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三日目

贖罪

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通路にいる護衛達に兵士が押し寄せる。数の差か、護衛たちはたいした抵抗もなくすんなりと拘束される。そして続々と客室の扉の前に集結した。
その部屋の中からかすかに歌声が漏れ聞こえて来る。あの讃美歌だ。彼女もそこにいる。……覚悟を決めた。

ついに彼の者の断罪の時は来た。悪魔の仮宿の入り口を勢いよく開け放つ。


■1番車両 特級客室

満月だった。雲間から見えるそれは大きな窓から月明かりを落とし、この広くて暗い部屋を仄かに照らしている。讃美歌の声がフッと消えた。……月は雲に隠れ、吹雪が荒れ始める。

部屋の中に仲間達が続々と入ってきた。

「ようこそ。」
横の方から声がする。その方を見やると、彼の者サリ・シフォンヌがいた。玉座とも取れる立派な座席に座り、テーブルの前で足を組んでこちらを悠々自適に待ち構えている。
そして彼の向かって右側にアンがいた。彼女はその立派で大きなソファーの上で寝そべりながら、その爪にマニキュアを塗っている。
二人のそのあまりの無警戒さに違和感を覚えた。

「さぁ、彼を拘束して下さい。」
デミトリが兵士達に指示をする。
しかし、兵士達は微動だにしない。

「何をしているのです!彼を拘束しなさい!」
焦ったデミトリが同じ指示を何度も連呼するが、それでも全く動こうとはしない。

サリは笑みをこぼす。

「デミトリ。そなたが余を暗殺しようと目論んでいるのは当然知っている。そしてこやつらに知られたくないその素性もな。」

彼の不敵な笑みにデミトリが明らかに動揺する。

「赤獅子軍総司令官ダブルス・エングレス。そなたはモスリン焦土作戦を実権執行した張本人だ。」

サリの言葉に、カチューシャが驚く。

「あ……赤獅子の総司令官?やっぱりこの兵士達も赤獅子なのね!説明しなさい、デミトリ!」
この緊迫した状況の中、カチューシャは激昂してデミトリに迫る。しかし彼は狼狽えて言葉に詰まっている。そんな様子を見ても周りの兵士たちは相変わらず微動だにせず、コジロウも興味なさそうに沈黙している。

「余が説明するよ、サーシャ。こやつは焦土作戦の戦禍による責任を全て余に転嫁して、乗っ取りを図っているのだ。そなたを担ぎ上げて傀儡政権を作るためにな。」

「それに、モスリンの若者よ。そなたには神の啓示、使命があるはずだ。しかしその使命を作り出したのはデミトリだ。モスリンを焼き尽くした赤獅子軍の分際で、そなたたちを扇動するためにその神の啓示を捏造して吹聴していたのだよ。」

彼の言葉に衝撃を受ける。
信じるべきか分からない言葉だが、デミトリを見るとただ慌てふためいている。
やがてデミトリに対する不信感が湧き、徐々にそれは憎しみの感情へと変わっていく。

「や、奴はでたらめを言っています!惑わそうとしているのです。」
デミトリが動揺している中、サリは立ち上がり彼の方へ近づいて行く。

「ダブルス。そなたは地盤を固めて余を追い詰めたつもりだろうが、残念ながら今はその地盤ごとひっくり返されることになったな。今のそなたには味方など一人もいないのだよ。」

そう言いながらサリは軍刀を抜き、デミトリを貫いた。

「がは……ぁ……」
デミトリはその場に倒れ込んだ。しかし、周りは誰も彼のためには動かなかった。

「罪を贖うがよい。」
そう言って、彼の者はまた席へと踵を返し、着席する。

「片付けたまえ。」
そういうと兵士の一人がデミトリを担ぎ上げて外へと出ていった。当然ながらこの赤獅子の兵士どもはサリのいいなりのようだ。

サリはタバコを取り出し、火をつける。

「さて、余興は済んだ。……座りたまえ。」
そう言うと残った兵士達はこちらとカチューシャ、コジロウを席に座るように促す。
彼の正面の座席に、カチューシャと自分は座らされる。ちょうどサリと自分達の間に低いテーブルが挟まれている構図だ。
席はまだあるが、コジロウはカチューシャの後ろに立ち、座るそぶりを見せない。

「おい、座れ!……おい!」
兵士はコジロウに詰め寄る。
しかし彼はそれを突き飛ばした。兵士が情けなく床に転がり込み、それに反応して他の兵士達が一斉に銃を構えた。
しかしサリが指示すると、兵士たちはすぐに銃をしまう。
そして、彼の合図と共に兵士達は部屋の外へと退出した。
それらさながら操り人形が如く従順さで、不気味だった。

