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空腹ある食卓
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長期休暇で妻の実家のある地球に帰って来れたのは息子が小学生になったからである。つまり、身体がようやく安定して来て、地球への重力に対して慣れることが出来るようになったのだ。
そんな、重力耐性検査や酸素調整期間など、色々と面倒な手続きはあるものの、地球へと降り立つと言うのはやはり安心感がある。そんなこと言うならば、ずっと地球にいればいいではないかと言われるかもしれないが、それとこれとは別である。やりたいことは木星にある。そして、そこで出会って結ばれたのだ。自身の安心も大事だが、挑戦もまた大事なのだ。
「ただいま~」
宇宙ステーション「アマテラス」からエレベーターで降りてきて、電車やらタクシーやらを乗り継ぎ、ガラガラと昔ながらの引き戸を開ける。息子はこんな世界があるとは知らないからか、ずっと目を見開いて落ち着きがなかった。本当のことを言うと、もっと泣いたりするのかとも思ったのだけれど、小学生になったからか、はたまた男の子だからか、興味深さが勝ったようである。意外と性格は自分に似ているのかもしれない。
「いらっしゃい。あら、よう来たね~」
「ひさしぶり、お母さん」
「あら、人の親らしくなって、まぁ!」
「ほら、ゆうくんも挨拶は?」
「初めまして!おばあちゃん!」
玄関から真っ直ぐと続く廊下へと元気な声が響いていく。廊下は電気がついておらず、少し先に見える部屋の窓からの光が仄かに届き、暗く陰だけど視界は見えている。これが自然光の世界。電気を付けなくても明るい世界。木星に居るときは忘れてしまうけれど、改めて見ると懐かしさが腹の底から湧いてくる。
不意に、下げてた肘をどつかれる。
どつかれた方を見れば、妻が怪訝な顔をしてる。
「貴方も挨拶しなさいよ」
「あ、」
「ふふふ。隆さんは相変わらずね」
義母さんに笑われてしまった。つい、ぼーっとしてしまうのが昔からのクセなのだ。僕の家族はこの挙動への理解がないのだけれど、義母さんは笑ってくれる。
「ほんと、お兄さんに似てるわ」
と、そんなことを繰り返し言う。
「さぁ、お上がりなさい」
「あ、その前にこれ!」
と、妻がケーキを差し出す。
「あらま」
「これね、有名なところなのよ」
「ふーん…どうする?いま食べるか、食後に出す?」
「うーん…」
と、妻と義母さんは息子を見る。
「夕飯が食べられなくなっちゃうから、後にしましょうか」
と、僅かに先に言ったのは、妻だった。こう言うところが親子なんだろうなぁ。
靴を脱ぎ玄関を上がり向かう広いリビングには義父さんがすでに食卓に座っていた。
「おひさしぶりです」
と、話したのは僕が先だった。
「あら、隆くん、おひさしぶり。すっかり父親の顔になっているじゃないか」
僕はこの “隆くん” という呼ばれ方が好きだ。結婚する際の顔合わせの時から気づいたらそう呼ばれていた。
「それにしても、さっちゃんはお兄さんに似た子を選んだんだなぁ」
そんな言葉も同時に話していたっけか。
「お父さん、おひさしぶり」
「やぁ…」
こちらはまだどこかぎこちない。父親とはいえ、ひさしぶりに会うとこうなってしまうのだろう。
「ほら、挨拶は?」
いまひとつ言葉が繋がらない妻に代わって、息子に挨拶を促したのは僕だった。
「お祖父ちゃん!はじめまして!」
「はい、はじめまして」
こちらにもぎこちない。
義母さんは社交力でもって物腰やわらかく接してはいたが、義父さんはどこかよそよそしかったのは、やはり血の繋がりよりも他人への礼儀が勝ったからであろう。若しくは僕が先に挨拶したからだったかもしれない。
「もぉ~博さんたら、もう少し明るく挨拶出来ないかしら?」
「いやぁ、そうは言っても気恥ずかしくてな」
「何を今更、孫相手に気恥ずかしくなるって」
「いやぁ、なんだかなぁ…孫って言われてもまだピンと来ないんだなぁ…」
「もう大人なんだから、サッサとなれてくださいね」
そう言って、義母さんは義父さんの横に座る。
私たち家族もそれに倣って四角い食卓の反対側に3人がけで座る。ちょうど、義父の前に僕、義母の前に妻、僕と妻の間に息子が座る。
「あ、飲み物くらい出さなきゃよね」
と、義母さんは座ってすぐ立ち上がる。
「良いよ、私が出すから」
と、妻もすかさず立ち上がるが
「良いのよ、今日はお客さんなんだから、ゆっくりしなさいな」
「そう?」
と、制止された妻はどこか楽しそうだ。ふっと空気がまた柔らかくなる。
「にしても、地球は暑いだろう?」
と義父さん。
