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天狗山 編
下(完)
しおりを挟む次の日から、僕は学校から帰ると家のある2階ではなく、13階までエレベーターに乗るようになっていた。
あの森を、見るために。
13階の景色はそれこそ遠くの町や山々まで見渡せる。ゾクリとする高さだ。
組合の掃除道具入れからバケツを取り出して上に乗る。
一番上から見ると、人は棒のようだ。
ヒュンと落ちる感覚がして、頭からゾワゾワする。
でも、お陰で森はしっかり見えた。
森はあの時と変わらず、同じ場所にあった。
それで良かった。
それさえ確かめられれば、大丈夫。
まだ、誰もさらわれてない。
一通り確認してから、僕はようやく帰路に着く。
こんな手間になってるのも、全部おばちゃんの所為だった。
あれからおばちゃんには会ってない。
話したくもなかった。
それが起きたのは、僕が13階に上るようになって丁度1週間が経った時だった。
いつものように、エレベーターに乗り込む。
知ってる人は僕が2階の住人なのにと思ってるだろうけど、誰も僕を咎めない。
エレベーターの先頭に立って、到着を待つ。
この時は少し気軽な面持ちになっていて、あの時感じた恐怖は大分薄れていた。
バケツを置く。
ひょっこりと顔を出して森を見る。
ただ、それだけ。
それだけなのに。
森が、ない
「え!」
思わず声が出た。
いつもの場所、いつもの方向。
森があるのは妹の保育園の向こう側。
毎日毎日確認したのだ。
昨日もその前も、森はそこにあった。
だけど、ないのだ。
森があった場所は、まるで初めからそうだったかのように住宅が並んでいる。
こんもり盛り上がって見えなかった森の先は、工場の煙突だった。
「森は、動くんよ。誰かをさらうとね」
おばちゃんの言葉を思い出す。
誰かをさらう。
誰?
もしかして、おばちゃん!
僕は居ても立っても居られず、下に降りたエレベーターも待つ余裕もなくて、階段に走った。
13階から4階まで一気に駆け下りる。
息も絶え絶え、4階に着いた時は足もガクガクで碌に立てなかったけれど、それでもすがる思いでチャイムを押す。
ピンポーン
呑気なチャイムの音。
耳を澄ます。
何も聞こえない。
いない。おばちゃんは何処に行った。
「おばちゃん、おばちゃん!いる?僕だよ、おばちゃん!」
ドンドンと玄関を叩く。
けれど、何の音もしない。
僕はまた走って2階に降りた。
玄関を開け、靴を脱ごうにも足がもつれてうまくいかない。
ガタガタやっている僕に気付いた母が台所から顔を出す。
「どしたん?」
「おばちゃん!」
「ん?」
「4階のおばちゃん、見た?」
「ナカムラさん?」
おばちゃんの名前を初めて知った。
でもそんな事を僕は知りたいのではない。
「おばちゃん家行ったのに、シーンってしてて!」
「そういえば、最近見らんね。なんであんた、ナカムラさん家に用事?」
「いや、いないならいい!」
僕はまた外に飛び出した。
おばちゃんがいない。
最近、姿がない。
おばちゃんは本当に、天狗にさらわれた!
上から見ていたから、森の大体な場所は知っている。
おばちゃんは森には近づけないと言っていた。本当にそうなのか、確かめないと。
だって、今度は僕の番なのだから!
