蒼淵の独奏譚 ~どこか壊れた孤高で最強の魔法使いがその一生を終えるまでの独奏物語~

蔵之介

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二. ニーナの章

41. ひとりぼっちの団長

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「何にも聞こえねえや。ちくしょう旦那め、音を消しやがったな」

 騎士団長のコテージは念入りに人払いがされていて、遠くに護衛兼見張りの騎士が起立していて近づく事は許されなかった。

 町民の不安材料の私が町に戻るわけにもいかず、町の入り口でリュシアが戻ってくるのを手持無沙汰に待つのみである。
 アッシュは地面の石を蹴飛ばして、実に不満げな表情をしている。

 しかしそれは私ら如きではどうしようもない。
 あくまで彼らはギルドマスター同士。私たちとは立場が全く違うのだ。
 彼らが人払いするということは、私たちが知る必要のない「上」の会話をするのだろう。

 そんなアッシュは悪態を付きつつも、そこから動くつもりはなさそうである。
 私は彼をその場に残し、ロルフ団長と陣の端の木陰に身を寄せた。

 団長は決して暇ではない。これからすぐにでも町に戻り、被害者遺族たちへの対応を行うとの事だった。
 不安を払拭させるには、町に顔の知れたロルフ団長がいるだけで効果は倍増する。今の町にとって団長は、引く手数多の存在でもあったのだ。



「団長…」

 日は高くなった。
 眩しい日差しを木々が遮ってくれる。じっとりと汗を掻く私の横を、涼しい風が通り過ぎていく。

「すまなかったな、ニーナ」

 団長のたくましい腕が私の頭を優しく撫でる。無骨な手に似つかわしくない、壊れ物を触れるかのような優しい手付きだった。

「いえ。でも、もう色んな事が起こりすぎて分かんなくなっちゃって…」
「オレが此処を離れたばかりに」
「……」

 団長がいてもいなくても、正直何ら変化はなかっただろう。

 逆に昨夜はいなくて正解だった。もしテルマが団長を殺した挙句に死体も残さず私が消滅させていれば、あの騎士団長の怒りは収まらなかっただろう。
 弟可愛さに長年、影から団を支援し続けた人物である。騎士団長にとってロルフ団長はかけがえのない家族であり、愛すべき弟なのだ。かつて私がテルマを愛したように。

 それこそ、こんな話し合いなどせずに、問答無用で私を連れて行っただろう。

 ギルドマスターなのに不甲斐ないと諭されたリュシアに対しても、その怒りの矛先は向けられたはず。
 あんなニヤニヤと値踏みするような目ではなく、はっきりとした憎悪の目で私達に責任を問うたに違いない。


「ニーナ!我が胸に飛び込んでくるが良い!」

 私がじっと考えていたのを哀しみだと受け取ったのか、突然両手を広げて私をガバリと抱き上げた。
 自ら飛び掛かってどうするんだ。相変わらずの団長に嬉しくなって涙が溢れ出る。

 彼はいつもの彼だった。10年共に過ごした団長であった。

「ふふ、甘えてばかりじゃいられません」

 それでもそっと厚い胸元に顔を寄せ、今は亡き団員達の顔を思い出して泣いた。
 声も出さず、しゃくりあげもせず、ただ静かに涙を流す。

 もう二度と、彼ら団員と出会う事はない。

 突然訪れた別れだった。それも最悪なカタチで幕を閉じた。

 彼らの死を悼む間も与えられず、次々に起こる事件に振り回されて翻弄された。
 私と団長と、十数人のカモメ団。残ったのはそれだけだった。

 いつでも飛び立ちたかったあの場所は、私の唯一の居場所でもあった。居心地が良すぎて腐ってしまいそうになるほどに。
 けれど、もう二度と味わう事はない。

 あの空間を彩ってくれた多くの団員は、館と共に潰えたのだ。


「ニーナは一晩で随分と変わったようだな!」
「え?変わってませんよ。でも…変わろうとしてるのかも。みんな急にいなくなっちゃって、このままグズグズ泣いていたって何も意味はないから…」
「何故、彼らは死んだのだ!」
「……」

 団長の心臓の鼓動が聴こえる。
 ドッドッド…規則正しい血脈のうねりに激しさが増すのを感じる。

 彼は表面的にはいつもの団長だけど、その内部はあの場に居なかった自分を責めて責めて怒りを抑え込んでいるだけに過ぎない。

「兄は怒れる神が怪しげな石を配り、それを媒体にしてグレフが人を操ったと言った。アッシュもそう説明したからな。しかし腑に落ちない点もある。最初の屍は、なんだったのかと」

