凸凹万博 -あなたの凸凹が、世界を変える-

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プロローグ:ある晩夏の転換点

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## 14:00 — 静寂

### 東京・丸の内

月曜の午後。会議室から自席に戻った佐藤優輝(34歳)が、デスクの上の書類を整理している。広告制作会社のクリエイティブディレクター。12年目。

会議では来期の予算が話題になった。*AI導入により制作コストを30%削減*という目標。部下たちは賛成していた。優輝も表面上は頷いた。しかし、心の奥で何かが引っかかっていた。

モニターには次のコンペの資料。AIが生成した広告案が並んでいる。制作時間:従来の10分の1。コスト:従来の5分の1。品質評価:95点。どれも悪くない。むしろ良い。*それが問題だった*。

ポケットの中で、祖父の万年筆が微かな重みを主張している。デジタルの時代に、なぜこれを持ち歩いているのか。自分でも説明できない。

窓の外、東京のビル群が夏の陽射しを反射している。エアコンの効いた室内との温度差で、窓ガラスが微かに曇る。

コーヒーカップの底に、昨日の砂糖が固まっている。スプーンで掻き混ぜる音が、静かなオフィスに響く。

### 新宿・就活カフェ

田中真理(23歳)が、就活セミナーの休憩時間にスマホを見つめている。通知:148社目の不採用。

カフェの片隅、同じリクルートスーツの学生たちが談笑している。内定の話。希望に満ちた未来の話。真理は画面から目を離さない。

テーブルの上、150枚目の履歴書。証明写真の自分が、他人のように見える。作り笑顔。型にはまった自己PR。これが本当の自分なのか。

5ヶ国語を話せる。プログラミングもできる。でも面接では「協調性」「チームワーク」という言葉で落とされる。個性は邪魔なのか。

カフェラテが冷めていく。氷が溶けて、ミルクとコーヒーの境界が曖昧になっていく。

### 愛知・三河地区

山田隆(52歳)が、工場の検査ラインで部品を確認している。自動車部品工場の品質管理主任。勤続30年。

手にしたノギスは、祖父から父、父から自分へと受け継がれたもの。デジタルじゃない。アナログ。0.1ミリの誤差を、指先で感じ取る。

若い作業員がタブレットで品質管理をしている。効率的だ。正確だ。でも、何かが違う。

「山田さん、これ見てもらえますか?」

新人が部品を持ってくる。機械では検出できない微細な歪み。隆の指がすぐに見つける。30年の経験が、瞬時に判断する。

工場の機械音が、一定のリズムを刻んでいる。このリズムが、いつまで続くのか。

### 仙台・自宅

鈴木彩(32歳)が、リビングのデスクで企画書を作成している。IT企業のマーケティング部。フルリモート勤務2年目。

画面には東京のオフィスの様子が映っている。誰もいない会議室。空席の目立つフロア。みんなリモートだ。

机の上、47都道府県の特産品が並んでいる。青森のりんごジュース、山形のさくらんぼゼリー、福島の桃カステラ。毎月2つずつ取り寄せている。あと5県で全国制覇。

2年前、東京から仙台に移住した。夫の実家の近く。義母の介護をしながら、東京の会社で働く。完璧なバランスだと思っていた。

窓の外、仙台の街並みが穏やかに広がっている。東京とは違う時間の流れ。これが自分の選んだ生活。

### 千葉・図書館

伊藤健二(65歳)が、新聞を広げている。元大手メーカー役員。早期退職して3年、妻を亡くして半年。

万歩計を確認する。2,500歩。医者との約束は8,000歩。心臓のためと言われたが、本当は頭のためだと分かっている。歩かないと、考えすぎる。

図書館の静寂。ページをめくる音。咳払い。椅子の軋み。人がいるのに、孤独を感じる空間。

経済面の記事。「AI導入で業務効率化」「人材の再配置」「新しい働き方」。どれも他人事のように感じる。自分の時代は終わったのか。

隣の席に、リクルートスーツの女の子が座っている。真剣な表情で企業研究をしている。60年前の自分を見ているようだ。

