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“拾った男は【フォーク】だった”
1-3 怖かったよな
「え……?」
頬に降ってきた雫に驚いて琉架が見上げると、和唯は琉架の顔を見ながら静かに泣いていた。隠すこともせず、拭う余裕もなく、勝手にあふれてきてしまう涙をぽたぽたと琉架の頬に落とす。理性を飛ばして琉架を啜っていたさっきまでの和唯は、もうどこにもいなかった。
「もう二度と、味はしないと思ってました……」
ひどく心細そうに和唯が告げる。
「味、しました……あまいあまい味が、しました。……よかった」
この先もう二度と知ることができないと思っていた味に触れ、和唯は安堵のあまり泣いていた。
「和唯……」
初めてケーキのあまさを知った客が暴走して琉架をめちゃくちゃにすることはよくあったが、泣かれたのはこれが初めてだった。琉架はただ驚いて、自分の上に乗り上げたまま、ぼろぼろ泣いている和唯をじっと見つめることしかできない。
「俺、ついこの間……ほんのひと月前にフォークを発症しまして……」
泣いて掠れてしまう声で、言葉を探しながら和唯がゆっくりと話し始めた。
「食べ物の味が、突然何もしなくなって……それでも最初は無理やり、ごはん食べてたんですけど……」
伝えるのにも勇気がいるだろうにと、琉架は懸命に伝えようとしてくれる和唯の言葉にじっと耳を傾ける。
「だんだん、ごはんがうまく食べられなくなって……何も感じない舌が、食べるのをあきらめてしまって……」
なんで食わねぇのかと理由も訊かず責めてしまったことを、琉架が悔やむ。
「栄養、うまくとれなくなりました……どんどん痩せてしまって、ふらふらで、道で倒れてしまって……正直、もうこのまま雪に埋もれて人生終わってもいいやって、思ってたのに……」
和唯の涙はまだ止まらない。
「あなたが……琉架さんが、見つけてくれました……」
誰もあの道を通らなかったら、通りがかったのが自分ではなかったらと思うと、琉架はその仮定にぞっとした。自分のお人好しを今だけは存分に褒めてやる。
「あの、ごめんなさい、わかってて、ついてきました……」
「え……」
「道で琉架さんに、顔近づけられたとき、気づいたんですけど……」
初めて嗅ぐ香りだったが、和唯はそれをまちがえようがなかった。フォークにしか感じられないという、殴って誘ってくるような、強いあまい香り。
「自制はできるって聞いていたので、不安でしたけど、お言葉に甘えて、ついてきてしまいました……でも琉架さんを前にしたら、止められませんでした……理性なくして、ごめん、なさい……」
親切で部屋に上げてくれた琉架になんてひどいことをしてしまったのかと、和唯がその罪を素直に謝る。
「……俺、やっと料理人として、軌道に乗ってきて……自分の舌だけを信じて、これまでたくさん頑張ってきたのに、なんでこんなことに……って、すごく、落ち込んで……」
フォークは性別も年齢も関係なく、ケーキ以外の誰もが発症する可能性を持っている。若いときに発症すればそこから死ぬまで味覚をなくしたまま、取り戻すことは一生ない。
「落ち込むってレベルじゃねぇだろ……」
和唯が失ったものの大きさに打ちひしがれて、琉架が思わず口を挟む。コックが味覚を失うということがどれだけ致命傷なのかは、あまり学がない琉架にもさすがにわかった。
「絶望、しました。今も、ずっと、しています……」
思い出せばまた惨めになるのか、和唯はまた大きく鼻をすすった。
「でも、味がしたんです、今」
死ぬまで無色透明の中に閉じ込められると思っていた世界での、唯一の刺激。
「あまいって、はっきりわかったんです」
フォークという未知の人間に突如分類されて、自分が自分でなくなっていくような感覚に和唯は怖れしか感じられなかった。それなのに。
