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5-3 大地に響く激闘
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ドラゴンの羽ばたきは力強く、思えばその背中に乗るのは初めてだった。
太い首筋は力強く、触れた指の先からその命の強さが伝わって来る。
何度目かのホバーリングで城は驚くほどに小さくなり、空を蹴り出すようにして祠のある山脈へと飛ぶ。
風を切る音は自分で飛ぶそれとは一線を画していた。
この生き物の引き起こすそれと僕のとでは虫と飛行機ほどに違う。
改めて「ドラゴン」と言う生き物の大きさに驚かされ、それと同時に「こんな奴らを相手に戦っている」という実感が恐れを生む。
本来人が渡り合えるような相手じゃないんだーー。
それこそ神話の世界、神々の使者である生き物。僕らが歯向かって良いものじゃない。
ーーけど、そうすると決めた。
目が覚めた時、空っぽになったベットの温度を思い出していた。
静まり返った部屋の中で僕は一人だった。
……失いたくない。奪わせたくなんてない――。
結梨だけじゃない。エシリヤさんを、エミリアを、ランバルトさんを。この国の人々を、この国の人々から決してこれ以上奪わせなんてしない。失わせたりなんてーーさせないっ……。
「落ち着いておるな」
山脈の麓に入ったあたりで主様が初めて口をひらいた。
「頭の中、読んでるんだったら分かるでしょ」
「いまはそんな力持っとらん」
「……?」
「アレは私があそこに縛られる事を案じたあのお方が敷いてくれた魔法じゃ。……今はもうない」
「……それを捨ててまでエミリアの元に?」
「守ることが使命だからの」
落ち着いた声色の中に少しだけ憂いが顔をのぞかせた気がした。
ただの魔法とはいえ、かつて「伝承の魔導士」と共にあった思い出だったんじゃないだろうか。
それを捨ててまであの二人を助けようとしてるなんてーー、
「……変わらず、同じほどに大切だというだけじゃよ」
「心の中読めてんじゃん」
「主ほど若造であらば考えることは分かるわい。余計な気遣いは無用じゃよ」
「そーですか」
かと言って、幾つになっても寂しさを感じる心は変わりないだろう。
僕にしてやれることはないけれど、せめて形だけでもとエシリヤさんがしたように赤いドラゴンの首を優しく撫でてやる。
偽物呼ばわりされても見た目は黒の魔導士そのものなんだから、多少の慰めになればいいんだけど。
「……無用じゃといっておろうに」
「うん」
これから迎える戦いの事は少しだけ隅に置いて、この国を守り続けてきたドラゴンに少しだけ思いを重ねた。
戦いが終わったら色々話を聞いてみるのもいいかもしれない。
それこそ、この「黒の魔導士」についてとか。
間近に迫った山脈は先日見たものと変わりないように思えた。
しかし祠のある山頂に着いてみればそれは勘違いだったことを思い知らされる。
「嘘だろ……」
ここだけ無事だとは思ってなかった。
けれど、ここが破壊されるとは思ってもみなかったーー。
目の前の祠への入り口は無残にも崩れ落ち、ただ山脈の中へと通じる大きな穴が空いているだけに過ぎない。
呆然とする僕をよそに主様はその体を地上へと下し、「ああ、それはワシのせいじゃよ」恥ずかしそうに言った。
「……え」
首から降りるように指示され地面に足をついて見上げると、気まずそうにドラゴンは目を背ける。
僅かばかりの冷や汗が見えるのは気のせいだろうか。
「造った時は出るときのことを考えておらんかったからな……仕方あるまい……」
「……そーですか」
追求するのは可哀想だからやめておこう。緊急事態だったわけだし、そもそもあのとき助けに来てくれなかったら全滅してた可能性すらある。
「ワシは戻るが……良いな?」
「うん。運んでくれてありがと」
「懐かしくて悪い心地はせんかったよ」
赤きドラゴンは微笑むと雄々しく再び羽ばたいた。
宙を舞い、青空の中を飛んで行《ゆ》く。
それは確かに神話の生物で、けれど、確かにそこに実在することを実感させるほどに力強かった。
向かう先は同胞が襲い来る国。
その戦いを一方的なものにさせないためにも、僕はこの下で待っている人を倒さなきゃいけない。
「っ……」
