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第一章:魔剣スレイヤー
第5話
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ジン・アティルフムは生まれながらにしての神童だ。
国中に広がるこの情報は決して嘘偽りではなく、それが事実であると裏付ける逸話が彼にはいくつもあった。齢3才の頃にはすでに読み書きを完璧に覚え使いこないした――これはまだ序の口だ。
そしてジンは、幼少期の頃からとにもかくにも剣に興味があった。
その関心と注釈具合は異常と言うに相応しく、朝から晩までひたすら剣を振るうような子供だった。
「確か、10歳の時にたった一人で指名手配されていた盗賊団を壊滅させたんだったかしら……」
「あぁ、そんなことも確かにありましたね。懐かしいなぁ」
「えぇ……」
懐古の情に浸るジンを、リディアはいぶかし気に見やった。――やっぱり、この人は十分に変わってる。
「ジン様。懐かしいなぁ、ではありません。あの時、いったいみながどれほど心配していたかおわかりですか?」
「わかってますってば。ちゃんと反省してますよ」
「反省していると言っていますが、今回の行動はどう弁明成されるおつもりですか?」
エルトルージェがすっと目を細めた。
たったそれだけにも関わらず彼女の眼光は刃物のごとき鋭さを帯びる。
その眼光にジンがたじろいだ。――あんなに強いのに、このメイドさんには弱いのね……。
「そ、それはその……」
「ジン様。ジン様は次期国王になられるのですよ? それなのに」
「いえですから! 俺は国王になるつもりはこれっぽっちもないんですって! 俺にはこう、なにものにも縛られず自由気ままにのんびりとやっていくのが性に合っているんですよ」
ジンは食い下がった。
「だいたい、跡継ぎなら俺じゃなくてエリオットやランデルがいるじゃないですか! あいつらに任せてますので俺のことはどうかお気になさいませんようにはいこれでこの話は終わり! 終了!」
「はぁ……ジン様、わたくしはとても悲しいです。もしジン様の身になにかあったら一人残されたわたくしはどうすればよろしいのですか……?」
よよよ、とエルトルージェが泣き崩れた。もちろん、本当に泣いているわけではない。
そうとわかっているからこそ、彼女を見やるジンの視線はとても冷ややかなものだった。
かくいうリディアでさえも、同様の視線を送っていた。
こんなわかりきった噓泣きする人、はじめて見たかも……。
そんなことをリディアは思った。
「――、死にませんよ」
そう口にしたジンの表情は、さっきまでとは打って変わって真剣なものだった。
彼の言葉には一切の迷いも、嘘偽りの感情もなかった。
放たれる言霊の力強さは、リディアに安心感を憶えさせる。
「なにがあっても俺は死にません。例えどんな相手だろうと勝ってみせますよ」
ジンはふっと、不敵な笑みを浮かべた。
かっこいいなぁ……。
リディアはすっかりジンに見惚れていた。
そんな彼女を現実へ連れ戻したのがエルトルージェである。
鋭い眼光は氷のようにひんやりとしていた。――喉元にナイフを突きつけられてるみたい……。
ジトっとしたエルトルージェの目は、リディアを好意的に映していない。
どろりと熱を帯びた視線だが、しかし瞳は深淵の闇さながらにどす黒いものだった。
めちゃくちゃ怖いんですけど……!
え? 私、この人になにか粗相をやらかしちゃった……?
身に覚えがまったくないだけに、リディアはひどく狼狽した。
「ジン様をそのような目で見るのはやめていただけませんか? とてもけがらわしい」
「は……はぁ!?」
エルトルージェのこの発言にリディアは顔を真っ赤にした。
互いに初対面であるのは言うまでもなし。にも関わらず突然の罵声を喰らえば、例えリディアでなくとも怒りを露わにしよう。
な、なんで初対面の人にそんなこと言われなきゃならないのよ……!
