短編集:僕なりの世界地図

夏本光

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『90文字のラブレター』

『90文字のラブレター』

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「中村せんせー!!」
放課後の廊下に声が鳴り響いた。真帆は中村先生の後ろ姿を見つけて、パタパタと小走りで駆け寄っていく。

「どうした、藤崎」
真帆の声に反応した中村先生はゆっくりと振り返った。ガッチリと筋肉のついた身体にいつも着ている薄い青色シャツと黒のスラックスがよく似合っている。

「先生、今日こそ読んでください!」
真帆は無駄な前置きをせずに、手の中で握り締められていたピンク色の手紙を中村先生に差し出した。封筒の口のところには開かないように、ハートのシールが貼られている。それを確認した中村先生は困ったようにがしがしと、後ろ髪をかいた。

「前も言ったけど、こういうのは受け取れないんだよ」
ごめんな、と中村先生は申し訳なさそうな表情を浮かべている。真帆はそんな様子を気にもせずに勢いに任せて続け
た。

「先生と生徒だからってことですか?そんなの関係ありません」
とにかく受け取ってください! とさっきよりも押し付けるように手紙を前に出す。

「参ったなぁ」
中村先生は周りをキョロキョロ見回す。昼間は賑やかだった教室前の廊下も放課後になると生徒がいなくて、がらんと静まり返っている。廊下から見える教室の中は西日が差し込んでいて、ほのかなオレンジ色に包まれていた。

目線を戻すと、真帆の真剣な目が中村先生をとらえ続けている。その目に負けて、一瞬差し出された手紙に手を伸ばしそうになったが、中村先生はぐっと動きを止めた。

「いや、駄目なものは駄目なんだ」
話はそれだけか? と中村先生は半身になって、今にもその場から立ち去ってしまいそうな態勢を取っている。せっかく二人きりの時間なのに、もう終わりなんて寂しい、と真帆は新しい話題作りで頭をフル回転させる。

「もう職員室戻るぞ?」と中村先生は少し俯いた真帆の顔を覗き込む。「い、いや……」と真帆がもごもごしていると、廊下の窓からそよそよと優しく風が吹いた。その風に乗って中村先生がまとっていた優しい匂いが真帆の鼻を刺激する。

「あれ、先生タバコやめたんですか?」
先生は真帆の口から出た「タバコ」という言葉にぴくっと反応して振り返った。家や街の中でタバコという文字を見たり聞いたりしても何も思わないのに、高校でタバコという文字はすごく浮いたような印象を受ける。

「やめたけど、よくわかったな」
「吸ってない人には意外にわかるもんですよ」
ヘビースモーカーだった中村先生が禁煙するくらいだから何かあったんだろうなと、真帆は思う

「でも健康的になれて良かったんじゃないですか?」
そう言う真帆の言葉に中村先生が苦笑いを浮かべた。

「もともと吸わない人はみんなそう言うんだけど、吸ってた者としてはつらくてつらくて」
はは、と短く笑った中村先生は教壇に立っているときにはしないような自然な表情を見せている。

少しだけ中村先生の素の部分に踏み込めたような、そんな気持ちに真帆はなった。

二人だけの静かな廊下にピンポンパンポーンと大きな校内放送が流れた。
【これから職員会議を始めます。校内にいる先生方は職員室までお戻りください】

それを聞いた中村先生が思い出したように「ああ、今日は俺が進行やらなきゃいけないんだった」とつぶやいた。気をつけて帰れよ、と言い残して足早にその場を去っていく中村先生の後ろ姿を真帆は見えなくなるまでずっと追いかけていた。


「あんたもへこたれないよねー」
玲奈が呆れと尊敬が半分半分といった表情を浮かべて、弁当に入っている卵焼きを口に運んでいる。玲奈の弁当は卵焼き、ミニトマト、ブロッコリーなどの彩りが豊かで可愛らしい。机を挟んで向かいに座っている真帆の弁当はタッパーに詰められた白米と昨日の夕飯で出された売れ残り惣菜の余りだ。

「うん、また受け取ってもらえなかったんだけどね」
えへへ、と笑った真帆を見て玲奈が「はあ」と大きなため息をついた。

「手紙受け取ってもらえないなら、口で直接言えばいいじゃん」
「うーん、どうせならきっちり伝わってほしいからさ」
私緊張したら何を言い出すかわかんないし、と真帆が付け足した。