「まだ味がするものがあるってわかって、それだけでもう充分です」
下にいる琉架を見つめて、和唯はそう言って泣きながら少しだけ微笑んだ。
見つめられて、琉架の指先が自然と和唯の瞳に伸びた。親指で和唯の涙を拭ってやる。
「……怖かったか?」
琉架は和唯に組み敷かれたままそう訊いた。小さく何度も、和唯がうなずく。
「怖かったよな、こんなの」
味覚をなくすという絶望を、ケーキの琉架は今までちゃんと想像したことがなかった。ケーキである琉架がフォークを発症することはなく、想像は意味のないことだった。
それでも想像をすれば、琉架が今まで相手をしてきたフォークは皆この絶望の中であまさを求めて、時には気まぐれにケーキを愛したり、時にはうかつにケーキを傷つけたりしてきたのかもしれないと気づかされ、琉架は参る。
自分だけがいつも被害者のような顔をしていた。本当はすべてがそうではなかったのかもしれないのに。
「味がして、よかったな」
「……はい」
こんな自分にも救えるものがあったのだと驚いて、琉架はケーキとして生まれてきたことを初めて、ほんの少しだけ誇らしく思ってしまった。
「オレ、あまかった?」
琉架が戯れに訊く。もう数え切れないほど言われてきたその感想を、何故か琉架は和唯からはっきりと聞きたいと思った。
「……はい、琉架さんは、とってもあまかったです」
和唯がようやく穏やかに、そう琉架に教える。
「……あー、もうっ、おまえもう泣くなって。オレびっちゃびちゃなんだけど」
和唯の大量の涙を頬で受け止めたり、口唇が腫れ上がるほどキスをされたりと、琉架の顔面はこの短時間で相当ひどいことになっていた。
「あ……はい、ごめんなさい……えっと、もう、いろいろごめんなさい……」
徐々に落ち着きを取り戻してきた和唯が、一体何から謝ればいいのかと狼狽える。
「オレも事情知らずにひどいこと言って悪かった。舌肥えてる、とかさ。……和唯、とりあえずオレの上から退いて? んで、今度こそおまえの話ちゃんと聞かせて?」
自分とは対極にいるような異種の男への単純な興味ではなく、琉架は和唯のことをもっと知りたくなっていた。
頬に降ってきた雫に驚いて琉架が見上げると、和唯は琉架の顔を見ながら静かに泣いていた。隠すこともせず、拭う余裕もなく、勝手にあふれてきてしまう涙をぽたぽたと琉架の頬に落とす。理性を飛ばして琉架を啜っていたさっきまでの和唯は、もうどこにもいなかった。
「もう二度と、味はしないと思ってました……」
ひどく心細そうに和唯が告げる。
「味、しました……あまいあまい味が、しました。……よかった」
この先もう二度と知ることができないと思っていた味に触れ、和唯は安堵のあまり泣いていた。
「和唯……」
初めてケーキのあまさを知った客が暴走して琉架をめちゃくちゃにすることはよくあったが、泣かれたのはこれが初めてだった。琉架はただ驚いて、自分の上に乗り上げたまま、ぼろぼろ泣いている和唯をじっと見つめることしかできない。
「俺、ついこの間……ほんのひと月前にフォークを発症しまして……」
泣いて掠れてしまう声で、言葉を探しながら和唯がゆっくりと話し始めた。
「食べ物の味が、突然何もしなくなって……それでも最初は無理やり、ごはん食べてたんですけど……」
伝えるのにも勇気がいるだろうにと、琉架は懸命に伝えようとしてくれる和唯の言葉にじっと耳を傾ける。
「だんだん、ごはんがうまく食べられなくなって……何も感じない舌が、食べるのをあきらめてしまって……」
なんで食わねぇのかと理由も訊かず責めてしまったことを、琉架が悔やむ。
「栄養、うまくとれなくなりました……どんどん痩せてしまって、ふらふらで、道で倒れてしまって……正直、もうこのまま雪に埋もれて人生終わってもいいやって、思ってたのに……」
和唯の涙はまだ止まらない。
「あなたが……琉架さんが、見つけてくれました……」
