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ゆりすみれ

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60【眞空+冬夜Diary】嘘も方便

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「……冬夜が、家出ていくんだってな」

 アスファルトの照り返しが厳しい学校からの帰路の途中で、眞空は後ろから声をかけられた。

 明日からはいよいよ待ちに待った夏休みで、だるい終業式を終えた生徒たちはやっと解放されたと言わんばかりに、浮ついた足取りで校門を飛び出していく。そんな人の波の一部となって歩いていた眞空が声のした方を振り返ると、そこには今でも親友と信じて疑わない男と、その少し後ろには堂園家の末弟が控えていた。

「純一!?」

 純一の方から話しかけてくれたことは絶交宣言をされてからは一度もなく、あまりの唐突さと少し懐かしささえ覚える友の声に、眞空はひどく動揺してしまった。

「ど……したの? つーか、絶交中なんじゃ……」

「あぁ、それ、もうそろそろ飽きてきたし……終わりにしよっかなって」

「!? 終わり!? なんなの、その、軽さ……」

 しれっと何事もなかったかのように振る舞う純一に、眞空は口をあんぐりさせるしかない。この男は、自由すぎる。

「言っただろ? 別におまえのこと嫌いになったわけじゃねぇって。なんとなく面白かったから、ちょっといじめてただけ」

「おまえなぁ……!」

 おれは散々心を痛めてたのに!? と眞空は叫びたかったが、これでちょうどお互い様かと思い直して、そのままぐっとその言葉を飲み込んだ。純一の気が済んだのならそれでいい。友の心を痛めつけたという点で自分たちは同罪で、だったらもうこれ以上は根に持たないのが友情だと思い、笑って終わらす。

「家を出ていくって……冬夜に聞いたんだよな?」

 眞空は自分たちの後ろからひっそりとついてきている弟にちらっと視線を流しながら、隣で肩を並べる純一に問いかけた。冬夜が堂園家を出ると家族に伝えたのは、つい昨日の夜のことだ。

「そ、今日の朝練のときにな。おまえんちって、ほんとドラマみてぇなことばっか起こるんだな。まじでおもしれぇわ」

 昨晩の夕食のあと、冬夜は笑って、由夏と一緒に暮らしてみたいと秀春に告げた。亜楼と海斗は少しだけ物言いたげな顔をしていたが、秀春は笑って了承した。

「ドラマって……まぁそこは否定できない。みなしご寄せ集めの時点で、相当特殊だしな……」

 冬夜は、母親にめいっぱいわがままを言って甘えてやるんだと張り切っていた。それはきっと、堂園家で愛情をたっぷり注がれて育った冬夜の、やさしい好奇心。由夏が空白の時間を埋め合わせしたいと願ったように、冬夜も一緒に生きられなかった時間を少しでも取り戻したいと望んだ。

 ──僕は堂園家ここで、もう充分に与えてもらったから。今度は彼女が幸せになる番だよね。

 他の家族よりも先に恋人に決意を伝えにきていた冬夜は、眞空にだけは内に秘めたその想いを打ち明けて、あまやかに美しく笑った。

「ま、そういう家族のことも含めておまえたちって見てて飽きねぇし、……不本意ながら、テキトーに応援してやるよ」

 そこは不本意なのかよ……と呆れる眞空の肩に、純一の鍛えられたたくましい腕が回される。このイケメンが! このこの! と純一がじゃれて眞空のからだを拘束していると、

「ちょっと純一さん。僕の眞空にベタベタひっつかないでくれる?」

 と頬を膨らませた吊り目の冬夜が、ぐいぐいと純一の制服のシャツを後ろから引っ張った。美少年の吊り目は、なかなかの迫力がある。

「僕の、だって。あー、言われてみてぇモンだなー」
 
 冬夜に女子のようなしぐさで責められて、さらに面白くなってしまった純一は、意地でも離れてやるもんかと眞空の肩に回す腕にますます力を込めた。それに気づいた冬夜が、また不機嫌そうに純一のシャツを引っ張って、なんとか眞空から引き剥がそうとムキになる。

「あーぁ、こんなことなら、あんとき冬夜とキスしとくんだったな」

 純一が唐突に、何気なくそう口にした。

「人のモンになる前だったらセーフだろ? 思い出作りでもすりゃよかったわ」

「……え」

 痛い痛いと文句を言って、純一が締めつけてくる腕に気を取られていた眞空だったが、ふと純一がとんでもないことを発言した気がして急に立ち止まった。

「……えぇ!? してねぇの!?」

 冬夜から、純一にキスされたと確かに聞いたはずだったが。

「……はぁ!? してねぇよ!!」

 むしろ何故したと思われているのか、純一はわけがわからずひどく不快な顔をした。思い出作りなんて冗談に決まってんだろと、純一が眞空を睨む。

「冬夜にコクって、確かにちょっと心揺らいだから、このまま勢いでしてやろうかとも一瞬思ったけど……寸前でするっと逃げられたんだよ。まじで、そういうとこあるよな冬夜って。今まで一体何人そういうのかわしてきたんだか」

 場慣れし過ぎ、と純一がへらっと笑った。

「冬夜……? ど、ゆ、こと……?」

 唖然として、眞空が純一の後ろにいる冬夜をパッと振り返る。真実をバラされ急にバツが悪くなった冬夜は、すぐに純一のシャツを引っ張るのをやめ、今度は図々しく純一の背中に隠れるようにして眞空の視線から逃れた。純一の背中からおそるおそる顔を出す冬夜に、眞空がキッと強い視線を送りつける。

