ビターシロップ

ゆりすみれ

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“依存のシロップ”

7-3 すごいのつけます

「……夢っ!?」

 ベッドの上でなめらかな肌をさらしたまま横向きに眠っていた琉架が、ぱちっと目を覚ました。からだには琉架がいつも使っている薄手のダウンケットがふんわりと掛けてある。

 夢、と思って慌てて目を開けた先に、同じように横向きに寝ている和唯の顔があって琉架はひどく安堵した。違うのは、和唯が目を開けて自分を穏やかに眺めていたことだ。ベッドサイドに置いてあるスタンドライトに電球色の明かりが薄く入っていたおかげで、和唯の顔がよく見えた。和唯が点けていたようだ。

「……起きてたんなら、起こせよ」

 少しばつが悪そうに琉架が言う。一体どれだけ寝顔を見られていたのか。でも和唯がここにいるということは、夢じゃなかった。よかった。

 夕方から始めたセックスは、互いの想いを確かめ合った熱があっさりと冷めてくれるはずもなく、そのまま夜まで長くじっくりと続いた。入院して少し体力が落ちていた琉架はさすがに疲れてしまったようで、何度か果てたあと、和唯のやさしい腕に抱かれて眠ってしまった。

「ずっと、見てたわけ……?」

「琉架さんのこと好きだなーって思って、ずっと見てました」

「……っ」

 さっきまで散々好き好きと言い合っていたのに、最中じゃないときにナチュラルにそれを口にされると恥ずかしくて、琉架が思わずぱっと目を逸らす。

「かわいい」

 あんなに乱れたいやらしい顔で自分をあおっていた琉架が、急に純情な反応をしたことがいとしくて、和唯が琉架の茶色い柔らかい髪に手を伸ばした。撫でると、琉架がくすぐったそうに目を細める。

「やっと俺のものになったんだなって、噛みしめてたんですよ」

「お、俺のもの……って、は、恥ずかしい言い方してんじゃねぇよ」

「でも、俺のもの、でしょ? 俺、琉架さんの彼氏ですよ、彼氏」

 うれしくて二度、彼氏という単語を和唯が使った。ずっと焦がれていた特別な称号は口に出すとやはり気恥ずかしくて、馴染むのに時間が掛かりそうだと小さく笑う。

「うぅ……」

 何を言っても生意気な年下彼氏のペースにしかならない気がして、琉架は口を尖らせてむぅっと和唯を見た。和唯は余裕そうに微笑んでいる。

「え、っていうか、今何時……?」

 昼まで寝ていることが多い琉架の寝室は分厚い遮光カーテンがかけられているので、窓の外の時間経過はほとんどわからなかった。今がすっかり陽が落ちている夜ということはわかるが、どれだけ抱かれていたのかも、どれだけ眠っていたのかも、まるで感覚がない。和唯に抱かれている最中は、永遠のようにも、一瞬のようにも思えて、麻痺してしまう。

「九時過ぎてますよ。夕飯どうします? 何か作りましょうか?」

 和唯が訊くと、琉架は少しだけ考えて、

「もう、今日はいっか……」

 と、つぶやくように言った。

「食べなくていいんですか?」

「正直、食える気しねぇわ……胸がいっぱいで」

「!?」

 心臓を跳ねさせている和唯をよそに、琉架がぎゅっと和唯に抱きついた。心臓と心臓が限りなく近づいて、鼓動の速さが筒抜けになる。伝わるのは恥ずかしかったが、伝えて、思い知らせてやりたいとも和唯は思った。ずるい。こんなの、余裕なんてなくなる。

「……俺も、心臓ぶっ壊れそうなんで、ごはん無理です……」

 今日はもうこのままでと、甘えるようにしがみついてきた琉架を和唯がさらに抱きしめる。朝までとことん堕落コースが決定し、寄せ合った心音を互いに聞かせ合いながら二人で幸いを噛みしめた。

