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優しきサンタクロース 編
下(完)
しおりを挟む夜、いつもより早い時間。
父がケンタッキーのバーレルと、ケーキと、銀紙に包まれたお酒みたいな飲み物を両手いっぱいに抱えて帰ってきた。
一年に一度の、我が家のお祭り騒ぎ。
ケンタッキーはクリスマスの時だけ食べられるご馳走だ。
ケーキは誕生日の時のバターケーキじゃなくて、チョコレートがたっぶり掛かった凄いやつ。
それと、子供でも飲んでいい、シャンメリーとかいう美味しいジュース。
コルク栓を抜く時は気をつけないといけない。去年はポンっと飛んだ栓が電気を直撃して割れちゃって、ちょっとした騒ぎになったから。
コタツのテーブルの上に、母の自信作が所狭しと並べられて、僕は目移りしてしまって匂いだけでお腹一杯になりそうだった。
クリスマスツリーの飾り付けは間に合ったし、父は機嫌がとても良い。
僕が午前中に一人で不貞腐れていた事なんて知らず、そして母たちも内緒にしてくれている。
普段は付けないテレビを観ながら、くだらないバラエティの笑い声と一緒に僕らも暖かなご馳走にありつく。
父と母はビールを呑んで、飲み慣れないから顔を真っ赤にして楽しげに談笑している。
兄は海老フライの尻尾を食べるか捨てるか迷っていて、僕は唐揚げを頬張るのに夢中。
妹は器用にポテトスティックを両手で持ってカリカリしてて、油まみれの妹を見てみんなで爆笑。
なんてことはない。ただご飯を食べるだけ。
なのに、家族5人揃って美味しいものを食べて、特別な夜を過ごすのがとても楽しかった。とても、愛おしい時間だった。
機嫌を直して良かったと思った。
一人でも不貞腐れてたら、こんなステキな時間は送れなかっただろうから。
僕の頭の中に、サンタの事なんてすっかり抜け落ちるくらい、幸せで楽しい時間だった。
その時である。
コツコツコツ…
ふいに、何か硬いものが当たる音が、父の後ろからした。
「?」
「何?」
コツコツコツ…
一定の間隔で、小粋気味に鳴らされる音。
家族5人、食べる手を止めてキョロキョロと音の出所を探す。
音は父の背後、ベランダの方向だ。
誰もいないはずの、ベランダ。
僕らは長方形のコタツテーブルに座っている。
居間から真正面にテレビがあり、テレビの真ん前に僕と兄。
僕の右手側、台所から近い所に母。その横に小さな椅子に座る妹。
僕の左側は父。ベランダはその後ろにある。
下半分は曇りガラス。上は夜も更けて真っ暗だ。
「ベランダ?」
不思議そうに兄が問う。
「え?ベランダ!?」
母がガタリと立ち上がろうとする。その顔は驚きよりも、恐怖の方が近い。
だってそうじゃないか。
家は団地の二階にある。
僕らの団地はちょっと特殊で、一階部分に鮮魚屋さんやお肉屋さんがあるから二階までの距離が長いのだ。
そのお店は僕らの家とは逆の方にあるから、一階には単なる空洞があるだけで何もない。
それに、僕らの隣は誰も住んでいないのだ。
片方は管理人さん用の部屋で、エレベーターを操作するボタンがたくさんあるけれど、一年ほど前に引っ越してそれっきり。
もう片方とはそもそも繋がってない。壁がある為だ。
ちなみに上も住んでない。
騒音がとにかく酷くて父が怒鳴り込みに行ったら引っ越してしまった。
朝から夜中まで、鍋の蓋を落とす音を鳴らしてたんだよ。
くわんくわんくわんって、鍋が回る音。毎日聞かされたら溜まったもんじゃなかったからね。
とにかく何が言いたいのかというと、誰かがベランダの中にいるってこと自体が、変なのだ。
考えられるのは、泥棒。
だから、母は顔を青くしたのだ。
コツコツコツ…
音の出所はベランダと部屋を隔てるガラス戸のようだ。
明らかに、誰かが外から窓を叩いている。
泥棒だとして、律儀に窓を叩くものなのか?
