1 / 1
#1
しおりを挟む
私は、人と目を合わせることが出来ない。
___________否、合わせない。
アヴァは、ごく普通の夫婦から生まれた一人娘である。母が不妊に苦しむも治療を続けた結果、2人の愛、そして努力の結晶として、望まれて、私はこの世界に生命を確立した。父は徹夜で母に寄り添ったにも関わらず、病院のスタッフに止められるほど大喜びし、母は初めての我が子の誕生に感極まり、前が見えないほど目を涙で満たしていた。
母の胎内から外気に触れた瞬間、元気な産声をあげたのも、私がごく普通の赤子である証であった。散々産声で両親を喜ばせた後、すぐに眠りについた様子は、大喜びしてすぐ安心したように寝落ちした父と似ていた。
興奮が冷めやらないまま寝てしまった父は、仮眠レベルの長さの睡眠後、私の顔を改めて間近で見ようと部屋にやってきた。数時間前と同じようにスタッフに怒られてりしないよう、少しだけ静かに。
_________それは突然で不可解な「嵐」であった。
ベビーコットにいる私が初めて父と目が合わせたその瞬間。
漁師に釣り上げられ、船の甲板に落ちたばかりの魚のような酷い痙攣。鼓膜を破りかけるほどに病院内に響く、もはや凶器のような叫び声。
_________その姿はある意味、一種の《怪物》であった。
突然の出来事に驚き、なんの騒ぎだと病院のスタッフたちが集まってくるのは、極めて自然のことである。しかし、この状況においては、そんな人間らしい団体行動は最悪の状況といえる。痙攣のために上下左右にブレる私の視線が、ほんの一瞬でも彼らの視線と重なってしまえば、たちまち私の痙攣と叫び声は激しくなった。
もちろん私のいた部屋には他にもたくさんのベビーコットが、つまりの新生児たちがいて、寝息を立てるなり、呆れて天井と睨めっこするなりしていた。しかし、私の叫び声によって一斉に現に引き戻され、一斉に泣き出した。私の行動の原因特定も急がれたが、部屋で揃って泣き声をあげる新生児たちを泣き止ませることにも、スタッフ達は必死であった。
原因が《目を合わせること》であるという推測も追いつかないほど、《嵐》はあまりにも突然で不可解すぎた。確信もないまま私を別室に移した後、目にタオルを被せ、誰の視線も見なくなったその瞬間。突然で不可解に《嵐》は闇、凪いた病院がそこにはあった。
結局、因果関係の詳細なメカニズムは解明されなかった。対人恐怖症と診断するには、そうなるまでの過程となりうるトラウマなどの《経験》が、新生児の私にはなさすぎた。産婦人科以外の医師の力を持ってしてもそれは叶わず、しまいには「前世の記憶が対人恐怖症を引き起こした」などと、オカルトめいた理論まで現れる始末であった。
それからの病院生活は、私の扱い方を手探りながらも、目にタオルを被せることで《嵐》が起きることはなかった。当然、新生児なのでお腹が空いた時などに泣くことはあったが、それまでだった。
大人たちは、童謡やガラガラなどの音の刺激や、たまに抱き上げたときの体温で私を笑顔にした。目が使えないながらも、私はごく普通に、健康にしばらく過ごして病院を出た。
しかし、本当に対人恐怖症であるならば、病院を出れば《嵐》が起きなくなるとは言えない。母はあの時の突然で不可解な《怪物》を恐れ、他人はもちろん、自身を含めた親族でさえも、私と目を合わせないようにした。
目を一切扱わない生活に不安を抱いてもいたが、母にとっては《怪物》への恐怖の方が大きかった。
私は物心がつき、「人と目を合わせてはいけない」と理解するまでの数年間は、1cm先の布が私の世界の果てであった。
_________というのが、母から聞いた私についての話である。この話をされたのは一度やニ度ではない。
貴方のあんな姿はもう見たくないから、と。
貴方のことは愛してはいるけれど、あの時の恐怖は何年経っても拭えないの、と。
ごめんなさい、と。
また、これは最近初めて母が私に話したことだが、《嵐》の日を境に、父が私や母に会いに来ることは無くなってしまったという。
貴方の父親は意外と小心者だったのよ、と。
彼のこともずっと愛しているけれど、貴方のことを彼の分まで近くで愛すると決めたから、遠きにいる彼のことを後回しにしても許されるかしら?と。
彼もきっと貴方を愛しているわ、と。
母は少しお茶目な言い方をして、横顔で小さく微笑んだ。正面で見たいと駄々をこねたくなるほど、母の笑顔は美しかった。
世間体的に、私に父がいないことを気にしていた時期もあったが、母を問い詰めたことはなかった。父がいなくても母との日々が幸せだったからだ、と思う。
母が大好きな私は、幼い頃から母の言いつけを守り、人と目を合わせることが出来ない。_________否、合わせない生活は続いている。生まれたての私を《怪物》と表現したほどに私を恐れているにも関わらず、私をひとりにしないでいてくれた母を裏切る行為など、思春期が来ようと出来ないだろう。
しかし、変わったこともある。
「目を合わせてはいけない」が、「姿を見ては、また見られてはいけない」という訳ではないことが推測されているからである。
