Faith

桧山 紗綺

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13 青年の噂

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 二人の様子はジェラールからも見えた。
 何を話しているのかまではわからないが、アーリアの様子からするとただのナンパにも見えない。
 立ち去る男がこちらを見た。視線に感じた不快さは何だろう。
「嫌だこっちを見たわ」
 嫌悪感を隠さない声に目を瞬く。
「どうかした?」
 ジェラールは見たことのない男だったが、少女は知った顔らしい。
 少女の瞳には嫌悪のほかに恐れが見える。
 別の少女も男を確認して顔を顰めた。
「あの男性、最近よく見るわね」
「本当、楽しい気分が台無し」
 男は余程嫌われているらしい。
「あの人私の侍女にも手を出したのよ。 おかげで首にせざるを得なくなったわ。 いい子だったのに」
「あなたも? 私のところのキッチンメイドも彼のせいで辞めさせられてしまったわ。 おかげで子供の頃から慣れ親しんだ味とさよならすることになったの」
「本当に多いのね…」
 そう言う少女は男のことは話にしか知らなかったようだ。
 どうやら手当たり次第に女性に近づく人物として有名な人間らしい。
「見たことないな…」
 ひと月に一回ほどの頻度でアーリアとジェラールは社交会に顔を出している。
 先程のアーリアの様子でも見た顔ではないようだし、ジェラールも見覚えがない。
「知らなくて当然だわ。 本当にごく最近夜会に顔を出すようになったのよ。
 そうね…、ひと月くらいかしら」
「へえ」
 一月でここまで噂が広がっているというのは尋常ではない。
 たまたま有力な貴族の令嬢の侍女に手を出して噂が広がったということも考えられるが。
「話では外国から来たらしいけれど、本当かどうか」
「手厳しいね」
 外国という単語を意識に止める。
 国によってはこの前の誘拐犯のように犯罪を企てている可能性が高まる。荒れた国は犯罪も蔓延りやすい。
「仕方のないことですわ。 彼は評判が悪すぎますもの」
「あの人のせいで職を辞することになった方は聞こえただけで五人にも上ってます」
「それは、また…」
 流石に言葉が出てこない。酷いな。
 噂なので鵜呑みには出来ないが驚く数だ。
「辞めた方がその後行方知らずになるというのも怖い話ですし」
「何だって?」
 本当なら聞き流せない話だった。
「私、辞めた侍女に便りを出そうしたのです。 事情が事情だけに表立って庇えはしないですけれど、せめて次の仕事を探すための紹介状だけでも渡したくて」
 不祥事で辞めさせられた侍女にそこまでするのは貴族では珍しいが、優しい気質なのだろう。侍女について語る彼女は心から心配しているようだった。
「住んでいた家は引き払った後で…。 家の持ち主からは親戚を頼って引っ越していったと聞かされたのですが…、そんなことあり得ないのです」
「どうしてですの? おかしいところはないと思いますけれど」
 少女の一人が疑問を挿んだ。
「だって、彼女からは身寄りがないと聞いていたのですもの!」
 問いかけた少女も絶句した。語る少女も聞いている少女たちも顔がこわばっていく。
「もちろん彼女が嘘をついていたことだってあるとは思いますけれど、信じられないのです。 私の知っている限りでは誰かに手紙を書いたり故郷の話をしたりしたことはなく、すぐに頼れる人がいたとは思えなくて…」
 彼女の心配はもっともだった。
「今も気にしているけれど私に出来ることなんて、もう何も無くて」
「レディ…」
 心を痛めるのも無理はない。まだひと月と立っていない出来事なのだ。
「偶然、他にあの人のせいで仕事を辞めた方の話を聞きました。
 その方は住み込みの庭師の孫で、やっぱり仕事を辞めされられることになって…」
 責任を取って一緒に辞めると言っていた庭師に手紙を残して消えたという。
『わたしのことは心配しないでおじいちゃんは仕事を続けて』
 手紙にはそのようなことが書かれていたらしい。
「でも、その方は字が書けなかったそうよ。 代筆という可能性もあるけれど」
 少女たちの顔が青くなっていく。男たちのグループから完全に背を向けて視線が絶対に合わないように俯き加減にお互いを見ている。
「それが本当なら恐ろしいことだね」
 ジェラールの言葉に不安そうな瞳を交わし合う。
「でももしかしたら君の侍女は事情があって疎遠になっていた親族へ連絡が取れたのかもしれないし、庭師の孫はお爺様に心配をかけない為に誰かに代筆を頼んだのかもしれない」
 少女たちも安堵は出来ないまでも頷く。
「それに、心配はいらないよ。 君たちのことは私が会場を出るまで守るからね」
 ジェラールは自分が一番魅力的に見える笑顔で少女たちに微笑み掛けた。
 ぽうっとした表情を見てジェラールは自分の笑顔が狙い通り効果的に働いたことを確認する。
「まあ…、心強いですわ」
「そう言ってくださるのなら不安なんてなくなります」
 少女たちは口々に安堵の言葉を形にする。
 その中で、侍女を失った少女だけが沈痛な面持ちのままだった。
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