ぐっとお腹の奥の方に力が自然と籠った。
暗闇の中から微かに流れ出してくる魔力に混じってその息遣いが感じられそうだ。
「後悔は……したくない——、」
一歩、確かに踏み出すと崩れ落ちそうになる石畳をゆっくり踏みしめて暗闇の中へと降りていく。
先を照らす光はなく、魔法式を組み立て数メートル先を漂う光源を作ると浮かび上がるのは変わり果てた祠の内部だ。
これをやったのはここに住んでいた家主、そのものなんだけど、それでもこれから挑む戦いに向けて気持ちが自然と研ぎ澄まされていくようだった。
何も恨みがあるわけじゃない。
強いて言うならエミリアやエシリヤさんたちを傷つけ、この国をこんな風にしたことが許せない。結梨を手にかけた事が許せない——。
でも、ただそれだけだった。
いっときの怒りの感情は時間を経ることで落ち着きを覚え、今となってはただ冷静にその存在と向き合うことができる。
「ーーお待たせ、待った?」
僕が今、ぶん殴らなきゃいけない相手と、対峙することができる。
「……来てほしくは……なかったんだがな……。……得に貴様にはーー、」
暗闇の中。
住人がいなくなったことでもぬけの殻となった神殿の中でその男は待っていた。
足元で赤い光を放っているのは恐らくこの国を覆っている魔法の源だ。
あれを止めないことには人々は目を覚ますことはない。
ランバルトは見慣れた甲冑は脱ぎ捨て、ラフなワイシャツにマントを羽織っていた。その手には赤く、鈍く光る剣。それを握る腕には既に鱗が浮かび上がっており、やはりドラゴンと人間のハーフであることは間違いがないらしい。
「今からでも遅くないとは言わないけどさ、今なら一緒に謝ってやるから戻ってこいよ。アルベルトさんもゲンコツぐらいで済ませてくれるって」
「黙れ」
会話をするつもりはないらしい。
それ以上近づけば切ると言わんばかりに剣を握り、僕を睨みつける。
その気迫はアルベルトさんに向けられたそれと大して変わらなかった。
言ってどうこうなる問題ならこんな風に拗《こじ》れてないーー。分ってはいても出来れば戦いたくないと思うのは、やっぱり僕が戦士ではないからなんだろう。
いざ、戦うしかない状況に陥っても未だにこうして戦う以外の方法を模索している。
「無駄なことは考えるな。この魔法式は私が軸になっている。神殿を破壊したところで私を止めねば、術式は止まることはないーー」
「そりゃそっか。そうでもなきゃ中まで入れてくれないもんな」
こっそりマントの中で練ってた術式は改変。
地面の魔法陣からどうしても避けては通れない相手に狙いを変える。
変えたところで、結局不発に終わる可能性が高いけど。無駄にするよりかは良いだろう。
「やろうよ、アルベルト。あんたはさ、僕が止める」
指先から熱が奪われていくようだった。ゆっくりと、体温が下がるのを感じる。
「…………」
無言のままに構えられた剣先が全てを語る。避けられぬ戦いだと、決して分かり合えることはないのだと。
あたりに漂うのは濃厚な魔力の匂い。
それらは宙を漂い毛先に触れては髪を弄《もてあそ》んだ。チリチリと焼け付くように感じるのは錯覚か、それとも体内の魔力が反応してるのか。
互いに睨み合ったまま一瞬という長い静寂の後《のち》、僕らは同時に地面を蹴った。
アルベルトは懐《ふところ》に入り込むように真っ直ぐ僕の元へ、そして僕はそれを躱すために横へ。
同時に跳んで、交差する瞬間に練り上げた魔法陣を投げ放つ。
「突き上げる、大地の拳!」
狙いはアルベルトの足元。
踏みつけた大地に滑り込むようにして張り付いた二つの魔法陣はその大地を変質させ、二つの巨大な拳となって突き上げる。
「ヌゥっ……!」
踏みしめかけていた左足を強引に引き付け、斜めに前から突き出してきた一撃は体をよじって躱す。
バランスが崩れたところに追撃をかけようとするが、破裂音と共に岩の塊が飛んできた。
「つぉ……!?」
みれば、剣の横腹で突き上げた大地を打ち砕き、ホームランよろしく飛ばしてきたらしい。
もはや人間業(にんげんわざ)とは到底思えない力に驚愕する。
なんの魔法も使ってない、ただの力技だ。しかもそれを体勢の崩れた所からやってのけるーー、「面倒だなぁもうっ……!」
本当に人間じゃないんだな、あの人ーー。まっ、お互い様かもしれないけどーー……さッ……!!
