虚無野郎とクソ世界

鼠野郎

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10.心配

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 元の通路に戻るまでは二分ほどかかった、と思う。俺は自分の体内時計が正しくない自信があるので、本当のところは分からないけれど、まあ、だいたい、そのくらいかな、と感じた。
 その間、「長官」は俺に話しかけてこなかったので、俺は【印】のことをいろいろ確かめることができた。

 【印】のことは、「印持ち」が一番知っているという。
 「印持ち」とは体に【印】がある者のことで、主人、対象者、関連者のうちの「対象者」と「印がある関連者」を指す。「対象者」は必ず【印】を持っているが、「関連者」は【印】があったりなかったりする。先ほど俺がされたように、「対象者」が関連者の分まで【印】を付けられることがあるからだ。

 対して【印】のない関連者は「無印」と呼ばれる。質の良い商品を売っていそうな名前だが、単純に印が無いという意味だ。
 また、【印】持ちの奴隷は「普通奴隷」、無印の奴隷は「下級奴隷」と呼ばれることがある。「印持ち」は、自分に紐付けられた「無印」をある程度管理することが可能だからだ。

 「印持ち」の対象者は、【印】に関する情報を【印】から教わることができる。言葉通りに【印】が教えてくれるのだ。これは言葉を理解できなければ意味がなく、奴隷には言葉を理解できない者も多いので、あまり活用されたことはないようだ。
 【印】は「印持ち」の頭の中に住む解説者なのだと、俺の【印】は語った。驚くべきことに、【印】には自我があるのだ。

 二分ほどの間では、【印】の自己紹介を受け、【印】に関する知識を受け取るまでで精一杯だった。後で整理しておかなければならない。
 【印】は自分のことを「ヤ・クァル」と呼ぶように言ってきたが、少し覚えにくいので「ヤク」と呼ぶことにした。「仲良くなれて嬉しい」とヤクは頭の中で俺に語りかけてきた。


 元の通路にいる連中が見えてきたので、俺はヤクに教えられるまま、子どもたちの健康状態をチェックしてみる。子どもの体を上から下にスキャンするように光が通り抜け、問題のあるところが文字として浮かぶ。この光や文字は俺にしか見えないようで、ハイテクだなぁと感心したらヤクは喜んでいた。
 ヤクの声は、高い男の声のような、低い女の声のような、どっちつかずなものだった。気軽に話せる存在が欲しかったので、とりあえず男だと思うことにする。頭に美女が…とかちょっとイタいしな…。
 ヤクに話しかける時は、声に出さずに念じれば良いらしい。また、俺の頭の中がすべてヤクに筒抜けになることはなく、話しかけようと思って念じたことだけ届くという。
 ヤクに聞かせたことは、主人として設定された「長官」が情報として引き出す可能性があるので、あまり信用し過ぎないほうが良いだろう。

(31人中、病気は0人、怪我は6人、欠損は14人です。)
『病気にかかってるやつはいないか、良かった。』
(仲間思いですね。)
『子どもは大人になるまで守られるもんなんだよ。』
(あなたも子どもですが。)
『俺はたくさん守られたから、もういいんだ。』
(そうですか。)

 ヤクは黙って、怪我をしている子どもの状態をピックアップした。

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怪我6名-内訳

・打撲-3名
・腱鞘炎-1名
・捻挫-2名

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 鉄格子の中で負った怪我などたかが知れている。軽い怪我だったが、訓練がすぐに始まるなら苦労するかもしれない。落ち着いたら怪我の引き受けなどを試してみよう。

「問題なかったか。」

 そうこうするうちに通路に着き、「長官」が姿勢の良い男に話しかける。姿勢の良い男と目の焦点が合っていない女では、男のほうが立場は少し上であるようだ。
 女は25歳ぐらいに見えるが、男は「長官」より歳上に見える。「長官」は30歳過ぎ、男は40歳前後くらいだろうか。

