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しおりを挟む「ごきげんよう、ネモフィラ様」
「本日もお美しゅうございますわね」
「ネモフィラ様。よい天気ですね」
名前の由来になった花を想像させる青い髪をひるがえし、国立魔法学園の食堂へと足を踏み入れたネモフィラは、周囲からの声に優雅にほほ笑んだ。
「ごきげんよう、皆さま」
ネモフィラは建国以来、ずっと王に重鎮されているリモージュ侯爵家の令嬢だ。
そしてこの国の次期国王ニコラウス王太子の婚約者でもある。
立場的にお近づきになりたいと思う者はもちろん多く、休み時間ごとに人の輪ができる立場にあった。
……ただし、昼休みだけは別なのだ。
(この時間、私が誰を目指して歩いているのか知られているから、しつこく話しかけて足をとめさせる人がいなくてありがたいわ)
心の中で感謝しつつ前へ進む。
ネモフィラは顔がにやけてしまわないよう頑張っている。
必死に澄ましてはいるし、容姿もお淑やかな深窓の令嬢らしく見えるので誤魔化せているけれど、心の中はウキウキワクワクなのだ。
(……おられたわ)
むかったのは、食堂の中でも一番奥の窓際のテーブル。
特別に位の高い生徒のためにあしらわれたそこは、被せられたテーブルクロスも、飾られた花瓶も、クッションのきいた椅子も、何もかもが他よりあきらかに格式高くできている。
そこに座っている金色の髪の男性を目にとめたネモフィラは、必死に澄ましていた顔を、ふわりとやわらげた。
大衆の面前なのだ。
自分を律して次期王妃らしくしなければいけないのに、彼を前にするとやっぱりどうにも取りつくろえない。
気分がふわふわして、浮きたってしまう。
「ニコラウス様、ごきげんよう」
声を掛けると同時に振り向いたのは、ネモフィラの婚約者であるニコラウス王太子。
学年が一つ違うから授業中に会うことはできない。
そのかわりに昼休みの食堂ではこうして毎日待ち合わせして、一緒に昼食をとっているのだ。
「あぁ、ネモフィラ。来たか。今日も美しいな」
「ふふ、有り難うございます。授業の終了が少し遅れてしまいました。申し訳ございません、お待たせしてしまいましたね」
「少しだけだ、まったく問題ない」
立ち上がり、席へエスコートするために手を差し出してくれたニコラウス。
彼の夜空に瞬く星を思わせる金色の瞳とネモフィラの鮮やかな青の瞳が、互いを正面から見つめ合い、視線を絡めあった。
その、とたん。
――ポンッ!
近くで軽く小さく、はじけた音がした。
同時にネモフィラの目の前に、小さな花が咲いて飛び出した。
「あらまぁ。ふふっ、早速ですのね」
「し、仕方がないだろう。勝手に出るのだからな」
……ポンッ!
ポッ、ポポポンッ!
軽快な音がはねて、また花が飛びでてくる。
ポン! ポン!
ポン! ポン! ポンポン!
ニコラウスの頭の横あたりの空中から、黄色い花がポンポンどんどん飛び出していく。
眺めていると、あっという間に視界が花で埋め尽くされた。
「たくさん出ましたね」
おかしくなって、ネモフィラがはついまた笑ってしまう。
するとポンッ! ポポンッ! と音を立て、さらにまたまた、花がニコラウスから飛び出した。
「人からとつぜん花が飛び出すなんて、本当に不思議な現象ですこと」
「まったくだ!」
絵画の背景に花が描かれることはとても多い。
でも現実に花をまわりに飛ばしているなんてのは、もちろんありえない。
本当に背景に花を咲かす王子様がいるなんて、びっくりする光景だ。
けれど今に始まったことではないので驚かない。
ただ面白いだけ。そして楽しいだけ。
知らない人がみれば驚愕だろうが、ニコラウスが花を飛び出させる体質なのは半年前からなのでみんなが慣れてしまった。
彼は毎日、花を咲かせる。
ポンポン花を咲かせ跳ばす姿から、『花咲か王子』という通り名までついてしまった。
ネモフィラはしばらくふわふわ浮いたあとに落ちてきた一輪を、手で受けた。
茎の部分をくるりと指先で回し、香りをかぐ。
「ガーベラですね。鮮やかなオレンジ色で可愛らしいです」
「昨日はかすみ草だったな。あわせて飾れるのではないか?」
「えぇ、きっと部屋が華やぎますわ。いただいてもよろしいですか?」
「もちろん。君ならきっと大切にしてくれるだろうから」
「当たり前です。ニコラウス様からの贈り物ですもの。宝物ですわ」
「ネモフィラ……」
ポンッ! 今度飛び出したガーベラは、さっきより少し黄みがかった色だった。
ふわふわと落ちてくるそれを手を伸ばして空中で捕まえて、ネモフィラは笑いを零す。
心が満たされていく感覚がした。
ニコラウスから花が飛び出すのは、「嬉しい」ときだけ。