## 15:00 — 予兆

### 優輝の違和感

AIツールの提案を眺めながら、優輝は違和感を覚える。完璧すぎる。人間味がない。広告は感情を動かすものなのに、これでは心が動かない。

「佐藤さん、例のコンペの件ですが」

部下が声をかける。AIが作った案を推している。*コスト削減、制作期間短縮、データに基づいた最適化*。すべて正論だ。

でも、優輝の中で何かが抵抗している。祖父の万年筆を取り出し、白紙にアイデアをスケッチする。不器用な線。でも、*そこに温度がある*。

スマホが震える。業界ニュース。「大手広告代理店、AI導入で制作部門を3割削減」。自分たちの番が来るのも時間の問題か。

オフィスの温度が、2度下がったような気がした。

### 真理の孤立

セミナーが再開される。「就活必勝法」。講師は熱弁を振るう。「企業が求める人材像」「正しい自己PR」「面接での正解」。

真理は違和感を覚える。みんな同じ答え。同じ笑顔。同じスーツ。これが正解なのか。

スマホに通知。TikTokのフォロワーが8,000人を超えた。夜の配信で、5ヶ国語で世界のニュースを解説している。視聴者は真理の個性を愛してくれる。

でも、昼の世界では、その個性が邪魔になる。

「田中さん、どう思いますか?」

講師が突然指名する。真理は一瞬、時間が止まったように感じた。本音を言うべきか。それとも、期待される答えを返すべきか。3秒の沈黙。講師の視線。周りの学生たちの視線。真理は深呼吸をして、型通りの答えを返す。

「はい、企業様のニーズに合わせて、自分をアップデートしていくことが大切だと思います。AIと共存できる人材になるために、スキルの棚卸しをして、不足している部分を補強していきたいです」

講師は満足そうに頷く。「素晴らしい!まさにその通りです。皆さんも田中さんを見習って——」

講師の声が続いているが、真理の耳にはもう入ってこない。窓の外を見る。新宿の雑踏。みんな急いでいる。どこへ向かっているのだろう。自分もその流れに乗るべきなのか。

真理の心は冷めていく。自分の口から出た言葉が、他人のもののように感じる。*これは本当に自分の言葉なのか*。それとも、就活マニュアルの受け売りなのか。

隣の学生がメモを取っている。「スキルの棚卸し」「AIとの共存」。みんな同じ言葉を書き留めている。まるで工場で同じ製品を作っているかのよう。これが個性を殺す瞬間なのかもしれない。

### 隆の不安

休憩時間、同僚たちが噂話をしている。

「聞いたか?本社で自動化の話が進んでるらしい」
「うちの工場も時間の問題だろ」
「検査なんてAIの得意分野だしな」

隆は黙って聞いている。窓から見える工場の風景は、30年前とほとんど変わっていない。同じ場所に、同じ機械。でも、働く人の数は半分になった。

0.1ミリの感覚。これをAIが再現できるのか。技術的には可能だろう。センサーの精度は人間を超えている。でも、部品の「顔色」を読むことはできるのか。金属の疲労を音で判断できるのか。

自分の30年は何だったのか。答えは出ない。

若手がタブレットを見せてくる。「山田さん、これ新しい検査システムです。すごいですよ」。画面には複雑なグラフとデータ。確かにすごい。でも、隆には理解できない。

取り残されていく感覚。時代に置いていかれる恐怖。ノギスを握る手に、汗が滲む。

### 彩の圧力

Slackが騒がしくなってきた。東京本社からのメッセージが増えている。

「来月の会議、オフィス参加必須です」
「チームビルディングのため、週2日は出社を」
「リモートワークの見直しを検討中」

彩の心が揺れる。2年前、東京のマンションを売って仙台に移住した時、夫も賛成してくれた。「親の近くにいられるし、生活費も抑えられる」と。実際、貯金も増えた。生活の質も向上した。

でも今、そのバランスが崩れようとしている。

夫からLINE。「今日も遅くなる。母の様子見といて」。

東京に戻れば、この生活は維持できない。でも、仕事を失うわけにもいかない。47都道府県の特産品を眺める。これは単なる趣味じゃない。地方の価値を知るための勉強だった。