「全く、9月に入るってのに、こんなに暑くなるなんて聴いてなかったわ」
よっぽど、この気候が気に食わなかったのか、妻が吐き捨てるように言う。先程までの緊張感が一気に溶けているのは、この暑さのせいもあるのだろうか。
「ほんと、こんなに暑いのは地球がそう望んでいるからとしか思えないわよ…いろんな星に行ったけど、こんなに暑くなかったもの」
と、続けて妻が言う。息子はよくわからないと言った様子で、ダラダラと首を左右に振る扇風機を眺めている。木星のステーションは全空調だから、わざわざ買わないものなぁ、扇風機。
「まるで、土星や木星は望んで寒くなってるみたいな言い方じゃないか」
と、続けたのは義父である。
「だってそうじゃない?地球は夏が好きなのよ。だからこんなに暑いのよ」
「だから、さっちゃんは地球を出ていったの?」
と、聞いたのは義母さん。
「そうよ」
と、鼻息荒く妻が言う。
義父と義母が笑ってる。どうやら、いつもの彼女に戻ったようだ。
「あ、僕は違いますよ?」
「知ってるわよ」
ふふふふふふふふ。
義父と義母が笑ってる。
「やっぱりなんか、お兄さんに似てるんだよなぁ」
はぁ。
僕は曖昧な返事をする。
息子は大人がどうして笑っているかよく判ってない様子。きっと退屈なんだろう。
「そう!暑さで言ったら電車も大変だったわ」
すっかり、悪態つきの娘に戻ってる妻が続ける。
「だいたい、地球の人口が増えすぎたから宇宙に飛び出したはずなのに、なんでまだ電車は人で一杯なのよ。減った分増えてるというか、減ってる以上に増えてないとおかしい計算じゃない!」
「なんなんだろうね、結局どれだけのことをしても満員電車は解消されないのよねぇ」
「復員電車の頃から何も変わってないんだ、これはお国柄なんだろうな」
「ずーっと、ギュウギュウ!何も学ばない!」
と、妻が親に乗せられて勢いよく話すのをみて少し息子がビクッと驚いてる。親にとっては子どもは子どもだけれど、子どもから見れば、こんな親を見るのは初めてなんだもの。
妻もようやく気付いたそうで、少しバツが悪そうにしてる。
「でも、満員電車も悪いところじゃないぞ」
と、義父さんは続ける。
「ある時な、某国のスパイがこの国に偵察に来たそうだがな。平和ボケの国だからって、安上がりに電車で色々なところに行っていたのだけれど、ある時満員電車に乗ってしまったその暑苦しさに、車内で吐いてしまったそうだ」
「いや、その吐いたってのは、自分がスパイだと話したって意味じゃないでしょ?」
「さぁ、そこまでは知らん」
「知らん、じゃないのよ。ほんと、いつも中途半端なのよ、話すことが」
悪態はついていても仲は悪くない。いつかこんな関係になるかなぁ、僕らも。
「あ、結局ケーキは食後で良かったのよね?」
「うん。やっぱまだ沢山は食べられないもの」
と、息子の肩を抱く妻。
「そんなことないわよねぇ~?」
と、覗き込む祖母。
バツの悪そうな息子。まだ、人見知りを発動してる。
「だって、すごく並んだのよ、このケーキ」
「へぇ、有名なの?」
「らしいけど、よくわからない。こっちの友だちに聞いて、一番母さんの好みに近いものを選ぼうとしたら、すっごく並んでたの」
「あら、別に無理に好みに合わせなくても良いのに」
「まぁ、でもせっかくだからね」
「そう…ありがと」
と、軽く感謝を告げる義母さん。
「にしても…今でも不思議なんだよなぁ…」
「何がです?」
「いや、むかしはご飯のために並ぶと言ったら配給のためだったんだよ。それがいつのまにか、美味しいものを買うために並んでるだろう?生きるために並んでたところから、美味しいものを買う、贅沢のために並んでる、という感覚がいまだに慣れないんだなぁ」
「それは、博さんが買い物に行かないからでしょ?」
「いやぁ、そんなことはないぞ」
「だって、列に並ぶことは嫌がるじゃない?」
「そりゃ、時間の無駄な感じがするだろ?」
「無駄じゃないわよ、みんなで話せばないのと一緒よ、ね?隆さん?」
「あ、はい?」
ここで僕に振られるのか。
「まぁ、そうですねぇ…」
「そうですねぇ、じゃないわよ。普段からそんなに話さないのに、列に並んでもそんなに話さないじゃない?」
「いや、改めて話すことを意識することってないじゃん?」
「違うのよ、隆さん。こういう会話は、なんとなくで返せばいいのよ、なんとなくで」
ふふふふふふ。義母さんが笑う。
「話すことに意味を見出しすぎなのよ、隆さんは」
「おいおい、それじゃオレは何も考えずに話してるみたいじゃないか」
「え、そうでしょ?」と話したのは妻である。阿吽の呼吸だなぁ。
「で、勇くんはどんなケーキが好きなの?」
と、義母さんがまた突然に話を振る。
「僕は豆腐が好き!」
息子よ、質問聞いていたのか?
