貴方なんか大嫌いです。

雪戸紬糸

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口添え

あっというまの15分だった。
家へ帰る道すがら、ブッチョーの体温を思い出したりして。
ふふ、と笑う。
なんだかあったかい。
心の奥がぽわぽわしてる。
あんなに、冷え切ってたのに。

そうこうしてるうちに、家についた。
隙間風がびゅーびゅー入ってくるおんぼろアパートだとしても、我が家だ。
ちいさな流し台に、弁当箱を投げ入れる。
あー面倒。足ぱんぱん。
あしたはコンビニで買おうかな。
お風呂の時間が一番リラックスできるけど、今日はもうお風呂も入りたくない。
でもなあ。頭洗わないと、汚く見えるしなあ。
ゴロゴロしながら、問答をくりかえし、やっぱりお風呂に入ることにした。
あったかいお湯につかれば疲れも癒えるというもの。
ヒノキの香りにしよう。
お風呂では、ふだんからひとり反省会をするのだが、それにしても今日は情報量が多すぎた。
まず、業務をどうするか。マニュアルなんかがあったら楽なんだけど…。杉野さんに、まず言ってみて、ダメだったら、夕凪さんに言ってみるか。
それで、受付のデーターベースがあれば、たとえば、名前を検索かけたらすぐ繋ぐべき部署が分かるような。
無理かなあ…。私一人のためだけにはそうはしてくれないだろうな…。はー。
ちゃぷん、とお湯が揺れる。


は、と気づくと。ずいぶんお湯がぬるくなっていた。
あわてて、外に出る。
寒い。
ああーしまった。寝てた。
髪を乾かすのがもう億劫。
でも、乾かさないと。と自分を叱咤する。
ぐるぐる取り留めもなく明日どうしようと考えながら、髪を乾かし、布団に入った。



「マニュアルをつくってほしいんですが」
杉野係長に声をかけると、はあ?という顔をされた。
「マニュアル?」
「はい。葵さんは一人で覚えるようにと仰ったのですが、それは無理です。とくに、受付はまだ顔と名前が一致していません」
「もう一か月たったでしょ」
「飛び込みの営業の人もいますし、覚えきれません」
「無理とか、覚えきれないとか。そんなこと最初から言っててどうするの。とにかく、マニュアルはつくりません」
「じゃあ、夕凪さんに相談してみます」
「お好きにどうぞ」
杉野係長は、おいはらうように、手をしっしっと振った。
感じ悪い。
ところが、夕凪さんがなかなか捕まらない。
そうこうするうちに、始業時間になってしまった。
「おはようございます。宮部出版の中川です。今回広告の件について」
広告の件なんて聞いてない。
わたわたしてると、葵さんがスっとはいってきて
「ああ、中川さん。今繋ぎますから、少しお待ちください」
にこやかにそう言った。
「ああ、葵さん。このこ、新人さんですか、やっぱり受付は葵さんじゃなきゃなあ」
葵さんは嬉しそうに頷いて、内線番号をすみやかに押す。
ひなのは、なにもできずに、よこに突っ立っているだけだった。
つっかえるたび、葵さんが横取りしていく。
二度と同じ間違いをしないように横でメモを取った。
それでも、一瞬でひとの顔を全部覚えれるわけじゃない。
名前だって、一度聞いただけでは、わからない。
わざと、おしのけるようにして、葵さんはお客さんをさばいていった。
「なんのために、ここにいるの?突っ立ってるだけだったら誰でもできるわよ?仕事、できないの?」
ふふ、とせせら笑う葵さん。
こんなに性格が悪い人だったとは思いもよらなかった。
でも、本当のことだ。
言い返せない。
縮こまって、うなだれていると、夕凪さんが颯爽とあらわれた。
「葵さん、マニュアルつくることにしたから。受付も、名前いれたらすぐわかるデーターベース作ってね」にっこりと笑った。
葵さんが、驚いたように息をのむ。
「ぼくが作れたらよかったんだけど、こういうのは葵さんがいないと回らないから。よろしくね」
「なんで私が」
「春からくる新入社員が右往左往したら可哀そうでしょ?試験的に、楡埼さんにも使ってもらって使い心地を教えてもらおうと思っててね。二週間でつくってよ。それで、その間は、葵さん、楡埼さんのバックアップよろしくね」
「はあ?」
「葵さんくらいのもんだよね、ここの事情をよくわかってるの。ずっと受付してきたんだし、他の誰もわかりっこないよ」
「なんで私が」
「そりゃあ、君が一番頼りになるからに決まってるでしょ?楡埼さんはまだ何もわかってない状態だし、できるのは君くらい。杉野係長を巻き込んでもいいよ。ふたりでなんとかしてみせて?いつも仲良しなんだから、二人ならできるよね?」
「え」
「楡埼さんは、いつもどおり、にこにこして立っててくれたらいいから。業務で分からないところがあったら、葵さんが助けてくれるから、遠慮せずに聞くんだよ?」
…神!
夕凪さんの笑顔がこんなにも神々しいなんて。
「はい」すぐさま頷く。
「じゃあ、そういうことで。よろしくね。ふたりとも」
「はい」葵さんも不承不承頷いたのだった。
それからは、葵さんは業務のことなら、嫌そうに教えてくれるようになった。
前みたいにとはいかなくても、業務に支障がないなら、何の問題もない。
そうこうしているうちに、昼になった。
コンビニに、昼食を買いに行こうかな。

