千年もの迂回

ながめ

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千年もの迂回

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「なんで怒られてるのか、わかってるの?」
 そう、母親に怒られていたことを思い出す。別に質問に答えようが答えなかろうがそんなものは全く関係なく母親としては怒ることが目的なのでこちらは頭を空っぽにしてその怒りの静まる時を延々と待つしかないのだけれど、そんな思い出すだけでも死にたくなるようなことを思い出すくらい、地獄への道は遠かった。
 鬼によれば、およそ千年かかるらしい。
 千年といえば途方もない数字である。キリストが死んでからたった二千年しか経ってないのにこの有様である。
 その千年ものあいだ、訳もわからず迂回させられながら、歩き続けさせられるのである。
 とても死にたくなる。
 道端には寝ている人もいる。迂回路はなかなか混雑していて、寝ている人々は当然の如く踏まれたりする。もしくは死んでいるのかもしれない。あれだけ踏まれて起きないのだからそうに決まっている。
 そんな踏まれる人々のなかには、当然のように安らかな顔のものもいる。それはとても幸せそうで、ともすると現世のことを夢見ているのかもしれない。いや、もしかすると我々が話している現世というものは、ここで見ていた夢をさすのであって、そもそもはこちらが現実なのではなかったのではなかろうか。ならばそれは延々と見続けるショート動画などと変わらない。1000年に比べればたかだか五十年、短い夢を寝るたびに何度も見ながら、実のところは千年ものあいだこうやって地獄へ行くために迂回しているのだ。
 たまにその寝顔がムカつくからか、炉端で寝ている彼らを食べる人々もいる。当たり前だ。千年間延々と歩き続けていたら腹も減る。一応、一日に二回程度は飯にありつけるようにはなっているのだが、当たりが悪いと朝昼晩で三回とも在庫切れなんてこともある。そもそも罪人である。最低限しか回されない。なんならその飯だって、菓子パンやらおにぎりやらと序でにバナナみたいな、歩かせるためだけのもので嗜好品ではない。ならば、道端の肉を食うだろう。そもそも地獄へ行く人々である。欲まみれなのだ。
 そんな食事もままならない暇なことばかりなので、ふとしたことで遠くの方から罵声が響き渡るととても嬉しくなる。なぁに、みんな地獄へ行く人間で短気なのが取り柄みたいな馬鹿だらけである。喧嘩の理由もしょうもなく、やれぶつかったのだの、顔が気に食わないだの、実にくだらない。しかしくだらないから面白い。ただでさえ、人が十人も通れるかの路地で取っ組み合いを始める。多くのものが素通りする中で、たまに立ち止まるものが出てくる。そしてたちまちの渋滞でヤジが飛ぶ。「早く通せ!」という言葉の中に「やっちまえ!」という声も聞こえる。こうなれば興行である。バナナを賭けては勝ち負けを競うのだ。ときどきこれは!という試合があると、勝ち負けに関わらず、喧嘩の主人公に賭けたものを渡すことさえある。なぁに、私自身は決して喧嘩に乗り気にはならないのだけれど、それくらいを楽しむのは良いだろう…まぁ、刑期は長くなるかもしれないが。
 そんな時間がおよそ三百年は続いただろうか。次第に人はまばらになってくる。離脱者…というより歩みを止めるものが多くなってくるのだ。それでも、多少緩くなっただけで速度が速くなるわけでもなし。良くなったことといえば、配給を少し多くもらえるようになったことだろうか。ただ、退屈には変わりない。
 そんなこんなで五百年が過ぎただろうか。もはや、年数を数えることが馬鹿馬鹿しくなり、ただ黙々と歩いていたところ、体に一匹の毛虫が住んでいることに気がついた。別になんの感情もなく、日がな一日延々と私の体をくまなく回っている。
 そのなんと積極的なこと。私なんかはあるかどうかわからない地獄とやらへ、なんの感情も持たず延々と歩いているだけでそこに何の有意性もない。その点、この毛虫は動かなくても良いところを延々と能動的に歩いている。私から見たらこの体などそんなに大したことないのに、いそいそと楽しそうに回る。羨ましい。
 そんな毛虫は何を食っていたか分からないままに大きくなり続け、遂に私の鼻に止まっては蛹になった。
 それはそれは大きな蛹である。その重さでぼくの鼻が剥がれ落ちるのではと思ってしまうほどに大きかったのだが、別にこれと言って楽しみのない私はそのまま放っておくことにした。なぁに、このままにしておいて、地獄に着いたときに閻魔の馬鹿にでも顔を見せて笑われるのも一興だろう。
 そんなこと思いながらダラダラと歩いて数年後、遂に蛹が開かれる時が来た。ぺりぺりと背中が開き出したと思うと、柔らかく大きな羽根を広げた。私は鱗粉による鼻のむず痒さと共に、視界が遮られていくのを見ていた。やがて、完全に成虫として立派に育った蝶が鼻へ止まっているのを見る。小刻みに羽根を動かすので尚更ところどころがむず痒い。
 その飛ぶ瞬間である。私はなんとなく足を掴んだ。それが愛着いうものだったのかもしれない。ただ、きっと足がもげてしまうだろうということも分かっていた。
 しかし不思議なことに、その足に捕まったまま私は宙に浮かんでしまっていたのだ。
 なんだ、こんな簡単なことで空を飛べたのかと思うまま、蝶が羽根を動かすままにぐんぐんと私は上へ上へと向かっていった。下へと遠くなっていく歩き続ける人を見ながら、いつかこんな景色を見たような気もしていた。果たして、それは生前の記憶だったのかもしれないと思っていた。
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