彼が楽しいなと思ったり、幸せだなと感じたときに、体内の魔力が花の形になって飛び出してしまうのだ。
今もネモフィラに会った瞬間に花が咲いた。
さらにネモフィラが笑ったとたんに、追加で咲いた。
ネモフィラと言葉を交わすと花が咲く。
彼の喜びはネモフィラがいるからだという、とても分かりやすい愛情表現になっているのが嬉しくてたまらない。
「……いつもながら仲がよろしいこと」
「卒業後の婚姻が楽しみですわね」
「きっと一面が花畑になるのではないか?」
「はは! それはぜひ見てみたいものだ」
耳に届く周囲の声は少し気恥ずかしい。
それらをあえて聴こえないふりをしつつ、床に散らばった花を拾いあげていく。
食堂の給仕たちが手伝うべきかとそわそわしているけれど、視線でとめてニコラウスと一緒にすべて拾った。
その花を家に届ける手配を給仕に頼み、席に座ると昼食が運ばれてくる。
「今日のランチは鶏肉のレモンソテーだそうだ」
「大好きです」
香ばしい焼き目の皮からナイフを入れると、じゅわりと肉汁が溢れでる。
バターの風味のあとにくるさっぱりしたレモン感がほどよくて、しかもボリューム満点とあって学生には大人気のメニューだ。
添えられたパンは丸くて白いふわふわのもの。
噛みごたえのあるハードタイプと選べるけれど、ネモフィラの好みはふわふわの方で、もう注文しなくてもこちらが出てくる。
焼きたてのようで、手に取るとほんのり温もりを感じられた。
このままでも美味しいけれど、たっぷりのマーマレードをのせて食べるとさらに幸せになれる。
あとは温野菜のサラダと、卵と玉ねぎの入ったスープ。
デザートは林檎の角切りの入ったゼリー。
席だけは少し特別扱いだけれど、食堂は全ての学生が同じメニューだ。
高級な食材はなく、学生らしくボリューム優先。
王族であるニコラウスや侯爵家令嬢のネモフィラにとってはとても素朴なもので、トレイにまとめて乗ってくる仕様も家ではありえない。
しかし味はとても美味しくて、そして家よりも砕けた食事が楽しくもある。
「んん、今日のも美味しいです。本当に学園の料理人は腕の良い者が揃えられていますね。我が家に一人引き抜きたいところです」
「リモージュ家の料理人も相当な腕だろう? 先日、食事に呼んでもらったときの料理は絶品だった」
「ありがとうございます。ですが料理長がそろそろ年で引退を考えているようで、人が減る予定なので若くて腕のある者を入れたいのですよ」
「なるほど。転職先を考えていそうないい人材がいないか、気に留めておこう」
「まぁ、ありがとうございます」
とりとめのない会話をしつつ食事をしている間、目が合うとふわりと彼は笑う。
嬉しくて、そのままの気持ちで笑いを返すと、同時にポンっと花が飛び出した。
「ラププ草か。これは城に届けてくれ」
「かしこまりました」
給仕が即座にきて花を回収していく。
たいへん手慣れたやりとりだ。
「確かラププ草は質の良い解毒薬になるのですよね。有効な花が出てようございましたね」
「あぁ、私から出てくる花は高い魔力を含んでいるからな。城の薬師たちに喜ばれている」
ニコラウスからでてきた薬効性の高い植物は、城の薬室か研究室に。
観賞用の花はネモフィラに。
ときどきはニコラウス自身が引き取り、自らが魔法薬を作る材料にもしているらしい。
彼は全方向に優秀だが、魔法薬研究に特に興味がそそられるらしく、これまでにもいくつもの人を助ける薬をつくりだしていた。
そんな自慢の婚約者が、ふいにクッと喉の奥から悪戯っぽく笑う。
「まったく、我が最愛の人は面白い体質を授けてくれたものだ」
とたんに、ネモフィラは赤くなる。
「わ、わざとではございません……」
優秀な魔法使いを排出することで有名なこの国でも、感情に合わせて勝手に花が飛び出る人は彼だけだ。
だいすきだと、目に見える形で返されること。
それはとても心が満たされる。
満たされるけれど、申し訳ないとも思う。
だってこんな変わった体質、彼しかいない。
しかも彼がこんな特異体質になったのは、ネモフィラのせいなのだ。
「まさか、あんな……キ、キスがきっかけでニコラウス様の体質が変わるなんて」
半年前の、学園の奥まったところにある湖のほとり。
人気のないその場所でいい雰囲気になったネモフィラとニコラウスは、そこで初めてのキスをした。
とても、とても幸せな瞬間だった。
夢のような心地だった。
その幸せな心地のままでファーストキスを終えられれば良かったのに、なのになぜか、どうしてか。
キスで二人の魔力が変な風に混じり合って、ニコラウスから花が飛び出すようになってしまったのだ。
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