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あこ

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ドンドン、と階下の玄関の扉が叩かれている音に気が付き目を覚ましたアンは、けれど窓の外が暗いのを確認し再び目を閉じた。
こんな時間の来客にろくなヤツはいない。
ろくなヤツ以外であっても常識が欠如しているし、なによりもし、想像している相手が叩いているのなら起きて出迎えたりなんてしたら何を言ってしまうか、アン自身すら解らないから出迎えるなんて無理だ。その人に対してだけは笑顔で何も言わずに「おかえり」と言いたいのに、どうしてもどうしたって言えない。いつもいつも言えないし、やはり今日も同じように出迎えた途端不機嫌そうな不満な顔を向けてしまいそうだから、アンは決して起き上がろうとしなかった。
布団を引き上げ潜り込み扉を叩く音を無視していれば、音は止んでアンもとしてくる。
一度起きてしまうとなかなか眠れない事が多いアンは、このままなるべく早く寝れるように頭の中を空っぽにするイメージでベッドの中の暖かさを全身でうっとり感じていた。
こんな時に、愛猫が一緒に寝てくれたらこの上なく強烈な睡魔が枕元まできてくれそうなのに、アンの愛猫は暖炉の前から未だに離れないようだ。もうとっくに火は落としてあるのにそれに気が付かないほど眠り込んでいるのか、アンのベッドに潜り込んできていない。
寝れそう、と意識が遠のくような感覚に陥った時、布団がガバリと捲られ、アンは一気に覚醒した。
「──────っ!」
「ハニー、つれねぇなあ。可愛い顔で出迎えてくれたっていいじゃねえのさ」
寝衣を着たガッチリした男がそう言って、アンの隣に我が物顔で入り込む。
「体、冷たいから寄ってくんな」
やはりアンの口からは、本音よりも文句が先に出た。
「そう言うなよ、アン。俺ァ、アンに暖めてもらいたくて真っ直ぐ帰ってきたってェのに、つれねぇなア」
ずりずりと男から距離を取ろうとするアンだが、伸びてきた男の手に捕まってあっさりと抱きしめられた。
冷たい体に身を震わせると男が喉の奥で押し殺したように笑い、アンの額に冷えた唇でキスをする。
「あったけぇなあ……。起こして悪かったなア。さ、寝ようぜ」
アンの体温を奪いながらもアンを温めていく男の体温にアンは諦めたように力を抜き、再び寝るために頭を空っぽにした。

翌朝。
変な時間にあんな形で起こされたアンより早く、男が起き、適当な服に着替えると外に出る。
丁度いいタイミングで可愛いポニーに乗った少年が家の前を通り、男を目にして清々しい朝にぴったりの笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、テオ!アンも喜んでるでしょ」
「いーや、ご機嫌斜めだ。今回もご機嫌とりの方法すら思いつかねぇよ」
「はは!毎度毎度ほったらかしにし過ぎだからだよ。ほら、これ今日の新聞。明日の新聞は休みだからねー」
またねー、と元気な声の小さな新聞配達員は手を振って去っていく。
新聞を片手にアンに抱きついて寝たあの男、テオは頭を掻いて家に戻った。
玄関ではアンではなく、彼らの愛猫ブランがテオを出迎える。新聞を脇に挟んだテオはブランを抱き上げ、甘えてくる素直な猫に頬擦りをしてから再び寝室に戻った。
寝室では相変わらず寝ているアンがいて、テオは新聞を棚の上に置くとその隣に潜り込む。アンを引き寄せると先のブランのように素直に甘えるかのように擦り寄ってきて、テオの顔はだらしなく脂下がった。