防壁を生み出して破片を防ぎ、左腕を出したことで生まれた足元の死角を這うように疾走してきたバカを蹴り上げる。
無論、それは片手で受け止められた。
「っ……」
「今度は痺れはしないな」
「分かってりゃ上等!!!」
バチバチと耳元で電撃が鳴り響く、接近した体を貫かんと放たれた雷撃はそのまま地面へとぶつかり四散していく。
しかしそれを躱すために掴んだ足は離さなくてはならなくなった。
「ふんっ!」
左指先を振るい、両腕で雷撃を操る。
接近戦になったら敵うとは思えないーー、だったら距離を詰められないようにある程度の間合いを取っt「 天龍の雷 」「つをォ!?」僕の放った雷撃を噛みちぎって突き進んできた白色の電撃に危うく引き裂かれる所だった。咄嗟に身体を反らしたおかげで助かったけど、完全に威力では上をいかれてしまっているらしい。
剣で打ち放った姿勢のままこちらを睨むランバルトはやっぱり強い。
剣術を含む体捌きでは互角かもしれないけど、魔力ではこっちの方が不利だ。
……それってやっぱりドラゴンの血のなせる技って奴なのかなぁ。
魔導書に記されていた魔法では太刀打ちできない。きっとこれは魔法式に注ぎ込まれる「魔力の量」の差だ。
人とドラゴン、絶対的な力の差を叩きつけられているような気がする。
「けど、だからって諦めるわけにもいかないしね……」
不利なのは承知の上だ。
それを覆すために何度もアルベルトさんに挑んだ。
「来なよアルベルト! 余裕のつもりならこっちからーー、「くだらん」「はっ……?」
目で、追うことすらままならなかった。
「それが黒の魔導士と期待された者の力か」
「しまッーー、」
強打。
すぐ後ろにアルベルトの存在を感じ、咄嗟に距離を取り障壁を再び発生させるーー。そんな思考さえも届かぬうちに思いっきり薙ぎ払われた。
「ぐっ、あっ、でっ、あ゛っ……?!」
地面を跳ね、転がってようやく止まる。
歯を食いしばって顔を上げるとすぐそこにつま先が飛び込んできた。
「ぎっ……!!」
もはや条件反射に過ぎない。
ただ転がり、口の中に広がる血の味を忌まわしく思う。
「期待はずれとしか言いようがないな」
「勝手に期待してんじゃねーよ……」
強すぎるーー、次元が違うんだ……きっと……。
膝に手をつき、なんとか立ち上がるけれど腕が震えた。
本能的に危機を察して……いや、心が折れかけてるんだ、きっと。
「これで最後だ。……これ以上首をつっこむな、お前には関係ないだろう。この国は……お前の知らぬ世界の話だ……!」
「……?」
「記憶なら私が共に探してやる……だから今は手を引けっ……!」
アルベルトは別に僕が異世界から来たなんてこれっぽっちも思ってない。
でも、こいつの言ってることは正しい。
関係ない、知らない世界の話だ。
そりゃそうだ、まだこっちの世界にきて一週間ぐらいしか経ってない。他にどんな人が住んでいるのかも知らないし、ドラゴンと人がどうして戦ってるのかもイマイチわかってない。テレビの向こう側でニュースキャスターが読み上げる原稿や、そこに映し出される戦争の映像と同じだ。
僕には関係ない。違う世界の話だーー。