アンはと言うとソファーにゴロ寝しながら、真剣な目で爪をデコレーションしている。

「久しぶりだな、サーシャ。元気にしてたか?」
サリの言葉をカチューシャは無視してそっぽを向く。
その様子を見て彼は鼻で笑う。

「……神の啓示は作り出された嘘だと……。じゃあ俺は何のためにここに来たんだ。……何のために……。」
ふいにサリの言葉を思い返し、頭を掻きむしる。

「惑わされないで。今は目の前のことに集中しなさい。」
カチューシャはこちらに耳打ちしてくる。
それを見たアンは彼女を睨みつける。

「おいてめぇ、距離が近ぇん……近いわよぉー!おほほ!」
彼女はカチューシャにやさしく注意する。
それを聞いたカチューシャはアンの方を睨みながらゆっくりと姿勢を戻した。おーこわ。とアンが呟く。

「サーシャ、今諦めたら全部忘れてやる。あのテレビはサーシャへの警告だ。まだ間に合うぞ?」

サリの言葉にカチューシャは頬をピクリと上げた。

「そんな浅ましい甘言、信じられる訳がない!今すぐ……今すぐ首を絞めて殺してやるっ!」
そう言ってカチューシャはサリに飛びかかろうとする。
しかしそれをこちらが制止した。

「なに!?あんた今更諦めるってんじゃないでしょうね!?」

「勝手に手出しするな。……サリ・シフォンヌ、まずは話を聞かせろ。なぜモスリンへ襲撃したのか、そこに正当性なんてあるって言いたいのか?」
そう言うとサリはこちらを見る。

「……確かルキだったか。良いだろう、ここまで来た事に敬意を払い、そなたに教えてやる。」
彼はタバコをふかす。

「人狼は将来、社会に必ず脅威をもたらす。モスリンの人間の中に沸々と人狼に目覚める者がいる事が報告されていた。悲しい事だが、このまま放置すれば10年後には手がつけられなくなるのだ。」

「嘘だな。じゃあなぜアンがそこに座っているんだ?彼女はまさにその人狼じゃないか。」
それを聞いてアンは笑い出す。

「あははー、ごめんサリくん。つい彼に自己紹介しちゃったのー。」
アンは彼に自白した。彼もそれを聞いて笑い出し、吸い終わったタバコを灰皿に押し付けて捨てる。

「いいだろう。余は人狼を味方につけたいのだ。対等に交渉する為に相手を選別し、説得をしている。彼女、アンは最初に恭順してくれたよ――」

彼の者は語り始めた。

■10年前のモスリンビーク深奥

広大なモスリンの森の深部に、一部の住民しか知らない原始的な集落があった。辺り一面にユーリャの花が咲き誇り、それが振りまく花粉の霧が死臭のような強烈な香りを放っている。まるで侵入者を拒むかのようだ。そして上方、霧の先には空を覆うほどの巨大な樹木が生えていて、その太い枝の一つに大きな鐘が吊り下げられていた。
その鐘はまるで生きているかのようにゆらゆらと揺れ、時折小さい音を鳴らしている。

青黒い衣を纏った老人に連れられ、巨木のうろの中に案内される。
その中には無数の蝋燭が置かれており、入り組んだ樹木の胎内がぼんやりと照らされている。下を見れば地中から吸い上げられた水分が、蒼紫色の樹液となって浅瀬のように地表を流れている。そして奥からは讃美歌のような美しい歌声が漏れ聞こえてきた。

景色を噛み締めるように進んでいるとやがてうろの深淵に辿り着いた。そこは樹液で満たされた池のようだった。目の前には巨大な蒼紫色の塊があり、あたかもそれは樹木の心臓のように拍動している。

歌声が止んだ。

「ネェ?」
語りかけてきたのは人間の形をした怪物だった。その身体は脈々と青紫色に変色し、その黒い眼球の瞳からは青白い燐光が励起していた。髪は逆立ち、爪は長い刃物のように鋭い。ユーリャに似た死臭がより強く鼻を刺した。
ふと後ろを見ると、いつの間にか案内してくれた者がいなくなっている。

「綺麗な歌声だな。この大樹へ手向けた歌か?」

「アル意味ソウネ。……ナニシニキタノ?」

「鐘の噂を聞いたものでな。鐘の音に近づくと野生の狼に食われるとか。だから視察ついでに来てみたのだ。そうしたら巨大な二足歩行の狼に仲間が喰われたよ。花の出す霧に紛れて襲い掛かってきたようだ。……それで、話をしないか?」

