上 下
255 / 368
セレスタ 波乱の婚約式編

間諜 2

しおりを挟む
 薬箱と水桶を持って廊下を歩く。
 自分が上機嫌なのをおかしな気分で味わう。
 本当にあの魔術師は変わった存在だ。
 カイゼが間諜としてセレスタに侵入していたということは話していない。
 悟らせるような行動もしていなかった。
 つまり最初から知っていたということだろう。
 拠点をセレスタの諜報部や上層部に知られていたことは驚かないが、カイゼの顔まで知っているとは思わなかった。
 彼女は王太子の護衛だ。マールアの下っ端諜報員のことなんて知る必要のない人間だろうに。
 感情を読み取ろうと見つめた瞳には焦りもなく、カイゼの目から見ても十分に動揺を隠していた。
 惜しい。純粋にそう思う。
 彼女が魔術を使える状態ならどう抵抗を見せてくれるのか。
 それを想像すると高揚感に震える。
 同時に彼女をこの国マールアが制御できる可能性はなさそうだと思った。
 彼女の持つ魔力、魔術知識をマールアは喉から手が出るほど欲しがっている。
 カイゼも幾度となくその片鱗にしか過ぎない技術を手に入れようと画策してきた。
 彼女たち魔術師が持つ力が欲しい。
 しかし彼女はそれを渡さないだろう。
 自分の行動によって起こる危険。
 マールアに技術を渡せばセレスタだけでなく、大陸全土に危機が飛びかねないとわかっている。
 それを理解しているから彼女が知識も技術も秘匿するだろう。
 カイゼには彼女がそうするだけの理由もわかる。
 残念ながら殿下には納得してもらえないだろうが。
 ラムゼス殿下は彼女を利用するつもりだ。
 口で従わなければ力で従わせればいいと、そう短絡的に考えているだろう殿下を鼻で笑いたくなる。
 彼女はそのような甘い相手ではない。
 恐ろしいことにあの歳で現状をわかりすぎているくらいわかっている。
 避けられないとなればかまわず外へ飛び立つだろう。
 その身が傷つくとしても、羽を切られ鳥籠の中に閉じ込められるのを良しとしない。
 ひとまずはラムゼス殿下がユリノアス殿下に任せる判断をしたことに安堵する。
 ユリノアス殿下ならば彼女の意に沿わぬことを無理強いしないだろう。特に無理やり攫ってきたばかりの今は。
 無理を通そうとすれば彼女はどれだけ危険があったとしてもじっとしていない。
 それは情報に基づく確かな勘だった。
 失うなどもったいない。
 正直、不意を突いたとはいえよくマールアの手に落ちたものだと思う。
 カイゼを見返す緑の瞳。
 既視感を覚える色はセレスタの拠点で見かけた猫に似ていたのだと、ふと思った。
しおりを挟む

処理中です...