けど、でも、僕はそこで『一週間も』生きてきた。
「……関わらない方がいいって思ったし、関わったってろくなことないなんて最初から分かってた……でも、目の前で泣いてる人がいたら見過ごすなんて僕にはできないッ……」
結梨がそうだった。
結梨もそうだった。
目の前で泣いている奴を放っておけなんだ。あいつは。
目の前で泣いてるのを放っておけないんだ、僕は。
結梨を泣かせたくない、エミリアを、エシリヤさんを、アルベルトさんを悲しませたくなんてない——、
「だから僕はお前も助けるって決めたんだ!!」
ただの突進だった。
魔力を練りつつもただ一直線にランバルトに向かい、地を蹴る。
「見捨てない……!!! 見捨ててたまるか!!!!」
「ならばここでしばらく眠っていろォッ!!」
重なる怒号。振り下ろされる剣先。
地を蹴り、跳躍したタイミングで障壁を前に作り「それを足場に」後ろに飛ぶと宙から幾つかの魔法式を組み立て、魔法陣を貼り出す。
ベギィ、と片目を瞑ってしまうほどの軋みを響かせて障壁を無理やり引きちぎったランバルトは僕を追いかけてくる。
「ダンシングドレイク!!」
詠唱も破棄し、中身の詰まっていない目くらましでしかない雷撃が周囲を掻き乱す。
そんな中からも的確に突き抜けてきた白い一撃を左手で障壁を生みだ「ダッ……!!!!」した所で受け止めきれず、歯を噛みしめる羽目になったケドっ……、「やられてたまるかよっ!!!」練っていた右手の魔法式を解凍する。
「氷結の監獄!」
それは空気中の大気を奪い、僕を中心に幾つもの鋭い線となってアルベルトに襲いかかる。
「笑止ッ!」
「なのも今の内だッ……!!」
それは起爆剤でしかない。
空中に固定されていた「他の魔法式」はそれに応じて発動していく。
青白い光が空中に線を描き、凍てつく冷気と共にアルベルトを包み込んでいく。
単体で敵わないなら数で押しきるッ……!!
単純な足し算じゃ届かないから掛け算だった。
幾つかの魔法陣を呼応させることで威力を増し、現れる現象を干渉させ、その結果を魔法で操ることによって魔法陣の相乗効果を底上げする。
氷の棘によって自由を奪う「氷結の監獄」に組み合わせたのは「白銀の鎖《グラビティ・グングニール》」と「大天使の守護領域《エンジェリング・フィールド》」、神をも縛り付ける鎖は氷で出来ており、その身の能力を低下させる。そしてそれを引きちぎろうとも守護を纏わせ、強度を上げさせた。
あくまでもそれぞれの魔法を「制御して」組み合わせただけの力技で上手くいったからと言って本当にそれだけの威力を出せるとは思えなかった。
ーーけれど、その思惑は然るべきところにハマってくれたらしい。
「は……ははは……」
目の前のアルベルトは全身を鎖で縛られ、その上で氷で固められて身動きが取れなくなっている。
そのまま砕けば全身粉々になってしまいそうなほど綺麗な「氷の彫刻」だった。
「……はァあぁあ……」
思わず膝から力が抜けて腰から崩れ落ちた。
ぺたん、と床に座り込んで見上げる。なんとかなった。安堵感に吐息を漏らす。
「一応の封印は完了……って所かな……、あとは魔法陣を止めて……、……止め……」
……?