それにどうして姿を見せないのだ。
だけど、僕らの部屋から漏れる明かりに照らされて、ベランダからチラチラと影が見える。
曇りガラスにも、大きな塊が映る。
僕は怖くなって、兄にしがみつく。
兄もぎくりと固まったまま、動けないでいる。
状況の理解できない幼い妹だけが、暢気にあーうーと言っていた。
「ちょっと見てくる」
父が立ち上がる。
「お父さん、気をつけて」
コツコツコツ…
音は鳴り続ける。
しかし父がベランダの鍵をガチャリと開けた時、音は急に止んだ。
勢い良くガラス戸を開ける父に、固唾を飲んで見守る僕達。
父は思い切り体半分をベランダに乗り出して、しばらく様子を伺ったかと思うと。
「わははははは!!」
と、急に大声で笑いだしたのだ。
「え?」
「どしたん!?」
父は大袈裟に笑い、何かこしょこしょ話していたかと思うと徐に僕らの方を振り返り、今年も終わろうとしているのに、年内一番驚く台詞を言ったのだ。
「サンタが来とるぞ」
って。
父はちょっと意地悪そうな顔をして、ニヤニヤしている。
僕も兄も、驚きすぎて声が出ない。
母だけが、そうやったんやねと、安心した顔をして、コタツの中に足を入れた。
何が何だか分からなかった。
サンタさんが来ている?僕の家の、ベランダに?
そんな事ってある?
今朝方、それで僕は一人不貞腐れていたのだ。うまく母に懐柔されて、少しは機嫌も直ってサンタを信じる気にもなった。
そして、これだ。
信じるしか、ないでしょう?
「プレゼントを預かってたお礼を言いに来たみたいだ。ユウ、サンタさんのお菓子を持っておいで」
父は僕らとベランダとを交互に見て、そう僕に頼む。
僕は台所にすっ飛んでいって、サンタさん用のお菓子を入れた紙皿を父に渡す。
チョコや柿ピー、サラミといった、お菓子というよりおつまみだったけれど。
僕は父にその紙皿を渡す時、うんと首を伸ばしてベランダの外を見た。
「おらんやん…」
果たしてそこには誰もおらず、冷たい12月のツンとした風と、放り出されたサンダルしかなくて。
また騙されてるのかと思って泣きそうになる僕に、父は言ったのだ。
「ユウ、サンタが言いよるぞ。お前がサンタを信じてくれないのが寂しいって」
「え?」
午前中にあった事、父は仕事に言ってたし知らないはずだった。
今と違って携帯なんてないし、母が父に電話をしている様子も無かった。
「サンタは子供には見えん。だけど、ちゃんと此処にいて、一年良い子にしてたか確かめにくるんだ」
「……」
「サンタが見えた時、もうプレゼントは貰えない。やけど、見えない内はサンタに甘えていいんやぞ」
「うん」
「ほら、サンタさんにお菓子を上げるから、見ていてごらん」
父は僕から紙皿を受け取り、ベランダの奥の暗闇しかない空間に、それを差し出した。
「あ…」
そして手を引っ込めた時、紙皿の上は空っぽになっていた。
「サンタさん、おつまみ好きみたい」
「大人だからな」
ニヤリと笑った父の鼻は赤くて。
サンタさんと子供の間に入ってくれる世界中の親こそが、しもべのトナカイなのかもしれないと思った。
母のご馳走を食べ、喧嘩しながらケンタッキーの部位を取り合って、シャンメリーをちびちび飲みながらチョコレートケーキに齧り付く。
そんなうたかたの宴も終わりを告げ、僕ら子供は眠りにつく。
「お兄ちゃん、本当にサンタさん来たね」
「だな」
あの時、ベランダに近寄る人はいなかった。
ベランダから遠い母は勿論、兄も僕もガラス戸までは届かない。
そしてベランダから一番近い位置にいた父でさえも、戸までの距離は大人一つ分もあったのだ。
僕らは全員揃い、夕食が始まって誰も中座していない。
みんな母のご馳走に夢中で、その、両手はコタツの上にあったのだ。
間違いなく、サンタクロースは実在する。
うどんを食べてる間にこっそりプレゼントがなくなったのも、ベランダの戸を叩いたのも。お菓子を食べたのも、僕は見たのだ。その姿を見られないだけで。
「プレゼント、何かな」
24日の夜はいつもこんな感じだ。
ワクワクして、ドキドキして、胸の高鳴りをどうにか抑えながらやっとこさ眠る。
僕の好きな時間。
「鉄道模型やったらいいな~」
「僕はなんでもいい」
「やっぱ、鉄道模型やな」
「お兄ちゃん、それしか言わんね」
そうしてグダグダと布団の中で喋っているうちに、眠ってしまうのだ。
りん―――
目を、覚ます。
何処か遠くで、鈴の音が鳴っている。
とても暗い部屋。何時か分からないけど、父も母も布団の中にいる。
手探りで枕元の靴下を探る。
ふわふわの靴下だけが手に当たる。
プレゼントは、まだない。
暗闇の中、家の外の渡り廊下の灯りがぼんやりとガラス越しに見える。
この窓も曇りガラスだから、外の様子は窺えない。
リン
今度は、はっきりと鳴った。
(あ……サンタクロースだ)
曇りガラスの向こう側、こんもりと黒い人影が見えた。
僕の家の窓の外に、じっと立っている。
リン
綺麗な鈴の音。
僕はその音に聞き入っている。
とても嬉しかった。
夕食のときに近くに来てくれただけでも嬉しかったのに、今度は影だけだけど姿まで見せてくれただなんて。
窓の外のサンタさんは、5分くらいその場に立ち止まっていた。
僕は布団に包まったままじいっとサンタさんを見ていて、サンタさんも僕に存在をアピール出来て満足してくれたのか、鈴を鳴らしながら静かに立ち去っていった。
「ありがとう、サンタさん。僕はサンタがいるって事、もう絶対に疑わないからね」
そしてうとうとと微睡みが始まり、僕は再び眠りにつく。
翌朝、まだ陽も昇らない早朝。
僕と兄は目をパチクリと瞬かせながら、枕元の大きなプレゼントに今にも踊りそうになっている。
深夜、あれから何度も起きては靴下の中を確認して…を繰り返していたら、ある時急にプレゼントが現れたのだ。
僕と兄はプレゼントの箱を抱えて窓の方に行き、そこだけが薄っすら明るいからなんだけど、もう待ちきれずに包装紙をビリビリと破いていく。
昨日、戸棚で見たプレゼントと紙が違っていた。僕のとも、兄のとも。
僕のプレゼントの紙は赤と緑のシマシマ。兄のは青のピカピカ。
「やった!鉄道模型やん!!」
兄のプレゼントは、兄の一番欲しかったもの。
僕にはよくわからないが、小さくて精巧な電車が5つも入ったものだった。
「やべえ、ジオラマセットもあるぞ!」
兄の声は大きい。
兄のプレゼントは二つもあって、すごく大きい箱には線路がたくさん入ってた。
「良かったね、お兄ちゃん」
「お前のも、早く見せろよ」
「分かったから、急かさないでよ」
ガシャガシャと紙を破り、立派な箱に心を躍らせる。
「なに、これ」
「……」
僕のプレゼント、洗濯機のミニチュアのオモチャだった。
「色々洗えるみたい」
こっそりと台所に忍び込み、コップに水を入れてまた布団に戻る。
ガサガサと箱の中身を空けて、洗濯機の中に付属の布を投入。コップの水と洗剤を入れてスイッチを入れたらゴウンゴウンと中の水が回って布が洗われていく。
「へっ、お前らしくていいな」
「……うるさいよ」
小さかった僕は洗濯の終わった水が何処に行くのか知らなかった。