でも、東京の人たちには理解されない。地方は「遅れている」「不便」「キャリアの墓場」。そんな偏見ばかり。

画面に映る空っぽのオフィス。あそこに戻りたいか。答えは出ない。

### 健二の疎外感

新聞を読み終えて、健二は立ち上がる。図書館を一周する。3,800歩。

若い人たちがパソコンに向かっている。就活、資格試験、プログラミング学習。みんな必死だ。自分もかつてはそうだった。

でも今は?何のために図書館に来ているのか。暇つぶし?いや、違う。社会との接点を求めている。

「すみません、Wi-Fiのパスワード教えてもらえますか?」

隣の席の女の子が声をかけてきた。リクルートスーツ。就活生だ。健二は立ち上がり、カウンターの掲示を指差す。

「あそこに書いてありますよ。最近変わったようですね」

「あ、本当だ。ありがとうございます」

女の子は礼儀正しく頭を下げる。健二も会釈を返す。ほんの一瞬の交流。でも、久しぶりに誰かの役に立てた気がした。

「ありがとうございます。おじい——あ、すみません、失礼かもしれませんが、何か調べ物ですか?」

女の子は言い直そうとして、かえって気まずそうにしている。健二は苦笑する。

「おじいさんで構いませんよ。孫もいますから」

本当は孫はいない。でも、相手を安心させたかった。65歳。確かに若くはない。でも、まだやれることはあるはずだ。

「いえ、ただの読書です」

会話はそこで終わる。接点はこれだけ。社会との細い糸。これさえも、いつ切れるか分からない。

## 15:59 — 衝撃

### 臨時報道

15時59分00秒。

NHKの画面に臨時ニュースのテロップが流れる。赤い帯。白い文字。「速報」の二文字が、日常を切り裂く。

『本日午後3時、*国内最大手自動車メーカー*が記者会見を開き、*大規模な組織再編*を発表しました。*AI技術およびロボティクスの全面導入*により、今後3年間で*約3万人規模の人員再配置*を実施。製造部門の*90%を自動化*し、余剰となった人員は新規事業部門へ——』

アナウンサーの声が、淡々と事実を告げる。感情を排した、正確な情報伝達。まるでAIが読み上げているかのような、完璧な抑揚。

画面には記者会見場の映像。重厚な木製の演壇。その後ろに並ぶ幹部たち。平均年齢は60歳を超えているだろう。誰も笑っていない。

社長が原稿を読み上げる。時折、老眼鏡を直す仕草。「これは後退ではありません。進化です。我が社の100年の歴史において、最も重要な転換点です」

カメラが引くと、記者席が映る。若い記者たちがノートパソコンに向かっている。リアルタイムで記事を書いているのだろう。時代の転換を、別の時代の道具で記録している。

---
【擬似資料:メーカー発表資料の一部】
*[演出上の創作物]*

「構造改革ロードマップ 2025-2028」
・第1フェーズ(~2026年3月):品質検査部門のAI化(5,000名対象)
・第2フェーズ(~2027年3月):組立ラインの完全自動化(15,000名対象)
・第3フェーズ(~2028年3月):間接部門の最適化(10,000名対象)

「従業員の皆様へ:これは解雇ではありません。新しい挑戦の機会です」

---

スタジオに画面が切り替わる。経済評論家が並んでいる。「避けられない流れです」「国際競争力の維持には必要」「痛みを伴う改革」。決まり文句が飛び交う。

記者会見場の時計が、16時5分を指している。たった5分間で発表された内容が、3万人の人生を変える。

画面の向こうで、工場で、オフィスで、自宅で、3万人とその家族が同じニュースを見ている。子供の学費を心配する人、住宅ローンを抱える人、定年まであと少しだった人。数字では表せない、一人一人の物語が揺れている。

### 5つの瞬間

**優輝**のオフィスで、誰かが声を上げる。「おい、ニュース見たか?」

スマホの画面、パソコンの画面、あちこちで同じニュースが流れ始める。オフィスの空気が一変する。ざわめき。不安。そして沈黙。

**真理**がいるカフェのテレビに、速報が流れる。

店内が静まり返る。就活生たちの顔が青ざめる。「自動車メーカーもか」「うちらの就活、どうなるの」。不安が伝染していく。

**隆**の工場の休憩室。

テレビの前に人だかりができる。「3万人」という数字に、誰もが息を飲む。自分たちの工場は大丈夫なのか。隆のノギスが、小さく震える。

**彩**のパソコンに、Slackの通知が殺到する。

「見た?」「やばくない?」「うちの会社も…」。東京本社がパニックになっている。そして追い打ちをかけるように、CEOからの全社メール。「リモートワーク原則廃止について」。