次にテオが目を開けると、アンのいた場所にはブランがおり、アンの姿は無くなっている。
テオは大欠伸をして階段を降り、いい匂いのするキッチンを覗き込んだ。
石と煉瓦造りの焜炉の前にはアンがいる。それだけでテオの顔は幸せそうに綻んだ。
「アン、おはよ。いい匂いだな」
アンはテオを無視して鍋に蓋をする。
テオはその背中に苦笑いし、大股でアンの真後ろに立つと自分より幾分も小さな背中を抱きしめた。
「アーン、頼むぜ、無視しないでくれよ。俺だって人間だ。恋人にそんなつれない態度取られちまえば、悲しくて泣けてくる」
しばらく無言でいたアンだが、ポツリと
「泣けるなら、泣けばいい。俺の方が泣きたい」
鍋に落ちたら料理が塩っぱくなるような、そんな声色だ。
テオは抱きしめる腕の力を強めて、アンの頭にキスを振らせた。
「すまねぇな。わかってるんだ、アンにそのうち愛想尽かされるってさ。怖くて愛想尽かされてねぇかって、毎回ドア叩いて。お前は出てこねぇ、不安になって。鍵を使えばまだ開いて、安心して喜んでお前の隣に潜り込んでさ。それで翌日は不機嫌なアンとご対面。そうさ、俺のせいでいつもそんなアンとただいまの抱擁を交わしてるンだ」
アンは体に巻きつくテオの腕に触れ、掻き消えそうな声で行った。
「ごめんね、俺、テオじゃない物に腹立ててるだけ。テオに八つ当たりしてるだけ。テオ、今回も無事でよかった」

少し経った今、アンはテオが惚れに惚れてしまった笑顔でテオと話す。
新聞屋の少年──あの配達員だ──の初恋が砕け散ったが翌日にはもう好きな子が出来ていた。とか。
市場で長老と言われてる老人が店に出てないと皆で心配していたら、街の外れにあるこの辺りで一番高い山に登り幻の食材を探していただけだった、とか。
テオが不在の間の事を次々に話しては、テオの心を満たしていく。
一区切りついたところで、アンはマグカップを両手で握りしめて視線を逸らせた。
「怪我、してないか?」
「ああ、切り傷ひとつないさ。ただ、擦り傷はある」
「擦り傷?どうしたの?」
表情を曇らせ身を乗り出すアンに、擦り傷一つ大した事じゃない、と言ってからテオは
「いやあ、子猫が木から降りれねぇってビャービャー泣いてて、上行っておろしてやろうかって思ったらそいつ、足滑らせて落ちてきてさア。慌てて受け止めた時に木肌でやっちまったのさ。子猫はお礼のひとつも言わずに去っていったんだぜ?どう思う?」
アンに笑ったテオは、足元にいたブランを抱き上げて次はこれだ。
「なー、ブラン。同じ猫としてどう思う?『助けてくれてありがとうにゃー』くらい言うよなア?『ありがとにゃんにゃん!』ってよ。なあ?」
「にゃー」
「そうだよな、そうだろう。やっぱりお礼は言うよにゃー?お前はいい子だよ。よしよし、後でご馳走を振る舞ってやるにゃー!」
ニャーニャーとご機嫌で鳴くブランの鼻に自分の鼻を擦り合わせているテオ、という目の前の光景にアンは胸がギュウと締め付けられた。

ブランをフードの中に突っ込んだ──これはごく当たり前の事だ──テオと買い物を入れる籠を持ったアンが、市場にいる姿がある。
市場は週に一度と祝日が休み。その日以外は今日のように賑わう。
街の大通りから少し入ったところの、けれど交通の弁がいいこの場所に昔から市場は存在していた。
「やあ、テオ!おかえり。今回は良いものが取れたかい?」
「ああ。まあ、な」
「お、今日ブランも一緒か。何か買っていってくれたらさ、ブラン用に売れない魚を持っていってくれていいよ」
「よし、ブラン、俺の財布を痛めないでご馳走にありつけそうだぞ」
ブランをフードに入れたテオは、顔馴染み──と言ってもこの街の人間はこの市場の殆どと顔馴染みだろうが──の魚屋と話をし、アンはその向かいの香草類を扱う店を覗いている。
「アン、よかったわね。テオが帰ってきて。怪我もないんでしょ?安心したわね」
「うん、まあね」
「テオもハンターなんてやめて、街で仕事をすればいいのにねえ。鉱物だって植物だって、ハンターだもの、危険はあるじゃないの」
「無理無理。あんな怪我したって、まだしてるんだから」
女店主に欲しいものを告げ「テオに渡しておいて」と言ってアンはテオに「早く買っておいてよ」と釘も刺して別の店に向かう。
一人でこうして市場を歩くのは珍しくはないが、テオが帰ってすぐだと気持ちが違う。
アンの顔はいつもと変わりはないけれど、心の中では様々な思いがいた。