「ええ、何もありませんでした。」
「良し、それでは宿舎に戻るとしよう。」

 「長官」に従って歩いていくと、ぽっかりと壁に穴があいている場所にたどり着く。穴からは外が見えるが、明らかに出入り口ではなく、なにか事故などであいた穴に見える。ここに連れてこられたということは、傭兵たちはここから入ってきたのだろう。
 壁の材質が石か金属かは分からないが、確かなことは一つだ。傭兵たちには絶対に逆らわないほうが良い。先程「長官」も素手で鉄格子をメリッと引き剥がしていたので、傭兵たちは漫画みたいな怪力を持っているのかもしれない。本当に人間か?

「外だ…。」
「外だね。」
「あれが外?」

 子どもたちがざわざわし始めたので、傭兵たちもチラチラと視線をよこす。振り返って「静かに」と言えば、チビたちはあわてて両手で口をふさいだ。
 傭兵たちが一斉に微笑ましいものを見る目をした。こいつらほんとはいいやつなんじゃないか、と俺は思ったが、何も言わずに黙っていた。

「フカヨラィは準備してあるか?」
「完璧ですぜ。」

 「長官」の言葉に答えたのは若い男の一人で、ちょっと細長い顔をした20過ぎくらいの人物だ。体つきはひょろっとしているが、重そうなベストやブーツを平然と着こなしているので、力はありそうな気がする。やはり怪力なのだろうか。
 もう一人は中肉中背の平凡そうな男だ。こちらもベストとブーツだが、材質が違うようで重そうではない。ベストやズボンにたくさんついているポケットはだいたい膨らんでいて、大きく動くとカチャ、と音がする。

「では行くぞ。」

 その言葉は、部下ではなく俺たちに向けられたもののようだ。返事もなくおずおずと足を踏み出す子どもたちを、誰も急かすことはなかったし、誰も手を出そうとしなかった。
 ただ見守られるというのがどれほど怖く、ありがたいことか、傭兵たちは理解していないだろう。

 子どもが全員外に出るまで、傭兵たちはじっくりと付き合った。俺もそれに合わせて進んだ。子どもたちの後ろにつこうとしたけれど、「長官」が俺の近くを離れなかったので、前にいたほうが皆の負担が少ないだろうと思い、先頭をゆっくりと進む。
 姿勢の良い男が先に出てこちらを待っている。「心配いらないぞ」とばかりに笑みを浮かべているが、正直に言って顔が怖く傷だらけなので「頭からバリバリ食うぞ」という笑顔に見える。
 チビたちの膝がガタガタ震えている。後ろにいる若い傭兵が手助けしたそうにそいつらを見ていた。
 もしかして、こいつらかなりいいやつなんじゃないか、と俺は思った。

 穴から一歩外に出て、外の景色が目の前に広がったとき、子どもたちはついに泣いた。感動ではなく恐怖で。15mはありそうな巨大なトカゲが、穴の前で待ち構えていたからである。フシュウ、と鼻息で砂が舞う。

 「これがフカヨラィだ。我々はこれに乗って移動する。」

 よく見ると、トカゲの背にはジェットコースターの座席のような木製の箱がくくりつけられている。口にくわえさせるようにして手綱をつけてあり、頭の後ろにある二人がけのベンチが御者台のようだ。

 子どもたちが泣き止む様子はない。さすがに年長の、九、十歳のやつらは泣いていないが、七歳以下はほぼ全滅である。泣いていないやつらも、呆然として声も出ないようだ。
 これには傭兵たちもどうしていいか分からずオロオロしている。「なんで泣いてんだ?」「こんなにかっこいいのに」と若い男二人が呟いたのを、子どもの泣き声の合間に拾ってしまった。

 やっぱりこいつらぜんぜんいいやつじゃないな、ただのバカだな。
 そう思い、俺は肩を落としたのだった。傭兵って格好良いイメージがあったんだけどな…。
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