**健二**がいる図書館に、館内放送が流れる。

「臨時ニュースをお知らせします」。静かな空間に、アナウンスの声が響く。周りの人々がスマホを取り出す。若者たちの不安そうな顔。

### 連鎖反応

16時00分。

優輝の上司から緊急召集。「今すぐ会議室に」。エレベーターに向かう足取りが重い。

真理のスマートフォンが振動し続ける。就活仲間たちのLINEグループ。未読が50を超えている。

「もう無理かも」
「親に大学院進学を勧められた」
「公務員試験に切り替える?」
「でも今更遅いよね」

真理は画面を見つめる。みんな必死だ。でも、方向性を見失っている。自分も同じだ。ただ、諦めたくない何かがある。それが何なのか、まだ言葉にできない。

隆の工場長が従業員を集める。「詳細はまだ分からないが、我々も他人事ではない」。若手たちの顔に不安が広がる。隆は何も言えない。

彩の画面に、リモート廃止の正式通達が表示される。「9月1日より、全従業員は週3日以上の出社を義務とする」。仙台から東京まで、新幹線で1時間半。往復3時間。週3日。

健二の隣の就活生が、小さく泣き始める。必死に涙を拭いている。健二は声をかけようか迷う。

### 16:30 — 余波

優輝が会議室のドアの前で立ち止まる。

ドアは厚いガラス製。中の様子が見える。上司たちがホワイトボードを囲んでいる。数字とグラフ。赤いマーカーで書かれた「削減目標:▲40%」の文字。

耳を澄ますと、声が漏れてくる。
「AIで代替可能な業務の洗い出しを急げ」
「第3四半期までに結論を出す必要がある」
「人員削減は避けられない。問題は規模だ」
「クリエイティブ部門も例外ではない。むしろAIの得意分野だ」

深呼吸。ドアノブに手をかける。祖父の万年筆が、ポケットの中で重みを増す。

真理がカフェを出る準備をする。

履歴書を鞄にしまう。いや、違う。履歴書をゆっくりと二つに折る。折り目がまっすぐについた。これでいい。もう型にはまらない。

隆が作業場に戻る。いつもの持ち場。いつもの椅子。でも、空気が違う。

若手たちが不安そうに仕事をしている。手元がおぼつかない者もいる。

「山田さん、俺たち大丈夫ですかね?」

23歳の後輩が聞いてくる。入社3年目。まだ住宅ローンも組んでいない。それでも不安なのだ。

隆は答える代わりに、ノギスで部品を測る。スライドさせる時の微細な抵抗。金属と金属が触れ合う感触。0.1ミリの精度。デジタル表示では分からない、手に伝わる情報。これが自分の価値だ。