「アン」

先の場所から少し離れたそこで名を呼ばれそちらへ顔を向けると、この街を守る騎士団の隊長がいる。
「やあ、昨日のうちにテオがそっちの軍団長に会いに行ったんだろう?何か俺に用事?」
「いや、見かけたから声をかけただけさ」
「そう。テオはあっち。俺は一人にして欲しい。特にあんたらとは金輪際関わりあいたくない。テオが帰ってきてくれた今、あんたらみたいなのに話しかけられると、酷く気分が悪いんだ」
ふい、と顔を逸らしてアンは隊長の横を通り抜けていく。
人は多いがテオ関連なんだろうと思う人たちのおかげで、会話について突っ込まれる事もない。
アンは無意識に唇を噛んで渦巻く気持ちを飲み込むと、いつものように柔らかい顔で今度こそ目的の店に足を向けた。
隊長はその背中を見送り、すぐさまアンの歩いてきた方向に顔を向ける。
怪訝な顔のテオが二つの包みを抱えて隊長を見ていた。
「よーお、せぇっかく上がったうちの奥さんの機嫌、最高速度で降下させてくれてありがとな」
「すまない。そういうつもりはなかったんだ」
「へーえ、なかった?よく言われてるだろう?アンは“騎士様”たちに話しかけられたくねぇのよ。解ってるくせに、白々しいねぇ」
黙った隊長を一瞥し、テオは長息を吐く。
「ま、金の件についてはさぁ、それだけはあんたら嘘ついてねぇもんなあ。ただなあ、俺もいい加減本当にねえ、本業だけハンター業してさあ、うちの奥さんを安心させてやりてえのよ。解らねぇよなあ、あんたらには」
呟いて、フードの中のブランの声に急かされるようにアンの向かった方向へ足早に去っていった。

テオは道の端で立ち止まっているアンを見つけ、顔の筋肉をほぐすとその背中にピタリと張り付き、アンの肩から顔を出してなんとか表情を保つアンの頬にキスをする。
「あの空気読めねえやろうが、アンちゃんの気分を急降下させやがってなあ。今度会ったら頭かち割っておくからな」
「うん」
「よしよし。じゃあ肉でもなんでも買いに行こうぜ。この見事な肉体を持つ旦那様がなんだって持ってやるから」
「──────うん」
弱々しく眉を下げたアンにもう一度キスをして、テオは隣に立つ。
「アンちゃん、今日は俺が作ってやろう。実はこの間の仕事で行った先でな、から、魔獣の肉と血を使ったスープを教えてもらったんだ。どうだ、アンちゃん。元気出るぞ。魔獣は今から俺が狩ってこよう。新鮮なのがいいらしいからなあ」
「…ぷ、ぷ、ふ、あははははは。やだよ!作ってくれるのは嬉しいけど、そんな凄そうな味と匂いのスープはやだってば!」
「そうかあ?鼻を摘みながら食べたら、案外うまかったぞ」
こうやって、と鼻をつまむテオにアンはまた笑う。少し表情も良くなって、テオは目尻が垂れるほど嬉しそうに笑った。
「なら仕方あるまい。俺が唯一作れる。チキンソテーにするか」
「ははは、名前がついてる事は否定しないけど、テオのは本当にじゃん!しかも時々塩すら忘れる!」
「塩なんてなくても素材の味で食えるぞ。それにあの焼き加減は熟練の腕あってこそなんだぜ」
笑い声を上げながら肉屋に向かえば、店主が「相変わらず仲がいいね」とこちらも笑ってテオの言う肉を次々まとめていく。
アンの顔はいつもと同じ、テオが好きになったあの穏やかな顔。
「相変わらずアンはテオに似合わないほど、優しい顔してるねえ。テオが帰ってきて、漸く安心しただろうブランとアンにおまけをしておくよ」
人がアンの事を褒めれば褒めるほど、まるで自分が褒められたように得意げになるテオは店主から肉を受け取っていく。
ここの国の人間は大人も子供も良い意味で素直で明るく朗らかだ。身内が褒められれば面白いほど嬉しそうな顔になる。
そんな人たちでさえ、テオのこのアンを褒められた時の顔には参る。惚れ込んで惚れ込んで付き合ってくれと言い募り張り付いていた──と表現したくなるほどのアピールだった──テオは、付き合ったら付き合えたでその熱量そのままにアンを愛して、得意げになる。何人が「お前を褒めたんじゃないからね」と言った事だろう。
俺にはおまけはないのか、と言うテオに諦めろと言う店主と別れ、漸く家路に着く。
ブランはフードの中で熟睡していて、ぴくりとも動かない。
元々外猫、謂わば野良猫だったブランは二人が外に出る時は付いて行きたいと玄関から動かない事も多く、なのに連れて行ったら行ったでフードや鞄の中から出る気はなく帰るまで寝ていたなんて事もあった。
それでもブランに強請られた時、行き先に問題がなければ連れていくのは二人がブランに甘く非常に弱いからだろう。
時に二人が──殆ど主にアンがだが──素直になるきっかけを、仲直りのきっかけを与えてくれるのがブランだ。

