1 / 22
第1話
第1節 終電帰りとブラックオフィスの最果てで
しおりを挟む終電は、とうに出ていた。
時計の針は午前二時を回っている。深夜の都心、無人の高層ビル群の中で、フロアの片隅だけが不自然に灯っていた。オフィスの蛍光灯が一列だけ点きっぱなしになっているのは、ビル管理のミスではない。そこに“まだ誰かが働いている”という事実が、異常なまでの静寂の中で逆に際立っていた。
壁際の非常灯が、まるで見張りのように青白い光を放っている。規則通りに照らされるそれは、むしろ監視灯のようだった。
その下、黒髪の女が一人、プリンターの排紙トレイから熱を持った紙を拾い上げていた。
彼女の名は、加納司――読みは“かのう つかさ”。大手人材系企業の人事部に所属し、役職は部長代理。とはいえ、実際の業務は主任も同然で、現場対応・部内調整・役員報告と、三役を一人でこなしているような存在だった。
部下は三人。だが一人は育休、もう一人は今月二度目のメンタル休職。残る一人は、来週辞める予定である。
そして加納自身は、いま上司の名を騙って文書の修正指示を出しながら、**“来月の人事異動をどう虚偽記載せずにすり抜けるか”**を考えていた。
彼女は、ただ“それが仕事だから”という理由で、まだ帰っていなかった。
熱を帯びた紙。よく見ると、上部のロゴが少し滲んでいる。プリンターも限界なのだ。人間と同じで、休ませずに使い続ければ、性能は落ちる。
“自分もそうだ”と、彼女は思った。
だが思っただけで、彼女は席に戻る。腰を下ろし、ブラウザを開き、承認フローの確認作業に入った。
赤いマーカーがついた箇所にカーソルを合わせ、クリック、チェック、スクロール、戻る。
光の点滅とキーボードの音。唯一の生活音。背後の夜は、都市の底で息をひそめていた。
「ここ……“差し戻し”ってついてるけど、フラグは“完了済”。つまり、見なかったことにされてるな」
彼女は誰にも聞かれない独り言をつぶやく。
声は低く、落ち着いていて、感情はこもっていない。
だが画面の先にいる“何か”に対して、粛々と裁きを下す者の口調だった。
無感情に見えるが、それは“疲れ果てた精度の高さ”だ。
彼女はずっと正確だった。常に冷静に、数値と人間と空気の間で、限界すれすれの選択を続けてきた。
だからこそ、彼女の身体がその正確性を維持できなくなったことに――本人だけが気づけなかった。
立ち上がった瞬間、床が揺れた。いや、揺れたのは頭か。耳鳴りのようなノイズ。視界の端が暗くなる。何かが倒れた音がした。だが音の方向が、現実と一致していない。
――やばい。これは、ほんとうに。
脳が警告を発したが、口には出さない。
次の瞬間、蛍光灯の光が歪み、赤いフィルターが視界に差し込んだ。
目を閉じた。いや、閉じさせられた。
息が抜け、肩の力が抜ける。椅子の背もたれが異様に遠く感じられた。
意識が――
落ちた。
*
目を開けたとき、最初に思ったのは「蛍光灯の色が変わった?」という職業病的な疑問だった。
だがそれはすぐ否定される。
まず視界に入ったのは、黒曜石のように黒く光る天井。微細な魔方文字のような文様が、光と呼吸のように脈動している。
空気が重い。皮膚ではなく、肺の中に“魔力”のようなものが直接入り込む感覚があった。
そして何より――足元に“書類”がある。
契約書。巻物型。蝋印付き。円状に山積みになっている。
上司からの業務引継ぎかと思ったが、明らかに“紙の気配”が違う。
感覚が嘘をついていないなら、ここは“会社”ではない。
だが、そうであっても――自分は、また**“人事部屋”にいる**気がしてならなかった。
そのとき、前方から足音。
高く、大きく、空間に響く。
顔を上げた。
巨大な影がいた。仮面のような顔。角の生えた頭部。黒いローブ。全身から“気圧”が漏れていた。
無言のまま、こちらを見下ろしている。
加納司――いまやカナスとなる彼女は、静かに理解した。
これは“面談”ではない。
これは――召喚だ。
冷静な判断が、感情よりも先に彼女を支配した。
20
あなたにおすすめの小説
異世界転生特典『絶対安全領域(マイホーム)』~家の中にいれば神すら無効化、一歩も出ずに世界最強になりました~
夏見ナイ
ファンタジー
ブラック企業で過労死した俺が転生時に願ったのは、たった一つ。「誰にも邪魔されず、絶対に安全な家で引きこもりたい!」
その切実な願いを聞き入れた神は、ユニークスキル『絶対安全領域(マイホーム)』を授けてくれた。この家の中にいれば、神の干渉すら無効化する究極の無敵空間だ!