「中村先生ってもう34歳でしょ。あんなおじさんのどこがいいの?しかも先生と生徒じゃん」
玲奈は周りの耳を気にせずに遠慮のない声量で話す。真帆は慌てて「しー!」と口元に人差し指を当てた。

「声でかいって」

あ、っと玲奈は肩をすくませて周りを見回した。昼ご飯を食べている教室のみんなは自分たちの会話に夢中で真帆たちの話が聞こえた素振りは見せていない。

「ごめんごめん」と両手を合わせて頭を下げる玲奈に「まったくもう」と真帆は頬を膨らませて玲奈を睨む。
「で、どこがいいの?」

真帆の不満げな表情に目もくれず玲奈は話を続けた。玲奈は良く言えば自由、悪く言えば空気が読めないところがある。

「どこがって言われても」
改めて聞かれると返答に困る。玲奈は頭をひねって考え込んでいる真帆を見て驚いた表情を浮かべた。

「え、どこが好きか答えられないのに告白しようとしてんの?」
それじゃあ気持ち伝わらないよ、と玲奈はヘタを取ったミニトマトを口に放り込んだ

「駄目かな?」
「いや、駄目じゃないけど不思議な恋心だなって思うよ」

好きなものは好き。
それでもいいじゃん、と真帆は心の中で玲奈に訴えかけた。それに理由ならある、絶対に口に出して言えないけど。そんなことを知る由も無い玲奈は自分の彼氏の好きなところをひたすらに言葉にしている。

「いつも車道側を歩いてくれるところとか、私の暇電に何時間でも付き合ってくれるところ。あとはとにかく私のわがままを許してくれるところなんて優しくて大好き」もちろん身長高くてイケメンなのは前提ね、と嬉しそうに語っている。

まだ高校二年なのに玲奈は大学生と付き合っている。その彼氏を一度も見たことはないけど、話を聞くだけで相当な苦労が伝わってくる。真帆は名前も顔も知らないイケメン高身長彼氏に心の中でそっとエールを捧げた。

「てか、次の日本史の授業って中村先生じゃん」
授業中に笑わないようにしなきゃ、と言う玲奈は真帆の状況を面白がっているように見える。
「からかわないでよ」
「からかってないよ、応援してんの」

そう言って席を立った玲奈は次の授業の準備をしに自分の机に戻っていった。



「この前のテストを返却するぞ」
今回の最高得点は96点だった、と言いながら中村先生はテストの束をトントンと机に当てて綺麗に揃えている。

「テスト返却」と言う言葉を聞いた教室は急に賑やかになった。

問一の答え何にしたか覚えてる?
どっちがいい点数か勝負しよ。
最高得点って多分俺だわ。

それぞれがテストに関する話を思い思いに口にしている。なんでかはわからないけど、テストを返却する前はみんなのテンションが高くなる。

5分後には自分の点数が明確にわかるのに答え合せしたくなるし、自分より絶対に頭のいい相手に勝負を挑む。最高得点が自分なんて言うやつは平均点を超えてるかどうかだって疑問だ。これだけ盛り上がるテスト返却は席替えと並ぶ学校の隠れたビックイベントかもしれない。

「ほら、静かにしろ」
中村先生は教室中を見渡すように左右に首を回した。うるさくしているやつを怒鳴るのではなく、目力で訴えかけて静かにさせるのは中村先生ならではの力技だ。

「いつも通り出席番号順に取りに来てくれ」
静かになり、クラスが落ち着いたのを確認して中村先生が名前を呼び始めた。

「相川。全体的によくできてるけど、ケアレスミスが多い。解き終わった後、丁寧に見直しすればもう少し点数上がるぞ」

「石田。人物や事件の名称の出来はすごくいいんだが、年代の暗記がまだ甘いな」

中村先生のテスト返却は一人一人にちょっとしたアドバイス付きで行われる。説教くさいとか、みんなの前で言われるのが嫌だ、なんて意見もあるけど真帆はこの時間が好きだった。

