佐瀬京志郎の異文譚~甘美なるその夢に鬼は安らぎを見るか~

龍威ユウ

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第一話:白月の君

第5話:人違い

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 空がまだ東雲色のころから、京志郎は村をそっと発った。

 頬を撫でる風はほのかに冷たい。それが返って心地良く、いい目覚ましになる。

 吸血鬼がいるという城までの道のりは極めて長い。

 朝早くに出たのも、それを見越してのことだ。

「確か、吸血鬼っていえば……」

 吸血鬼の弱点については、知らないわけではない。

 日光や十字架、後はにんにく……最低でも、これぐらいの知識はある。

 問題は、日光を除くそれらが手元には一切ないということ。

「どうしてあの村にはにんにくも十字架もないんだ……?」

 愚痴をこぼすも、こればかりは仕方がないとも思う。

 村全体は穏やかではあるが、その暮らしぶりは決して裕福ではなかった。

 先祖代々から受け継いだ土地だから、彼らは今もあそこで暮らしているにすぎない。

(まるで呪いだな……)

 先祖という束縛がある限り、彼らはずっとあの地で生きていくだろう。

「町も遠ければ物流も乏しい。それに加えて吸血鬼騒動……か」

 よくこれまで無事だったものだ――京志郎はすこぶる本気でそう思った。

 とにもかくにも、ないものを強請ったところで事態が変わるわけでもなし。

 なにより京志郎は、弱点である道具を最初から信用していなかった。

 真に信ずるに値するのは、己と剣のみ……それだけである。

「やはり、確実に殺すのなら首を斬るか……」

 首さえ失えば、吸血鬼とて無事では済まない。

 ようやく空が青に染まった頃、京志郎は森へと入った。

 朝方であるにも関わらず、森全体はひどく薄暗い。

 静寂の中に時折混ざる鳴き声は、察するに温厚な性格でなさげだ。

「ここが、“帰らずの森”か……」

 帰還者なし――この事実が、村人たちに恐怖を植え付けた。

 吸血鬼がいる城には、どうしてもこの森を通らねばならない。

 だが、未だに生きてここを突破できた試しはなし――それが事実なのか、怪しいところだが。

「真実を知りたくば自分の目で確かめろ、か……」

 鬼が出るか蛇が出るか……。京志郎は小さく不敵に笑った。

 程なくして、前方に眩い光が見える。

 どうやら無事に森を抜けられるらしい。安堵する傍らで、拍子抜けにも思う。

 森を進んでいる間、それらしい事象はなにもなかった。

 もちろん、ないに越したことはない。本命は吸血鬼であって、道中ではない。

 光を抜ける――その先に広がる大草原に、京志郎は感嘆の息をそっと吐いた。

(美しい……だが、美しすぎて逆に不気味だな)

