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第1話 空の秩序にして契約なき忠誠
第1節 帝国東方交易省・空中要塞《セレスティア第七環》
しおりを挟む雲海を裂くように進む鋼鉄の浮遊艦。その巨躯はまるで空に打ち込まれた楔であり、風の支配を人の手で封じ込める暴力的な象徴でもあった。
名は《セレスティア第七環》。帝国東方交易省が設けた空中行政要塞群のうち、もっとも東縁の浮遊域に位置する重拠点である。地図上では省略されがちなこの“環”と呼ばれる構造物は、実のところ一つの都市機能を備えた“空中都市”そのものであり、税関・軍営・官舎・監査庁・法廷・貯蔵庫をすべて内包する、空中行政の化け物だった。
そして、その中央塔にある交易総督執務室――帝国による支配を空に掲げる意志の中枢に、“鋼鉄の令嬢”はいた。
レティシア・クロード。
帝国東方交易省・交易総督。セレスタイン帝国がその空域に送り込んだ、権限と威光の代理人。見た目は20代半ばの金髪の女性。だがその瞳には、貴族的な虚飾でも、士官的な熱意でもなく、官僚的冷徹と制度的暴力が宿っていた。
「……本日分の輸出許可、東回航路第十一島“アクレナ”まで。署名、捺印。次」
無機質な声が響くたびに、巨大な執務机の上に積み上がる書類の山が一枚ずつ減っていく。
交易証票、航路許可、植民統制契約、現地徴税調整通知……そのすべてに、彼女は眉一つ動かさず淡々と印を押していく。
その指の動きには機械的な正確さがありながら、何故か見る者に威圧感を与えた。
――いや、正確に言えば、“印を押す”ことにすら威圧を感じさせる女だった。
その執務室には、幾人かの補佐官や参事が待機していたが、誰一人、無用な言葉を発しなかった。
会話を避けるのではない。言葉が不要なのだ。
この女は、命令も報告も、最小限の語彙で最大限の効果を叩き出す。
それは才覚か、恐怖か、あるいは異質か――。
帝国官僚たちはしばしば彼女をこう呼んだ。
“帝国の命令書が歩いている”。
「総督、報告を。西航路三号島、交易拠点“ベル・エンハルド”にて商館爆破の情報。現地管理官より緊急通報あり。空賊の関与が濃厚かと――」
補佐官の一人が一歩前へ出て、冷や汗をかきながら声を発した。
言外にあったのはこうだ。「またか」という絶望的な疲労。そして「ご命令を」という事務的懇願。
しかしレティシアは一瞬だけ視線を上げると、声を出すことなく、机上の報告書を一瞥した。
そこに書かれていたのは、予測通りの惨状だった。
物資の強奪、倉庫の爆破、領主代理の逃亡、証拠隠滅。お決まりの空賊様式。
「……監査命令を。第七環所属の審問官三名を現地派遣。省兵一個小隊を同行させ、報告者含め関係者の尋問および調整を。証言拒否、逃亡、沈黙、いずれも“敵対的黙秘”と見なすよう通達せよ」
「了解、即時伝達いたします」
命令はわずか二文で完結した。だがその内容は、徹底した“支配”そのものだった。
法理的には「監査」だが、実態は半ば軍政下の戒厳行動。
“帝国東方交易省”という存在は、交易と監査を名目に空中航路の政治的支配を担っている。
その支配の牙が向いた時、抗う者には制度の冷たい刃が突きつけられる。
それでも、省兵は精鋭ではない。臆病で、粗野で、貪欲な寄せ集めだ。
だが数で制圧し、命令で動かせば、それで十分だった。
数こそが秩序であり、制度の基礎だ。
――少なくとも、この世界では。
「……空賊は自由を好むという。では、規律は圧政と呼ばれるべきか」
誰にともなく、あるいは自分に向けての独白だった。
補佐官たちは答えない。ただ沈黙のまま、彼女の背に従う。
その日、浮遊艦《セレスティア第七環》は再びゆっくりと進路を変えた。
東の監査空域、浮遊島“アクレナ”への航路。
そこには、交易と自由の名の下に、帝国の統治を拒む者たちがいた。
そしてそこに向かうは、“契約よりも命令を愛する女”――帝国の監査官にして、支配の体現者、レティシア・クロード。
命令を、紅茶よりも好む女の物語が、今、再び空に刻まれようとしていた。
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