 しばらく和唯の腕の中にすっぽりと収まっていた琉架が、少し体勢を変えようとからだを動かしたとき、

「痛っ……」

 と、小さな声をあげた。琉架の手は咄嗟に脇腹へと伸び、イテテ……とまだ痛々しさを残す傷跡をそっと押さえる。

「大丈夫ですか!? やっぱり傷痛いですよね!? 琉架さんホントは無理してました……?」

 和唯の顔色が変わった。少し冷静になれば当たり前に気づけたのに、自分の欲を押しつけることしか考えられなくなっていた。琉架の強がりを鵜呑みにしてしまった。

「はは……まぁ、多少は。でも、おまえ引き留めるのに必死だったから」

「琉架さんが痛い思いするのがいちばん嫌なのに……俺、なんてことを……」

「これくらいの痛みでおまえが手に入ったんだから、いいよ」

 痛みと引き換えだとしたなら、引き換えたものの大きさに琉架はまた胸をいっぱいにさせる。

「仕事もしばらく休みもらったし、明日からはちゃんと安静にするって」

「仕事……」

 曇った顔で思わずそれを拾ってしまい、さすがに鬱陶うっとうしいかと和唯が慌てて口を閉ざした。彼氏になった途端急にこれでは、いくらなんでも琉架に呆れられる。恋人歴数時間の自分にはまだそこに口を出す権利はないと、和唯がぐっとこらえた。予定より早く琉架に想いを伝えてしまったが、和唯はまだ社会に必要な人間になっていない。琉架とまったく対等ではない。

 その遠慮と葛藤を敏感に感じ取った琉架は、和唯を茶化すでも責めるでもなく、単純な疑問として和唯に訊いた。

「やっぱ嫌か? ……オレの仕事」

「あ、……え、っと」

 なんと答えるのが正解かわからず、和唯がわかりやすく動揺する。血を売るのをやめてくれて琉架が傷つけられるようなことはなくなったとは言え、やはり恋人が他の男に舐められるのは、この先正直きつい。今までだって感情を殺して耐えてきた。自分のものだと思ったら、感情を殺すやり方すらわからなくなりそうだった。

「まぁ、そういう反応になるよな……」

 最近琉架はこういう難しい問題に直面したとき、相手の立場になって考えるという小学校の道徳の授業のような方法で物事を考えるようにしている。子供の頃あまりしっくり来なかったこのやり方は、大人になってからはずいぶん有効なのだと和唯と過ごすうちに気づかされた。本当に大切なことは、あまりにもシンプル。同じ状況で和唯が他の男を抱く仕事をしていたら、琉架は絶対に嫌だった。