太い首筋は力強く、触れた指の先からその命の強さが伝わって来る。
何度目かのホバーリングで城は驚くほどに小さくなり、空を蹴り出すようにして祠のある山脈へと飛ぶ。
風を切る音は自分で飛ぶそれとは一線を画していた。
この生き物の引き起こすそれと僕のとでは虫と飛行機ほどに違う。
改めて「ドラゴン」と言う生き物の大きさに驚かされ、それと同時に「こんな奴らを相手に戦っている」という実感が恐れを生む。
本来人が渡り合えるような相手じゃないんだーー。
それこそ神話の世界、神々の使者である生き物。僕らが歯向かって良いものじゃない。
ーーけど、そうすると決めた。
目が覚めた時、空っぽになったベットの温度を思い出していた。
静まり返った部屋の中で僕は一人だった。
……失いたくない。奪わせたくなんてない――。
結梨だけじゃない。エシリヤさんを、エミリアを、ランバルトさんを。この国の人々を、この国の人々から決してこれ以上奪わせなんてしない。失わせたりなんてーーさせないっ……。
「落ち着いておるな」
山脈の麓に入ったあたりで主様が初めて口をひらいた。
「頭の中、読んでるんだったら分かるでしょ」
「いまはそんな力持っとらん」
「……?」
「アレは私があそこに縛られる事を案じたあのお方が敷いてくれた魔法じゃ。……今はもうない」
「……それを捨ててまでエミリアの元に?」
「守ることが使命だからの」
落ち着いた声色の中に少しだけ憂いが顔をのぞかせた気がした。
ただの魔法とはいえ、かつて「伝承の魔導士」と共にあった思い出だったんじゃないだろうか。
それを捨ててまであの二人を助けようとしてるなんてーー、
「……変わらず、同じほどに大切だというだけじゃよ」
「心の中読めてんじゃん」
「主ほど若造であらば考えることは分かるわい。余計な気遣いは無用じゃよ」
「そーですか」
かと言って、幾つになっても寂しさを感じる心は変わりないだろう。
僕にしてやれることはないけれど、せめて形だけでもとエシリヤさんがしたように赤いドラゴンの首を優しく撫でてやる。
偽物呼ばわりされても見た目は黒の魔導士そのものなんだから、多少の慰めになればいいんだけど。
「……無用じゃといっておろうに」
「うん」
これから迎える戦いの事は少しだけ隅に置いて、この国を守り続けてきたドラゴンに少しだけ思いを重ねた。
戦いが終わったら色々話を聞いてみるのもいいかもしれない。
それこそ、この「黒の魔導士」についてとか。
間近に迫った山脈は先日見たものと変わりないように思えた。
しかし祠のある山頂に着いてみればそれは勘違いだったことを思い知らされる。
「嘘だろ……」
ここだけ無事だとは思ってなかった。
けれど、ここが破壊されるとは思ってもみなかったーー。
目の前の祠への入り口は無残にも崩れ落ち、ただ山脈の中へと通じる大きな穴が空いているだけに過ぎない。
呆然とする僕をよそに主様はその体を地上へと下し、「ああ、それはワシのせいじゃよ」恥ずかしそうに言った。
「……え」
首から降りるように指示され地面に足をついて見上げると、気まずそうにドラゴンは目を背ける。
僅かばかりの冷や汗が見えるのは気のせいだろうか。
「造った時は出るときのことを考えておらんかったからな……仕方あるまい……」
「……そーですか」
追求するのは可哀想だからやめておこう。緊急事態だったわけだし、そもそもあのとき助けに来てくれなかったら全滅してた可能性すらある。
「ワシは戻るが……良いな?」
「うん。運んでくれてありがと」
「懐かしくて悪い心地はせんかったよ」
赤きドラゴンは微笑むと雄々しく再び羽ばたいた。
宙を舞い、青空の中を飛んで行《ゆ》く。
それは確かに神話の生物で、けれど、確かにそこに実在することを実感させるほどに力強かった。
向かう先は同胞が襲い来る国。
その戦いを一方的なものにさせないためにも、僕はこの下で待っている人を倒さなきゃいけない。
「っ……」
ぐっとお腹の奥の方に力が自然と籠った。
暗闇の中から微かに流れ出してくる魔力に混じってその息遣いが感じられそうだ。
「後悔は……したくない——、」
