美弧奇譚

椿木ガラシャ

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――地元の名手・尾神家の主人に与えられる室は、それ自体が母屋となる大きな屋敷であった。主のみが住むことを赦され、主以外の物は、離れに住むことが慣例とされていた。
現当主は、美丈夫の名に相応しいだが真面目な男で、代々続く名士の家の主として、土地の人々からも慕われていた。しかしそれは、対外的な顔であった。
家中では、冷徹な人間として知られ、何人たりとも逆らうことは赦されなかった。
 その男も、今年に入ってから急激に、体調を壊していた。若い頃、その手腕を生かし、散々無理をしてきたことが祟ったのだろう。
 近頃では、母屋を出る事無く、もっぱら床に臥せってばかりだ。
主には二人の息子がいた。兄は篝【カガリ】、弟は帷【トバリ】といった。
「では、頼むぞ」
 大柄な体躯だがやつれている父を前に、ふたりは正座をしたまま頭を下げる。父子と言っても、膝に抱き上げられた記憶もない。
 父との謁見を終えた兄弟は縁側を揃って歩いていた。美丈夫の父をそのまま生き写しにしたかのような美青年であったが、少々印象は違う。
 二人はそろって縁側を歩いていたが、篝が足を止めた。帷は不審げに振り返る。
「先に行け。俺は用事がある」
 そういってさっさと、篝は踵を返し、母屋の奥へといく。跡継ぎではない帷とは違い、篝は次期当主として母屋に立ち入ることも多い。その間、気に入った女中でも見つけたのだろうと、帷は思い、離れへと足を進める。
 気になった。普段互いに干渉しない兄弟であったが、もしかしたら、その女中が将来、義姉になるかもしれない。
 堅物な兄…幼い頃からの印象そのままの兄が夢中になる女とは、いったいどんな女だろうか。
 帷が振り返ると、篝は庭先に出ようとしていた。てっきり母屋だと思っていたのだが…。
 庭には蔵がある。
 帷が幼い頃、鈴の音に吸い寄せられて立ち入った、あの蔵が。あの光景は白昼夢だったのか、幼い帷は幾度となく蔵に通ったが、扉が開かれることがなかった。
 内側から開くことを禁じたように、堅く閉められていた。
 だが今日は、開かれるようだ。怜悧な顔をした篝が懐から取り出したのは、鉤だった。南京錠の穴に差し込んだ。
 キィ…と古めかしい、音を立てて扉が開き、篝が侵入すると、帷を足音を忍ばせて、後を追った。
 帷は既視感を覚えた。
それもそのはずだ。幼い頃、こうして蔵の中へ入ったのだから。
だとすれば、この先にいるのは…篝が、逢瀬を重ねる相手というのは…。
 帷がふうとため息をつき、顔を上げると、そこにいたのは長い白銀の髪を持つ異形の存在だった。
 篝と彼は向き合って立っていた。
「父はもう直ぐ、死ぬでしょう。長年の無理がたたり、長くは無いと、わたしは思っています」
「そうですか」
 幼い頃に見た美しい異形の青年は、その瞳に涙をため、顔を伏せた。
「綴も、わたしを置いておいて逝くのですね…」
「玉藻」
 篝は玉藻の肩を抱き寄せる。ずっと、こうして抱きしめたかったのだと言わんばかりの、力強い抱擁であった。
「心配することはありません、玉藻。貴方は、私が守る」
「篝…」
 胸元に縋り付く。その細い指先に手を絡めた篝は、抱き寄せた玉藻の髪に口許を寄せる。
 その口許が、奇妙にゆがんだのを、帷は見逃さなかった。
「玉藻…玉藻…」
 だがその名を読んだ途端、怜悧な顔が切なく歪む。銀の髪に手をかけて顔を上げさせた篝は、玉藻に口づける。
「ぁ、篝っ」
 唐突な行いに、目を見開いた玉藻であるが、すぐに瞳を潤ませる。
 篝は立ったまま、貪るように玉藻の口内を犯し、腰ひもを解いていく。
「美しい…」
 着物がはだけられ、真珠の様に光る肢体が、目の前に現れる。焦がれて止まぬ、止ませることができない想い。
 篝は万年の想いをこめて、玉藻を抱きしめた。
 ――帷は、兄と玉藻が抱き合うさまを眺めながら、拳を強く握りしめた。
 弟である帷には、当主になることはない。すなわち、蔵に入ることも許されてはいなかった。
 許されない場所、赦されない行為…。
「んん、あ、あ…」
 厭らしく肢体をくねらせて、玉藻が喘いでいる。
 ――犯したい――
 帷は欲望が止まらなかった。

 ――数日後、尾神家当主・尾神綴は逝去した。
 その葬儀を執り行い喪主を務めたのは、嫡子尾神篝であった。篝は、医者免許を持つ秀才であった。地元の名士として病院を立ち上げ、老いも若きも、そして金持ちも貧乏も分け隔てなく診察を行い、人々の尊敬を集めた。
 またその怜悧な顔立ちにより、婚姻を望む名家は数多であったが、しかし彼は、興味を示さなかった。


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