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四年目 ~冬期休暇 そして春へ~

まさかの

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 四侯(+α)会談を終え、俺は新学期までの日々をのんびりと過ごしていた。
 東侯の養子にはなったが俺はまだ侯爵様の家で、レオンやクリスティーヌ様と共に暮らしている。
 東侯の屋敷も王都にあるのだが、わざわざ家を移らずとも良いだろうと言われていた。
 『新学期が始まればどうせ学園の寮にいるのだし、好いた女と共に過ごせるまたとない機会を奪うのも悪いしな』とからかわれた羞恥を思い出し顔を手に埋める。

「どうかしたの、アラン?」

 隣に座るクリスティーヌ様の声に手から顔を上げて笑みを見せる。
 こうしてゆっくりした時間を過ごせるのはいつぶりだろうか。

「何を考えていたの?」

「四侯会談の時のことを少し……」

 正確にはその後のことだけれど。
 言いづらくて誤魔化す。

「大丈夫よ、全て狙い通りに上手くいったのだもの」

 中央貴族たちへの説明と儀式などの心配をしていると思ったのか、大丈夫よと俺の肩を撫でるクリスティーヌ様。
 その自信に満ちた笑みを見ていると、自然にこちらも笑みが浮かんでくる。

「そうですね、クリスティーヌ様が公爵相手に交渉をしてくれたおかげです」

 あの時のクリスティーヌ様はとても凛々しく美しかったですよと微笑むと恥ずかしそうに頬を染めた。
 本当に美しかった。誇張でなく。
 公爵相手に一歩も引かず廃鉱の件と伯爵家へ金属を卸していた件などを認めさせた。
 公爵の言質を得ていたおかげで国王の罪をはっきりと糾弾することができたし、クリスティーヌ様の果たした功績は大きい。
 誇らしい気分でクリスティーヌ様を見つめる。
 嫋やかな笑みを崩さず言葉のみで公爵へ迫る様は侯爵様やレオンとよく似ていた。

「もう、アランたら! 恥ずかしいわ。
 それにまた敬語になってるわよ?」

「ああ、つい……。
 抜けないものですね」

 今の俺は東侯の末息子という立場なので、同格であるクリスティーヌ様へ敬語を使うのはおかしいと敬語を直すように言われているのだが……、これが難しい。
 養子縁組を結んだときに侯爵様との雇用契約も解除されているし、本当に敬語を使う理由はないのだが癖というのは中々抜けない。……それに気恥ずかしい。

 また敬語で返してしまった俺を、クリスティーヌ様がもう、と咎める。
 そう言いながら柔らかな笑みを浮かべるものだから、まだもう少しこのままでもいいかなと思ってしまう。
 春の暖かい風が吹く部屋で愛しい人と微笑み合う幸せ。
 確固たる関係になるのを待つのは、苦ではなかった。




 そうして穏やかな日常を過ごし、いよいよ新学期が始まろうとする頃。
 俺は譲位が行われる城に呼び出されていた。

 それも式典ではなく通常四侯たちしか許されない署名の儀の場に。
 他に神官や文官もいるが俺はそのどれでもないしと遠慮したのだが発案者がいなくてどうすると連れて来られた。
 中々無い経験だとは思うけど、酷く場違いだなと居並ぶ面々を見て思う。
 西侯は代理を立てていた。
 さすがにあの四侯会談の後、また表舞台に出てくる面の厚さはなかったらしい。
 代理で参加した西侯の娘婿は侯爵様たちに頭を下げ、近々義父より跡を継ぐ予定であるのでその際は皆様に教えを乞いたいと挨拶を述べていた。
 侯爵様たちも無下にするわけでもなく、困ったことがあれば頼るといいと言いながら、釘を刺すのを忘れない。
 ともあれ彼は次の西侯として認められたようだ。

「さて、ではこれで譲位はなったね」

 南公……、今この場で国王となった方が平常と変わらぬ様子で侯爵様たちへ笑みを見せる。

「いや、めでたい。
 長い冬に沈んでいたこの国にようやく春が訪れましたな」

 まだ横にいる前国王の前で東侯、父がそんなことを言う。

「本当にめでたいな。
 この先また慶事が続くし、まさに春の始まりだ」

 父の言葉に肯いた南侯の口元にはほんのりと笑みが乗り、とても上機嫌のようだった。

「では王になって最初の仕事です」

 そう言いながら一枚の書類を取り出す侯爵様。

「まずはアランのサインが先だね」

「はい?」

 唐突な侯爵様の言葉に疑問の声が出た。
 俺に関係のある書類というのが思い浮かばない。
 周りを見渡すが皆当然だという顔をしている。何故。

「ほら、国王に就任して一番最初は慶事から始めたいという話をしていただろう?」

「ええ……」

 確かに四侯会談の時にそんなことを言っていた。
 冗談なのか本気なのか判然としない感じではあったけど。
 だから用意しておいたんだと微笑む侯爵様に婚約届のことを思い出す。
 結局あの紛失、というか改竄され無かったことにされた婚約届は出てこなかった。
 婚約をさせないためにそこまでしたのだから当然といえば当然だが。
 新国王が即位して落ち着いた頃にまた届けを出すのだと思っていたらこうして用意してくれていたのか。
 ありがたい気持ちと気恥ずかしい気持ちと両方を浮かべながら書類を受け取る。

