ツギハギドール

広茂実理

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黒髪ドール

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 車は、沖田家のすぐ脇に停車した。ごくりと初の喉が鳴る。
 いろいろなことが不可解で、不鮮明で、不明瞭なままだった。
 すべては近藤敢の作り話ではないか――そう思えた方が、どれだけ楽だったか。
 だが、先程見せられた写真が、嘘ではないことを物語っていた。何故ならば、どの写真の裏側にも、必ず奏の字で日付と場所、一言の感想が添えられていたからだ。
 そんな大量の愛を見せられて、初は疑うことなどできなかった。奏は、初以上のベクトルを向けていたのだ。
 自分は、その欠片にすら気付かなかった――初は、彼女を見ていたつもりで、まったくわかっていなかった。表面上の外面と自身の理想像を重ね合わせて、本当の彼女を知ろうとしなかった。
 もしも、勇気を出して一歩でも近付いていれば。そうすれば、隣を歩くことができていたのだろうか。挨拶以上の会話を交わすことが、できていたのだろうか。
 今となっては、もうわからない……だけど、もしも未だに彼女を縛るものが存在するのなら、初はそれを許してはおけない。そのままには、しておけない。
 それこそ本当の意味で、彼女のためにも――
「さあ、着いたね。行こうか」
「行くって……」
 当たり前のようにインターホンの前に立つ男へ、初がおそるおそる問いかける。まさか、そんな正規の手順を踏むとは思っていなかったからだ。
「友達の家に来たんだ。まずは、ピンポン鳴らすところから、だろ?」
 何が楽しいのだか、笑って。男は本当に遊びに来たかのように、軽快な指使いでインターホンを鳴らした。
「あわわ……」
「面白い反応するなあ、君。大丈夫だって。銃や刀を持った何者かが出てくることなんて、ないんだからさ」
「それは、そうでしょうけど……」
「というか、君はもう幽体なんだから、何を怖がることがあるんだか」
「あ。今、わたしを馬鹿にしましたか? しましたよね。幽霊だったら怖がっちゃいけないんですか? 何でだめなんですか? 新手のハラスメントですか?」
「いや、何でもかんでもハラスメントって言ったら良いわけじゃないからね。というか、何ハラになるんだ――っと、出てきた。沖田、急に悪い――な……」
 玄関のドアが開いて、中から青年が姿を現す。と、その手には――
「ちょっと! それ! 何でお兄さんが手に、を持って現れるんですか!」
「いや、僕も知らな――って、沖田! それ、こっちに向けるなって!」
「何だ。近藤か。何を一人で喚いているんだ?」
「いいから、それ! おおお落ち着いて、手に持ってる物騒な物を手放せ! な!」
「落ち着くのはお前の方だと思うが……ちゃんと電源は切ってあるぞ」
「そういう問題じゃないんですけど?」
 くわっと牙を剥く美青年に小首を傾げて、仕方なしとばかりに沖田家長男、沖田つとむは、そっと床にチェーンソーを置いた。
「ただの電動工具に、何を騒いでいるんだ?」
「お前が、そんな物を持って玄関から出てくるとは、思わなかったからだよ!」
「そうか」
「そうか。じゃない!」
「お兄さん、相変わらずクール……」
「まったく……」
 やれやれと肩を落とす小柄な青年。初は、改めて彼の小ささを実感していた。
「それで? 連絡もなしに、急にどうした。ちゃんと事前に言っておいてくれたら、庭の木を切ったりなんてせず、待っていたというのに」
「庭の木?」
「少し、枝がお隣さんに向かっていたからな。切っていた」
「あっそ……まあいいや。話がある。上がらせてもらっても?」
「それは構わないが……、警察か? お前、今日は学校をサボって、何をしている?」
「何って、仕事だけど。じゃあ、失礼させてもらうよ。君も、ほら」
「は、はい……お邪魔します」
 初を促しながら、玄関を通る敢。孟は、胡乱な顔をした。
「誰か、他にいるのか?」
「話は、落ち着けるところがいいな。沖田。お前の部屋、入れてくれない?」
「俺の?」
「そうだよ。それとも……何か、見られてマズいものでもあるの?」