私がタオル生活を卒業し、母の横顔を初めて見たのは5歳の頃だ。正確にはタオルに24時間囲まれた生活が終わったというだけだが、目前1cmで集結していた世界が開けて広く、高く、明るくなり、私の視覚を震わせたときの感動は今でも忘れられない。けれど、感動は母の発した言葉で、流れ去っていった。
「取引はおしまいよ。それじゃあね」
母の横顔を見れたのは、その時だけだった。
「ママ?」
「ママ?私が?あなたみたいな怪物の母親ですって?馬鹿言わないでよ、気持ち悪い」
「ママはママでしょう?」
「その話し方もやめて。6歳の癖に妙に達観してて。あの人に頼まれなきゃ単語あんたなんて生まなかったわよ」
私を突き飛ばし、すぐに背を向けて、扉の向こうに消えていった。
いつも呼べばすぐに駆けつけてくれた母が、いくら呼んでも戻ってはきてくれなかった。
床に座り込んでしまっていた私を支えていた誰かを突き飛ばし、母の姿を追った。しかし、すでに扉の向こうにも母の姿はなかった。
「ママ・・・?」
その時、私のどこかで何かがプツンと切れ、足から力が抜け出ていってしまった。その場に座り込んでしまった私の頬には涙が伝っていた。
___________否、合わせない。
アヴァは、ごく普通の夫婦から生まれた一人娘である。母が不妊に苦しむも治療を続けた結果、2人の愛、そして努力の結晶として、望まれて、私はこの世界に生命を確立した。父は徹夜で母に寄り添ったにも関わらず、病院のスタッフに止められるほど大喜びし、母は初めての我が子の誕生に感極まり、前が見えないほど目を涙で満たしていた。
母の胎内から外気に触れた瞬間、元気な産声をあげたのも、私がごく普通の赤子である証であった。散々産声で両親を喜ばせた後、すぐに眠りについた様子は、大喜びしてすぐ安心したように寝落ちした父と似ていた。
興奮が冷めやらないまま寝てしまった父は、仮眠レベルの長さの睡眠後、私の顔を改めて間近で見ようと部屋にやってきた。数時間前と同じようにスタッフに怒られてりしないよう、少しだけ静かに。
_________それは突然で不可解な「嵐」であった。
ベビーコットにいる私が初めて父と目が合わせたその瞬間。
漁師に釣り上げられ、船の甲板に落ちたばかりの魚のような酷い痙攣。鼓膜を破りかけるほどに病院内に響く、もはや凶器のような叫び声。
_________その姿はある意味、一種の《怪物》であった。
突然の出来事に驚き、なんの騒ぎだと病院のスタッフたちが集まってくるのは、極めて自然のことである。しかし、この状況においては、そんな人間らしい団体行動は最悪の状況といえる。痙攣のために上下左右にブレる私の視線が、ほんの一瞬でも彼らの視線と重なってしまえば、たちまち私の痙攣と叫び声は激しくなった。
もちろん私のいた部屋には他にもたくさんのベビーコットが、つまりの新生児たちがいて、寝息を立てるなり、呆れて天井と睨めっこするなりしていた。しかし、私の叫び声によって一斉に現に引き戻され、一斉に泣き出した。私の行動の原因特定も急がれたが、部屋で揃って泣き声をあげる新生児たちを泣き止ませることにも、スタッフ達は必死であった。
原因が《目を合わせること》であるという推測も追いつかないほど、《嵐》はあまりにも突然で不可解すぎた。確信もないまま私を別室に移した後、目にタオルを被せ、誰の視線も見なくなったその瞬間。突然で不可解に《嵐》は闇、凪いた病院がそこにはあった。
結局、因果関係の詳細なメカニズムは解明されなかった。対人恐怖症と診断するには、そうなるまでの過程となりうるトラウマなどの《経験》が、新生児の私にはなさすぎた。産婦人科以外の医師の力を持ってしてもそれは叶わず、しまいには「前世の記憶が対人恐怖症を引き起こした」などと、オカルトめいた理論まで現れる始末であった。
それからの病院生活は、私の扱い方を手探りながらも、目にタオルを被せることで《嵐》が起きることはなかった。当然、新生児なのでお腹が空いた時などに泣くことはあったが、それまでだった。
大人たちは、童謡やガラガラなどの音の刺激や、たまに抱き上げたときの体温で私を笑顔にした。目が使えないながらも、私はごく普通に、健康にしばらく過ごして病院を出た。
しかし、本当に対人恐怖症であるならば、病院を出れば《嵐》が起きなくなるとは言えない。母はあの時の突然で不可解な《怪物》を恐れ、他人はもちろん、自身を含めた親族でさえも、私と目を合わせないようにした。
目を一切扱わない生活に不安を抱いてもいたが、母にとっては《怪物》への恐怖の方が大きかった。
私は物心がつき、「人と目を合わせてはいけない」と理解するまでの数年間は、1cm先の布が私の世界の果てであった。
_________というのが、母から聞いた私についての話である。この話をされたのは一度やニ度ではない。
貴方のあんな姿はもう見たくないから、と。
貴方のことは愛してはいるけれど、あの時の恐怖は何年経っても拭えないの、と。
ごめんなさい、と。
また、これは最近初めて母が私に話したことだが、《嵐》の日を境に、父が私や母に会いに来ることは無くなってしまったという。
貴方の父親は意外と小心者だったのよ、と。