駄目なところははっきり指摘されるけど、自分なりにいい点数取ったらしっかりと褒めてくれる。しかも他の生徒と比べるのではなくて、過去の自分と比べてくれるから生徒のことをしっかり見ているのだなと感心してしまう。

「藤崎」
真帆の順番になった。このテストは手ごたえ十分で自信があったから、取りに行くまでの足が軽い。

「よくやったな」と言われて渡されたテスト用紙には【96点】と赤いペンで記されている。その点数を見て真帆の顔から笑みがこぼれた。

「苦手な近代史が中心だったのにすごいじゃないか」
「いえい」と中村先生が真帆にハイタッチを求めてきた。

表情は真顔に近いし、トーンも名前を呼ぶときと変わってないのが中村先生らしい。ハイタッチのパチンという音がざわついている教室の中に紛れて消えていった。


「ただいま」
ドアがバタンと鳴り、真帆の母親の美紀子が大きなレジ袋を片手に帰宅してきた。

「おかえり」
今日早かったね、と言いながら真帆はテーブルの上に置かれたレジ袋の中身を漁る。時刻はもう21時を回っていた。

真帆が牛乳や豚肉などと一緒に入っている冷めた惣菜たちに手を伸ばす。手にとって一つ一つ蓋を開けてテーブルに並べていった。

「あ、大学芋じゃん。いただき!」
綺麗な飴色に光っている甘いタレを身にまとった大学いもを真帆は口に放り込んだ。

「お母さんも食べるんだから、いくつか取っておいてよ」
美紀子はリビングの椅子に腰掛けると、自分で自分の肩を揉みながら「ふう」と一息ついた。

「なんかお疲れだね」
真帆は母親が帰って来る前にセットをしていた炊飯器を開けてご飯をよそう。美紀子が帰ってきてから夕飯を準備し終わるまでの手つきは毎日やっているだけあってスムーズで手際がいい。真帆が冷えたコップと缶ビールを美紀子の前に置いた。

「ありがと」
プシュ、と缶の開く音がリビングに響く。自分の分の麦茶を用意した真帆も椅子に座って、いただきますと手を合わせた。

「そういえば、この前言ってたテストどうだったの?」
真帆のことだから大丈夫なんだろうけど、と美紀子は冷えたビールで喉を鳴らす。

「うん、クラスで一番だった」
真帆は食べかけのコロッケを置いて、学校用のカバンからテストを取り出しに立ち上がった。赤ペンで書かれた96点をもう一度確認して美紀子に差し出す。

「本当にすごいわね。母さん学生時代90点台なんて取った記憶ないよ」
テスト用紙をまじまじと見ながら美紀子は感嘆の声を漏らした。ここはお父さんに似てよかったわ、と目尻に細かいしわを刻んだ笑顔を浮かべてテスト用紙を真帆に返した。

テスト用紙を真帆が受け取った後も、美紀子の右手はテーブルの真ん中らへんの空に残っている。
真帆の右手は美紀子の右手めがけて勢いよく向かっていった。パチンと気持ちの良い音がリビングへ響き渡る。

藤崎家では誰かが頑張ったり良いことをしたりするとハイタッチで祝福するのが、なんとなく決まりのようになっていた。美紀子曰く、「付き合い始めた大学生の頃から、父さんはよくハイタッチを求めてきていた」らしい

その癖が美紀子にうつって、今に至っている。真帆の父親の記憶は幼い頃で止まってしまっているが、その記憶のほとんどにハイタッチを交わしている場面があった。

真顔に近いけど少し照れたように口元を緩ませて、右手を差し出す父親。だから初めて中村先生にハイタッチを求められた時は、懐かしくて泣きそうになってしまった。

そこだけじゃなく父親と中村先生はどことなく似ている。
不器用だけど優しいところがたくさんあるところ。
真顔なのに上手く笑えてると思っているところ。
怒るとめちゃくちゃ怖いところ。