 最初の屍――――。
 それはたぶん、テルマだ。私の『想像』が生んだ妹。

 あの石が生きている者には作用せず、機能しなくなった人間のみを操るのだとしたら、実態の無いまま具現化したテルマ以外はないだろう。

 彼女にあの石を渡し、彼女がずっと持っていた姿も私達は見ている。
 実際に神の声を聴き、私の願いと共鳴して殺人をしたと言っていた。

 彼女の殺戮は衝動的だったが、抗えないものでもあった。それは死人化した私だから言える事。
 あの地の底を這う声は、ずっと頭の中に響いていたのだから。
 生まれて人間の理も善悪もなかったテルマにとって、頭の声は唯一の指示だった。


 グレフは死人化のきっかけを誰かが果たしてくれるのを待っていた。それは文字通り「死ねばいい」のだ。テルマが最初の一人を殺せばそれで良かった。一人が殺し二人となって、二人が殺して四人になって。そうして爆発的に被害は拡大し、町は全滅しただろう。

 私は団長に答えられなかった。
 テルマの事、私の死人化の事。どこまで騎士団が把握しているか分からないからだ。


「でもそれを調べるのは騎士団ではないのだ」
「どういう事ですか?」
「あの優男に任せるらしい」
「?」
「オレが殴ってやった、あのサメ男よ」

 合点がいった。尾びれがぴょこぴょこ可愛かったあのローブ姿を思い出す。

「リュシアさん?」

 私があの人の名を呼ぶと、団長は私から身体を離し、厭らしそうに目を逸らした。

「ああ、兄は彼奴に押し付けると言っていた」
「押し付ける…?」

 団長はどうやらリュシアに余りいい感情を抱いていない様である。
 それはそうだろう。痛い所を何も知らない私達の前で暴露し、問答無用で兄に引き渡したのだから。
 彼さえいなければ…私も感じた事を、団長も思っているのかもしれない。

「オレはギルドは好かん。これが兄のやり方だからな。強引で有無も言わせず、我を通す。面倒な事は全て他人に押し付け、最低限の援助しかせぬ」

 太い木の幹に身体をもたれかかる。
 団長の体重を受け止めた幹が撓って葉が散った。

「オレの団はオレもいたが、みんなもいた。皆で協力し合い、切磋琢磨してここまで育ったと自負しておる。騎士団とは真逆。奴らは兄を筆頭に、自らの意思を持っておらぬ。上下関係とプライドだけ高いだけの輩よ!」
「団長は…」
「オレは兄に庇護される立場ながら、このやり方が気に食わなかった。災厄前に兄から一兵団を任せられると聞いた時は、オレの考えるオレだけの騎士団を作ろうと思ったのだ」

 団長があの人に連れて行かれて残った私達にアッシュが説明してくれた続きを、彼自身が語ってくれている。
 アッシュの言葉だけでは不完全だった団長の過去。
 あれだけではただの駄々っ子で団長だけが悪く捉えられる内容で、私達は丸っきりアッシュの話を信じてはいなかったけど、それでもしこりを感じざるを得なかった。

 とうとうアドリアン達は真実を知る事もなく死んでしまったけれど。


「喧嘩したと聞きました。団長と騎士団長が」
「反故されたからな!!」

 大きな声に思わず肩が跳ねる。遠くにいるアッシュにまで聞こえたようだ。私達を探すようにキョロキョロと辺りを見回している。

「兄はあれで美しい者、強い者に目がなくてな。騎士団に新たに入った優秀で美しい女に心を奪われ、かの者に全てを…オレが受けるべき庇護を与えたのだ。弟よりも、兄は美しい姫君を取ったのだ。それが歯がゆくてな。しかしその女子おなごは非常に優秀で、オレは太刀打ちできなかったのも悔しかった」
「だから家出を?」
「ふはは。その通りだ。昨晩、あの優男に指摘されたのは事実よ」

 騎士団長はあっさりと弟を捨てた。その美しい女性を傍に侍らすために。
 そんな私利欲で騎士団がまかり通るものなのかと思ったが、あの騎士団長ならば納得もする。

 陣幕で騎士団長は、リュシアに異様な執着を見せていたのだ。
 あの不快な目つきを思い出して鳥肌が総毛立つ。

「その女性は此処に来ているのですか?」
「いいや、彼女は生死不明よ」
「え!」
「オレの替わりに一兵団を任された彼女は、災厄当日は任務で《王都》にいたらしい。たまたま視察に《中央》を訪れていた兄は災厄を逃れたが、彼女はそのまま《王都》に閉じ込められ、何も分からぬ」

 その人も災厄の被害者だったのか。

 だから騎士団長は彼女を掬う為に、リュシアのように大事な人が《王都》にいるから早く会いたくて会いたくて、ギルドの先頭で指揮を執り続けて――。

「兄の好かんところはその先だ」
「?」
「早々に兄は彼女を諦めたのだ。あんなに入れあげていたのにな!」
「まあ!」

 私の頭の中で騎士団長の儚い恋の美談が繰り広げられていたが、そんな物語も団長がバッサリと一刀両断してくれる。

 驚きよりも先に呆れが来た。

「愛すべき対象がいなくなって兄はそこでようやく出奔したオレを思い出し、この町にいるオレにあれこれと構いだしたのだ!」
「それで自警団を立ち上げたと。騎士団の後ろ盾とはそういう事だったんですね」
「うむ。話さず、済まぬな。彼らもオレを不審に思わせたまま死なせてしまった。残念でならん」

 団長が空を仰ぎ見る。

 射すような日差しに目を細める。幾度となく繰り返し瞬きをする細い瞳が濡れていたのは気付かなかった振りをしておこう。

 団長の中で男というものは人前で泣くものではないと思っているからだ。
 彼の言う「男らしさ」に涙は不要なのだろう。そんなのどうだっていいのに。泣いても泣かなくても団長は団長だし、団長は私から見れば立派な「男の人」だから。


「団長、私はあなたが不正を働いたと聞きました。それは…どういう事なんですか」
「オレは兄から自立したかったのよ。オレたちが探索する廃墟の資源はいつか尽きる。金に困る事になろうとな」
「!!」

 それは私が一番懸念していた事だった。私以外の誰もその事実に気付こうとしないで、目の前の日々を楽しく過ごす事しか考えていないと、未来の団は、この町はどうなるだろうと私はいつも恐怖に駆られていたのだ。

 てっきり団長も未来など気にしていないと思い込んでいた。
 もし気付いていたとしても、あっさりと町を捨てるだろうと勝手に決めつけていたのである。

「オレはこの町、カモメ団を愛していた。兄のようにはなりたくない一心でやってきたが…もう終わってしまった」

 彼の不正は私欲を満たすものではなく、町の欲を満たすものであった。

 私はバカだ。一言、団長に相談すればよかったのだ。
 そうすれば団長もギルドとの関係や不正を隠す事もせず、明け透けに打ち明けられてまた別の未来を歩んでいたかもしれないというのに。

 余所者である団長こそが最もこの町を憂いていたのだ。

「そのお金は?」
「うむ。これも非常に残念だが、館に隠してあったのよ。カケラも残っていない今、オレのしてきた事は全て無駄で、兄に発言力を与える結果だけが残ってしまった」
「ご、ごめんなさい!!私が、私が勝手に館を…!」

 なんて事だ。
 本当に私はバカだ。やる事成す事、全てが裏目に出ている。

 こんな疫病神は他に知らない。私はなんて浅はかで愚かな人間なのだ。

「良いのだ!それも仕方無かった。グレフが絡むと人は抗えぬ。大量のグレフに襲われて、むしろ被害は少なった方だぞ!団のメンバーがほぼ死んだのは、まだオレは実感が湧かんのだ。数日経って落ち着いたころに、どっと哀しみが襲ってくるやもしれぬな」

 私は団長の、これまでの10年を奪い、そして未来も奪った。
 結果論かもしれない。私の所為だけじゃないかもしれない。でも、その全てに私が関わっているのも事実なのだ。

「私、団長を誤解してました。あなたを信じてもいなかった。ここまでこの町を想っていたなんて…ごめんなさい」
「いいんだ、ニーナ。君はよくやった。町を守る超新星カモメ団の一員として、団長不在のあの状況下で、よく働いた。これより君は、君の救った町にはいられなくなるが、いつか感謝される日が来るはずとオレは信じておるぞ」
「団長…ありがとうございます」

 団長の言葉は私の救いになるだろうか。
 彼の人生を奪った私に、一体何が言えるだろう。

 それでも私は嬉しかったのだ。私の成した事を一つも否定しなかった団長の優しさに甘えた。


「これから団長はどうなさるんですか?」
「オレはこの町で、騎士団として入る事になろうな。また、やり直そうと思う。ギルドが仲介する以上、前のようにはならんと思うが。若者も、随分と減ってしまった…」

 力無く笑い、また私の頭をポンと撫でた。
 団長の手は冷たくて、寂しかった。


 町の入り口の方で団長が騎士の一人に呼ばれ、その言葉を最後に彼は私の前から去って行く。
 私は小さくなっていく団長の背を見つめるしかなかった。


 私にはもう何もできない。出来やしないのだ。


 団長の真実が分かったはずなのに、ちっとも救われた気になれなかった。
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