離れる手 繋ぐ言葉

桧山 紗綺

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夢から覚めて

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 青ざめたリアムの表情を見てカイは手を離した。
「思い出したかい? 自分の記憶を」
 突然浮き上がってきた生々しい記憶に息が詰まりそうだ。
 震えるくちびるで息を吸いこもうとするが、少しずつしか取り込むことができない。
 リアムが呼吸を整えるのをカイはじっと見ていた。
「なんで俺がこんなことを言うか、君ならもうわかってるよね?」
 記憶が本当のことなら、父はエレミアではなくリアムの婚約者としてカイを呼んだということか。
「それが来てみたら代理になるはずの君にはエレミア様の婚約者とか言われるし…。
 本当、おもしろいね。君たち」
 馬鹿にするように、口の端だけで笑う。
「それが私に会いに来た本当の理由ですか?」
「少し違う」
 カイはひと月以上前に来て、リアムとエレミアのことを調べていたと言う。
「エレミア様のことを調べるのは簡単だったんだけど、どうもおかしくてね」
 足が動かないと聞いていたのに街中を歩き回っていたら、カイでなくても不信をもつ。
「逆に君の話は街では聞けなかった。 それで街に出ているのは、エレミア様じゃなくて君だと思ったんだ」
 顔がそっくりだってことはお父上から聞いていたし、と付け足す。
「…なんで、忘れてたんだと思う?」
 リアムの答えは必要としていないようで、ひとりで話しだす。
「現実から目を背けたかった。 君は主人としてきた彼女の立場と自分の立場が替わるのを恐れた。 父親に捨てられる彼女を哀れだと思った。 そんなことを考える自分が怖かった。 だから忘れた」
 カイはつらつらと勝手な想像を話し続ける。
「お嬢様を見捨てたら死んでしまう、ひとりで逃げたら、自分が殺すも同然だと思った」
 言葉は耳から入って心に突き刺さる。
「自分がお嬢様の生死を左右するのが怖かったから忘れたんだ」
 エレミアを守ろうとするのは、自分が離れたらお嬢様が捨てられてしまうと思ったから、…とうに捨てられているというのに。
 違うと言いたいのに、胸によみがえってくる恐怖が否定を許さない。
 リアムが葛藤していると、カイが突然口調を変えた。
「で、全部思い出したところで君はどうするのかな?」
「どうするって…、どういう意味ですか?」
 カイは黙って私が答えを見つけるのを待っていた。
「…あなたは縁談を受ける気がないんですか?」
 カイの態度を見ていると、そうとしか思えない。
「ご名答」
 謎解きに成功した子供を褒めるように笑う。
「本当ですか?」
「そんな嘘を吐いてなんの得があるんだ?」
「断るつもりなら、そんなまわりくどいことをする必要がないでしょう」
「君もわかってると思うけど、断るわけにはいかないからさ」
「…」
 たしかに、承知させたいのなら縁談を持ちかけても断れないような相手を選ぶだろう。
「俺の家は、この国で言えば準貴族と言われるような身分だけれど、広い土地と収入に恵まれてね」
 カイの国は海を挟んだその向こうの国らしい。家格は高くないものの所有する土地は広大にして豊穣であり、税収も良い。さらに先々代の当主が園芸好きで花の品種改良を進め、それを売りだすことでさらに財を蓄えたという
 その財力に父が目を付けた、それは理解できる。しかし…、わからないことがある。
 身分の差異だけでは断れないほどの理由にはならない。エレミアの身体が不自由であること、この国から遠すぎること、それだけでも断るには充分な理由になる。まして身代わりに別の娘を寄越すと言われては、相手を馬鹿にしている。
「そう、確かに縁を結ぶには遠すぎる。 …でも、そのほうがお父上には都合がいいんじゃないかな」
 目障りな娘を遠くへやることができる。暗に示された答えにはリアムも納得はできる。
「断れない理由とはなんですか?」
 埒があかないのでストレートに聞くことにした。
「それ相応の理由があるのでしょう」
 そう言うとカイは笑みを引っ込めて、改めてリアムを向いた。
「断れば、死ぬ」
 リアムは出てきた物騒な言葉に眉をひそめた。
「俺はこうみえても身体が弱くてね。 定期的に薬を摂取しないと生きていくことができない身体なんだ」
 半年前、必要とする薬の材料が急に手に入らなくなった。船便で運ばれるその植物は、この国の一部でしか生育しない。
「急に入って来なくなったのは誰かが止めているからだ。
 別に高騰するのはかまわない。 ただ、まったく入って来ないとなると困る。 だから誰の仕業か調べた」
 その先は言わなくてもわかった。
