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しおりを挟む最初は勢いで就職を決めたけど、エリーはリボンも、レースも、刺繍も、毛糸も、いろんな布地も、見るだけで幸せになれる。
ひときわ手芸が大好きな人間だ。
そんなふうだから、華やかで鮮やかなドレスを着た人で溢れた城で過ごす事に、期待せずにはいられなかった。
きっと自分では買えない綺麗な宝石や特別な生地を使って、素敵なドレスを作るのだ。
そしてそれを王女様やお姫様、さらに同じ敷地内にある神殿に住む異世界から来た巫女様も着てくれたりして、たくさんの人に見て貰えるのだ。
そんなキラキラとした仕事を想像すると、楽しくてどきどきして仕方が無い。
「あー、早く明日になんないかな」
明日からの日々に思いをはせつつその灯りを眺めていると、人気の無くなった眼下の商店通りから、カタンと小さな音がした。
「ん?」
音のした方を見下ろすと、お隣の店舗から人影が出てきた所だった。
「……あぁ、ジョナサンか。ホウキ持ってるし、店の前の掃除かな」
エリーは小さく、沈んだ声でつぶやきを落とした。
さっきまでのワクワクが、急にしぼんでしまった。
エリーの新緑色の瞳に映るのは、暗い夜道の中、周囲の家の明かりにうっすらと照らされている、男の影。
(なんか、ちょっとだけ身体つきが逞しくなったかな)
エリーは息をひそめて、少し身体を引く。
見つからないようにこっそりしつつ、しかし二階の窓から下の通りの掃き掃除をするジョナサンを見つめることは止められない。
「ジョナサン……」
こっそりと名前を囁いてから、自分の発した台詞に後悔してきゅうっと唇を引き絞る。
薄暗くてほとんど輪郭しか分からなくても、絶対に間違えない。
エリーのお隣に住む幼馴染で、初恋の人で、一年と半年前まで婚約者だった人。
せっせとホウキを動かしているジョナサンは、エリーと婚約破棄をした直後に求婚しにいった女性と一年前に結婚をした。
そしてつい二週間くらい前に子供が生まれたらしい。
(最近は、毎日のように赤ん坊の泣き声が聴こえてくる)
命の誕生という喜ばしいことなのに、泣き声が聞こえるたびに、エリーは一緒に泣きたくなってしまうのだ。
(きっと、幸せの絶頂期だろうなぁ)
エリーは窓の縁に頬杖をついて、暗闇の中にうっすらと見える彼をぼんやり見降ろし続けた。
こっそり見ているのだから気づかれなくて当然なのに、気づいて欲しいと思っている自分も確かにいる。
ジョナサンが特別に好きだと言ってくれた、エリーの桃色の髪が大きく吹いた夜風にさらわれて翻る。
「……あんまり会わないように避けているの、気付かれてるよねー」
呟くと同時に、ぎゅうっと胸が引き絞られた。
目の奥が、熱くなる。
奥歯をきゅっとかんで、なんとか泣くのをこらえた。
(寂しいなぁ。おととしまで、ずーっと毎日、一緒にいたのに)
隣に彼が居ないことの違和感がまだ消えなくて、ぽっかりと心に大きな穴が開いたような感覚が続いている。
婚約破棄を乞われた時。
結婚を知らされた時。
子どもが出来たのを聞いた時。
エリーは彼に、三回絶望に突き落とされた。
それでも意地を張って……周りには平気だと言い張っている。
恋なんてしてなかったって、全然気にしてないって、兄妹みたいなものだって、家族にも友達にも何度も何度も繰り返し口にだしている。
……エリーが物心ついたころから、だんだん父と母の食堂が繁盛して忙しくなっていった。
さらに弟たちが生まれてお姉さんという立場にもなって、頼られる側に回ることが多くなって。
忙しい両親を持つ長女という役わりの中、いつからかエリーは甘えることや弱みを出すことが少し苦手になっていたのだ。
別に誰かにそうしろと言われたわけじゃないのに。
意地を張って強気に突っぱねてばかりの、とんだ天邪鬼だと自分でも思う。
「いつかジョナサンと、前みたいに話せるようになるのかな」
……正直、出来る気がしない。
だって一年半も立つのに、まだ彼に、こんなに胸をざわつかされている。
もう奥さんも子供もいて、こっちを向いて貰うことなんて不可能なのに、なんて馬鹿らしい。
馬鹿だと思うのに、どうしてもこの気持ちが消える日が来る気がしなかった。
だから今は、とにかく離れてみたいと思ったのだ。
周りにおかしく思われない、働きに出るという理由がちょうど良く落ちていて、拾わない訳がなかった。
エリーは視線を遠くの方に投げ、また屋根部分だけが見える城のほのかな明かりを瞳に移す。
「王妃様や、異世界から神龍が召喚したっていう巫女様のドレスって、本当にどんなに素敵なものなのかしら。あぁもう、楽しみで仕方がないわ」
意識して明るく口に出しながら、エリーはジョナサンに気づかれないようにそっと窓を閉じるのだった。
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