「へぇ~豆腐ね~」
義母さんの社交的な物腰の柔らかさに救われる。妻はなんだか恥ずかしそうだ。
「なんで豆腐が好きなんだ?」
と、今度は義父さんが聞いてくる。
「うーんとね~なんか、こう、ボールに入ってて、それを投げて渡されるんだけど、持ち帰って、パンって割れたら、中から丸い豆腐が出てくるのが綺麗!」
義母さんも義父さんもポカンとしてる。
妻がすかさずに言う。
「アレなのよ。木星のステーションでは地球と違って重力が調整されている中で、豆腐は水風船の中に入れられて売られているのよ。それを投げて渡したりするのが流行っているの」
それでもまだピンときてない様子。
「あ、これです」
と、すぐ携帯で差し出す。
「ほぇ~こんなものがあるのか!」
と、先に食いついたのは義父さんだった。
「これね~結構、ゴムの包装とか凝ってて面白いのよ。それこそ、贈答品に持ってこいという感じで」
「豆腐もこんな生き残り方をするとは驚きでしょうね」
「いやぁ、それは豆腐になったことがないからわからないですけれど」
「誰もそんなこと言ってないわよ」
と、妻にどつかれる。
それを見てまた目の前の2人が笑う。
「ほんとうに愉快な人だ、隆くんは」
義父さんが愉しそうで何よりです、とは流石にまだ言葉に出せなかった。
「にしても、てっきりオレはさっちゃんに似たのかと思ったよ」
と、続けて義父さんが話す。
「むかし、習い事かなんかの帰りかな。ケーキ買って帰ろうと思ったんだよ」
「違うわよ、誕生日よ」
「あ、誕生日か…そのときに『どんなケーキがいいか?』って聞いたら、『私はたまご豆腐がいい!』って言い出してな」
と、義父さんと義母さんの会話に恥ずかしそうな妻。あれか、豆腐と息子が答えた時の顔はこっちの気恥ずかしさか。
「ただ、博さんもバカだから、たまご豆腐をケーキの予算分まるまる買ってきたのよ」
「だって、勿体無いじゃないか」
「勿体無いじゃないわよ、他のものに使えばいいじゃない」
「他のものは他のものでお金を用意してるんだ。予算は予算通りに使う。これが常識だろ?」
「もう~」
と、数年前のことで、呆れてる義母の顔はどこか楽しそうだ。
「ま、いいじゃないか。改めてたまご豆腐をたらふく食べれたんだから」
「たらふく食べれたじゃないですよ…その後、3年くらいはたまご豆腐を食べなかったわよ」
「いやぁ、でも、あれは贅沢だったなぁ…」
「まぁ、美味しかったから良かったわ」
「もう、いい?」
と、妻が制止する。
「へぇ、昔からたまご豆腐が好きだったんですか?」
「いいのよ、こういう時だけ参加しなくても!」
「お!隆くんもさっちゃんのたまご豆腐好きを知ってるんだ」
「聞かせて、隆さん」
「あのですね…」
「ちょっと!」
「ただいまー」
と、玄関から響いてくる男性の声…妻の弟、正さんである。
「おかえり~」
「あら、姉さん、帰ってたの?」
「帰ってたの?じゃないわよ。ちゃんと伝えてたじゃない?」
「あれ、今日だっけ?」
「今日じゃないと、ここに居ないわよ」
「ま、それもそっか」
姉弟は姉弟で別のテンポがあるんだな。
「あ、おひさしぶりです」
「こちらこそ、おひさしぶりです」
「別に、アナタは敬語じゃなくても良いのよ」
「いや、どちらでも良いですよ、お兄さん」
「アンタが決めることじゃないでしょ?」
「でも、姉さんが決めることでもないでしょ?」
「でも、敬語の必要はないでしょ?」
「あの…」
「あ?」「あ?」
なんで、口喧嘩してる2人から同時に睨まれなければいけないのか。
「まぁまぁまぁ、良いじゃない。どちらでも。ほら、勇くん、こちらが叔父さんだよ~」
「ほら、挨拶は?」
「…はじめまして!」
また、人見知りに帰ってるな、息子。
「初めまして。大きくなったね」
と、息子の頭を撫でる正さん。子どもは得意なタイプなのかもしれない。
「で、なんの話してたの?」
「あれだよ、さっちゃんが誕生日のケーキの代わりにたまご豆腐を買ってってせがんできた話よ」
「あー、あれは確かに傑作だったなぁ!」
「そうそう、それであれから3年くらい食べなかったわよね?」
「いや、結局次の年も食べたんじゃなかったっけ?」
「いや、次の年はないんじゃないか?」
「でも、確かにもう一回くらい死ぬほどたまご豆腐を食べた記憶があるなぁ…」
という、義母さんの言葉を最後に黙り込む一家。そんなに、重要な議題とは思えないが、大事な時間なんだろうな…と、ぼーっと一点を眺めている…嫁家族全員で考え込むとき右上を見ているのが面白い。
「あ、違う!」
と、叫んだのは正さんだった。
「俺の誕生日だ。姉さんの数に負けないとか言い出して、それより多くのたまご豆腐を買ってもらって食べる羽目になったんだよ!」
あ~!!!