「これで理想の怠惰な生活が送れる!」と喜んだのも束の間、追われる王女様が俺の庭に逃げ込んできて……? 面倒だが仕方なく、庭いじりのついでに追手を撃退したら、なぜかここが「聖域」だと勘違いされ、獣人の娘やエルフの学者まで押しかけてきた!
俺は家から出ずに快適なスローライフを送りたいだけなのに! 知らぬ間に世界を救う、無自覚最強の引きこもりファンタジー、開幕!
『スローライフどこ行った?!』追放された最強凡人は望まぬハーレムに困惑する?!
たらふくごん
ファンタジー
最強の凡人――追放され、転生した蘇我頼人。
新たな世界で、彼は『ライト・ガルデス』として再び生を受ける。
※※※※※
1億年の試練。
そして、神をもしのぐ力。
それでも俺の望みは――ただのスローライフだった。
すべての試練を終え、創世神にすら認められた俺。
だが、もはや生きることに飽きていた。
『違う選択肢もあるぞ?』
創世神の言葉に乗り気でなかった俺は、
その“策略”にまんまと引っかかる。
――『神しか飲めぬ最高級のお茶』。
確かに神は嘘をついていない。
けれど、あの流れは勘違いするだろうがっ!!
そして俺は、あまりにも非道な仕打ちの末、
神の娘ティアリーナが治める世界へと“追放転生”させられた。
記憶を失い、『ライト・ガルデス』として迎えた新しい日々。
それは、久しく感じたことのない“安心”と“愛”に満ちていた。
だが――5歳の洗礼の儀式を境に、運命は動き出す。
くどいようだが、俺の望みはスローライフ。
……のはずだったのに。
呪いのような“女難の相”が炸裂し、
気づけば婚約者たちに囲まれる毎日。
どうしてこうなった!?
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@2025/11月新刊発売予定!
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
《作者からのお知らせ!》
※2025/11月中旬、 辺境領主の3巻が刊行となります。
今回は3巻はほぼ全編を書き下ろしとなっています。
【貧乏貴族の領地の話や魔導車オーディションなど、】連載にはないストーリーが盛りだくさん!
※また加筆によって新しい展開になったことに伴い、今まで投稿サイトに連載していた続話は、全て取り下げさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。
悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業
ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
無能と追放された俺の【システム解析】スキル、実は神々すら知らない世界のバグを修正できる唯一のチートでした
夏見ナイ
ファンタジー
ブラック企業SEの相馬海斗は、勇者として異世界に召喚された。だが、授かったのは地味な【システム解析】スキル。役立たずと罵られ、無一文でパーティーから追放されてしまう。
死の淵で覚醒したその能力は、世界の法則(システム)の欠陥(バグ)を読み解き、修正(デバッグ)できる唯一無二の神技だった!
呪われたエルフを救い、不遇な獣人剣士の才能を開花させ、心強い仲間と成り上がるカイト。そんな彼の元に、今さら「戻ってこい」と元パーティーが現れるが――。
「もう手遅れだ」
これは、理不尽に追放された男が、神の領域の力で全てを覆す、痛快無双の逆転譚!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる