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二. ニーナの章

39. Beak

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 こってりすぎる朝食が私の胃袋を充分に満たしてくれた頃、カランコロンと扉が開きひょっこり赤毛頭が顔を覗かせた。

 昨晩死人と押せや引けやの力勝負をしていた扉は、鍵の部分が少しだけ曲がった程度で済んでいる。
 その入り口付近は念入りに掃除された痕が残っている。あそこで私は死人の首を掻っ切ったんだなと思うと、何ともいえない気分になった。

「お!嬢ちゃん、元気そうで良かった!!」

 いつものニコニコ顔でテーブルまでやってくるアッシュ。

「アッシュ!」

 昨晩別れたばかりだというのに、随分と懐かしい感じだ。

 アッシュは言葉の軽快さとは裏腹に、眼には隈を作って何だか疲れた様子だ。
 よく見るとあちこちが擦り傷だらけで服も汚れている。

「あなたは、どうしたの?」

 相席の返事も聞かずに、リュシアの隣に座った。
 長椅子の真ん中に陣取っていた彼を押しのける形でお尻をぐいぐいと無理やりに詰める。
 彼の、リュシアのまだ手のつけていないジョッキの牛乳を、これまた許可も取らずに勝手に飲みだす。

「ぷは~!!!いやあ、生き返るぜえ!!あ、旦那、飲まないなら貰っちゃうね」

 事後報告でいいのかと牛乳を奪われたリュシアを見やるも、やはり気にしていない様子で外を眺めている。

 この男、ことグレフに関しては気が短いが、それ以外は殆ど無頓着なのだろう。
 あまりの態度のアッシュを気に留めもせず、アッシュも何も言われないから好き放題だ。

 変わった主従関係だと思う。そもそも主従関係なのかすら怪しい。

「ん?ああ、途中でグレフに襲われてな。すげえ事になってた」
「あなたもグレフに遭遇したの?」
「そそ。いやあ、あのおっさん達、流石に偉そうなだけあるな!特に騎士団長なんかワンパンで吹っ飛ばしてたぜ。いやあ、すげえのなんの。旦那とは違う意味で豪快だったね」

 聞けばあの晩、行きは良かったものの帰りの道、この町へ戻る道すがら、突如現れた数体のグレフに闇討ちに遭ったと言う。
 まるで町へ向かうのを邪魔しているように思えたとか。

 いままでグレフは単体で行動すると思われていた。偶に複数であってもそれぞれが別の行動をしていたのだ。

 今回アッシュ達騎士団を襲ったグレフは複数。
 過去には見られなかった連携技を使ってきたりと、随分翻弄されたらしい。

 それでも騎士団はそれを上回る立ち回りをやってのけた。
 規律と伝統、石の如し精神力と鋼の意思、そして騎士団長の完全なる支配によって統制されている騎士団だからこそ出来た代物で、付け焼刃では到底不可能な機敏さだったという。

 私は《中央》の事はあまり良く分からないが、ギルドが《中央》に出来る前、災厄が起こる前の騎士団の噂ならば知っている。


 王の名のもとに、ただひたすら忠誠を捧げている男―――ユリウス・フレデリク騎士団長。

 王の親衛隊よりも、評議会や貴族よりも力と発言力を持っていて、王の信頼も厚いパーフェクトな人物だと云われていた。

 鋼の肉体から繰り出される拳の一振りで、魔族兵団一つが壊滅したという眉唾物の噂もある。
 頭も良く、騎士団の作戦行動は全て騎士団長が直接命を下す為に軍議は無し。天性のカリスマ性が人を常に引き寄せ、彼に付き従う者には大らかであるが、従わない者に対しては容赦がなく地獄を見るらしい。

 騎士団の伝統と規律を重んじるが故、罰則も非常に厳しいと聞く。
 兵の訓練も並大抵の精神力ではついて行けないほどに辛いものだと云われるが、その分手堅い報酬と厚い加護が待っている。


 そんな男が率いる騎士団が今、この町に来ている。


 災厄から《中央》がいち早く脱したのも、この男の手腕によるものだ。
 騎士団が先頭に立ち、我が身を捨ててまでも復興に力を注いだ結果が今の《中央》の姿だ。

 何でも権力を持ちすぎないようにとそこからギルドが発生し、《中央》の権力は4つに分かれた。
 騎士団はそのまま4大ギルドの一つとなり、ユリウスも初代ギルドマスターの座に就いたのだ。

 一方目の前にいるリュシアのギルドは創立してまだ2年である。騎士団とは違い、伝統も厳しい規律もなさそうだ。敵地に大将自ら出張ってくるのも、彼オリジナルなのだろう。

 彼のギルドの本質は全く分からないが、同じギルドマスターという立場なのにこうも違う。
 先入観だけで言えば、騎士団の方が強いし頼りにもなるだろう。
 しかしそんな騎士団長と肩を並べているのだから、リュシアも相当凄い人物だ。

 断然、騎士団長とやらに興味が湧くのも不思議ではない。


 アッシュの目の周りの隈は、夜通し駆けた挙句にグレフとの戦闘で睡眠不足といった所なのだろう。
 化け物染みた騎士団に何とか着いて行っただけでも褒めて欲しいとアッシュが付け加えていた言葉を、リュシアは一瞥しただけで何も返さなかった。

 ああ、可哀相なアッシュ。


「旦那、もうすぐ使者が呼びに来る」

 誰も聞いていないのに、急に声を潜めてアッシュが彼の耳元で囁いた。

「そうか」

 興味なさげな返事である。

「えれえ怒ってたから、逃げちゃおうぜ。やばそう」
「……」

 怒っていた?誰が。
 アッシュが言うのだ。騎士団以外に他はあるまい。

 だが、何故彼に怒る?
 どういう事だろう。

 アッシュの眠そうな目は悪戯っ子のような眼差しであったから、そう重く取らなくてもよさそうだが。
 気にはなるものだ。


「ところで嬢ちゃん、身体大丈夫か?」

 やはり気に病む事ではないのだろう。すぐに話題が替えられ、次は私の番になった。

「うん。大丈夫っぽい。すごくお腹が空いてただけだけど」

 重ねられた空っぽの皿の枚数をひいふうみいと数えて、改めて食べ過ぎである事にいまさら気付く。
 気付いたところでもう胃袋は「絶対に返さない」と消化を始めているので、もう後は肉になるしかないのだが。

 諦めて溜息をつくと、アッシュが笑ってくれた。

「旦那が同化してくれたんだろ?」
「同化?」
「お?旦那まだ話してねえの?マナの同化」

 不思議な事を言いだした。

 ”マナの同化”…?

 どういう事だ?なんとなく意識を失う前、その言葉を遠くで聞いたような気もするが、何の事だかサッパリ分からない。

「あんた助けるのに、旦那のマナを入れたんだろ?」
「え?マナを入れる?」

 なんせ目覚めてから碌な説明を受けていないのだ。
 この町がどうなっているとか、騎士団が何をしているのとか。
 そもそも死人化した私がどうしてこんなに元気に生きているのかとか!

 この目の前の男は飯を食えとだけ言ったきり、何にも云わずに私を放置しているのだ。

 そんなの、私が一番知りたい!
 なんなのだ、マナの同化とは。

 言葉をそのまま受け取るならば、悪い行為には思えないけれど…。


「俺ん時もそうして俺は魔法を使えるようになったんだけど。あんたは元々魔法が使えるし、何が出来るようになったんだ?」
「え?」

 マナの同化とは、自身のマナの許容量を増やす意味合いなのか?

 人間は誰しもがマナをその身に保有している。潜在的な能力で、誰でも原理さえ知れば魔法は使える。
 それでも得手不得手があるように、センスが無いとどれだけ頑張っても魔法が使えない人だっているのだ。

 マナの許容量は持って生まれたもので、年齢に応じて多少の増減はあるものの、基本的には変わらない。
 マナのエネルギーをその身にたくさん蓄積できれば、それだけ強力な魔法も使えるし、自然に対して適応力も増える。簡単にいうと、疲れにくい身体になったり、風邪を引きにくくなったり、伝染病に対する抗体が出来たりといった自然力の事だ。

 アッシュの魔法は廃墟で目撃している。
 炎の柱の勢いは凄まじく、長い時間炎は保持し続け死人を焼いた。彼の魔法力は明らかに私よりも上だった。

 そんな彼が、ほんの数か月前までは魔法どころか戦う事すらなかったのだ。
 マナの同化とやらで潜在能力が引き出され、マナの許容量が増やされたとしたら、私にも何らかの変化があるはずだ。

 彼の云う通り、元々も魔法の使える私は、さらに強い魔法を使えるようになった!!!!……となるのであればいいのだが、生憎何も変わっていない。
 少し頭がスッキリしているぐらいで、マナの漲りも感じないし、なんかすごい力を手に入れた感も無い。

「……」

 当の本人は黙り込んだままである。
 一言ぐらい何かあればいいのにと思った時、次のアッシュの言葉で私は思い切り固まってしまった。


「エッチしたんだろ?」
「へ!」


 途端に頭に浮かんだのは、バカに幸せだったあの夢だった。
 妙に生々しい肌の感触は、思い出すだけで砂を吐く勢いである。

 かあっと顔が赤くなる。

 朱に頬を染めつつも、切羽詰まった息遣いといい、優しく秘部を撫でる手つきといい、細部まで思い出してのたうち回りたくなる。

 私はこの年でまだ男性経験が無い。
 悪いか?恋に恋する乙女のまま、存在すら曖昧な初恋の彼を想い続けて結局は何も進まずに年齢だけ食った。

 団の構成員の年齢層が若いから、愛しの彼ぴっぴとあんなことやこんなことをやった云々の話題は常にあったし、私は決して堅物じゃなくてそれなりに興味もある。
 未経験のまま得体の知れない怪しい本を読んで知識だけは得た。だけどそれはただの耳年増で実際に自分がするとなれば想像すらも追いつかない。

 やっかいなのは、変に清くて変に理想が高い事だ。


 そんな夢にまで見た、その、なんだ…。

 を。
 私が、した、と?


「違うのか?」

 アッシュはきょとんとした表情だ。
 私の気も知らないで、随分と余裕の表情である。

「え、うそ…私。私は…」

 夢と現実がぐるぐるしてくる。
 やけに鮮明な夢だったが、本当に夢だったのか。

 乱れたベッドのシーツ。
 私は、裸だった。そう、一糸まとわぬ姿で彼に起こされた。

 いつも羽織っていた重いローブを彼は脱いでいて、そんな私の傍に彼はいて…。


 あああああああ!


「あなたと…した、の?」

 そんな訳ない。そんなはずがない。

 なのになのに。
 そうだったらいいのにと思ってしまう。

 私の記憶が無いのが不本意だけど、この人とならば私は…。


 そう彼に縋り付こうとした時、またも私は固まる羽目になる。


「いや」

 それは完全なる否定だった。

「していない」
「え?」
「裸には引ん剥いたがな」
「……裸!」

 否定の後の真実は、酷い言い草で充分驚愕するものだったけれど、彼は何が問題なのだと云わんばかりの当たり前のような顔をして私を見た。

 赤くなったり青くなったり騒がしい私の顔色を見て面白かったのか、少しだけ口元を上げる。
 そして、あっけらかんと言い放つ。

「死人化が進んで腐っていた上に、落下の衝撃で腹が破れて内臓が外に飛び出ていたんだ。裸云々以前に、人の形すら取っていないものに、恥ずかしいもクソもあるか」

「……」
「………」

 ポカンと口を開ける私とアッシュを横目に、彼は頬杖をついたままの姿勢で話を続ける。

「内部に挿入はいった方が同化は楽だが、今回は腹が開いてたからな。そこから直接体内に入れた」

 お前の時より簡単だったと、隣のアッシュの肩を小突いた。
 その言葉を聞いて、今度はアッシュの方も赤面したのだ。

「それは言わねえ約束だろ…」

 と、何やらごにょごにょ言っている。

「そうか、身体を掻っ捌けばいいのか…。後で塞げばいいだけで、次はそれで…」
「おいおいおい、旦那!物騒、物騒」
「まあ、いい。”同化”については後で説明する」
「え?」

 リュシアはそう言って、視線を私から逸らす。その目は酒場の入り口の扉に向けられている。

「お前のについても、な」
「リュシアさん…」

「先にこっちを終わらそう」


 カランコロンカランコロン


 彼が言い終わると同時に、酒場の扉が開け放たれた。

 どやどやと大きな足音を鳴らして、遠慮なく酒場の床を汚す甲冑姿が全部で5人。一列に私達のテーブルの前に並ぶ。

 鈍い銀の甲冑は全身を覆っていて、表情どころか個人の判別すら難しい。
 真ん中の甲冑が右腕をトンと心臓部分に充てて敬礼のポーズを取る中、残りの四人は微動だにせず呼吸音すら伝わってこない。

「帝国黄金騎士団より、ユリウス・フレデリク総帥閣下の命にて、“紡ぎの塔”殿をお迎えにあがりました!」

 一言一句、はきはきと紡がれる言葉は淀みがなく聞き易い。
 しかし明らかに感じる、『強制』の言葉尻りでもあった。

 私達に最初から選択肢は与えられていない。仮にもリュシアというギルドマスターにそれなりの敬意を払っているだけでしかない。
 彼らから読み取れるのは、騎士団以外の侮蔑の意思。それが態度からもひしひしと伝わる。

「は、きちまったか…」

 ギルド同士、4つしかないのだから仲が良いものだと勝手に思い込んでいたからこそ、彼らの高飛車な物言いがショックだった。

 なぜ、関係のない私が落ち込むのかは分からない。
 でも多分、私が凄いと思ったリュシアを侮蔑する態度に腹が立ったのだと思う。

 あなたがた如きに、この人の凄さなんて分かるはずもない。そうやってふんぞり返っていればいいわ。

 過去、団長が言った「ギルドの連中は偉そうなだけ偉そうで癪に障る」といった科白を思い出す。
 団長は嘘を言ってなどいなかったのだろう。本当に団長は、騎士団というギルドに対してそう思っていたのだ。

「生存者、ニーナ殿もご同席願います!」
「え、私?」

 ここで私の名前が出てくるとは思わなかった。

「ユリウス閣下の弟君、ロルフ殿もお待ちでいらっしゃいます。是非、来てくださいますよね」
「団長!?」

 どういう事かと思ったが、団長の名でしっくりする。
 そうだ、私はこの惨劇の生き残りなのだ。

 生きながら死の狭間にいた。テルマという想像の産物が実際に動き出し、団員を皆殺しにした経緯も知っている。最初から最後まで、私はこの事件の中心にいたのだ。

 団長に対して私は説明義務がある。それに団を預かる身として団長は知るべきだ。
 たった一晩町を離れただけで、団員も館も失ってしまったのだから。
 促されるまま、私達は立ち上がった。

「では、わたくしの後に」



 前に二人、後ろに三人に囲まれて、連行されるかのように連れ出される。
 広場を抜け、坂を上っていく。

 すると私達の姿、いや正確には私を見ながらひそひそと声を潜めて何やら耳打ちをしている町民がいた。
 露骨に指差し、眉を顰める人もいる。

 とても感じが悪い。途端に肩身が狭い思いがして、前を行くアッシュに出来るだけ並んで歩くようにする。
 不躾な視線を感じ上を見上げると、家の二階から町民の頭が幾つも覗いていた。


 なんなのだ、一体。

 心当たりがない訳でもない。なんせ、団のメンバーだからだ。
 この町の治安維持を請け負う為にカモメ団は在ったのに、昨夜は何の役目も果たせなかった。
 グレフや死人を町に許した挙句、多数の死者を出した。

 私一人の所為ではあるまいが、宙ぶらりんの状態では気持ちのぶつけ先が無くて不安だけが募る。だからこそ、誰か一人を悪者にしなければ、心の平穏は保てないのだ。
 彼らは、団の生き残りである私に全ての責任を押し付けて、この惨状を乗り切ろうとしているのだろう。
 哀しい事だが、仕方無い事だとも思った。

 それに彼らはヒソヒソ噂話をするだけで、私を攻撃するまでには至っていない。
 周りに騎士団の姿があるからだろう。彼らに処遇を任せるつもりなのかもしれない。


 騎士団が向かう方向は町の入り口の方だ。
 遠くに幾つものテントが見える。あそこに陣を張っているのだろう。

 通りすがらに、私が爆破した館があった。
 最後の方はもう殆ど覚えていないが、私はいつ爆破のスイッチを押したのだろう。

 あの火薬の量では、この辺り一帯が吹き飛んで瓦礫の山が築かれていたはずで、だからこそ近隣住民の避難を呼び掛けたのだが、不思議な事に吹き飛んだのは館のみで他の建物には一切被害はなく、道路も瓦礫のひとかけらすら落ちていなかった。


 館はそこだけ亜空間に呑まれたように、何もなかった。
 そう、、なくなっていたのである。


 残されたのは空っぽの敷地のみだった。知らない人がそこを見れば、やけに広い空き地としか思わないだろう。
 かつてそこに貴族の屋敷はあり、常時100人前後の人間が住んでいただなんて誰が思うだろうか。

 また聞きたい事が出てきてしまう。
 しかし騎士団に上下を挟まれたこの状態では、私語を言うのも憚れる雰囲気であった。

 あのお喋りなアッシュですら黙っているのだ。私達の先頭をゆくリュシアも当然無駄口は叩かずに歩を進めている。あの美しい顔を曝け出したくないのか、彼は何時の間にか長い布を頭にグルグル巻きにして顔を隠していた。


 それも町の外に出て、騎士団の駐屯地に着くまでの間だけであったが。


 今、布は彼の腰に巻かれ、彼の歩みと共に揺れている。
 美しい彼の素顔は何の感情も籠っていない平坦さを見せている。


 彼だけは何も変わっていなかった。
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