一歩、確かに踏み出すと崩れ落ちそうになる石畳をゆっくり踏みしめて暗闇の中へと降りていく。
先を照らす光はなく、魔法式を組み立て数メートル先を漂う光源を作ると浮かび上がるのは変わり果てた祠の内部だ。
これをやったのはここに住んでいた家主、そのものなんだけど、それでもこれから挑む戦いに向けて気持ちが自然と研ぎ澄まされていくようだった。
何も恨みがあるわけじゃない。
強いて言うならエミリアやエシリヤさんたちを傷つけ、この国をこんな風にしたことが許せない。結梨を手にかけた事が許せない——。
でも、ただそれだけだった。
いっときの怒りの感情は時間を経ることで落ち着きを覚え、今となってはただ冷静にその存在と向き合うことができる。
「ーーお待たせ、待った?」
僕が今、ぶん殴らなきゃいけない相手と、対峙することができる。
「……来てほしくは……なかったんだがな……。……得に貴様にはーー、」
暗闇の中。
住人がいなくなったことでもぬけの殻となった神殿の中でその男は待っていた。
足元で赤い光を放っているのは恐らくこの国を覆っている魔法の源だ。
あれを止めないことには人々は目を覚ますことはない。
ランバルトは見慣れた甲冑は脱ぎ捨て、ラフなワイシャツにマントを羽織っていた。その手には赤く、鈍く光る剣。それを握る腕には既に鱗が浮かび上がっており、やはりドラゴンと人間のハーフであることは間違いがないらしい。
「今からでも遅くないとは言わないけどさ、今なら一緒に謝ってやるから戻ってこいよ。アルベルトさんもゲンコツぐらいで済ませてくれるって」
「黙れ」
会話をするつもりはないらしい。
それ以上近づけば切ると言わんばかりに剣を握り、僕を睨みつける。
その気迫はアルベルトさんに向けられたそれと大して変わらなかった。
言ってどうこうなる問題ならこんな風に拗《こじ》れてないーー。分ってはいても出来れば戦いたくないと思うのは、やっぱり僕が戦士ではないからなんだろう。
いざ、戦うしかない状況に陥っても未だにこうして戦う以外の方法を模索している。
「無駄なことは考えるな。この魔法式は私が軸になっている。神殿を破壊したところで私を止めねば、術式は止まることはないーー」
「そりゃそっか。そうでもなきゃ中まで入れてくれないもんな」
こっそりマントの中で練ってた術式は改変。
地面の魔法陣からどうしても避けては通れない相手に狙いを変える。
変えたところで、結局不発に終わる可能性が高いけど。無駄にするよりかは良いだろう。
「やろうよ、アルベルト。あんたはさ、僕が止める」
指先から熱が奪われていくようだった。ゆっくりと、体温が下がるのを感じる。
「…………」
無言のままに構えられた剣先が全てを語る。避けられぬ戦いだと、決して分かり合えることはないのだと。
あたりに漂うのは濃厚な魔力の匂い。
それらは宙を漂い毛先に触れては髪を弄《もてあそ》んだ。チリチリと焼け付くように感じるのは錯覚か、それとも体内の魔力が反応してるのか。
互いに睨み合ったまま一瞬という長い静寂の後《のち》、僕らは同時に地面を蹴った。
アルベルトは懐《ふところ》に入り込むように真っ直ぐ僕の元へ、そして僕はそれを躱すために横へ。
同時に跳んで、交差する瞬間に練り上げた魔法陣を投げ放つ。
「突き上げる、大地の拳!」
狙いはアルベルトの足元。
踏みつけた大地に滑り込むようにして張り付いた二つの魔法陣はその大地を変質させ、二つの巨大な拳となって突き上げる。
「ヌゥっ……!」
踏みしめかけていた左足を強引に引き付け、斜めに前から突き出してきた一撃は体をよじって躱す。
バランスが崩れたところに追撃をかけようとするが、破裂音と共に岩の塊が飛んできた。
「つぉ……!?」
みれば、剣の横腹で突き上げた大地を打ち砕き、ホームランよろしく飛ばしてきたらしい。
もはや人間業(にんげんわざ)とは到底思えない力に驚愕する。
なんの魔法も使ってない、ただの力技だ。しかもそれを体勢の崩れた所からやってのけるーー、「面倒だなぁもうっ……!」
本当に人間じゃないんだな、あの人ーー。まっ、お互い様かもしれないけどーー……さッ……!!