誰もあの道を通らなかったら、通りがかったのが自分ではなかったらと思うと、琉架はその仮定にぞっとした。自分のお人好しを今だけは存分に褒めてやる。
「あの、ごめんなさい、わかってて、ついてきました……」
「え……」
「道で琉架さんに、顔近づけられたとき、気づいたんですけど……」
初めて嗅ぐ香りだったが、和唯はそれをまちがえようがなかった。フォークにしか感じられないという、殴って誘ってくるような、強いあまい香り。
「自制はできるって聞いていたので、不安でしたけど、お言葉に甘えて、ついてきてしまいました……でも琉架さんを前にしたら、止められませんでした……理性なくして、ごめん、なさい……」
親切で部屋に上げてくれた琉架になんてひどいことをしてしまったのかと、和唯がその罪を素直に謝る。
「……俺、やっと料理人として、軌道に乗ってきて……自分の舌だけを信じて、これまでたくさん頑張ってきたのに、なんでこんなことに……って、すごく、落ち込んで……」
フォークは性別も年齢も関係なく、ケーキ以外の誰もが発症する可能性を持っている。若いときに発症すればそこから死ぬまで味覚をなくしたまま、取り戻すことは一生ない。
「落ち込むってレベルじゃねぇだろ……」
和唯が失ったものの大きさに打ちひしがれて、琉架が思わず口を挟む。コックが味覚を失うということがどれだけ致命傷なのかは、あまり学がない琉架にもさすがにわかった。
「絶望、しました。今も、ずっと、しています……」
思い出せばまた惨めになるのか、和唯はまた大きく鼻をすすった。
「でも、味がしたんです、今」
死ぬまで無色透明の中に閉じ込められると思っていた世界での、唯一の刺激。
「あまいって、はっきりわかったんです」
フォークという未知の人間に突如分類されて、自分が自分でなくなっていくような感覚に和唯は怖れしか感じられなかった。それなのに。
「まだ味がするものがあるってわかって、それだけでもう充分です」
下にいる琉架を見つめて、和唯はそう言って泣きながら少しだけ微笑んだ。
見つめられて、琉架の指先が自然と和唯の瞳に伸びた。親指で和唯の涙を拭ってやる。
「……怖かったか?」
琉架は和唯に組み敷かれたままそう訊いた。小さく何度も、和唯がうなずく。
「怖かったよな、こんなの」
味覚をなくすという絶望を、ケーキの琉架は今までちゃんと想像したことがなかった。ケーキである琉架がフォークを発症することはなく、想像は意味のないことだった。
それでも想像をすれば、琉架が今まで相手をしてきたフォークは皆この絶望の中であまさを求めて、時には気まぐれにケーキを愛したり、時にはうかつにケーキを傷つけたりしてきたのかもしれないと気づかされ、琉架は参る。
自分だけがいつも被害者のような顔をしていた。本当はすべてがそうではなかったのかもしれないのに。
「味がして、よかったな」
「……はい」
こんな自分にも救えるものがあったのだと驚いて、琉架はケーキとして生まれてきたことを初めて、ほんの少しだけ誇らしく思ってしまった。
「オレ、あまかった?」
琉架が戯れに訊く。もう数え切れないほど言われてきたその感想を、何故か琉架は和唯からはっきりと聞きたいと思った。
「……はい、琉架さんは、とってもあまかったです」
和唯がようやく穏やかに、そう琉架に教える。
「……あー、もうっ、おまえもう泣くなって。オレびっちゃびちゃなんだけど」
和唯の大量の涙を頬で受け止めたり、口唇が腫れ上がるほどキスをされたりと、琉架の顔面はこの短時間で相当ひどいことになっていた。
「あ……はい、ごめんなさい……えっと、もう、いろいろごめんなさい……」
徐々に落ち着きを取り戻してきた和唯が、一体何から謝ればいいのかと狼狽える。
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