と、家族が揃える。
「あ~」
と、なぜかうちの息子が合わせる。
ふふふふふふ。
「いやぁ、思えばバカな話だなぁ。よくもまあ、そんなことをしたもんだ」
「いやぁ、今でも食べれると思うぜ?」
「アンタはそうかも知れないけど、ほかの家族はどうなのよ?」
「いや、兄さんは大丈夫でしょ?」
「いや、僕は難しいかなぁ…」
「ん?そんなに食べないの?」
「そういうのじゃないんだけどねぇ…」
「最近、太りやすくなってきたから、腹八分目を意識してるのよ」
と、話したのは妻である。
「へぇ~、でも腹八分目って難しくない?」
「そう!それなんだよ!」
と、思わず大きい声を出してしまった。
あ、若干、引かれてる…。
ゴホン、と咳払いで仕切り直し。
「いや、ほんとそれでですね。腹一杯ってのは感覚としてわかるんだけど、腹八分って言うのはそもそと人間にない感覚じゃないですか?人間にはそもそも感覚として、空腹か満腹しかないわけですよ。そこで、“腹八分” って言われても難しいんですよ、そもそも。でも、そこを意識していなかったら、イヤでも太るじゃないですか?だから、まず初めにお腹いっぱいの量を定義するわけですよ?ご飯なら1合、麺なら350グラム、パンなら食パン厚切り4斤みたいに。そしてそこから逆算して腹八分を計算する…のだけれど、ほんとうに面倒で!いったい自分が何をしたいのか本当わからないんですよ!!!わかります?健康のために、何でこんなに頭を使わなきゃいけないのか?太っても良いからたくさん食べさせて?ってならなくもない…」
と、ここまで喋ったところで、さらに引いてる空気を感じる。いや、どちらかと言うと、妙に張り付いている。
「…そうよ、たくさん食べた方が良いのよ」
と、ボソッと義母さんが呟く。
「そうそうそうそう!俺も!未だに大盛り無料って書いてあったら、それを選んじゃうし!いやぁ、健康には悪いとは分かってるんだけど、やっぱり “無料” って書かれるとね…弱くなっちゃうんですよね。でも、ほら、ハングリー精神というか、限界のさらにその先を目指す、みたいな。そんなハングリー精神を焚き付けられる気にもなって、大盛りを進んで頼んでしまうんだよね。だから、仲間だな、兄さん!」
と、僕は両肩を気持ち強く叩かれた。
「あ、はい…」
それは先程までの正さんとは少し調子が違うように思えた。なんだか、妻の家族の踏み入ってはいけないところに、不用意に入ってしまった感じがする。
「さ、夕飯の準備をしましょうか」
「お母さん、手伝おうか」
「いや、大丈夫よ。その代わりに博さんに手伝ってもらうから」
「え?なんで?」
「当たり前でしょ?はるばる地球まで来てくれたんだから、おもてなししなきゃ。ゆっくりしていってね、隆さん」
「あ、はい…」
義母さんはどこか辛そうな瞳をしていた。ただ、それを悟られたくないようで、少し早口で言い残し、台所へと急いで行った。
「じゃ、勇くんは叔父さんと遊ぼっか?」
「うん!」
「あら、良いの?」
「うん、姉さんと兄さんはそこでゆっくりしてて!」
そう言って、正くんと息子は廊下から二階へと上がって行った。人見知りがすっかり消えているのは、正くんに拠るところが大きいんだろうな。そろそろ父親同士の交流も多くなるだろうし、学ばなければいけないところは多そうだ…
そうこうして、食卓には僕と妻だけが残った。扇風機でカーテンが揺れて、夕方の夏の光がゆっくりと入るなか、優しく眩しい。
「…あのさ、僕、変なこと言ったよね?」
耐えきれず、思わずそう漏らしてしまう。しかし、これからのためにも必要なことだ。
「うーん…」
悪態つきの妻がめずらしく口ごもってる。
「…そうね。いや、変なことは言ってはないのだけれど、少しだけデリケートなところに触れたって感じかな?」
「あ、じゃ、謝らなきゃ」
「いや」
と、妻は鋭く遮った。
「いや、その必要はないのよ。誰も悪くないの。ただね。ただ、戦争のときの、お母さんのお兄さん…私から見た叔父さんのことを思い出しちゃうのよ、空腹のことを話に出すと」
妻は真っ直ぐ前を見ながら、淡々と話し始める。
「私の叔父さんはね、出征先で飢えて死んだんじゃないかって言われてるの。別に、珍しい話じゃないわ。ありふれてもないけれど、そんなに負い目を感じる話じゃない。でもね。戦争が終わって、豊かになればなるほど、お母さんのなかでは違和感みたいな…悔しさとも、虚しさとも言えないものが広がって行ったんだって。私も、お母さんから直接聞いたわけじゃない。お父さんがね、ぽろっと話してくれたの。お父さんは元々、叔父さんの親友だったの。お兄さんを忘れたくなかったお母さんが少しでも思い出を忘れないようにね、わざと選んだんじゃないかって言ってたりもしたわ。でも、愛は嘘じゃないわ。こうして、私も正も生まれてるし、愛されて育ったし」
妻は、淡々と続ける。まるで、光の向こうに叔父さんがいるような感覚で。