防壁を生み出して破片を防ぎ、左腕を出したことで生まれた足元の死角を這うように疾走してきたバカを蹴り上げる。
無論、それは片手で受け止められた。
「っ……」
「今度は痺れはしないな」
「分かってりゃ上等!!!」
バチバチと耳元で電撃が鳴り響く、接近した体を貫かんと放たれた雷撃はそのまま地面へとぶつかり四散していく。
しかしそれを躱すために掴んだ足は離さなくてはならなくなった。
「ふんっ!」
左指先を振るい、両腕で雷撃を操る。
接近戦になったら敵うとは思えないーー、だったら距離を詰められないようにある程度の間合いを取っt「 天龍の雷 」「つをォ!?」僕の放った雷撃を噛みちぎって突き進んできた白色の電撃に危うく引き裂かれる所だった。咄嗟に身体を反らしたおかげで助かったけど、完全に威力では上をいかれてしまっているらしい。
剣で打ち放った姿勢のままこちらを睨むランバルトはやっぱり強い。
剣術を含む体捌きでは互角かもしれないけど、魔力ではこっちの方が不利だ。
……それってやっぱりドラゴンの血のなせる技って奴なのかなぁ。
魔導書に記されていた魔法では太刀打ちできない。きっとこれは魔法式に注ぎ込まれる「魔力の量」の差だ。
人とドラゴン、絶対的な力の差を叩きつけられているような気がする。
「けど、だからって諦めるわけにもいかないしね……」
不利なのは承知の上だ。
それを覆すために何度もアルベルトさんに挑んだ。
「来なよアルベルト! 余裕のつもりならこっちからーー、「くだらん」「はっ……?」
目で、追うことすらままならなかった。
「それが黒の魔導士と期待された者の力か」
「しまッーー、」
強打。
すぐ後ろにアルベルトの存在を感じ、咄嗟に距離を取り障壁を再び発生させるーー。そんな思考さえも届かぬうちに思いっきり薙ぎ払われた。
「ぐっ、あっ、でっ、あ゛っ……?!」
地面を跳ね、転がってようやく止まる。
歯を食いしばって顔を上げるとすぐそこにつま先が飛び込んできた。
「ぎっ……!!」
もはや条件反射に過ぎない。
ただ転がり、口の中に広がる血の味を忌まわしく思う。
「期待はずれとしか言いようがないな」
「勝手に期待してんじゃねーよ……」
強すぎるーー、次元が違うんだ……きっと……。
膝に手をつき、なんとか立ち上がるけれど腕が震えた。
本能的に危機を察して……いや、心が折れかけてるんだ、きっと。
「これで最後だ。……これ以上首をつっこむな、お前には関係ないだろう。この国は……お前の知らぬ世界の話だ……!」
「……?」
「記憶なら私が共に探してやる……だから今は手を引けっ……!」
アルベルトは別に僕が異世界から来たなんてこれっぽっちも思ってない。
でも、こいつの言ってることは正しい。
関係ない、知らない世界の話だ。
そりゃそうだ、まだこっちの世界にきて一週間ぐらいしか経ってない。他にどんな人が住んでいるのかも知らないし、ドラゴンと人がどうして戦ってるのかもイマイチわかってない。テレビの向こう側でニュースキャスターが読み上げる原稿や、そこに映し出される戦争の映像と同じだ。
僕には関係ない。違う世界の話だーー。
けど、でも、僕はそこで『一週間も』生きてきた。