「テオ、荷物ひとつ持つよ」
二人ゆっくり歩いていると、アンがテオに言う。
「いいのいいの。持てちゃう人に持たせておけばいいんだから」
へらへらと笑って断ると、アンは少し考えた顔をしてすぐに行動を起こした。
荷物のうちひとつを奪うように取り上げ、そのおかげで空いたテオの手を荷物を奪うためには使っていない空いた手で握る。
「たまには、いいだろ?手、繋ごうよ」
少しカサカサしている荒れたテオの手を、アンの手が離すまいと握っている。
アンの手は年中綺麗で柔らかい。自分の事に関しては無頓着なところもあるテオが「楽器を使う手なのだから、大切にしないといけねえよ」と“ウエイターには少しお高い”クリームをアンにプレゼントするからだ。
自分の手とは厚みも何もかも違うアンの手を、テオもきつく握り返す。
テオがアンに柔らかく綺麗な手でいて欲しいのは、なにも楽器を使うからだけではない。自分のような手になってほしくないからだ。
アンの手が、荒れていようが傷ついていようが“同じ”になるはずもないのだけれど、テオはアンには惚れた時の顔のように、アンの全てが穏やかで柔らかくあってほしいのだ。

「アン、いつか、旅行に行こう。連れていきたい場所は、いっぱいあるんだ」
「俺みたいに格闘センスゼロでも安全な場所ならいくらでもいくよ」
「仮に安全な場所じゃなくても、俺が安全な場所にしてやっちゃうから、アンはどーんと構えてな」
自信たっぷりの横顔にアンは知られないように笑う。
テオはアンより年上なのに、どうしてもこう言う時は年下のような子供っぽさが顔に出る。
それがマイナスなイメージを持つ人間もいるだろうけれど、アンはそんなテオだからこうして隣にいてほしいのだと思っていた。
自分と違う側面を愛おしく思えるそれを、アンはテオに教えてもらった。

「なら安心だ。俺はどこでもついてくよ」
「よし、約束だからな」

綺麗な発光石がたくさんある洞窟、正し吸血蝙蝠の巣窟。綺麗な花が咲き誇る澄み渡った池のある草原、正し魔獣に注意。絶品のきのこが穫れる林、正し一度迷うと出られない。行きたいけど行きたくなくなるような旅行先に、アンが苦笑いになる。
候補が五つも出たところでもう家の屋根が見えてきた。
綺麗なセピア色の屋根と二人で植えた広葉樹のある、二人の家が。
「あーあ、手を繋ぐのもここまでか。うーん、もう少し遠くに家を買うべきだったかもしれないな……でも、そうなるとアンの職場が遠くなるし、治安もなあ……」
ぶつぶつ言いながらテオは手を離し鍵を開けて扉を開ける。
いつもと同じ、アンに視線でさあどうぞと先を譲った。

「テオ、おかえり」

先に入ったアンは、入ってすぐに振り返るとノブを握ったままのテオに言う。昨日、素直に言えなかった分も、その時の気持ちも、たっぷりと込めて。

「おう、ただいま」
「無事でよかった。うん、おかえりなさい」

漸く満面の笑みで「おかえり」と言って迎えてくれた恋人にテオは思わず
「あー、今からアンちゃん、食っちまいてえ」
と溢した。
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