「冬夜、嘘ついたの!? ……あのシャワーは一体……」

 ──眞空、キスして。
 ──眞空ので、消させて。

 シャワーに打たれながら夢中で口唇を食んだあのとき、キスをする相手として冬夜に選ばれたことを喜ぶ一方で、消毒のような、上書きのようなキスに、複雑な気持ちをくすぶらせていたのも事実だった。親友に先を越されてしまった悔しさに、本当は密かにずっと胸を痛めていた。カッコ悪すぎて、冬夜には隠し通していたけれど。

「えぇっと、……」

 バレてしまっては仕方ないと、冬夜があっさり観念した。いたずらを謝る子供のように、あまり怒られないように可愛らしく上目遣いで言い訳する。

「嘘も方便……って言うでしょ? だってあぁでもしないと、眞空を焚きつけらんなかったっていうか……」

「たき、つけ……!?」

「眞空がなかなか手出してくれないから、……ちょっとした……色仕掛け、的な?」

「いろ、じかけ……!?」

「でもいいよね、結果オーライだもん」

 しまいには開き直って、恋人をも一瞬で釘付けにするような美しい笑みで冬夜が眞空を見つめた。盾にしていた純一の背中からひょこっと出てきて、呆然としている眞空に近づく。眞空の耳に口を寄せて、内緒話をするようにてのひらを添えた。

「……だからね、僕のはじめて、ほんとに全部眞空なの」

 恋も、キスも、それ以上のことも。はじめてを全部眞空に捧げたら、眞空は丸ごと綺麗に貰ってくれた。

「っ!?」

 冬夜にあまく耳打ちされて、眞空がどくっと胸を鳴らした。今までの様々なはじめてを急に思い出してしまい、勝手に顔が火照り出す。特に、自分の下であらゆるところをぐちょぐちょにして横たわっていた弟の記憶を脳に返せば、頬は勢いよく赤く染まった。学校帰りの真っ昼間に思い出していいことではなかったと、眞空がその過失を激しく後悔する。

「……っ、で、でも! 嘘はいけないって、昔から兄ちゃんたち言ってるだろ!?」

 怒りたいのに結局強くは怒れなくて、眞空は中途半端な兄貴面で弟をむぅっとした目で見た。

「……ごめんね?」

「嘘ついたの亜楼に告げ口してやる! 亜楼に怒ってもらう!」

 おれは、冬夜が純一にキスされたって聞いて、めちゃくちゃ、めちゃくちゃ……めっちゃくちゃ嫌だったんだからな!

 顔を茹で上げて怒る眞空は、しっかりとホールドされていた純一の腕から無理やりなんとか抜け出すと、こら! と冬夜の腕をつかもうと手を伸ばした。身の危険を察して一歩早く動き出した冬夜は、捕えられることなく、身軽にひょいっと眞空から逃げる。

「冬夜! 絶対亜楼に言うからな! うちは悪いことしたら、みんな怖い兄貴に叱られるんだから!」

 一度手を伸ばした手前つかまえるまでやめられなくなった眞空は、純一を軸にしてちょろちょろと逃げ回る冬夜を、子供の頃に戻ったようにくるくると追いかけ回す。

「やめてよー、もう時効だって」

「時効短すぎ、だめ」

「亜楼に言ったって、亜楼は僕のこと怒れないよ? 僕、ずっと甘やかされてきたから怒られたことないし、それに……」

 だいたい、亜楼が言ったんだから。……好きなら、ガンガン攻めてもいいって。

 かつて大きい兄に背中を押してもらったことや、二番目の兄に相談に乗ってもらったことを思い出し、冬夜はなんだかくすぐったい気持ちに包まれた。こうしている今が、偶然や運命だけに頼り切ったものではないと、胸を張って言える。絶対にあきらめたくなかった初恋の人を、自分の力で手繰り寄せ、手に入れた。大切な人たちにもらった勇気が、ここまで連れてきてくれた。

 ……本当に、いいお兄ちゃんしかいないんだよなぁ、うちは。

 そんなことを冬夜が考えているとはつゆ知らず、夏のうだるような暑さの中、末弟をつかまえて長兄の前に突き出そうとしている眞空が、懸命に手を伸ばす。が、陸上部で培われた冬夜の走力には到底敵わない。

 昼間の公道で、じゃれ合うようにキャッキャと追いかけっこを始めた二人に、

「……これに俺を巻き込むの、マジでやめてほしいんだけど……」

 と、純一が虚無の表情でつぶやいた。

「あー、もう……バカップル……。家でやれ、家で」

 それでも純一のその顔はどこかさわやかに晴れ渡っていて、これから本格的に始まるこの季節によく似合う。

 こんなものを見せられて、自分が入る隙は本当に最初から微塵もなかったのだと純一は痛感したが、悪あがきで眞空を惑わすことができて、ざまぁみろという気持ちだけはこの恋の記念に持っておく。

「おい、ほんとに、バカなことやってねぇで行くぞ。……つか、このまま昼メシ食いにいこうぜ」

 有り余った幸いが顔からこぼれ落ちている親友と後輩を見て、不本意ながら二人の行く末をそばで見守ってやろうかと、純一はやさしい決意をそっと胸に宿した。
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