「ただね。ときどきご飯を食べるときに、叔父さんのことが浮かんでしまうんだって」
ここで妻は一息ついてから続けるには。
「そして、あなたが話した言葉が少し響いたんでしょうね。どうやら似てるみたいだし」
そこまで言って、妻は僕の方をみる。いつも素敵な笑顔だなって思う。
「そうなんだ」
上手く言葉は返せなかったところでこの話題は終わった。そこから何を話したのかは覚えてない。
そこから30分ほどで夕飯の準備は整い、遅れてではあるが正くんの彼女も合流して、食事の時間が始まる。
「絶対に、食べないよりかは食べた方が良いんだからね」
やま盛りにされた茶碗に慄く息子に、義母さんはそう話しながら楽しげに笑っている。そして僕も特別な日だから、たくさん食べることにした。
そんな、重力耐性検査や酸素調整期間など、色々と面倒な手続きはあるものの、地球へと降り立つと言うのはやはり安心感がある。そんなこと言うならば、ずっと地球にいればいいではないかと言われるかもしれないが、それとこれとは別である。やりたいことは木星にある。そして、そこで出会って結ばれたのだ。自身の安心も大事だが、挑戦もまた大事なのだ。
「ただいま~」
宇宙ステーション「アマテラス」からエレベーターで降りてきて、電車やらタクシーやらを乗り継ぎ、ガラガラと昔ながらの引き戸を開ける。息子はこんな世界があるとは知らないからか、ずっと目を見開いて落ち着きがなかった。本当のことを言うと、もっと泣いたりするのかとも思ったのだけれど、小学生になったからか、はたまた男の子だからか、興味深さが勝ったようである。意外と性格は自分に似ているのかもしれない。
「いらっしゃい。あら、よう来たね~」
「ひさしぶり、お母さん」
「あら、人の親らしくなって、まぁ!」
「ほら、ゆうくんも挨拶は?」
「初めまして!おばあちゃん!」
玄関から真っ直ぐと続く廊下へと元気な声が響いていく。廊下は電気がついておらず、少し先に見える部屋の窓からの光が仄かに届き、暗く陰だけど視界は見えている。これが自然光の世界。電気を付けなくても明るい世界。木星に居るときは忘れてしまうけれど、改めて見ると懐かしさが腹の底から湧いてくる。
不意に、下げてた肘をどつかれる。
どつかれた方を見れば、妻が怪訝な顔をしてる。
「貴方も挨拶しなさいよ」
「あ、」
「ふふふ。隆さんは相変わらずね」
義母さんに笑われてしまった。つい、ぼーっとしてしまうのが昔からのクセなのだ。僕の家族はこの挙動への理解がないのだけれど、義母さんは笑ってくれる。
「ほんと、お兄さんに似てるわ」
と、そんなことを繰り返し言う。
「さぁ、お上がりなさい」
「あ、その前にこれ!」
と、妻がケーキを差し出す。
「あらま」
「これね、有名なところなのよ」
「ふーん…どうする?いま食べるか、食後に出す?」
「うーん…」
と、妻と義母さんは息子を見る。
「夕飯が食べられなくなっちゃうから、後にしましょうか」
と、僅かに先に言ったのは、妻だった。こう言うところが親子なんだろうなぁ。
靴を脱ぎ玄関を上がり向かう広いリビングには義父さんがすでに食卓に座っていた。
「おひさしぶりです」
と、話したのは僕が先だった。
「あら、隆くん、おひさしぶり。すっかり父親の顔になっているじゃないか」
僕はこの “隆くん” という呼ばれ方が好きだ。結婚する際の顔合わせの時から気づいたらそう呼ばれていた。
「それにしても、さっちゃんはお兄さんに似た子を選んだんだなぁ」
そんな言葉も同時に話していたっけか。
「お父さん、おひさしぶり」
「やぁ…」
こちらはまだどこかぎこちない。父親とはいえ、ひさしぶりに会うとこうなってしまうのだろう。
「ほら、挨拶は?」
いまひとつ言葉が繋がらない妻に代わって、息子に挨拶を促したのは僕だった。
「お祖父ちゃん!はじめまして!」
「はい、はじめまして」
こちらにもぎこちない。
義母さんは社交力でもって物腰やわらかく接してはいたが、義父さんはどこかよそよそしかったのは、やはり血の繋がりよりも他人への礼儀が勝ったからであろう。若しくは僕が先に挨拶したからだったかもしれない。
「もぉ~博さんたら、もう少し明るく挨拶出来ないかしら?」
「いやぁ、そうは言っても気恥ずかしくてな」
「何を今更、孫相手に気恥ずかしくなるって」
「いやぁ、なんだかなぁ…孫って言われてもまだピンと来ないんだなぁ…」
「もう大人なんだから、サッサとなれてくださいね」
そう言って、義母さんは義父さんの横に座る。
私たち家族もそれに倣って四角い食卓の反対側に3人がけで座る。ちょうど、義父の前に僕、義母の前に妻、僕と妻の間に息子が座る。
「あ、飲み物くらい出さなきゃよね」
と、義母さんは座ってすぐ立ち上がる。
「良いよ、私が出すから」
と、妻もすかさず立ち上がるが
「良いのよ、今日はお客さんなんだから、ゆっくりしなさいな」
「そう?」
