百葉箱はパンドラの箱

ぐう

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 ももが空き時間に一人で一昨年と昨年の予算の内訳をすり合わせていると、北方翼が入ってきた。

「講義は?」

「休講」

「ふーん」

「俺、謝りたいんだ。加藤百葉かとうももはに」















 私、西条百葉ももはは小学校までネグレクトを受けていた。


 私の母は関西の財閥系の旧家のお嬢様だった。小学校から大学まで関西で有名なお嬢様学校に進学し、そのまま家の決めた同じような家柄の人に嫁ぐ予定だった。それが何を狂ったか大学時代に知り合った他の大学の学生と恋に落ち、母は婚前に私を身ごもり、大学卒業とともに手に手を取って、東京に駆け落ちした。

 父は一応大卒だったが、旧家のお金持ちのお嬢様を満足させるような収入はなく、かと言って母は自分で働くなどあり得なく、産んだ私をどうにも面倒など見られなく、死なない程度に食料与えるのがやっとだったらしい。父は母を満足させるために夜中まで働いていて、私のことなど目に入らなかったらしい。


 私は幼稚園にも行けず、子供の処世術も分からずに小学校に入れられた。サイズの合わない洗濯が行き届かない服を着て、ろくに髪を梳かしてない、汚ない痩せた子供。それが私。


 こんな子供はあっという間にいじめのターゲットにされた。女子グループから執拗に嫌がらかせを受けていた。ノートもろくに買ってもらってなかったので、入学祝いに区から贈られたノート数冊を大事に使っていたのを隠されてしまった。主犯のクラスの女王は言った。

「あんたの大事なものはあんたの中に入ってるよ」

 だから探せと。私は自分の下駄箱やロッカーを探したが無い。



 北方翼はそんな小学校で女子の憧れの王子様だった。私は生きるのに必死だったので、何の感慨もなかったが、北方翼と話すと言うことだけでも女子達にはステータスなのでお互い牽制しあっていた。 

 そんな女子の憧れの王子様だった北方翼が私の隠されたノートの場所を教えてくれた。なぜ隠されたことを知っていたのかは分からない。同じクラスと言うだけで接点はなかった。まあ、気の強い女王様タイプのいじめ主犯に逆らう男子はいないだろうから、他の男子とも話したことはなかったが。

 北方翼が教えてくれた場所は、校庭の隅にあった朽ちかけた百葉箱。百葉ももはが私の名前だが、いじめグループには百葉箱と呼ばれていた。校庭の隅にあるもう使われることのない色褪せた百葉箱の存在が私と同じだからとそっくりだと。なるほど勉強のできない主犯にしては、ひねったなと感心した。


 前日からの雨に朽ちかけた百葉箱は隙間から雨が染み、中に入れられたノートは水を吸って膨らんでいた。

「ごめん。俺が気がついた時に出しておけばよかった」

 北方翼は黙りこんで、ノートを握りしめる私の周りでおろおろしていた。そして自分のリュックの中から新品のノートを一冊くれた。そんなところをいじめグループの使い走りに見られていた。私が一人で取りに来たら笑い者にするつもりだったのだろう。北方翼が付いてきたことで、驚いて主犯の女王様に注進したようだった。


 次の日の放課後、校庭の隅にある百葉箱の前に呼び出された。上履きを取られたので行くしかなかった。すでにサイズが合わずにかかとを踏んで履いてる上履きでもそれしかなかったからだ。

「あんた、何を勘違いしてるの?翼くんに色目使って。ガリガリのブスのくせに、翼くんにもらったノートを出しなさいよ。」

 突き飛ばされ、雨でぬかるんだ校庭の泥でグチャグチャになった。北方翼にもらったから渡したくないのでなく、これがないと授業を受けれないから必死に守った。

 そこに北方翼が来た。なぜ来たかは知らない。来たら余計にいじめられるから、来て欲しくなかった。

「何してるんだ」

「翼くん こいつ翼くんを好きなんだって。身の程知らせてやってるのよ。ノートをもらったからって両思いだとか思ってるのよ。」

 おい、いつ誰がそんなこと言った。

「馬鹿か 俺がこいつを好きなわけない。いつも俯いてるようなやつ」

 主犯は嬉しそうに

「そうよねぇ。翼くんは私みたいに、クラスで人気のある子が好きよねぇ」

と北方翼の腕を掴んだ。人気?脅威による支配の間違いじゃないかと、思ったが主犯の気がそれたので、上履きをつかみダッシュで逃げた。



 そして次の日から私はその小学校からいなくなった。いじめを担任が気がついたわけでなく、昨年の担任が児童相談所にネグレクトで通報してたからだ。何がどう話がいったか分からないが、母親の両親が私達家族を迎えに来た。母は祖父母を見て号泣していたが、祖父母は私を抱き上げ、両親に雷を落としていた。


 私は栄養失調一歩手前だったらしく診察後即入院になった。祖母は酷いことをすると泣き、祖父はあの娘に子育てはさせんと怒っていた。

 三ヶ月の入院で、子供らしい身体付きを手に入れた。身体と顔に肉がつくとまるで見知らぬ他人のようになった。祖父母は喜び、女の子らしい綺麗な服を買ってくれた。その後私は両親のもとに戻らず、祖父母主導で私立小学校に入れられた。私は家でも学校でも居場所がなかったので、図書館に篭って乱読しているような子供だったので、編入試験は意外とすんなり通った。

 祖父母の家から、私立小学校に通った。一年ぐらいして両親に再会した。父は祖父の持つ会社の関連会社に再就職し、母は家に家政婦のいるお嬢様の生活に戻っていた。私のために離婚は許さないと祖父が言ったらしかった。両親は母の苗字に変えていた。婿養子ではないらしい。自然と私も母の旧姓の西条になった。母はお嬢様をさせてくれれば、私の面倒は見ないけど、精神的に落ち着いた。
 父は縁故採用なので仕事に精一杯のようで、私にかまわなかった。代わりに祖父母が私を人間にしてくれた。

 それでもネグレクトされた頃の汚くて痩せっぽちに対する人々の眼は忘れたことはない。現在、容姿をもてはやされても、私は所詮汚くて痩せっぽちなんだと思ってる。私が傲慢にもわがままにもならず、醒めた眼で世間を見られるのは、あの時救ってくれた北方翼ですら、私を悪し様に言うのだと知って諦めを覚えた事で得た処世術だ。
 だから今の私は北方翼のおかげで作られたとも言える。その北方翼が私の旧姓を覚えていて、謝るとはどう言うことなんだ?しかも別人になったと祖母に言われた私をなぜ見分けたのか?
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