オモチャながら本格的な造りだったそれは、ひとしきり水を掻きまわした後、自動で水を排出していく。
「おい!水、水!!!」
「え?わ、え、どうしよう!!!」
僕らは布団の上だ。
当然、排出された水は排水口を通ってじゃんじゃん布団に流れていくしかない。
「つめて!おい、タオル!」
「どうしよ、止まんないこれ!!」
もはや声を抑えるなんて、出来るはずもない。
早朝も早朝。まだ陽も昇っていない朝。
布団を水浸しにしてわあわあ騒いでいた僕らは父の鉄拳パンチと母のげんこつ、それからお正月までオモチャを没収と手痛い罰を食らってしまって。
僕の大好きな、ワクワクとドキドキの胸高まるクリスマスの朝、こんなオチがついて終わった。
■■■
ガチャリ
妻が帰ってきた。
20時。娘は駆け足で妻に飛びついていく。
「ただいま」
「おかえりなさい。今日のご飯は筑前煮とチキンのトマト煮だよ」
僕の一日。
娘が寝たらこれで終わりだ。
「結局、お義父さんとお義母さんが、全部仕組んでたんだよね、それ」
鳥は妻の大好物だ。
洋食と和食の両方を出しているのに、文句ひとつ言わずに食べてくれる。
「うん。戸棚のプレゼントはこっそり父が帰ってきて車に隠してたみたい 。ベランダは自分でコンコンしたらしいよ」
あの時の真相を、年老いた両親は大人になって僕に明かしてくれた。
僕がいつまでも、サンタの正体は両親だけど、あの現象には説明が付かないとゴネていたのを見兼ねてようやく教えてくれたのだ。
父の気配なんてちっともなかったけど。
あの時父の手はコタツの上にあって、どうしてもベランダには届かないのだけど。
「サンタのお菓子は?」
「あれは暗闇に落としたんだって。だから拾って食べられるように、個別包装だったんだね」
「あはは、お義父さんらしい」
両親は不憫に思ったそうだ。
サンタを信じる子供の心を、無碍にしたくないと思ったからこその一芝居だったらしい。
真相はどうであれ、両親が優しい嘘を吐いたというなら、それが真実なのだ。
「あーちゃんにも咄嗟にそうできる、親になりてえわ」
いつもクールな妻の、立ち回りの巧さは天下一品だと僕は思っている。
「僕らなら出来るよ、早くあーちゃんもクリスマスを認識できるようになればいいね」
「そうやね」
「大人にしか見えないって、そりゃそうだよな。大人がやってんだから。いいな、その使い回し」
「じゃあ、あーちゃんにはそれでいこう」
妻にまとわりついて離れない愛娘を撫でる。
今度は僕がサンタになる番。この子が真実を知るその時まで、僕はサンタを演じていくのだ。
リン―――
実は両親にも、そして妻にも言っていない事がある。
24日の真夜中、曇りガラスの向こう側、家の外に立っていた鈴を鳴らす影の存在を。
あれから毎年僕は、クリスマスイブの夜、鈴の音と人影を見ていた。
団地から一戸建てに引っ越しても尚、人影こそは見えなくなったが、凛とした鈴の音だけは夜中に聴くのだ。
リン―――
そして今も、何十年も変わらない鈴の音が、クリスマスイブの最後を飾る。
あの日、せっかくのクリスマスに泣いてしまった可哀想な子供に、本物の優しきサンタクロースがくれた世界で唯一の贈り物。
こうして僕はこれからもずっと、この日の夜に鈴の音を聴くのだろう。
リン
ほら、耳元で鈴の綺麗な音。
大人になって、子供までいる僕に、いつまでもサンタさんは逢いに来る。
「ありがとう、サンタさん」
優しい両親と、
優しきサンタクロースへ。
―――メリークリスマス。
終わり。
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