 確信を持っているのか、鎌を掛けているのか――初には敢の魂胆がわからなかったが、ただ黙って成り行きを見守った。
「いや、別に構わないが……散らかっているぞ。良いのか?」
「平気平気。問題なし。どうせお前のことだから、物が定位置に置かれていないとか、そんなところだろ? 絶対整頓されてるから、嘘吐くなよって後で文句言ってやる」
「何の宣言だ。わかった、ほら。階段を上がってすぐ右手側にある部屋だ。中で座って待っていろ。俺は、手を洗ったらすぐに向かうから」
 軍手を外しながら、孟は場所を示して洗面所に向かう。その背をちらりと見送って、敢は言われた通り、指示された部屋へ向かった。
 ドアには、奏の部屋と同じく彼の部屋であることを示すプレートが掲げられていた。
「ここだな」
 初とは対照的に緊張感の欠片もない男が、遠慮なくドアを開け放つ。中に入ると、どこが散らかっているのやら。敢の言う通り、綺麗に片付けられていた。
「ほら、やっぱり綺麗だ。床に雑誌が置かれてるからーとか、妙なことを言うんだろうな――って、雑誌ですらない。これ、参考書だ」
 敢が完璧すぎる部屋に引いていると、ドアが開いた。お茶の入ったグラスを手にした孟だ。盆に乗せられたそれは、何故か三つある。
「おー、お構いなくー」
「と言いつつ、真っ先に手を伸ばしたな」
「いやあ、ちょうど喉が渇いてたんだよね。サンキュー。で、何で三つ?」
「いや、他にも誰かいるようだったから」
「その誰かさん。お前の目に見えてる?」
「見えないな」
「天然かよ。クールなのに天然かよ。高身長で頭良くてクールで天然とか、どれだけ持ってんだよお前は」
「言われていることの意味がわからないんだが……」
「あー、はいはい。良いですよー。……んじゃまあ、無駄話はこの辺にしておいて、本題に入るとしようか――ねえ、斉藤初」
 敢の口から出た人物の名に、孟が反応する。
「斉藤初? まさか、ここにその子がいるのか?」
「いるよ。お前には見えないだろうけどね。ねえ、君さ、沖田のために何か動かしてみせてくれない? そうだな……たとえば、そこの参考書を持ち上げてよ」
「えー、重そうなのに……仕方ないな……」
 自分の存在を示すために、初は渋々、指示に従う。床に置かれていた分厚い参考書を両手で持って、胸の辺りまで持ち上げてみせたのだ。
「参考書が、浮いてる……本当に、彼女がそこに?」
「斉藤初だっていう証拠も必要か?」
「いや、いい。俺は、彼女のことをほとんど知らないから、何を伝えられてもわかってあげられない。それに、お前がここで嘘を吐くとも思えないからな。……お前が『そういう存在』を認識できるって話は、今となっては信じている。そして、家にまた警察がやってきて、お前は今、同級生としてではなく、仕事をしに俺のところへ来ている。だったら、俺は信じるよ。そこに斉藤初という子がいるんだってことを」
「ありがと。話が早くて助かるよ。なあ、沖田。ここではさ、ちょっと確認したいことがあったんだ」
「何だ? 答えられることなら、答える。協力できることなら、もちろんするが――」
「お前、僕に隠してることがあるよな?」
「隠す? いったい、何のことだ?」
「……黒髪のドールの行方――消えたって言ってたけど、本当は心当たりがあるんだろ?」
 そう言った敢の瞳は、先程までとは打って変わって、真剣そのものだった。孟は、その視線を真っ向から受け止める。
「最初は確かに消えたと思ったんだろ? 気付くまでに時間がかかったのも、本当だろう。だけど今のお前には、見当がついている……。そうだな?」
「何を根拠に言っている?」
「お前が何かを捜しているにも関わらず、悠長にしているからだよ。お前には、黒髪ドールの行方がわかっているはずだ」
 初は驚く。というのも、初自身、黒幕は沖田孟ではないかと思っていたからだ。理由は憶測でしかないが、彼は妹を溺愛していたのだろう。だからこそ、付き合う友人は選ばせた。初と奏の接触を阻んだのは、孟だったのだ。
 しかし、蝶よ花よと育てていた彼女が、突然の不幸に見舞われてしまった。事故は故意ではない。飛び込んだのは、奏の方だ。だが、孟は要因となった彼らが許せなかった。