と、制止された妻はどこか楽しそうだ。ふっと空気がまた柔らかくなる。
「にしても、地球は暑いだろう?」
と義父さん。
「全く、9月に入るってのに、こんなに暑くなるなんて聴いてなかったわ」
よっぽど、この気候が気に食わなかったのか、妻が吐き捨てるように言う。先程までの緊張感が一気に溶けているのは、この暑さのせいもあるのだろうか。
「ほんと、こんなに暑いのは地球がそう望んでいるからとしか思えないわよ…いろんな星に行ったけど、こんなに暑くなかったもの」
と、続けて妻が言う。息子はよくわからないと言った様子で、ダラダラと首を左右に振る扇風機を眺めている。木星のステーションは全空調だから、わざわざ買わないものなぁ、扇風機。
「まるで、土星や木星は望んで寒くなってるみたいな言い方じゃないか」
と、続けたのは義父である。
「だってそうじゃない?地球は夏が好きなのよ。だからこんなに暑いのよ」
「だから、さっちゃんは地球を出ていったの?」
と、聞いたのは義母さん。
「そうよ」
と、鼻息荒く妻が言う。
義父と義母が笑ってる。どうやら、いつもの彼女に戻ったようだ。
「あ、僕は違いますよ?」
「知ってるわよ」
ふふふふふふふふ。
義父と義母が笑ってる。
「やっぱりなんか、お兄さんに似てるんだよなぁ」
はぁ。
僕は曖昧な返事をする。
息子は大人がどうして笑っているかよく判ってない様子。きっと退屈なんだろう。
「そう!暑さで言ったら電車も大変だったわ」
すっかり、悪態つきの娘に戻ってる妻が続ける。
「だいたい、地球の人口が増えすぎたから宇宙に飛び出したはずなのに、なんでまだ電車は人で一杯なのよ。減った分増えてるというか、減ってる以上に増えてないとおかしい計算じゃない!」
「なんなんだろうね、結局どれだけのことをしても満員電車は解消されないのよねぇ」
「復員電車の頃から何も変わってないんだ、これはお国柄なんだろうな」
「ずーっと、ギュウギュウ!何も学ばない!」
と、妻が親に乗せられて勢いよく話すのをみて少し息子がビクッと驚いてる。親にとっては子どもは子どもだけれど、子どもから見れば、こんな親を見るのは初めてなんだもの。
妻もようやく気付いたそうで、少しバツが悪そうにしてる。
「でも、満員電車も悪いところじゃないぞ」
と、義父さんは続ける。
「ある時な、某国のスパイがこの国に偵察に来たそうだがな。平和ボケの国だからって、安上がりに電車で色々なところに行っていたのだけれど、ある時満員電車に乗ってしまったその暑苦しさに、車内で吐いてしまったそうだ」
「いや、その吐いたってのは、自分がスパイだと話したって意味じゃないでしょ?」
「さぁ、そこまでは知らん」
「知らん、じゃないのよ。ほんと、いつも中途半端なのよ、話すことが」
悪態はついていても仲は悪くない。いつかこんな関係になるかなぁ、僕らも。
「あ、結局ケーキは食後で良かったのよね?」
「うん。やっぱまだ沢山は食べられないもの」
と、息子の肩を抱く妻。
「そんなことないわよねぇ~?」
と、覗き込む祖母。
バツの悪そうな息子。まだ、人見知りを発動してる。
「だって、すごく並んだのよ、このケーキ」
「へぇ、有名なの?」
「らしいけど、よくわからない。こっちの友だちに聞いて、一番母さんの好みに近いものを選ぼうとしたら、すっごく並んでたの」
「あら、別に無理に好みに合わせなくても良いのに」
「まぁ、でもせっかくだからね」
「そう…ありがと」
と、軽く感謝を告げる義母さん。
「にしても…今でも不思議なんだよなぁ…」
「何がです?」
「いや、むかしはご飯のために並ぶと言ったら配給のためだったんだよ。それがいつのまにか、美味しいものを買うために並んでるだろう?生きるために並んでたところから、美味しいものを買う、贅沢のために並んでる、という感覚がいまだに慣れないんだなぁ」
「それは、博さんが買い物に行かないからでしょ?」
「いやぁ、そんなことはないぞ」
「だって、列に並ぶことは嫌がるじゃない?」
「そりゃ、時間の無駄な感じがするだろ?」
「無駄じゃないわよ、みんなで話せばないのと一緒よ、ね?隆さん?」
「あ、はい?」
ここで僕に振られるのか。
「まぁ、そうですねぇ…」
「そうですねぇ、じゃないわよ。普段からそんなに話さないのに、列に並んでもそんなに話さないじゃない?」
「いや、改めて話すことを意識することってないじゃん?」
「違うのよ、隆さん。こういう会話は、なんとなくで返せばいいのよ、なんとなくで」
ふふふふふふ。義母さんが笑う。
「話すことに意味を見出しすぎなのよ、隆さんは」
「おいおい、それじゃオレは何も考えずに話してるみたいじゃないか」
「え、そうでしょ?」と話したのは妻である。阿吽の呼吸だなぁ。
「で、勇くんはどんなケーキが好きなの?」
と、義母さんがまた突然に話を振る。
「僕は豆腐が好き!」
息子よ、質問聞いていたのか?