 絵に描いたような美しさ――視界いっぱいに映る光景は、正にそう形容するに相応しい。

「“帰らずの森”といい、吸血鬼が住んでいる土地は思えないな」

 これではどちらかといえばピクニックだ。

 美しい自然も堪能できて、つい本来の目的を忘れそうになる。

「吸血鬼がいる城とやらは、どこだ……?」

 周囲にそれらしい建造物は一つもない。

 緑に覆われた広大な大地だけが唯一の光景だった。

「まさか……」

 ある仮説がふっと脳裏に浮上する。

 元より、彼らの提供した情報はあくまでも憶測によるものにすぎない。

 不確定な情報ばかりだけに、京志郎も大して期待はしていなかった。

 していなかったとはいえ、こうも事実と異なるとどうしたものか……。うんと唸り、顎をくしゃりと撫でる。

「もう少しだけ辺りを調べてみるか……」

 こう口にはしたものの、どうしても成果が現れるとは考えにくい。

 隠そうにも、ここはただっ広い草原だ。城を建てるには不向きなのは明白である。

 なにもないまま、時間ばかりがゆったりと流れていく。

 青かった空もいつの間にか茜色に染まりつつあった。

 高くあった太陽も、遥か向こうの山々へ沈もうとしている。

 燃えるような夕陽に、いよいよ京志郎の中に諦める選択肢がよぎった――異変は正に、その時起きた。

「なんだ……あれは」

 目の錯覚、なのだろうか……。思わず我が目を疑って、京志郎は手の甲で目元をごしごしと拭う。

 今度は目を細めて、ジッとある場所を凝視する――見間違えの類では、なかったらしい。

 景色の一部が確かにゆらりと揺らいでいた。異常の類を前に京志郎は表情をしかめ、だが静かに手を伸ばす。

 水が跳ねた音――冷たさはなく、しかし虚空に広がる小さな波紋は水面のよう。

 この先に、なにかがある――そう囁いた直感に、京志郎は素直に従った。

 意を決して空間に身を投じる。

「……なるほど」

 美しさの裏に隠された真実に、つい笑みがこぼれる。

 抜けた先にあった光景は、美しさの延長――だが、れっきとした終着点があった。

 大海原を背景に、断崖絶壁の上に立つは巨大な城。

 とにもかくにも大きい。加えて、おどろおどろしさが拍子抜けするぐらいない。

 豪華なのはともかく、白い外壁は清潔感や神聖さを逆にかもし出している。

「絵本に出てくる城も、たしかこんな感じだったな……」

 それ故に京志郎は沈思する――本当にここがそうなのだろうか、と。

 状況証拠だけでいえば、吸血鬼の根城を見て相違ないが……。

 確信がないまま、京志郎はひとまず城へと向かうことにした。

 門はすでに解放されていて、侵入を拒む門兵らしき者も見当たらない。

 防犯対策がまるでなっていない――見当違いも甚だしかったが、前職の癖がどうしても拭えない。

 中に入ろうとした、矢先。

「……ッ」

 前方に広がる暗闇よりなったその音に、京志郎は立ち止まった。

 音の正体は靴音で、それが徐々に大きくなっていく。

 件の吸血鬼か、あるいは守護者か……。いずれも手荒なことになるのは一目瞭然だ。

 京志郎が身構えた時、暗闇から足音の主がすっとその姿を晒した。

「どちら様……?」

 澄んだ声が耳に響く。

「…………」

 玲瓏――この言葉はきっと、少女のためにある。

 京志郎はなんとなく、そう思った。

 いろんな声を耳にした。きれいなものから、汚いものまで。

 殺伐とした現場では特に、悲痛にして凄烈な怒号が圧倒的に多い。

 そうした過去と比較して、少女の声は最高峰に達していた。

(この娘が吸血鬼……)

 にわかに信じ難い現実を前に、京志郎の表情も怪訝だ。

 件の吸血鬼はというと、おどおどとして非常に弱々しい。

 不安な瞳で顔色を窺う様など、外見相応としか言いようがないではないか。

 血の臭いもしない。長きに渡る現場で、血の臭いに対し異常なまでに鋭くなってしまった。

 そこで培った嗅覚がなんの反応も示さない――ふわりと鼻をくすぐる甘い香りは、薔薇だろう。

「……お前は本当に、吸血鬼なのか?」

 つい、思考よりも先に言葉に出してしまった。

 太陽は辛うじてではあるが、まだ空に浮かんでいる。

 そして日の光は辛うじて、少女を包み込んでいた。

 にも関わらず。吸血鬼にとって最大の弱点である陽光が、この少女には効いていない。

(吸血鬼が太陽に弱いという設定は、創作の中だけだったか……)