「ナニ?アナタ喰ッテイイ?」
怪物はいつの間にか目の前にいて、こちらの後頭部を掴み、牙を眼前に向けていた。

「ダメだ。淑女よ、この蒼紫色の心臓みたいなものは何だ?」
そう言うと怪物はその心臓のようなものを見る。

「謳われし者、モスリンノ心臓。コノ地ノ、神ノ物ヨ。使徒ハ彼女ヲ守ッテル。」
怪物はそう言ってこちらの後頭部を掴んでいた手を離す。

「その地神、モスリンは鐘を鳴らして何をしようとしているのだ?」

「アノ鐘ハ、モスリン ノ声帯。人間ヲ呼ビ、餌ニスルカ、血ヲ分ケテ使徒ニ変エル。後ハ使徒ニ指示ヲ出ス。他ニモイロイロ。」

「それは興味深い話だな。ではそなたに血を分けてもらえれば余も人間を超越できるのか?」

「モスリンノ人間ダケヨ。ソレモ限ラレタ一部ノ人間。アトハ餌ニナル。」

「残念だ。そのモスリンの人間というのを分別する方法はあるのか?」

「赤子ノ刻ニ洗礼ヲ受ケサセル。」

「その洗礼とは何をするのだ?」

「質問ガ多イヨ。頭イタイ。」
怪物は頭を抱える。頭脳は良くないようだ。
それが怪物の特性なのか個人差なのかは不明だが。

「すまない。じゃあ、さっきの質問だけでも答えてくれないか?」

「……モスリンノ地デ赤子ニ名前ヲ付ケル。」

「なるほど。……しかし変じてしまったらここのように人間社会から追放されそうだ。」
そう言うと、怪物は一瞬で人間の女の姿に変じた。青い瞳。

「おお素晴らしい……。」

「アなたのこと教えて。どこから来たの?」

「シフォンだ。これでも貴族なのだよ。」

「ふぅん。貴族の血って美味シいノカナ。」
女は口元から先ほどの鋭い牙を出す。

「そなたは食欲ばかりだな。ダメだ。」
そう答えると女は牙をしまう。相当な気分屋のようだ。

「えへへ。私を見て全く驚かない人初めてみた。スゴいね。」

「いや驚いているよ。そなたは非常に興味深く、美しい。その青い瞳が特に気に入った。」

「あなた面白い。もっと何か聞いてよ。」

「では、そなたの名は何というのだ?」

「それは教えない。」

「好きな名でよい。」

「じゃあ、アンで。」

「アンか、もう一つ聞きたい。そなたは見た目も含め少し他の狼と違うように見受けられる。神に近いこの場所に鎮座しているというのは故あってのことか?」

「私はツタエシモノ。あるいはディーヴァ?」

「ディーヴァだと?」

「モスリンの声帯の一部をもらった。103番まである讃美歌の恩寵を使徒へ行使できる。覚醒、招集、襲撃、憎悪、鎮静、なんでも。ニュアンス違いも多いけど。」

「ほう……面白い話だ。アンよ、外の世界には興味ないか?その力を貸してほしい。」
こちらの提案にアンは困ったような表情を浮かべた。

「神を殺してくれたら考えても良い。神の使徒はこの地から離れられない。この集落はジジババしかいなくて退屈。喰うことしか考えてないし。」
こやつも喰うことしか考えてなさそうだが。

「神を殺すだと?随分と畏れ多い話だな。なぜ殺す必要があるのだ?」

「モスリンから離れようとしたら、神に鐘の音を通して名前を呼ばれる。使徒達は洗礼を受けた時の名前を呼ばれたら逆らえない。」

「なるほどな。まさか余に神殺しを要求するとは、面白い。ではこの心臓を貫けば良いのか?」

「ダメ。モスリンの息の根を止めるには、モスリンの地を焼き尽くすしかない。あらゆる生命力を奪わないと、この心臓はやがて再生する。」

「それは大仕事だな。……ではいつか迎えに行くよ。我が名はサリ。覚えておいてくれ。」

「サリ……くん?期待しないでおく。じゃあ森の出口まで送る。」


■1番車両 特級客室

「そして数か月前にようやく、モスリン全土を焼き尽くすことができた。終焉前は余もモスリンビークの深奥地へ向かったが、モスリンの鐘の音が延々と鳴り続けていたよ。哀れにも声帯が悲鳴を上げていたのだ。ユーリャの花は燃え尽き、人狼達も隠れる場所を失った。そしてかの大樹は燃え尽き、その呪いの鐘を接収すると……やがて悲鳴が止み、残った人狼達は戦うのをやめた。」
サリは笑いながら言う。

「……気が触れてる。」
カチューシャは吐き捨てるように言う。

「今はモスリンのとある教会にその鐘を移し、鳴らしてみている。すると面白い事に、音に呼ばれてか生き残り達が一人ずつ来訪してくるのだよ。そして青紫色の血を飲ませ、うまく変異出来る者を養殖しているのだ。いずれ彼奴らを従順な戦力とするためにな。……そういえばこの列車には、その教会から逃げて来た娘がいたそうだな。確か貴族の小間使いだったか。はたしてどこの貴族だろうな。ははは……忌み花のユーリャに名がよく似ていた。」

「……それはユリの事を言っているのか。」
座席から立ち上がる。……その手に銃を持って。

「不遜な真似はやめたまえ。青き瞳の人狼よ。」

「不遜だと?それはお前だ!命を冒涜する独裁者めが!」
彼の者に向かって銃を構える。

――炸裂音が鳴った。

こちらの胸に衝撃が加わり、床に仰向けに倒れ込む。
女の悲鳴が聞こえ、こだました。
何があったのか、そっと目を下方へやると、サリがこちらに向かって銃を構えていた。

……やがて意識が虚空へと吸われていった。
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