「…………」

 書類に目を通して固まった。
 ……見間違い、じゃないな。
 上から下までを3度見直して口を開く。

「あの……、どう見ても婚姻届と書いてあるように見えますが……」

「うん、その通りだよ」

 にこにこと微笑んで侯爵様が間違ってないよと告げる。
 周囲の誰も驚いていないことから皆も承知していたのだと悟る。

 この婚姻届には条件が追記されていた。
 花嫁の、クリスティーヌ様の成人をもってこの誓約は正式に効力を発揮する。
 それまでの期間は婚姻に準じ互いに誠実であることと記されていた。

「通常これって他国の王族を迎える時に付け加えられる文言ですよね」

「そういう場合が多いのは事実だな。
 しかし国内の貴族同士でも使うことがある、遠方同士の縁組などでな」

 俺の疑問に南侯が答えてくれる。
 しかし知りたいのはそこじゃない。
 もっと気になっているところがある。
 しかもすでにクリスティーヌ様のサインも入っているのはどういうことなんだ?
 出がけのはにかむような笑顔を思い出す。

「ああ、クリスティーヌを責めないでおくれよ?
 私が驚かせたいからと口止めをしていたんだ」

 驚かせる必要がどこにあったのかと頭の中で渦巻くがまだ言葉が出てこない。
 突然のことに頭が追いつかないどころじゃなかった。
 混乱に言葉を発せない俺に父がにやりと笑う。

「なんじゃ、嬉しくないのか?」

 別に引退せんで済むから儂はどちらでも良いがなと言う父に、四侯会談の終わりの戯言が蘇る。
 俺の結婚を見届けたら代替わりしても良いと言っていたことを。

「早く蜜月を過ごせるようにと頑張ったんだよ?
 喜んでほしいな」

 せっかく用意したんだからと新王が楽しそうな笑みを向ける。
 嬉しいに決まっている。それでも躊躇う理由は一つだけだ。
 動揺に震える唇を開き、侯爵様へ一つだけ確認をする。

「本当に、良いのですか……」

 だって、これでは……。
 動揺が高揚になって行くのを感じる。
 すでに書かれたクリスティーヌ様の署名に胸が震えた。

「もちろんだよ、アランと引き離されるのはもう嫌だと見せたその場で署名していた」

 クリスティーヌ様も望んでサインをしたと聞かされて歓喜が溢れる。
 これでずっと側にいることを許される。そう思えば迷いなんてなかった。




 こうして俺とクリスティーヌ様は婚約届を飛ばして婚姻届を提出することとなった。
 俺の署名が済んだ書類へ新王が署名と印を押す。
 これでこの婚姻届は正式に受理されたことになる。
 嬉しいやら恥ずかしいやらで気持ちが定まらない。
 頭がふわふわする感覚というのはあまり覚えのないものだ。

「せっかくだから王家も慶事に続くか?」

「んー、もう少し王族になった心構えをさせてあげたくて。
 それに、南侯も娘と別れが惜しいでしょう」

 王の返事に南侯はむしろ早くもらって行って欲しいと真面目くさった顔で言う。

「婚約者が王子になったことで気軽に会えなくなると文句を言っていたからな。
 卒業してすぐ婚姻するとなれば静かになるだろうから、早いと助かる」

 ただでさえ学園に入学してからは会う時間が減ったとぼやいていたからな、との言葉が耳に入ってくる。

「ロレイン嬢には申し訳ないですが、もう少し準備の時間が欲しいですね」

「卒業まで後一年あるが、確かにそれでは足りんな」

 南侯の要望に侯爵様が難色を示し、父もそれに頷く。
 ふわりと浮ついた思考がまとまる前の言葉を口にさせた。

「先に婚姻を交わし、学業を理由に式などは延期するとすれば大丈夫では?
 近隣の王族でそのような婚姻を結んだ例があったかと……」

 ぼんやりと言葉を発し、四侯+新王の視線が集まっていることに気づきびくりと肩が跳ねる。

「アラン、今のは?」

 侯爵様の問いに思い出しながら答える。

「他国の話ですが、迎えた王女が年若かったために婚姻してから式まで6年ほど空いた例があります」

 それぞれの国の成人年齢の考え方からそうなったと聞いていると述べると新王がおもしろそうな顔になる。

「それは良い」

 採用、と軽い口調で大事な何かが決まった。
 自分の一言で決定されたことに焦る。
 これでロレインも喜ぶだろうと満足そうな南侯に礼を言われても、曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。

 この場でというわけにはいかないので、新王と南侯がそれぞれ話をしてまた正式に決めるらしい。それを聞いてほっとした。

 重要な案件が決まり、四侯がこれからのことについて意見を交わす。
 しかしそれも侯爵様と父が卒業したらどちらの領地に新居を構えるかと言い合いを始めるまで。
 息子が他に三人もいるのだから俺を婿に出してもいいでしょうと言う侯爵様に、文に長けた息子は我が領地にこそ必要だから譲らんと言い返す父。
 どちらが良いと迫る二人に『夫婦のことなので妻と相談させてください』と返すと片方は愉快そうな、片方は微笑ましそうな顔を浮かべていた。

 ああ、早く帰りたい。
 クリスティーヌ様はどんな顔で出迎えてくれるだろうか。
 今すぐ会いたくて仕方なかった。


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