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最終章

臣下の祝宴

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「乾杯っ!」
 あちらこちらでグラスを打ち鳴らす音が聞こえる。
 結婚式が無事終わり、皆で祝杯を挙げる。警備の騎士もいれば式を進行していた官僚もいる。王宮で働く人々が集まった食堂はにぎやかでは済まない騒がしさで満たされていた。
 こんなに大勢で一斉に食堂に集まることなどないので、いつも来ている場所なのに異空間のように感じられる。
 部署も仕事も違う人々が肩を並べる光景はなんだか不思議だった。
 王子の結婚式が無事終わり、使者や貴族へのお披露目も済んだ。
 夜遅くまで開かれていた宴もお開きになり、王都に屋敷のある貴族は自邸に戻っていった。王都に屋敷を構えていない貴族は親交のある貴族に泊めてもらったり宿を取ったりしている。
 王宮に泊まる人も極一部いた。
 他国の使者も幾人か王宮に留まっているが、用意された部屋で休んでいる。
 いつもの静けさを取り戻しかけた王宮の一角。
 王宮で働く者が利用する食堂で、祝宴が開かれていた。
 王子の結婚を祝う祝宴ではあるが、主役はいない。
 おふたりはとっくに自室で休んでいる。
 結婚式の日の夜中に開かれた祝宴に参加するわけもなく、いるのは王宮で働く人々のみだ。
 普段は距離を持って働いている者たちが一緒になって騒いでいる。
 中々ない光景にマリナも口元を緩ませた。
「マリナ、飲んでるか?」
「ええ。 ギュンターさん、食事も取らないと明日に響きますよ」
 普段より二割増しで砕けた態度のギュンターさんがグラスを打ち合わせてくる。
 まだ始まったばかりなのに結構飲んでいるように見えた。見えるだけかもしれないけど。
 浮かれた声で答えるギュンターさんはグラスに残っていた酒を一気に飲み干し笑う。
「硬いこと言うなって! それに俺は明日は非番だ」
「そうですか。 ちゃんと節制させてくださいね、ミヒャエルさん」
 ギュンターさんの後ろにいたミヒャエルさんに告げると若干肩を落とし頷いた。
「わかってる。 俺は明日も非番じゃないから程ほどにして他の奴らを見てるよ」
 たまには俺も羽目を外したいんだけどな、と笑うミヒャエルさんがグラスを差し出す。
 軽くグラスを合わせて、入っていたお酒を一口飲む。
 果実を熟成させたお酒の複雑な香りが広がる。
 他のテーブルに去っていく二人を見送るとレインが近くに立っていた。
「お久しぶりです」
 意外な人物の登場に目を瞬く。顔を合わせたのは随分と久しぶりだ。
「あなたは忙しくされていましたからね。
 今日の魔術はすばらしかったです。 王都を舞う祝福はセレスタに語り継がれるでしょう」
「ありがとう、そう言ってもらえると魔術師一同喜ぶわ」
 あの魔術のために結構無理をした。立役者のメルヒオールとフィルさんがいないというのが残念でならない。
「演出をしたのはあなたでしょう」
「でも私だけの意見じゃないわよ?」
 メルヒオールとかフィルさんにもちゃんと意見を聞いたもの。
 役に立ったり立たなかったりだったけど、意見を交わすのはとても楽しかった。
「それを纏めたのはあなたです。
 ですから代表者として素直に賞賛を受け取ってください」
 からかうように笑みを含んで告げられた言葉に苦笑する。相変わらず言いくるめるのが上手い。
「何か失礼なこと考えてませんか?」
「気のせいよ」
 失礼なことではない。ただの事実だ。
 レインの顔を見ていたら思い出したことがあった。
「そういえば私レインの恋人紹介してもらってないわ」
 忙しくしている間にいつの間にかレインは恋人を作っていた。
 全力でちょっかいを出そうと思っていたのに、その必要もないほどあっさりと。
 マリナの言葉にレインが嫌そうな顔をする。
「嫌ですよ」
 端的な言い方に眉を寄せる。いくらなんでもその言い方は失礼じゃないかな。
「彼女は私とよく似てるんです。 あなたに会ったらしばらく私はほったらかしになるでしょうね」
 レインと似てる……。
 計算高いところが似ているのか冷静なところが似ているのか、はたまた率直な物言いやその他が似ているのかで大分印象が変わるんだけど。
 それ以上余計なことは言わず「そう……」と答えるに留めておいた。
 近くの席にいた同僚に声を掛けられてレインはそちらのテーブルに移っていく。
 グラスを置いて料理に手を伸ばすと後ろから声が掛かった。
「飲んでばかりいないで食べてるかい?」
 振り向くと食堂のおばさんが追加の料理を置くところだった。
「ちゃんと食べてます。 いつもおいしいですけれど今日のは格別においしいですね」
「そりゃいい材料使ってるからねえ。 それに今日は祝いの日だろう?
 嬉しいとか幸せだとかいう気持ちが料理をさらにおいしくしてるのさ」
 おばさんの答えになるほど、と納得する。
 結婚式に余った材料を使っているならいつもマリナたちが食べているものより上等なのはわかるし、笑顔で食べるからよりおいしく感じるというのも理解できた。
「ところで先生はいないのかい?」
「師匠は医務室です」
 医者の居場所がわからなくなったらいざというときに困るでしょう、と普段通り医務室で待機している。
「そうかい。 なら後で食事だけでも運ぼうかね」
「お願いします。 片手間に食べられるものでしたら食べてくれると思うので」
 万が一を考えて医務室から動けない師匠に、おばさんは食事を持って行ってくれると言う。
 おばさんもこんな遅くまで働いて疲れていると思うんだけど、なんか師匠に食べさせることに意欲を燃やしている。
 こんな時間なので軽い物にしてくださいと控えめな主張しかできなかった。
 大食漢ではない師匠のお腹がはちきれないように祈っておく。
「あんたも酒は程ほどにしておきな。
 じゃあ私は先生への差し入れでも作っていこうかね」
 おばさんはよっぽど師匠が心配らしい。作り置いた物を持って行くのかと思ったら別に作るようだ。
 熱心だなーとおばさんを見送りながら思った。師匠が食べ過ぎで体調を崩しませんようにと。
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