あげればキリがない。玲奈が「不思議な恋心」って言ってたけど、あながち間違いではない。絶対にそんなつもりでいったわけじゃないと思うけど。



「これでわかったか?」
中村先生はカチッとノックして赤ペンの先をしまい、ペン立てに戻した。中村先生の机は他の先生の机と比べても断トツで綺麗に整頓されている。

職員室を見回してみると、小さな熊のキーホルダーが置かれていたり、プリントが散乱していたり、個性が出ている。机の上に人間性が表れているようで面白い。

「はい、ありがとうございます」
96点のテスト用紙と中村先生が4点分の間違いを丁寧に説明してくれた紙を真帆は半分に折ってカバンの中にしまい込む。

真帆の4点分の間違いは歴史的な出来事を説明するという記述形式の問題だった。
この形式は実際の大学入試でもよく出題されるし、正答率も高くないから周りと差をつけるには正解しておきたい問題だった。

「藤崎はストイックだね」
中村先生の隣の席に座っていた数学の宇野先生が話しかけてきた。宇野先生の机の上は汚い。綺麗な中村先生の隣だから、なおさらそう見える。

「せっかくもう一歩だったので完璧にしておきたくて」
「僕のクラスの生徒にも見習って欲しいよ」
宇野先生は真帆に感心したように頷きながら、パソコンに目線を戻す。

「あ、そうだ中村先生」
一拍おいて宇野先生との会話が終わったことを確認した真帆が体の向きを中村先生の方へ戻す。

「最後にこれ受け取ってください」
地味な茶封筒を先生の前に差し出す。

「お、なんか提出物か?」
中村先生は反射で出しかけた手を茶封筒の前でぴたっと止める。

「藤崎、まさかだけど」
真帆のほんの少し緩んでいた口元を見て何かを察した中村先生が確認するように真帆の様子をうかがった。真帆は「惜しい」とつぶやいて、えへへと笑った。

「もうちょっとだったんですけど、顔に出ちゃいましたね」

それを見た中村先生が「お前な……」とぼやきながら、大きなため息をついた。職員室を見回してから「ちょっとこい」と職員室の出入り口の方へ向かっていった。

隣の宇野先生はカチカチカチと聞いていて気持ちよくなるくらい素早いタイピングで文字を打ち込んでいた。



がらがら、と滑りが悪いドアを力任せに開けて中村先生は生徒指導室へと入っていった。真帆はまだ高校二年なので、ここに入るのは初めてだ。大学の赤本やオープンキャンパスの冊子、参考書などが薄く埃をかぶって本棚に並べられている。

中村先生は教室の真ん中に並べられた椅子の一つに腰掛けた。机を挟んで向かいにある椅子へと座るよう真帆に手で合図をしている。真帆が腰掛けると、中村先生はゆっくりと口を開いた。

「ここでの話は誰にも言わないと約束できるか?」
いつになく真剣な表情の中村先生を見て真帆は少し驚いた。でも、説教の時に感じる怖さとか圧迫感はない。真帆は中村先生のスピードに合わせるようゆっくりと頷く。

「約束したからな」
ふぅ、と中村先生は短く息を吐く。

「本当のことを言うと先生は結婚してるんだ」
学校の方針で先生たちの既婚未婚の情報は生徒たちには伏せるようにしているらしい。妻や夫の有無が生徒に与える印象の大きさを考慮した結果だと説明してくれた。真帆は頷きも驚きもせずに、じっと中村先生のことを見つめ続ける。

「だから、藤崎の気持ちには答えられない」
頭の良い藤崎ならわかるよな、と中村先生は真帆から目線を外さず言葉も濁さない。真帆はその先生の態度を見て、悲しさよりも嬉しさを感じていた。初めて先生と生徒ではなく、一人の対等な人間として見てもらえた気がしたからだ。

「知ってましたよ」
その言葉を発したと同時に真帆の全身から力が抜けていった。手にぐっと力を入れても手応えがない。ここで初めて自分が緊張していたんだなと真帆は感じた。

「多分ですけど、お子さんもできましたよね?」
父親と似ているなら間違いないはず、と根拠は弱いのに真帆には確信に近いような感触があった。

「誰かから聞いたのか?」
中村先生は図星のようで目を丸くして驚いている。やっぱり、と真帆は思った。

「いえ、先生は私の父と似てるのでもしかしたらと思ってただけです」
中村先生はきょとんとしている。それか、真帆の家族構成を知っていて触れないようにしているのかもしれない。