「へぇ~豆腐ね~」
義母さんの社交的な物腰の柔らかさに救われる。妻はなんだか恥ずかしそうだ。
「なんで豆腐が好きなんだ?」
と、今度は義父さんが聞いてくる。
「うーんとね~なんか、こう、ボールに入ってて、それを投げて渡されるんだけど、持ち帰って、パンって割れたら、中から丸い豆腐が出てくるのが綺麗!」
義母さんも義父さんもポカンとしてる。
妻がすかさずに言う。
「アレなのよ。木星のステーションでは地球と違って重力が調整されている中で、豆腐は水風船の中に入れられて売られているのよ。それを投げて渡したりするのが流行っているの」
それでもまだピンときてない様子。
「あ、これです」
と、すぐ携帯で差し出す。
「ほぇ~こんなものがあるのか!」
と、先に食いついたのは義父さんだった。
「これね~結構、ゴムの包装とか凝ってて面白いのよ。それこそ、贈答品に持ってこいという感じで」
「豆腐もこんな生き残り方をするとは驚きでしょうね」
「いやぁ、それは豆腐になったことがないからわからないですけれど」
「誰もそんなこと言ってないわよ」
と、妻にどつかれる。
それを見てまた目の前の2人が笑う。
「ほんとうに愉快な人だ、隆くんは」
義父さんが愉しそうで何よりです、とは流石にまだ言葉に出せなかった。
「にしても、てっきりオレはさっちゃんに似たのかと思ったよ」
と、続けて義父さんが話す。
「むかし、習い事かなんかの帰りかな。ケーキ買って帰ろうと思ったんだよ」
「違うわよ、誕生日よ」
「あ、誕生日か…そのときに『どんなケーキがいいか?』って聞いたら、『私はたまご豆腐がいい!』って言い出してな」
と、義父さんと義母さんの会話に恥ずかしそうな妻。あれか、豆腐と息子が答えた時の顔はこっちの気恥ずかしさか。
「ただ、博さんもバカだから、たまご豆腐をケーキの予算分まるまる買ってきたのよ」
「だって、勿体無いじゃないか」
「勿体無いじゃないわよ、他のものに使えばいいじゃない」
「他のものは他のものでお金を用意してるんだ。予算は予算通りに使う。これが常識だろ?」
「もう~」
と、数年前のことで、呆れてる義母の顔はどこか楽しそうだ。
「ま、いいじゃないか。改めてたまご豆腐をたらふく食べれたんだから」
「たらふく食べれたじゃないですよ…その後、3年くらいはたまご豆腐を食べなかったわよ」
「いやぁ、でも、あれは贅沢だったなぁ…」
「まぁ、美味しかったから良かったわ」
「もう、いい?」
と、妻が制止する。
「へぇ、昔からたまご豆腐が好きだったんですか?」
「いいのよ、こういう時だけ参加しなくても!」
「お!隆くんもさっちゃんのたまご豆腐好きを知ってるんだ」
「聞かせて、隆さん」
「あのですね…」
「ちょっと!」
「ただいまー」
と、玄関から響いてくる男性の声…妻の弟、正さんである。
「おかえり~」
「あら、姉さん、帰ってたの?」
「帰ってたの?じゃないわよ。ちゃんと伝えてたじゃない?」
「あれ、今日だっけ?」
「今日じゃないと、ここに居ないわよ」
「ま、それもそっか」
姉弟は姉弟で別のテンポがあるんだな。
「あ、おひさしぶりです」
「こちらこそ、おひさしぶりです」
「別に、アナタは敬語じゃなくても良いのよ」
「いや、どちらでも良いですよ、お兄さん」
「アンタが決めることじゃないでしょ?」
「でも、姉さんが決めることでもないでしょ?」
「でも、敬語の必要はないでしょ?」
「あの…」
「あ?」「あ?」
なんで、口喧嘩してる2人から同時に睨まれなければいけないのか。
「まぁまぁまぁ、良いじゃない。どちらでも。ほら、勇くん、こちらが叔父さんだよ~」
「ほら、挨拶は?」
「…はじめまして!」
また、人見知りに帰ってるな、息子。
「初めまして。大きくなったね」
と、息子の頭を撫でる正さん。子どもは得意なタイプなのかもしれない。
「で、なんの話してたの?」
「あれだよ、さっちゃんが誕生日のケーキの代わりにたまご豆腐を買ってってせがんできた話よ」
「あー、あれは確かに傑作だったなぁ!」
「そうそう、それであれから3年くらい食べなかったわよね?」
「いや、結局次の年も食べたんじゃなかったっけ?」
「いや、次の年はないんじゃないか?」
「でも、確かにもう一回くらい死ぬほどたまご豆腐を食べた記憶があるなぁ…」
という、義母さんの言葉を最後に黙り込む一家。そんなに、重要な議題とは思えないが、大事な時間なんだろうな…と、ぼーっと一点を眺めている…嫁家族全員で考え込むとき右上を見ているのが面白い。
「あ、違う!」
と、叫んだのは正さんだった。
「俺の誕生日だ。姉さんの数に負けないとか言い出して、それより多くのたまご豆腐を買ってもらって食べる羽目になったんだよ!」
あ~!!!
