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ゆりすみれ

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8【亜楼+海斗Diary】新しいしるし

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 家族になってすぐにけんかをしたのは亜楼と海斗だった。というより、堂園家の中で言い合いや殴り合いのけんかをするのはそもそもこの二人だけだ。

 もともと気が強い者同士で反りが合わないのは目に見えていた。きっかけはなんだったか、おそらく食べ物の取り合いのようなくだらないことだったんだろうと、今では家族の誰もが覚えていないけんかのはじまりを亜楼は必死に思い出そうとする。

 けんかは時折殴り合いにも発展したが、当時短い学ランを着て街を闊歩かっぽしていた高校生の亜楼が、まだランドセルを背負っていた海斗相手に本気で手を上げるはずもなく、亜楼としては軽いしつけのつもりだった。

 いつも亜楼は海斗を放っておけなかった。聞き分けがよく手の掛からない眞空と冬夜とは正反対に、海斗は常にハラハラさせられる爆弾みたいな弟だった。生意気で意地っ張りなところといい、一度思い込んだら何がなんでも我を通すところといい、手を焼かされるたびに亜楼は海斗から目が離せなくなっていた。

 そんな愚弟を、亜楼は一度だけ本気でぶったことがある。それはまだ双子が堂園家に引き取られて間もない頃、小学校から帰ってきた海斗が不機嫌全開でランドセルを叩きつけるように投げ出したことから始まった。

『おい、なんだよ今の音』

 先に帰宅していた亜楼が大きな音に気づいて、何事かと様子を見に自室から出てきた。

『オレ、ほんとは堂園海斗じゃねぇもん! 須藤海斗だもん! 須藤だもん!』

 リビングで投げ出したランドセルを蹴飛ばし、海斗はひどく怒っているようだった。つい先日まで名乗っていた名字を連呼し、激しくわめき散らす。

『なんだよ、うるせぇなぁ。……何があった?』

『……名字が変わったらおかしいって言われた!』

『あぁ? しょうがねぇだろ、養子になったんだから』

 亜楼は面倒そうにそう言い、ランドセルから飛び出した教科書や筆記用具を雑に拾い上げた。気に入らないことがあるとすぐに癇癪かんしゃくを起こす癖はやめさせないと、と亜楼は新たに兄としての目標を立てる。

『……オレ、好きで名字変わったわけじゃねぇし! この家だって、別に好きでいるわけじゃねぇし!』

 あぁ? と亜楼の表情が曇った。聞き捨てならないと、幼い海斗を睨みつける。

『あーぁ、なんでこんなところにつれてこられたんだろ? 須藤のまま、ずっと眞空といっしょにひばり園にいればよかった!』

 無償の愛でみなしごの人生を引き受けてくれた秀春さんになんてこと言うんだこのクソガキは、とカッとなった亜楼が我に返ったときには海斗の頬が赤く腫れ上がっていた。拳を逸らすのをしくじったと激しく後悔したが、亜楼ももうあとには引けなかった。秀春を傷つけることだけは許せない。

『いい加減にしろっ! おまえ、秀春さんがどんな思いで俺たちのこと息子にしたと思ってんだ!? ……そんなに気に入らねぇ名字なら、出ていけ!』

 海斗は怯えた眼で亜楼を見ると、腫れた頬を押さえて家を飛び出していった。

 亜楼は呆然と、海斗をぶってしまった右のてのひらを見つめた。残ったのは、虚しさが大半を占める痺れた痛み。ついこの間、弟たちを守ると誓って差し伸べた手が、いとも容易く弟を傷つけた。守ることも殴ることもできる危うい手を、亜楼はただじっと見つめる。

 すると海斗と入れ違いに、眞空が血相を変えてリビングに飛び込んできた。ランドセルをガタガタ鳴らし、亜楼に強く詰め寄る。

『亜楼!? 今海斗がものすごいイキオイで出ていったけど、なんかあったの!?』

 てのひらをぼんやりと見つめている亜楼に気づき、眞空がおそるおそる問いかけた。

『……ぶったの?』

『……』

『今日海斗、クラスのやつとけんかしたんだ。なんか、ヨウシになったこと、バカにされたみたいで。海斗、すっごく落ち込んでるみたいだったから心配で早く帰ってきたんだけど……』

 眞空の言葉を聞きながら、亜楼はてのひらから顔を上げることができなくなっていた。からだが急に震え始める。気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こすのは、俺の方じゃねぇか。

『亜楼、海斗とけんかしたの? ……亜楼、海斗のことキライなの?』

 不安そうに眞空が亜楼の瞳をのぞき込んだ。海斗と同じ顔が、目の前で小さな双眸そうぼうをゆらゆらと潤ませている。

『……クソッ』

 亜楼は立ち上がり眞空の頭を一度だけポンと撫でると、慌てて海斗を追いかけに行った。





『ここにいたのか……やっと見つけた』

 近所をあてもなく走り回って、結局家から少し離れたところにある海が見える堤防で亜楼は海斗を見つけた。肩で大きく息をしながら、ほっと胸を撫で下ろす。

 海斗は頬に手を当てたまま、ひざを抱えて座っていた。亜楼はそっと近づき、海斗を真似てひざを抱えて丸くなる。遠慮がちに海斗との距離をとって座ったのは、亜楼がまだ家族という居心地の悪さに戸惑っている証だった。