 そこで、奏の無念をドールを使うことで、周囲に知らしめようとした。バラバラドール事件でも引き裂きドール事件でも、遺体と同じ姿のドールを用意することで、ただの事故ではないことを。生前彼女が可愛がっていた黒髪のドールを目撃させることで、奏の呪いだと思わせることにしたのだ。
 そうして、証拠を残すことなく孟は復讐をやり遂げた。どうやって警察の目を掻い潜ったのかは初にはわからないが、そこは秀才の孟のこと。何かすごいトリックでも使ったのだろう。
 ――そう初は素人なりに推理していたのだが……。
「黒髪ドールは、ここにいない……?」
「この家には、先に警察が調査に入っていた。まだ学校が終わっていないのに、沖田が帰宅しているのは、警察から連絡が入ったためだ。まあ、僕が頼んだんだけどね。黒髪ドール捜索のために」
「彼らの入室を許可するのに、どれだけ骨が折れたか……お前、そこのところわかっているのか?」
「警察を許していないご両親への説得――さすが沖田だよ。僕が見込んだ通りだった」
「まったく……だという言葉を信じたんだ。これで出てこなければ、いくらお前でも許さないからな」
「大丈夫だって。もう、すぐそこまで来ているからさ」
 二人の会話を聞きつつ、初は何かが引っかかっていた。
 この二人は、いったい何の話をしている?
 先程、と言っていなかったか?
 見つけるとは、どういうことだ? 今のはおそらく「沖田奏」のことだろう。決して「かなで」の方じゃない。だってこの探偵は「かなで」の居場所ならわかっているからだ。
 だったら「奏を見つける」とは、どういうことなのか――
 その疑問に対する答えは、あっさりと二人が口にしてくれた。
は、黒髪ドールとともにあるんじゃないかと、踏んでるよ」
「やはり、そうか……俺の考えは、間違っていなかったんだな。奏は、真犯人に連れ去られていたのか」
「消えた? 奏ちゃんの遺体が、消えている――?」
 大きな声を上げる初だったが、その声は一人の青年にしか届かない。しかし彼は、彼女を無視することはしなかった。
「斉藤初、やっぱり知らなかったか。無理もない。報道も規制され、どこにも情報が出回っていないからな……」
 歩きながら、窓に寄る敢。二階の部屋からは、庭が見えていた。
「遺体安置所から、遺体が盗み出されている。沖田の目的は、その遺体を見つけ出すこと。同時に消えた黒髪ドールを、探し出すこと。この二つの件は、偶然じゃない。きっと、同じ人物の手元にある――僕は、そう考えている」
「そんな……奏ちゃんの遺体が、持ち出されているなんて……どうして……そんなことが……」
 愕然と項垂れる初。彼女は、死して尚、精神どころか肉体までも何者かによって汚されているかもしれない――そんな事実に、初は気が遠のきそうだった。
「実のところ白状するとさ、僕は沖田が黒髪ドールを隠し持っている可能性も考えていたんだ。それを『かなで』って呼んでるのかなって」
「俺が、ドールを?」
「うん。でも、それは違ったみたいだ。優秀な刑事さんが捜索を素早く終わらせてくれているみたいだからね」
「やあ、近藤くん。来ていたなら教えてくれたら良かったのに」
原田はらだ警部補。調査結果の連絡、ありがとうございました」
 廊下から顔を出したのは、敏腕の女刑事、原田。隣には、部下を一人連れている。
 敢と親しげに話しているところを見ると、探偵絡みで知り合った人たちだろうと、初は推測した。
「構わないよ。それにしても、綺麗な家だ。捜し物をするのに、こんなにも短時間で終わったのは、初めてだったよ」
ですか?」
「そう。確実にと判断するのに、こうも早く終わるとは思わなかった。彼の協力のおかげでもあるけれどね」
 矛先を向けられて、会釈する孟。どうやら、本当に黒髪ドールは、この家にはないらしい。
「というわけで、斉藤初。この家には、黒髪ドールはないってさ」
「そう、ですか……」
「斉藤初?」
「今、斉藤初が? ――って、参考書が宙に浮いてる!」
「……とりあえず、下ろそうか、参考書」
「そうですね……」
 参考書をそっと机の上に置きながら、初は軽く騒動になっている原田たちを横目に、苦笑を浮かべたのだった。
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