 京志郎は腰の刀にそっと手を――伸ばそうとして、止めた。

「すまない。怖がらせてしまったようだ……俺の勘違いだったらしい」

 京志郎は少女に深く頭を下げた。

 彼女は、吸血鬼ではない。それが京志郎の下した結論であった。

 もしも敵であるのならば、わずかな殺気であろうとも見逃さない自信がある。

 そういう意味でも、目の前の少女に害はなし。

 凶悪犯罪者ばかりを目にしてきただけに、彼女のような人柄が極めて珍しかった。

「あ、ま、待って……!」

 突然の制止に京志郎ははて、と小首をひねった。

「どうかしたのか?」

 吸血鬼でないのならば、もはやここに長居する道理はない。

 しかし彼女にはなにか用があるらしい――京志郎は身をかがめた。

 少女は必死に何かを言おうとして、肝心の言葉がなかなか出てこない。

 怯えた顔がその答え。ならば京志郎がするべきは、視線を合わせることだった。

「落ち着いて話してくれればいい」

 じらさず、あくまでも主導権は少女に。

 固かった少女の顔も、少しずつ柔らかくなっていく。

「あの、もう遅いから泊っていって……」

「それは、ありがたい心遣いだが……」

 京志郎の視線がちらりと、巨城を見やる。

 少女からの申し出はありがたいの一言に尽きよう。

 今から戻るにはなにかと危険が高い。

 野宿も辞さなかったが、雨風を凌ぐ屋根があるのなら断然そちらがいい。

(何事もなかったとはいえ、帰りもそうだとは限らないからな……)

 もちろん、目前にいる少女に気を許すつもりは毛頭ない。

 巨大な城に住みながら、彼女以外に人が出てくる気配がまるでない。

 この時点で違和感を覚えるべきであるし、警戒するのも至極当然だ。

 赤い瞳を潤ませる少女に、誑かすだけの度量があれば――の、話になるが……。

(虎穴に入らずんば虎子を得ず、だな……)

 人目を避けるような不思議な力も気になるが、いずれも少女の危険性を呈する説得力としては弱い。

「わかった。それじゃあ世話になるが、よろしく頼む」

「う、うん……!」

 何故か少女の瞳がきらきらと輝かしい。

 不安渦巻いた顔にもぱっと笑みが咲き誇る。

 なにが彼女をこうも嬉々とさせるのか、京志郎は皆目見当もつかなかった。

 だが、その答えは城門を潜ってすぐに訪れる。

 内観は広々としており、一級品であろう芸術品が惜しげもなく飾られている。

 それだけに、しんとした空気がひどく物寂しくあった。

(どういうことだ? 人気がまるでないぞ……)

 京志郎はいぶかし気な視線を横にやる。

 隣をちょこちょこと付いて歩く少女は、やけに嬉しそうだった。

 頬がほんのりと赤らんでいるのも、気のせいではない。

「そういえば」と、京志郎は口火を切った。

「まだお互いに自己紹介をしていなかったな――俺は京志郎、佐瀬京志郎だ」

「わ、わたくしはエルトルージェ。エルトルージェ・ヴォーダンっていうの」

「エルトルージェ・ヴォーダン、か……雰囲気がいい名前だな」

「え、えへへ……わたくしも、この名前は気に入ってるの」

 はにかむエルトルージェ――純粋無垢な子どもそのものだ。敵意の類はやはり感じない。

「……ところで、ご両親は? 世話になるのだから挨拶はしておきたいんだが……」

 刹那、エルトルージェの顔に雲が覆った。

 京志郎は瞬時に察した――これは、エルトルージェにとって地雷だったらしい。

「……すまない」と、京志郎は謝罪の言葉を述べた。

 悪気はなかったとはいえ、子どもからすればそれは触れられたくないトラウマだ。

 大人のように感情を制御するのもうまくはない。どうにか慰めなければ……。

 京志郎がそう必死に思考を巡らした時――

「大丈夫……もう昔のことだから」

 と、エルトルージェは小さく首を横に振った。

 不意に見せた悲しい笑みに京志郎も――

「……そうか」

 と、短く返事をするだけに留めた。
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