まだ、価値があると信じたい。

彩が特産品の箱を手に取る。

沖縄の黒糖。まだ行ったことのない土地。でも、もう行けないかもしれない。東京に縛られる生活に戻るのか。

健二は迷った末に、就活生に声をかける。

「大変な時期ですね」

女の子は顔を上げる。目が赤い。

「あ、すみません。お騒がせして」

「いえいえ。私も昔、就職活動で苦労しましたから」

健二は隣の椅子を少し引いて、適度な距離を保つ。

「今とは時代が違いますけどね。私の頃は、とにかく根性論でした。100社受けて1社受かればいい、という時代でした」

「今もそうです」女の子は苦笑する。「でも、AIに仕事を奪われる前提で就活するなんて、想像してませんでした」

## 18:00 — 決意

優輝は会議を終えて、屋上に出る。

会議は1時間半続いた。結論は出なかった。「引き続き検討」という、いつもの終わり方。でも、全員が分かっている。時間の問題だということを。

東京の夕景が広がる。西に傾いた太陽が、無数のビルのガラスを染めている。オレンジ色の光が、まるで街全体が燃えているように見える。美しくも、不吉にも見える光景。

スマホを置いて、万年筆を取り出す。手帳に書く。アイデア。言葉。感情。AIには出せない、人間の温度。これが自分の武器だ。

真理は自宅に戻り、配信の準備を始める。今夜のテーマは「AIと雇用」。でも、型通りの解説はしない。自分の言葉で、自分の感情で語る。8,000人が待っている。

隆は若手と話し始める。「AIに仕事を奪われるんじゃない。一緒に働く方法を見つけるんだ」。デジタルとアナログの融合。30年の経験とAIの精度。新しい品質管理の形。

彩はデスクの引き出しから、使い込んだノートを取り出す。

表紙には「47都道府県プロジェクト」と手書きで書かれている。2年前、東京を離れる時に始めたプロジェクト。当初は単なる趣味のつもりだった。でも今、これが自分の生きる道を示している気がする。

---
【擬似資料:彩の個人ノート】
*[演出上の創作物]*

《47都道府県デジタルノマド計画》

訪問済み(42県):
□ 北海道 - 札幌のIT産業と自然の共存
□ 青森 - りんご農家のDX化支援
□ 山形 - さくらんぼ農園のEC展開
(中略)
□ 福岡 - アジアへのゲートウェイ機能

未訪問(5県):
■ 富山 - 伝統工芸のデジタルアーカイブ化(計画中)
■ 石川 - 金沢の観光DX(2025年秋予定)
■ 鳥取 - 砂丘を活用した実証実験場
■ 島根 - IT企業の地方誘致成功事例
■ 沖縄 - ワーケーションの聖地化

メモ:「地方には東京にない価値がある。それをデジタルで可視化し、新しい経済圏を作る。物理的距離は、もはや制約ではない」

---

彩はペンを走らせる。リモート廃止の通達を逆手に取る。週3日の出社義務があっても、残り4日は自由。その4日で、まだ見ぬ5県を巡る。

地方の価値を東京に伝える。それは単なる観光PRではない。各地域が持つ独自の強みを見つけ出し、東京にはない価値を提供する。お互いの長所で短所を補い合う、新しいワークスタイルの提案。