と、家族が揃える。
「あ~」
と、なぜかうちの息子が合わせる。
ふふふふふふ。
「いやぁ、思えばバカな話だなぁ。よくもまあ、そんなことをしたもんだ」
「いやぁ、今でも食べれると思うぜ?」
「アンタはそうかも知れないけど、ほかの家族はどうなのよ?」
「いや、兄さんは大丈夫でしょ?」
「いや、僕は難しいかなぁ…」
「ん?そんなに食べないの?」
「そういうのじゃないんだけどねぇ…」
「最近、太りやすくなってきたから、腹八分目を意識してるのよ」
と、話したのは妻である。
「へぇ~、でも腹八分目って難しくない?」
「そう!それなんだよ!」
と、思わず大きい声を出してしまった。
あ、若干、引かれてる…。
ゴホン、と咳払いで仕切り直し。
「いや、ほんとそれでですね。腹一杯ってのは感覚としてわかるんだけど、腹八分って言うのはそもそと人間にない感覚じゃないですか?人間にはそもそも感覚として、空腹か満腹しかないわけですよ。そこで、“腹八分” って言われても難しいんですよ、そもそも。でも、そこを意識していなかったら、イヤでも太るじゃないですか?だから、まず初めにお腹いっぱいの量を定義するわけですよ?ご飯なら1合、麺なら350グラム、パンなら食パン厚切り4斤みたいに。そしてそこから逆算して腹八分を計算する…のだけれど、ほんとうに面倒で!いったい自分が何をしたいのか本当わからないんですよ!!!わかります?健康のために、何でこんなに頭を使わなきゃいけないのか?太っても良いからたくさん食べさせて?ってならなくもない…」
と、ここまで喋ったところで、さらに引いてる空気を感じる。いや、どちらかと言うと、妙に張り付いている。
「…そうよ、たくさん食べた方が良いのよ」
と、ボソッと義母さんが呟く。
「そうそうそうそう!俺も!未だに大盛り無料って書いてあったら、それを選んじゃうし!いやぁ、健康には悪いとは分かってるんだけど、やっぱり “無料” って書かれるとね…弱くなっちゃうんですよね。でも、ほら、ハングリー精神というか、限界のさらにその先を目指す、みたいな。そんなハングリー精神を焚き付けられる気にもなって、大盛りを進んで頼んでしまうんだよね。だから、仲間だな、兄さん!」
と、僕は両肩を気持ち強く叩かれた。
「あ、はい…」
それは先程までの正さんとは少し調子が違うように思えた。なんだか、妻の家族の踏み入ってはいけないところに、不用意に入ってしまった感じがする。
「さ、夕飯の準備をしましょうか」
「お母さん、手伝おうか」
「いや、大丈夫よ。その代わりに博さんに手伝ってもらうから」
「え?なんで?」
「当たり前でしょ?はるばる地球まで来てくれたんだから、おもてなししなきゃ。ゆっくりしていってね、隆さん」
「あ、はい…」
義母さんはどこか辛そうな瞳をしていた。ただ、それを悟られたくないようで、少し早口で言い残し、台所へと急いで行った。
「じゃ、勇くんは叔父さんと遊ぼっか?」
「うん!」
「あら、良いの?」
「うん、姉さんと兄さんはそこでゆっくりしてて!」
そう言って、正くんと息子は廊下から二階へと上がって行った。人見知りがすっかり消えているのは、正くんに拠るところが大きいんだろうな。そろそろ父親同士の交流も多くなるだろうし、学ばなければいけないところは多そうだ…
そうこうして、食卓には僕と妻だけが残った。扇風機でカーテンが揺れて、夕方の夏の光がゆっくりと入るなか、優しく眩しい。
「…あのさ、僕、変なこと言ったよね?」
耐えきれず、思わずそう漏らしてしまう。しかし、これからのためにも必要なことだ。
「うーん…」
悪態つきの妻がめずらしく口ごもってる。
「…そうね。いや、変なことは言ってはないのだけれど、少しだけデリケートなところに触れたって感じかな?」
「あ、じゃ、謝らなきゃ」
「いや」
と、妻は鋭く遮った。
「いや、その必要はないのよ。誰も悪くないの。ただね。ただ、戦争のときの、お母さんのお兄さん…私から見た叔父さんのことを思い出しちゃうのよ、空腹のことを話に出すと」
妻は真っ直ぐ前を見ながら、淡々と話し始める。
「私の叔父さんはね、出征先で飢えて死んだんじゃないかって言われてるの。別に、珍しい話じゃないわ。ありふれてもないけれど、そんなに負い目を感じる話じゃない。でもね。戦争が終わって、豊かになればなるほど、お母さんのなかでは違和感みたいな…悔しさとも、虚しさとも言えないものが広がって行ったんだって。私も、お母さんから直接聞いたわけじゃない。お父さんがね、ぽろっと話してくれたの。お父さんは元々、叔父さんの親友だったの。お兄さんを忘れたくなかったお母さんが少しでも思い出を忘れないようにね、わざと選んだんじゃないかって言ってたりもしたわ。でも、愛は嘘じゃないわ。こうして、私も正も生まれてるし、愛されて育ったし」
妻は、淡々と続ける。まるで、光の向こうに叔父さんがいるような感覚で。
「ただね。ときどきご飯を食べるときに、叔父さんのことが浮かんでしまうんだって」
ここで妻は一息ついてから続けるには。
「そして、あなたが話した言葉が少し響いたんでしょうね。どうやら似てるみたいだし」
そこまで言って、妻は僕の方をみる。いつも素敵な笑顔だなって思う。
「そうなんだ」
上手く言葉は返せなかったところでこの話題は終わった。そこから何を話したのかは覚えてない。
そこから30分ほどで夕飯の準備は整い、遅れてではあるが正くんの彼女も合流して、食事の時間が始まる。
「絶対に、食べないよりかは食べた方が良いんだからね」
やま盛りにされた茶碗に慄く息子に、義母さんはそう話しながら楽しげに笑っている。そして僕も特別な日だから、たくさん食べることにした。
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