「ホントはさ、もっと早くにおまえに好きって言おうって思ってたんだけど……自分の仕事のこと冷静に考えたら、いつも怖くて」

 たくさんの男たちに舐め回されてきたけがれたケーキを、受け入れてもらえるか自信がなかった。過去まで受け入れてもらうことを和唯にいるのは、心が痛んだ。

「……今も、まだ少し怖い」

 琉架が和唯の腕に手を置き、不安から爪を立てる。食い込む爪から痛みを教えられて、和唯が口を開く。

「本音を言えば、琉架さんのこと、もう誰にも……指一本触れさせたくない」

 ずっと押し殺してきた感情を、和唯は初めて口に出せた。今言えるのはここまでだ。

「でもあなたが自分を大事にしてくれるようになったし、お金のためだけにやってるわけじゃないっていうのも知ってるので」

「……」

「ずっと、譲れないもののために頑張ってきたんでしょう?」

「譲れ、ないもの……」

「その気持ちは俺にもよくわかるから。……俺は琉架さんの選択や決意を尊重したいです」

 腕に食い込んでいた爪から、少し力が抜けたのがわかった。気持ちが届いているといいなと和唯が願う。

「……なんて、ちょっと理解ある風に言っちゃいましたけど。俺、さっそく彼氏力試されてます?」

 和唯が顔を緩ませて、心細そうにしている琉架の瞳をのぞき込む。目が合って、琉架は笑ってしまった。

「おまえさっきから彼氏彼氏って言い過ぎ……。彼氏歴数時間のくせに浮かれてんじゃねぇよ」

 琉架が戯れに和唯の腹を小突く。

「浮かれますよ……ずっと、片想いしてたんです。叶うかもわからなかった」

 好きなものを見るときはこんな目をするんだと、和唯の瞳の色を琉架が覚える。でもそれは、もうずいぶん前から知っていたような気がした。

「……ありがと」

「?」

「オレもちゃんと考えるよ、これからのこと」

「……はい、俺も考えます」

 今はこれで充分だった。まだ恋人としての時間は始まったばかりだ。

「お休みって、どれくらいあるんですか?」

「とりあえず二週間もらった。あとは、傷の具合見て決める」

 和唯は少し考えを巡らせてから、いたずらを思いついた子供のようににやりと笑った。だったら。

「……琉架さんに痕、つけたいな」

 指先を琉架の首筋に滑らせて、ここに、と場所を提示する。

「目立つところに、俺のだっていうしるし、つけたい」

「ふふっ、……いいよ」

 琉架も楽しくなって、すうっと通った自慢の首筋をあっさりと和唯に差し出した。きめ細かい琉架の美しい肌を前に、獲物に牙を立てる獣の気持ちに和唯が共感する。

「すげぇのつけろよ」

「はい、すごいのつけます」

 和唯は舌舐めずりで口唇を湿らせた。琉架の首筋に顔を寄せ、すぼめた口で柔らかい皮膚に吸い付く。肌と口唇をぴったりと密着させ、真空にしていった。

「あ……」

 食われているような感覚に、琉架の声が思わず漏れる。落ち着いていたはずの淫らな気持ちがまた戻ってきてしまい、うずくからだをなだめるのに必死だった。

 ゆっくり、じわじわと、吸い上げた。琉架に痛い思いはさせないように、和唯は丁寧に施す。丁寧に慎重にしたはずなのに、口唇を離したらくっきりとした紅斑が琉架の首筋に現れていて、和唯は感嘆の息を吐いた。

 俺のもの。しるし。

「……見たい。見ていい?」

 和唯がうなずくと、琉架はサイドチェストに置いていたスマホに手を伸ばした。インカメラで首元を映し、和唯の強めの独占欲をしばらくうっとりと眺める。琉架は照れながらも上機嫌だった。

「キスマークつけられたの、はじめて」

「そうなんですか?」

「店で働くようになってからこんなに長い休み取ったことなかったし。キスマつけて出勤できねぇだろ」

「……どうですか? はじめての感想は」

「なんか恥ずかしい」

「他には?」

「……すげぇうれしい」

 和唯が腕を伸ばし、琉架をふわっと抱きすくめた。抱き寄せられて、手にしていたスマホがシーツの上に落ちる。

「琉架さんのこと大事にします」

 ずっと心の中で伝え続けてきたことを、和唯はやっと渡せた。好きで、大事にしたくて、それが和唯のすべてだった。

「ん、……そうして」

 あまり大事にされ慣れていない琉架が、その言葉を宝物のように受け取る。漠然と、最後の恋になるといいなと琉架は思った。

「和唯、……あまいの欲しい?」

 和唯にからだを預けながら、琉架が上目遣いで訊く。

「? ここも充分あまかったですよ?」

 和唯が、吸ったばかりの首筋を指で撫でる。しばらく消えない赤い痕を、いとおしく見つめた。俺のもの。しるし。

「……オレが、あまいの欲しい? って訊くときは」

 琉架が和唯にもっとしがみつく。

「……おまえと、キスしたいってことだよ」

「!?」

 小さく、それでも妖艶にそう誘われ、和唯は胸の内で、あー、もうっ……をくり返す。

 あー、もう、この人は……。

「知ってます? ゴム、あとひとつしかないんですよ!?」

 和唯は枕元に放置していたゴムの箱を乱暴に掴み、軽い箱をカサカサと振ってみせた。さっき中を確認したからまちがいない。たくさん使ってしまった。

「ははっ、……耐えろ耐えろ」

 おもしろがって、琉架が笑う。

「もう……あおるの天才ですか」

 そう言いながらも和唯は、最後のゴムを箱から出して手元に準備しておく。明日琉架と一緒に新しいのをコンビニに買いに行くのもいいかもしれない。心配ばかり掛けてしまった店主にもいろいろ報告したい。

「あまいの欲しいだろ?」

「欲しいよ、……ちょうだい」

 和唯は琉架の左耳にそう残して、勢いよく恋人にくちづけた。
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