「……関わらない方がいいって思ったし、関わったってろくなことないなんて最初から分かってた……でも、目の前で泣いてる人がいたら見過ごすなんて僕にはできないッ……」
結梨がそうだった。
結梨もそうだった。
目の前で泣いている奴を放っておけなんだ。あいつは。
目の前で泣いてるのを放っておけないんだ、僕は。
結梨を泣かせたくない、エミリアを、エシリヤさんを、アルベルトさんを悲しませたくなんてない——、
「だから僕はお前も助けるって決めたんだ!!」
ただの突進だった。
魔力を練りつつもただ一直線にランバルトに向かい、地を蹴る。
「見捨てない……!!! 見捨ててたまるか!!!!」
「ならばここでしばらく眠っていろォッ!!」
重なる怒号。振り下ろされる剣先。
地を蹴り、跳躍したタイミングで障壁を前に作り「それを足場に」後ろに飛ぶと宙から幾つかの魔法式を組み立て、魔法陣を貼り出す。
ベギィ、と片目を瞑ってしまうほどの軋みを響かせて障壁を無理やり引きちぎったランバルトは僕を追いかけてくる。
「ダンシングドレイク!!」
詠唱も破棄し、中身の詰まっていない目くらましでしかない雷撃が周囲を掻き乱す。
そんな中からも的確に突き抜けてきた白い一撃を左手で障壁を生みだ「ダッ……!!!!」した所で受け止めきれず、歯を噛みしめる羽目になったケドっ……、「やられてたまるかよっ!!!」練っていた右手の魔法式を解凍する。
「氷結の監獄!」
それは空気中の大気を奪い、僕を中心に幾つもの鋭い線となってアルベルトに襲いかかる。
「笑止ッ!」
「なのも今の内だッ……!!」
それは起爆剤でしかない。
空中に固定されていた「他の魔法式」はそれに応じて発動していく。
青白い光が空中に線を描き、凍てつく冷気と共にアルベルトを包み込んでいく。
単体で敵わないなら数で押しきるッ……!!
単純な足し算じゃ届かないから掛け算だった。
幾つかの魔法陣を呼応させることで威力を増し、現れる現象を干渉させ、その結果を魔法で操ることによって魔法陣の相乗効果を底上げする。
氷の棘によって自由を奪う「氷結の監獄」に組み合わせたのは「白銀の鎖《グラビティ・グングニール》」と「大天使の守護領域《エンジェリング・フィールド》」、神をも縛り付ける鎖は氷で出来ており、その身の能力を低下させる。そしてそれを引きちぎろうとも守護を纏わせ、強度を上げさせた。
あくまでもそれぞれの魔法を「制御して」組み合わせただけの力技で上手くいったからと言って本当にそれだけの威力を出せるとは思えなかった。
ーーけれど、その思惑は然るべきところにハマってくれたらしい。
「は……ははは……」
目の前のアルベルトは全身を鎖で縛られ、その上で氷で固められて身動きが取れなくなっている。
そのまま砕けば全身粉々になってしまいそうなほど綺麗な「氷の彫刻」だった。
「……はァあぁあ……」
思わず膝から力が抜けて腰から崩れ落ちた。
ぺたん、と床に座り込んで見上げる。なんとかなった。安堵感に吐息を漏らす。
「一応の封印は完了……って所かな……、あとは魔法陣を止めて……、……止め……」
……?
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