彼のこともずっと愛しているけれど、貴方のことを彼の分まで近くで愛すると決めたから、遠きにいる彼のことを後回しにしても許されるかしら?と。
彼もきっと貴方を愛しているわ、と。
母は少しお茶目な言い方をして、横顔で小さく微笑んだ。正面で見たいと駄々をこねたくなるほど、母の笑顔は美しかった。
世間体的に、私に父がいないことを気にしていた時期もあったが、母を問い詰めたことはなかった。父がいなくても母との日々が幸せだったからだ、と思う。
母が大好きな私は、幼い頃から母の言いつけを守り、人と目を合わせることが出来ない。_________否、合わせない生活は続いている。生まれたての私を《怪物》と表現したほどに私を恐れているにも関わらず、私をひとりにしないでいてくれた母を裏切る行為など、思春期が来ようと出来ないだろう。
しかし、変わったこともある。
「目を合わせてはいけない」が、「姿を見ては、また見られてはいけない」という訳ではないことが推測されているからである。
私がタオル生活を卒業し、母の横顔を初めて見たのは5歳の頃だ。正確にはタオルに24時間囲まれた生活が終わったというだけだが、目前1cmで集結していた世界が開けて広く、高く、明るくなり、私の視覚を震わせたときの感動は今でも忘れられない。けれど、感動は母の発した言葉で、流れ去っていった。
「取引はおしまいよ。それじゃあね」
母の横顔を見れたのは、その時だけだった。
「ママ?」
「ママ?私が?あなたみたいな怪物の母親ですって?馬鹿言わないでよ、気持ち悪い」
「ママはママでしょう?」
「その話し方もやめて。6歳の癖に妙に達観してて。あの人に頼まれなきゃ単語あんたなんて生まなかったわよ」
私を突き飛ばし、すぐに背を向けて、扉の向こうに消えていった。
いつも呼べばすぐに駆けつけてくれた母が、いくら呼んでも戻ってはきてくれなかった。
床に座り込んでしまっていた私を支えていた誰かを突き飛ばし、母の姿を追った。しかし、すでに扉の向こうにも母の姿はなかった。
「ママ・・・?」
その時、私のどこかで何かがプツンと切れ、足から力が抜け出ていってしまった。その場に座り込んでしまった私の頬には涙が伝っていた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ちゃんと忠告をしましたよ?
柚木ゆず
ファンタジー
ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。
「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」
アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。
アゼット様。まだ間に合います。
今なら、引き返せますよ?
※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。
私の風呂敷は青いあいつのよりもちょっとだけいい
しろこねこ
ファンタジー
前世を思い出した15歳のリリィが風呂敷を発見する。その風呂敷は前世の記憶にある青いロボットのもつホニャララ風呂敷のようで、それよりもちょっとだけ高性能なやつだった。風呂敷を手にしたリリィが自由を手にする。
ヒロインは敗北しました
東稔 雨紗霧
ファンタジー
王子と懇ろになり、王妃になる玉の輿作戦が失敗して証拠を捏造して嵌めようとしたら公爵令嬢に逆に断罪されたルミナス。
ショックのあまり床にへたり込んでいると聞いた事の無い音と共に『ヒロインは敗北しました』と謎の文字が目の前に浮かび上がる。
どうやらこの文字、彼女にしか見えていないようで謎の現象に混乱するルミナスを置いてきぼりに断罪はどんどん進んでいき、公爵令嬢を国外追放しようとしたルミナスは逆に自分が国外追放される事になる。
「さっき、『私は優しいから処刑じゃなくて国外追放にしてあげます』って言っていたわよね?ならわたくしも優しさを出して国外追放にしてさしあげるわ」
そう言って嘲笑う公爵令嬢の頭上にさっきと同じ音と共に『国外追放ルートが解放されました』と新たな文字が現れた。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
学園首席の私は魔力を奪われて婚約破棄されたけど、借り物の魔力でいつまで調子に乗っているつもり?
今川幸乃
ファンタジー
下級貴族の生まれながら魔法の練習に励み、貴族の子女が集まるデルフィーラ学園に首席入学を果たしたレミリア。
しかし進級試験の際に彼女の実力を嫉妬したシルヴィアの呪いで魔力を奪われ、婚約者であったオルクには婚約破棄されてしまう。
が、そんな彼女を助けてくれたのはアルフというミステリアスなクラスメイトであった。
レミリアはアルフとともに呪いを解き、シルヴィアへの復讐を行うことを決意する。
レミリアの魔力を奪ったシルヴィアは調子に乗っていたが、全校生徒の前で魔法を披露する際に魔力を奪い返され、醜態を晒すことになってしまう。
※3/6~ プチ改稿中
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる