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セレスタ 弟さんの結婚式編

失せ物探し 空への憧れ

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 ミリアをちらりと見て無感動な瞳で視線を逸らして背を向けたマリナ様を、熱の篭った瞳で見つめる。
 胸が熱い。
 ずっと忘れていた憧れを思い出しては平静でいられないのも当然のことだと思う。
 ティアの家の御者が駆け寄ってきて私たちの無事を確認する。
「申し訳ございません、お嬢様…」
 マリナ様の前で怯えきった顔をしていたティアも使用人の前で情けない姿を見せられないと背筋を伸ばす。
 その手がまだ震えているのをミリアは見逃さなかった。
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ、何もされていないわ…」
 青褪めながらも毅然と答えるティアに御者はほっとした顔になる。
 扉が閉められ、ほどなく馬車は何事も無かったかのように動き出した。
 いつの間にか床に落ちていたクッションを拾い上げてティアに渡す。
 変形するほど強く抱きしめ、顔を上げた。
「そういえばあなたは大丈夫なの、身体に異変は?」
 人間が鳥に変化させられるという事象を目の当たりにして、ティアはかなりのショックを受けたようだ。
「大丈夫みたいね」
 手を上げて眺めてみるけれど、何も異常はない。いつもの自分の腕だ。
 ティアも言ったとおり彼女は何もしなかった。
 侯爵の意向もあるのだろうけれど、随分と甘い。
 ただミリアを小鳥の姿に変え、あなたもこうして無力な存在に変えてしまいましょうか?と問うただけ。
 飛べもしなければ餌も取れない無力な小鳥となって獣に怯え、家族にも気づかれずにひっそりと消えていく。
 なんて恐ろしい…!!
 素晴らしく効果的で、感嘆するような脅し方だった。
 後に傷も残さず、恐怖を与え、忠告するだけ。
 その手法も尊敬に値するものだった。
 尤もミリアが感動したのは別のことだったけれど。
 感動に打ち震え、彼女に畏敬の視線を向けられずにはいられなかった。
 不思議な体験だったわ。突然周りが大きくなったのかと思ったら小鳥になっていたなんて、到底体験できるものではない。
 羽を動かす感触がまだ身体に残っているみたい。けれどこれもすぐ無くなってしまうのかと思ったら淋しく感じられた。
 夢を見ていたような、自分の身体から解放されたような感覚。
 羽ばたき続ければ飛び立てるのではないかというあの高揚感。
 幼い頃憧れた空を飛ぶという夢が叶うのではないかと思えて…。
 浸るように目を伏せるとティアが悔しそうに呟く。
「ご子息が一緒に来ていたわ」
 馬車から離れたところでマリナ様を待っていたのをミリアも見た。
 冷徹な顔で夜闇の中に立つ姿は恐ろしかった。崩さない表情の下にはきっと弟と義妹へ悪意を見せた私たちへの怒りが煮え滾っているんだろう。
 そんな男性の下へ悠々とした歩みで向かうマリナ様はとても夜闇が似合っておいでだ。
 劇なら魔女と呼ばれそうね。すでに呼んでいる人もいるみたいだけれど。
 彼女が直々に取り戻しに来るとは思わなかった。
 そもそも来るのが早すぎる。
 馬で来たようだけれど、どれだけ飛ばして来ればこんなに早く私たちを止められるのだろう。
 騎士である侯爵のご子息はわかるけれど、マリナ様まで。
 月が出ているとはいえ、暗闇の中で馬を走らせるのは難しい。
「侯爵様にも知られてしまったということでしょうね」
 先程、侯爵様に謝罪があったことは伝えると言っていた。
 侯爵様の命を受けて首飾りを取り戻しに来たと考えるのが妥当でしょう。
「正式な抗議か来ると思って間違いないんじゃない」
「またお父様たちに怒られるわね…」
 憂鬱そうにティアが項垂れる。
 それは仕方のないことだ。ティアはしばらく謹慎になるかもしれない。
 ことが事だけに今回はミリアが見舞いと称して遊びに来ることも許してくれないんじゃないだろうか。
 謝罪を許してくれたので侯爵家側は厳しい処分は求めていないと予想できるけれど、ティアの両親としてはそうはいかないだろう。
 何せ昼の騒ぎに続いて二度目だ。
 もう侯爵家の方が来る席には連れて行ってもらえないのでは?
 ほとぼりが冷めるまでは顔を合わせる可能性のある場所からは遠ざけられると思う。
「隠すだけで済ませておけばよかったわ」
 思わず笑いそうになる。あれだけ怖い目にあわされてこの発言が出来るなんて感心する。
「そうね、それだけならちょっとした悪戯で済んだかしらね?」
 どのみちばれたら同じことだけれど、決定的な証拠がなければ逃げられた可能性はある。ただ、その場合侯爵家からは徹底して敵と認識されることになっただろう。
 どちらの方がマシかは想像するしかないけれど。
 ティアの屋敷に戻れば小父様と小母様が御者から話を聞いて怒り狂うでしょうね。
 ティア共々朝までお説教を聞かされることになるのは確定だった。
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