうしようやないの」
妻は立ち上がると義父の日記を手に取り外に出て行った。
「おい、どないするんや?」
住職が追いかけると、妻は庭先の焼却炉に日記を放り込み、灯油を掛けてボーボーと燃やしてしまった。
「何も燃やさんでもええやないか」
「何言うてんの、こうするしかないやろ、これで証拠隠滅や。
これでもう誰もあれがお義父さんの拵えたニセモノやと証明できんようになったんや。
完全犯罪の成立や。
私らもこのことは初めからなんも知らんかったことにしよな。
あんたも記憶から消しなはれ。
わたしはもうキレイに消してもうたで、もうなんも知らん。
ああ、わたしは忘れてもうたわ、もう、なーんも憶えてへん」
住職は妻の言葉をうなだれて聞くしかなかった。
こうして、国の重要文化財『徒人草』は公開されることなく、
今も京都国立博物館の所蔵庫の奥深くに眠り続けている。
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