森に行くには通学路外に出てしまう。
先生に見つかりでもしたら大目玉だ。
信号を一つ渡って、道路沿いを走る。坂を登って、工場を左折。小さな道を進めば妹の保育園だ。保育園を越え、また小さな道を走る。田んぼを二つ越えたら住宅街に出る。
森は、その一戸建ての家の真ん中にあったはず。
ぐるぐると辺りを回る。
自転車に乗ってくれば良かったと後悔する。
いい加減疲れてきた。
森はやっぱり無かった。
森があっただろう場所は、家だった。
真新しくはない。古い一軒家。
随分昔から家は建っている。初めから森なんてなかったみたいに。
行った先におばちゃんを見つけるかもと思った。
でも、おばちゃんどころか人っ子一人居なかった。
天狗がおばちゃんをさらった。
だから森は移動したんだ。
新たな場所で、また人を森に閉じ込める。僕がこの秘密を誰にも漏らさない限り、僕は大丈夫、大丈夫なんだ。
見張りに気をつければいい。
電線のカラスや、夕方のコウモリ。
夜に森の声を聞かなけれればいい。
耳を塞いで、何も聞いてないふり。
サアっと、風が通った。
僕を真ん中に、強い圧迫感がくる。
強い風に押され、よろけてしまう。
目が開けていられなくて、目をしかめた。
僕はいつのまにか、知らない道に立っていた。
「……」
怖い…という感情は不思議となかった。
何処だ?とは思うが、頭の中で此処が森の中なのではとも思っている。
風に、落ち葉が舞っている。
僕の足元は、デコボコの石畳。
両側は、細い木々が生い茂っていた。
前も後ろも何もなくて、どこまでも道だけが繋がっている。
僕は立ち止まったままだった。
ふいに視線を感じた。
僕の斜め右。上の方からだ。
するとそこには、得体の知れない何かがじっと僕を見下ろしていた。
折れそうなほど細い木の枝に、しがみつくようにそれは絡まっている。
僕はしっかりとそれを見たはずなのに、何故だか姿が曖昧だった。
人のような形。
顔は、モザイクがかかっているよう。赤くはなかった。
それは一瞬の出来事だった。
数分、いや、数秒だったか。
次の瞬間には、僕は先程までいた住宅街に立っていた。
あれは天狗さまだったのか。
おばちゃんがいう格好でもなく、ラーメン屋さんのお面とも違った。
だけど、何者かはいたのだ。
僕を怖がらせるのではなく、ただ僕を見ていただけ。
帰りは走らず、歩いて家に帰った。
玄関を開けて靴を脱いでると、母が出てきた。
「ナカムラさん、引っ越したんだって」
おばちゃんは天狗さまに会いたいと言っていた。
あの人はさらわれたのではなく、自分から秘密を話して天狗さまの森に行ったのだろう。
「お母さん知らなかったけど、最近ご主人が亡くなったみたいで。実家に帰ったって、ご近所が教えてくれたんよ」
「ふうん」
僕は鍵がない時の行き場を失った。
高価なお菓子はもう、食べられなくなった。
でも、おばちゃんが幸せなら、それでいいと思った。
その日の夜。
窓も開けてないのに、外が騒がしかった。
グギャギャギャとか、ケーンとか、チョギョギョーとか、けたたましい声が鳴り響いている。
あまりのうるささに、ちっとも眠れない。僕の隣の布団でグースカ寝てる兄を蹴飛ばそうかと思ったぐらいだ。
森はないのに、森の声がする。
ほんの少しだけ怖くて。
ほんの少しだけもうちょっと聞いていたいと思った。
おばちゃんは、森の中で会いたい人に会えたかな?
■■■
「ただいま」
20時、妻が帰ってきた。
DVDに夢中な娘は、妻に気づかずはしゃいでいる。
「おかえり。今日のご飯はナスの豚バラ巻きと、ほうれん草目玉焼きだよ」
僕の一日。
娘が寝たら、これで終わりだ。
「ついに秘密を暴露っちまったなぁ、やっちまったな、さらわれても知らんぞ」
半熟タマゴのトロリとした黄身を行儀悪く啜りながら妻が言った。
「じゃあ、森が動くか今度の休みに見に行ってみようか?森ならまだあそこにあるし」
実はあの森は、あの後、僕が見た場所に出現していたのだ。
何のことはない。
初めから森はそこにあり、消えてなどいなかった。
森には足を踏み入れる事もできる。春になると近所の住人がタケノコ堀りに精を出す、何の変哲もない山だ。
「子どもというのは、ほんとに自分に都合良く物事が見えるんやね。
強く思い込めばその通りになるんやったら、あたしのクソムカつく上司をその森に閉じ込めて一生出られなくさせちゃるわ」
妻が言うと、本当にそうやりかねないので、僕はやはり森を案内するのを断念した。
僕は思う。
強く思い込めばその通りになるのであれは、大事な人を失って最後に残された時、僕はあの森を思うだろう。
森を探していた僕を、天狗さまは一瞬だけ森の中を見せてくれたのかもしれない。
どこまでも続く石畳の先に、愛しい人に会える、いつか必ず行けると場所へ。
終わり
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