『海……よく見えるんだな。ここに来て二年経つけど、ここでこんな風にちゃんと海見たことなかった気がする』

 ぽつりとつぶやいた亜楼の言葉を、海斗はじっと海に視線を預けたまま黙って聞いている。

『海と空、か。同じ色して、いつも向かい合って、永遠に変わらない対、だな。……いい名前つけてもらったな、おまえら』

 波がおだやかに揺れ、ちょうど太陽を飲み込む準備をしているところだった。その奇跡の重なりのような色を、なったばかりのいびつな兄弟は並んで見つめている。

『名字変わったっておまえらはなんも変わんねぇだろ? 大丈夫だから胸張ってりゃいいんだよ。……もしまたなんか言われるようなことあったら俺に言えよ。んなモン、怒鳴り散らして黙らせてやるし。もうぜってぇに、なんも言わせねぇようにしてやるから』

『……須藤っていう名字がなくなったら、父さんと母さんが生きてたこともなくなっちゃうみたいで、こわかったんだ。……名字って、家族のしるしだろ』

 ようやく口を開いた海斗の、とても10歳の少年のものとは思えない哀しみに充ちた言葉に亜楼は息を呑んだ。残された証はもう姓しかないのだ、双子にとって。不器用な海斗なりに傷ついていたのだと思い知らされ、ますます先刻の拳の軽薄さに絶望する。

『ぶったのはごめん、兄ちゃんが悪かった。つい、カッとなっちまったんだ』

 ひとつひとつ丁寧に言葉を選び、亜楼はゆっくりと告げていく。今度はまちがえないように。大切な弟を、これ以上傷つけないように。

『血がつながってる家族の方がいいに決まってる。秀春さんも俺も、おまえたちの家族になれるように努力はするけど、本当のお父さんとお母さんには敵わねぇってちゃんと知ってるからさ』

『……』

『お父さんとお母さん死んじまってつらかったな。二人残されて、つらかったな』

『……』

『本物の家族には敵わねぇってわかってるけど、俺も秀春さんもがんばってみるからさ、俺を家族にしてくれよ。……俺をちゃんと、おまえたちの兄貴にしてくれよ、な?』

 放たれた想いが、海の香りが混ざる風に乗って飛んでいく。

 海斗ははっとして、海を捉えていた双眸を慌てて亜楼に向けた。亜楼の瞳は慈しみに満ちあふれた色を有して、海斗の泣き出しそうな情けない面を受け入れる。

 海斗は今になってようやく、先刻自分が吐いてしまった言葉の愚かさに気づいた。一生懸命家族になろうとしてくれている人たちに、なんてひどい攻撃を。なんて鋭い言葉のナイフを振りかざしてしまったのか。

 残されてしまったのは、亜楼だって同じなのに。

『堂園を、新しいしるしに思ってくれないか?』

 思い出を忘れる必要はないけれど、新しいしるしが増えたと思ってくれればいい。寄せ集めのまがいものかもしれないけど、だったらどこにも負けない絆ですがりついていればいい。

 ひどくやさしい、すべてを許すような亜楼の物言いに、海斗はこらえきれなくなってわぁっと泣き出した。大きな瞳からは、これでもかというほどたくさんの熱いしずくがあふれ出す。

『……ごめん、亜楼……オレ、ほんとは、堂園の家、だいすきだよ……秀春さんも、亜楼も、だいすきだよっ、……ほんとは、ちゃんと、家族だって、……思ってる、からっ……』

『あぁ、俺もそうだと思ってた』

 先刻の罵倒が海斗の本心ではないことを確認して、亜楼は改めて手を上げてしまった事実を猛省する。弟はただ、淋しがりやで不器用なだけだ。

『……さっきの全部、ウソだから……クラスのやつになんか言われたって、オレ、ちゃんと、堂園海斗だって、堂々と言うからっ、……だから、もう、……出ていけなんて、言わないでっ……』

『悪かった、もう一生言わねぇから。……兄貴と、思ってくれるか?』

 眼をごしごしと豪快にこすりながら首をぶんぶんと大きく縦に振る海斗の肩を、亜楼はやさしく抱き寄せた。わずかにあった戸惑いの距離がなくなる。

 家族に、なる。

 亜楼の肩に頭を預けて海斗はわんわん泣いていた。それは痛みを知った甘え。

 海と空が溶け合う奇跡の色を遥か遠くに見つめながら、兄は弟の小さなからだを更に強く抱きしめた。
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