世界で一番幸せな呪い

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2章:贋作は真作足りえるか

望んだ答え

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行きにかかった時間がウソのように、村までの帰路にはほとんど時間がかからなかった。最大の要因はアリスだろう。森を覆う濃霧の中でも正確に村への道を記憶していた。

「アリスって、偶にアホっぽいけどやっぱ頭いいんだなぁ」

クロウは口からぽろっと漏れ出た言葉に、アリスは“あ゛ぁ?”というドスを聞かせた声で振り返った。

「君の頭が足りないだけだろう」

 ただでさえ鋭い目つきのアリスであったが、いつも以上に目は吊り上がっている。チリッとアリスの手のひらから火花が出た。

「そ、そんなことよりほら、森の出口が見えてきたぞ!」

 クロウはちょうど良いタイミングで出口が見えたことにほっとしながら、話題を露骨に逸らした。アリスはジトっとした目でクロウを見つつも、それ以上は何もせずひたすらに足を動かした。

 走っているペースで言えば、それほど早いわけではないが、アリスの体力のなさを考えるとかなり無理をして走っているのだろう。玉のような汗が額から噴き出ている。それでも泣き言を言わずに懸命に走っているのは、彼女の後ろでメイド服を揺らしながら走るスキアのためなのだろう。

 あれから4日は経っている、アンネさんの容体を考えると一刻の猶予もない。クロウ達が森を抜けると、遠目にスキアの故郷の村が見えてきた。
無意識にだろうが、スキアの走るペースが次第に早くなっていく。その甲斐もあってか森からは村へは半刻もかからずに着くことが出来た。

 クロウ達が村へ到着すると、1軒の家に村人たちが集まっているのが見えた。その表情は一様に深刻なものであった。クロウの背筋に何か冷たいものが走ったような、そんな悪い予感がした。それはスキアも同じだったのだろう。ハッとしたような顔をしてその家へと走り出した。そう、彼女が昔住んでいた、そして彼女の帰りを待つ人がいるはずの家へと。

 村人たちは鬼気迫る表情で駆けてくるスキアを見ると、少し動揺したような顔をしたが、彼女のために道を開けた。彼女は他には何も見えていないといった様子で、家の中へ飛び込んだ。
そこには医術士と、苦しそうな表情で横たわっている老女――アンネがいた。

「はぁ、おかあ、はぁゴホッゴホッ」

 母を呼ぼうとするスキアであったが、すでに体力は限界を超えており言葉にならなかった。だが、気配で誰かが来たことが分かったのか、アンネは苦しそうな表情をしながらもスキアの方を見た。

 そして、優し気に微笑むと、ググっと腕に力を入れ、懸命に起き上がろうとした。医術士は焦ったような様子で、その行為を止めようとしたが、アンネは黙って首を振った。

「……娘が帰ってきたなら……ちゃんと出迎えてあげるのが親の務めでしょう?」

 体が痛むのか、痛みをこらえ、歯を食いしばりながら、それでもアンネは笑顔を絶やさず凛とした声で言った。振り絞った力で体を起こした彼女は、スキアの方を見ると“おいで”と言い、手招きした。

 スキアは母に逢えた喜びや、苦しそうな母の姿を目の当たりにした悲しさ、そして変わってしまった自分を受け入れてくれるのかという恐怖、そんな様々な感情が入り混じった表情で、恐る恐る自身の母親へと近づいた。

「ティキア、お帰りなさい」

 スキアの本当の——いや本来の名前を呼んだ。

「た……だだい゛まぁー」

 スキアはその金色の瞳から大粒の涙をぽろぽろとこぼし、母親のもとへ飛び込んだ。そこには、屋敷であったような静かで他を寄せ付けないような雰囲気はなく、母親に甘える年相応の少女の姿があった。

「あらあら、体は大きくなったのに泣き虫なのは変わらないのねぇ」

 母親に抱き着き、さめざめと泣き続ける娘の姿を少し困ったように、けれど嬉しそうにほほ笑んで言った。

「それから、この娘のことを守ってくれてありがとうね」
 
 アンネはそうポツリとこぼした。家の外で聞いていたクロウとアリスには誰に向けての言葉かは分からなかった。だが、スキアの影がほんの少しだけ揺れた気がした。

「やっぱり母親ってすげぇんだな」

クロウは空の雲を見上げながら何の気なしに言った。

「何の話だい?」

 アリスは不思議そうな表情をした。

「いや、スキアが悩んでた問題を一発で解決しちまうんだからな」

「あぁ、ホンモノかニセモノかっていうやつかい。でも、彼女は答えなんか何も言っていないだろう?」

困惑した様子でアリスは言った。

「まぁ確かにさ、ちゃんと言葉に出してるわけではないんだろうけどさ。でも、結局スキアはさ、ニセモノでもホンモノでもなく、ただアンネさんの娘だってことを望んでたんだろうからなぁ」

「……そういうもんかねぇ。少なくとも私には分からないよ」

まだまだ納得がいっていない様子のアリスだったが、クロウは“そういうもんだろうさ”軽い口調で言った。

その後アリスは、アンネに呼ばれ彼女と少しだけ言葉を交わした。アンネは娘を連れて帰ってくれたことのお礼を言ったが、アリス本人はいつも通り“私は約束を守っただけだ!”と素直じゃない言葉を言ったらしい。ただ、アンネの家から出てきた時の彼女の表情は、口元がほころんでいたことだけはクロウの眼から見ても明らかだった。

 それから2日間の間、スキアはアンネと1日中話をしていた。長く離れていた時間を埋めるように、……そして、別れの挨拶を済ませているように――。クロウ達が村に帰り着いてちょうど2日後、アンネさんはスキアに看取られてこの世を去った。アンネの表情は病に苦しんでいたことがウソであるかのように、安らかに、そして薄く微笑んでいた。
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