仙台の窓から見える景色。ビルは少ないが、空は広い。この広さも価値だ。東京では決して手に入らない価値。

**健二**は就活生と話し続ける。彼女の名前は佐藤明日香。**優輝**の遠い親戚だとは、まだ誰も知らない。

「経験には価値がある。それを次の世代に伝えることも仕事だ」

明日香は真剣に耳を傾ける。「伊藤さん、私たちの世代は、生まれた時からインターネットがありました。AIも当たり前。でも、それ以前の世界を知らないんです」

「そうだね」健二は頷く。「私たちの時代は、失敗しても何度でもやり直せた。今はどうだ?」

「一度失敗したら、データに残ります。AIは忘れません。だから、みんな失敗を恐れています」

「でも、失敗からしか学べないこともある」健二は微笑む。「それを教えるのが、私たちの役割かもしれない」

## 19:00 — 種まき

優輝がSNSに投稿する。

「AIは敵じゃない。でも、人間の温度は譲れない。完璧を求めず、お互いの強みで支え合おう」

投稿してから、ふと思う。みんなそれぞれ違う形をしている。パズルのピースみたいに。

真理の配信が始まる。

「今日、3万人が職を失うかもしれないニュースが流れました。でも、私は諦めません。AIにできないこと、私にしかできないことがあるから」

視聴者からのコメント。「完璧じゃなくても価値はある」「みんな強みも弱みもある」「支え合うのが大事」。共感が広がっていく。

ある視聴者が面白いコメントを残す。「人間って凸凹(でこぼこ)してるよね。それがかみ合うと平らになる」。真理はその表現に心を動かされる。

隆がメモを書く。

「0.1ミリ×AI=新品質基準」。明日、工場長に提案してみよう。ベテランの経験とAIの精度を組み合わせた、新しい検査システム。

彩がブログを更新する。

「東京と地方をつなぐ働き方」。47都道府県を巡りながら、それぞれの価値を発信する。物理的な距離を、デジタルで超える。

健二が明日香と連絡先を交換する。

「週一回、就活の相談に乗りますよ」。それは小さな一歩。でも、確実な一歩。世代を超えた価値の継承。

### 20:00 — 静かな夜

東京の夜景は、いつもと変わらない。無数の光が瞬いている。

でも、その光の一つ一つで、小さな変化が始まっている。

優輝のスマホに通知。知らない人からのDM。「支え合うって考え、共感します。凸凹(でこぼこ)してるからこそ、かみ合うんですよね」。

優輝はそのDMを読んで、ハッとする。「凸凹...」。その表現がしっくりくる。

真理の配信が終わる。視聴者8,547人。過去最高。みんな、同じ不安を抱えている。でも、一人じゃない。

隆の工場が夜勤に切り替わる。機械の音は変わらない。でも、隆の心には新しいリズムが生まれている。

彩が窓から仙台の夜景を見る。東京より星が見える。これも価値だ。失いたくない価値。

健二が図書館を後にする。万歩計8,234歩。目標達成。

図書館の出口で、明日香が待っていた。

「あの、さっきはありがとうございました。おじいさん——いえ、伊藤さんって、元々どんなお仕事を?」

健二は少し戸惑う。

退職して3年。最初の1年は名刺を持ち歩いていた。でも、使う機会がなく、財布から抜いた。それ以来、自分が何者だったかを説明することはほとんどなかった。

「私は...」と言いかけて、言葉に詰まる。「元」という言葉を使うのが嫌だった。でも、今の自分を表す言葉もない。

「大手メーカーで、新規事業開発をしていました。40年間、ずっと新しいものを作ることを考えていました」

明日香の目が輝く。「新規事業!まさに今、企業が求めている人材じゃないですか」

「でも、私の知識は古い。AIもよく分からない。ChatGPTも使ったことがない」

健二は正直に告白する。デジタルトランスフォーメーションという言葉が流行り始めた頃に退職した。その後の進化についていけていない。

「それでいいんです」明日香は身を乗り出す。「失敗の経験、成功の法則、人を動かす方法。それってAIには学べないことです。私たちの世代には、その経験がない。教えてもらえませんか?」

健二は驚く。自分の経験に価値を見出してくれる若者がいる。

「週一回でいいので、就活の相談だけじゃなくて、ビジネスの本質を教えてください。お礼は——」

「いらない」健二は微笑む。「でも、一つ条件がある。君も私に教えてほしい。AIのこと、今の若者の考え方、新しい技術のこと」

明日香が頷く。「もちろんです!お互いの得意分野を活かして、苦手な部分をフォローし合いましょう」

「そうだね」健二は頷く。「私の経験と、君のデジタルスキル。お互いに持っていないものを補い合う」

「はい!」明日香は興奮している。「最近思うんです。みんな完璧を目指しすぎて疲れてる。でも、得意不得意があるのは当たり前。それをお互いに補い合えばいいんです」

健二は深く考える。

「昔は『長所短所』と言った。『強み弱み』とも。でも最近の若い人は、もっと自然に受け入れているんだね」

「そうですね。私たちの間では、最近『凸凹(でこぼこ)』って表現することもあります」

「凸凹か...」

「はい。凸が得意、凹が苦手。でも、それがパズルみたいに組み合わさると、平らになるんです」

「確かに、ただの形だね。どちらが良いとか悪いとかではなく」

「そうなんです!」明日香は目を輝かせる。「凸凹がピッタリ合うと、パズルが完成するというか。一人では凸凹でも、みんなで補い合えば」

65年の人生で初めて、欠点があることに罪悪感を感じなくていいのだと思えた。明日は明日香との最初のセッション。新しい役割が始まる。

5人はまだ、お互いを知らない。

でも、同じような考えが、それぞれの心に芽生えている。

完璧を求めるのをやめる。
得意を活かし、苦手は補い合う。
AIと競争するのではなく、共存する。

そして、その考え方に、やがて「凸凹」という名前がつくことになる。

それが、新しい時代の生き方。

月曜日が終わろうとしている。

明日から、何かが変わる。いや、もう変わり始めている。

---

### Earned Hope

喪失したもの:安定した日常、従来の価値観、確実だと思っていた未来。

選ばなかった道:ニュースを無視して、今まで通りの生活を続けること。

未解決の火種:5人はまだ出会っていない。でも、運命の糸は確実に絡み始めている。

---

*本作はフィクションです。登場する人物・団体・名称・出来事は実在のものとは一切関係がありません。*
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