「私の父も、私が生まれるってわかってタバコやめたみたいなんです」
それまで一日で最低一箱吸ってたって母が言ってました、と真帆は過去を振り返るようにつぶやく。

「だから、先生もきっと良いお父さんになりますよ」
そう言い切ると、真帆の頬を涙がつたった。「あれ、あれ」と手で拭えば拭うほど涙は溢れ出してくる。止まれと、願うけれども言うことを聞いてくれない。

中村先生はそっと立ち上がって、ドアの方へと向かう。
それから後ろを振り返ることなく生徒指導室から立ち去っていった。



真帆は家に帰るなり自分の部屋にこもっていた。机の端っこに口が閉じられたままの手紙がいくつも重ねられている。どれもこれも中村先生に読まれるどころか触れられてすらいない可哀想なものばかりだ。

「最後なんだから受け取ってくれてもよかったのになぁ」
真帆はカバンから取り出した茶色封筒をその手紙の山の一番上に置いて「はあ」とため息をついた。結末はなんとなく予想していた。一回り以上も年の差があるんだから、初めから見込みのない恋だったんだ。

そう覚悟していたはずなのに、いざ目の前に現実を突きつけられると胸が苦しくなる。

部屋の電気がチカチカと点灯している。いつもより部屋が薄暗いと感じるのは気持ちのせいだけではなさそうだ。

突然の「うがー」という叫び声と同時に、パチンッと鋭い音が響いた。
真帆の両頬が真っ赤に腫れている。

「うじうじタイム終わり!」
夕飯の準備が始まる前に宿題を終わらせなければいけない真帆はすくっと立ち上がってカバンの中を漁った。綺麗にまとめられたファイルから一枚のプリントを取り出して机の上に置く。

プリントの一番上には近代の日本史と書かれている。真帆はテンポよくペンを走らせて問題を解いていく。選択形式や一問一答形式の問題はほとんど苦戦しない。

最後の問題に差し掛かったところで、ぴたりと真帆の持つペンが止まった。
「大正デモクラシーとは何か。また、その風潮が進展した国内的な要因は何か90文字で答えろ……か」
くそーめんどくさい、と真帆が頭を抱えた。

「中村先生って記述の採点厳しいんだよな」
真帆は教科書と資料集をカバンから引っ張り出し、どさっと机の上に置いた。記述の参考にしようと教科書をパラパラとめくる。

「えっと、大正デモクラシーとは民主主義の発展……」
そこまでペンを動かしたところで、あれ? と真帆は首を傾げた。この記述問題は私が書いた文章なのに読んでもらえるんだよな、と真帆は思う。

その直後に何かを思いついたように、ニヤッと口角を上げた。
同時に途中まで書いた記述問題の答えを消しゴムで綺麗に消す。

「最後の悪あがきしてもいいかな」
でも90文字って短いな、と文句を言いながらも嬉しそうにペンを走らせる。

中村先生へ
私は父が大好きでした。父の姿に中村先生を重ねていたのかもしれません。
でも先生のおかげでこの不思議な気持ちに区切りがつけられました。お子さん元気に育つといいですね。 高崎真帆


次の日。

キーンコーンカーンコーン
日本史の授業の終わりを告げるチャイムがなった。

「それじゃあ今日の授業はここまで」
起立、、気をつけ、礼、とお辞儀をして中村先生は教室から出て行った。

真帆はその姿を確認して、急いで追いかける。
「中村先生!」
中村先生はいつものようにゆっくりと振り返った。

「すみません、宿題出しそびれたので今渡してもいいですか」
真帆は手に持った日本史の宿題を中村先生に差し出した。

授業中に集める時間はあったが、後ろから前へバケツリレーみたいに渡していくので流石にまずいと、真帆はその時には提出せずにいた。それにどうせ渡すなら直接渡した方がいいと真帆は考えていた。

「大丈夫だ」
中村先生は何の疑いもなく、真帆から手渡された宿題を受け取った。真帆から大きな笑みがこぼれる。

「やっと受け取ってくれましたね」
その言葉の真意がわからずに中村先生は首をかしげていた。

「大丈夫です、立場はわきまえてます」
最後まで何のことを言っているのか気付いてなさそうな中村先生を置いて、真帆は自分の席へと戻っていった。

『90文字のラブレター』~完~
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