「まったく大した商売人だ。 先ごろ流行った病にもその植物が必要だとわかるやいなや、他国への出荷を停止したというわけさ」
「だから、父に会いに行ったんですか」
「ああ、ふざけたことを止めろとな。 だが流行病の治療ために必要だと言いはる。
 あの植物は育つ場所が限られているとはいえ、そこまで希少な物じゃない」
 父は値段を吊り上げるのが目的だったのだろうが、もっと大きい獲物が見つかった。
「薬草の代償は法外な値段と結婚ですか」
「市価の4倍の金でなら薬草を売ると言ったので、それを飲んだ。
 払えない金額でもないからな。そうしたらついでに娘を引き取れだと。
 あんな人間と縁者になるのは御免だが、いつまでもぐずぐずしていたら命が危ない」
 いつまで出荷を止める気なのかもわからない以上、ただ待っていることは出来なかった。カイは要求を飲んで薬草は手に入るようになった。
「流行病《はやりやまい》に必要な植物というと、輪石草ですか?」
「よく知ってたな」
「ええ、それなら最近隣国の国境付近でも見つかったと聞きましたが」
 父を通さずに隣国から手に入れればいい。リアムはそう思ったのだが、無理だという。
「俺もそれは考えたさ。 でもそこの領主が負けず劣らずの商売人でな、まだ数が少ないから他国には売れないだと。
 結託して値を吊り上げてるんじゃないかと思うほど頑固に売ろうとしない」
 たしか隣国で流行病が発生したとの話はなかったはずだ。カイが疑いたくなるのもわかる。
「でも結婚しないと言うなら、これからの薬はどうするんですか?」
「隣国でも見つかったのなら他の国にある可能性もあると思わないか?」
「まさかこれから探すつもりですか?」
 いったい何年かかるというのか。
「いや、今は領地でも育てられないか改良している。
 それまでの時間稼ぎを頼むつもりだったんだが、君たちがあんまり幼稚なことをやってるから、つい腹が立ってね」
「…」
 否定できなかった。リアムはくちびるを噛んでうつむく。
「…私に出来ることを教えてください」
 息を吸って顔を上げる。今まで何もしてこなかったのなら、これからすればいい。黙って待っているだけでは望むものは得られない。
「私のためにも、エレミア様のためにも、協力は惜しみません」
 エレミア様を守りたい。その心は変わらない。忘れて目を逸らしていた罪からも逃げない。
「愚かですね、本当に私は。自分の望みも忘れていたんですから」
「逃げるのだって悪いことじゃない。 ただし、度が過ぎなければな」
 カイが自ら過ちに気づいた生徒を見るような目で笑っている。その瞳を見てまた恥ずかしくなった。今までの自分がどれだけ幼かったか気づかされたから。
「もう、いいですよ。 自分がバカだったってわかりましたから…」
 赤くなりそうな頬を押さえる。そのとき視界の端で紅いものが閃いたような気がした。
「リアム!」
 一瞬の熱の後にずきずきとした痛みが襲ってくる。腕を見ると赤い線が走っている。
「エレミア…」
 その呟きに自分を斬りつけた人を見る。
「アルフレッド…」
 自分が弄んで捨てた少年。ナイフを構えるその形相にはかつての面影はない。
「リアム! こっちに来い!」
 声の方を見るとトレイズとラナが駆けてくるところだった。二人とも私が怪我をしていることに気がつくと表情が一変した。トレイズはリアムを庇いながらアルフレッドを強く睨みつけ、ラナは泣きそうな顔で私の傷を確認する。
 大丈夫、とラナに言い置いて前にでる。それを遮ったのはトレイズだった。
「危ないから前に出るな。 話は通じる状態じゃない」
「でも―――」
 反論しようとした私をカイが遮る。
「彼の言うとおりだ。 今は何を言っても無駄だ」
 カイは冷静に言葉を継ぐ。
「リアム。 君がどう関わっていようと犯罪行為に走った彼の行動に正当性はない」
 様子に気づいた自警団員が数人こちらに向かってくる。確かにカイの言うとおりで、私はアルフレッドを助ける言葉を持たなかった。
 連行されるアルフレッドを見て、自分の罪が純粋な少年も巻き込んでしまったことを知る。
 じっと彼が連れていかれた道を見ていた私の手をトレイズが包んだ。
「トレイズ…?」
「帰ろう。 ここにいても仕方がない」
 頷こうとしたところでラナが声を上げた。
「ところで、こちらの方は…」
 ラナはカイを見ている。紹介するどころではなかったから忘れていた。
「今ここで話をしておいたほうが円滑に進みそうだな」
「そうですね。 とりあえず、場所を変えましょうか」
 これからのことに話を移した私に、まずは手当を先にしろ、とトレイズが渋い顔で言い。ラナが慌てて消毒液や包帯を取り出した。
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