前と同じコンビニに立ち寄ると、夕凪さんとブッチョーが話しているところに遭遇した。そうだった。と気づくももう遅い。あわてて、陳列棚の後ろに隠れる。
「言っといたよ」
「ああ、ありがとう」
「まったく、君が言えばよかったのに」
「俺が言ったら角がたつだろ。楡埼が俺に告げ口したとでもあいつに勘違いされてみろ面倒だ」
「ああ、そういうこと」
「今度、おごるから」
「そういうことならいいよ。久しぶりに一緒に美里に行かない?君が来ると蝶がはしゃぐんだよ」
「美里なら、まあいいが」
「おごりだよ、君の」
「分かってる」
「よっぽどひなのちゃんがお気に入りなんだね」
「お気に入りとかじゃない」
「じゃあ、なんなの」
「会社の利益を考えたに過ぎない」
「ふうん、まあそういうことにしておこっか」
どういうこと?
あれは夕凪さんじゃなくて、ブッチョーがしてくれたことだってこと?
どういうこと?
慌ててコンビニから立ち去ろうと振り返ると、足を陳列棚にぶつけてしまった。
痛みをこらえながら、レジ前を通ろうとすると、レジに向かっていた二人に遭遇。
「あ。えーと。お日柄も良く?」
自分でも何をいってるのか分からない。気まずい。
「今日は曇りだよ?あ。聞いてたんだね」
夕凪さんが、嬉しそうに言った。
「え。えーと。はい。まあその。」うろうろと視線がさまよった。ブッチョーの顔をなぜか見れない。
「こいつにいったように、会社の利益のためだ。お前のためじゃない」
「ねえ、そうだとしてさ。どうしてぼくに言わせたんだと思う?」
夕凪さんが楽しそうにしている横で、ブッチョーはいつも通りの仏頂面だった。ユーちゃんのかけらもない。
「……あ。えーと。でも、ありがとうございます…?」
とりあえず、お礼を言ってみた。
夕凪さんが、くすくす笑っている。
「礼を言われる筋合いはない」
冷たくそれだけを言うと、レジで会計をすませ、さっさと出て行ってしまう。
やっぱり、ブッチョーはブッチョーだなー。同一人物のはずなのにどうしてこうも違うのか。ああ謎だ。二人いるのかな。まさか。あはははは。笑えない。
夕凪さんも会計をすませ、いつものように、手をひらひらさせて去っていった。
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