リディアはキッとエルトルージェを強く睨み返した。
「あ、あのですね! どうしてあなたにそんなこと言われなくちゃならないんですか!?」
「ジン様はとてもかっこいいです。容姿端麗である上にものすごく剣の腕が立ちます。このわたくしでさえも、ジン様の剣の前では赤子にも等しい。だからものすごく女性から人気があって、それがわたくしは心底気に入らないのですよ」
「な、なによそれ……それってただの嫉妬じゃない」
「えぇそうですよそれがなにか?」
あっけらかんとエルトルージェが答えた。
「ジン様はわたくしにとっての生きがいなんです。もし失ってしまったらわたくしはきっと後をすぐに追うでしょう。それほどジン様のことをお慕いしております。それだけの覚悟も想いもない輩が富や名声、容姿に眩んでちょっかいを出そうとする……あなたにその怒りが抑えられますか?」
「……あなたってすっごく饒舌になるのね」
リディアは眉間をしかめた。
女の嫉妬とは、時になによりも狂暴にして恐ろしい刃とも化す。
特にそこに異性が絡めば、女の友情など紙切れ同然に薄くなり砂上の城のようにあっという間に崩壊する。
この人、ジンが絡むとすっごく厄介になりそうね……。
ひしっとジンの腕にくっついてはじろりと睨むエルトルージェに、リディアは頬の筋肉をひくりと釣り上げた。
ジンの容姿は整っている。それについてはリディアも差して異論はなかった。
だからといって、そこに恋愛感情にすぐに結びつくかとなると大きく異なってくる。
そう言う意味ではリディアはジンに対して、そのような感情はなかった。かっこいいものはあくまでもかっこいい、とそう思うだけにすぎない。
「――、あのそろそろ休みませんか? 明日も早いですし」
ジンがおずおずと言った様子で提案した。
彼が言うとおり、パム村にて魔剣を狩るという大切な任務がある。
しっかりと休息を取らなければ、いかに相手が弱者であろうと負ける恐れだって少なからずある。
いつ如何なる時も万全な状態で挑むのに越したことはない。ジンの言い分は至極真っ当なものだった。
「これは失礼しましたジン様。今宵はこのわたくしが寝ずの番をしますので、どうかお休みください」
「いや、俺はこのままで大丈夫だから……」
「なにを仰いますかジン様。しっかり寝なければお肌の敵ですよ」
「いやそれ、俺が言うべき台詞なんだけど……」
「……なんか疲れちゃったから私、もう一回寝るね」
リディアは大きな欠伸をしてテントへと戻った。
申し訳ないけど、でもあのメイドがいるんだったら大丈夫よね……。
そう思いつつも、再び暖かな空間でリディアはごろりと横になった。
間髪入れずして、テントの外よりエルトルージェの声がリディアの耳に届けられた。
「先に言っておきますけど、わたくしはあなたのことは守りませんので」
「なんでよ!?」
すかさずリディアはテントの外に飛び出た。
彼女の視線の先では、冷ややかな視線を返すエルトルージェの姿があった。
リディアがはたとその後ろを見やれば、いつの間にか新しいテントが立てられていた。
ジンが所有するものよりもやや小さくはあるが、独りだけならば十二分なスペースを確保していよう。
え? いつ立てたの? 私がテントに入った、あのわずかな時間で……!?
明らかに人間業ではない。リディアは唖然とした面持ちでエルトルージェを見やった。
そこに返されたのが、嘲笑の意味を兼ねた視線だった。ふんと鼻で一笑に伏したことで、より一層効果が飛躍する。
同時にそれは、リディアの闘争心を激しく燻らせる起爆剤とも化した。
絶対に今、この人私のこと馬鹿にした……!
リディアはうぅぅ、と唸りながら睨み返した。
「別に守ってもらわなくたって結構ですよーだ! 私には魔剣スレイヤーがいるんだからね!」
「……は?」
エルトルージェが重く低い声を出すと共にリディアをぎろりと睨んだ。
それを今度は、お返しだとばかりにリディアは鼻でふんと一笑した。
何も間違ったことではなかった。彼らとの間には正式な雇用関係が築かれている。
いかにジンが次期国王となるその息子であろうと、リディアが雇ったのはあくまでも魔剣スレイヤーとしての彼だ。
それを他者がとやかくいう資格はどこにもない。例えそれが専属のメイドであろうと、例外ではないのだから。
そうとわかっているからこそ、エルトルージェも睨むだけで言及しようとはしなかった。
厳密には、できなかったと言ったほうが正しいだろう。
「魔剣スレイヤーとして私が正式に雇ったんだから、彼には私を護衛する役目もある。いいのかしらねぇ、あなたが守ろうとする彼にもしものことがあったら。私が襲われそうになって、あなたが助けに入れば大事にならなかったのに……なんてことになっても」
「……言わせておけば」
「ちょ、ちょっとエルトルージェ。本当にやめてください」
「まぁ私は別に構わないわよ、あなたに守ってもらわなくても。私には魔剣スレイヤーがいるわけだし……ねぇ?」
リディアはジンにそう尋ねた。
ちょっと意地悪だったかしら……。
でも、馬鹿にされたんだもん。これぐらいやったって罰は当たらないわよね……。
リディアはそう結論を下した。
「……いいでしょう。ならばこちらも一つ奥の手を使いましょう」
次の瞬間、エルトルージェの両手に大型のナイフが握られた。
柄から刃まで、それは純白に染められていた。穢れが一点もない輝きは神々しくすらある。
最大の特徴は、そのナイフには繋ぎ目が一つもなかった。
まるで一つの鉄から作られたかのような滑らかな形状は芸術品のように美しい。
刃長およそ一尺八寸の両刃が月明かりを受けて妖艶に輝く。
い、いったいなにをするつもりなのよこの人……!
リディアは思わず身構えた。
「……依頼主であるあなたを今ここで抹殺すればジン様は解放される。そういうことですね」
「いや物騒すぎるでしょ!? ちょ、本気で殺そうとしてる!?」
「わたくしが冗談を言っているようにお思いですか?」
エルトルージェの目がわずかに細められた。
本気だ……。
リディアはついに、腰の剣を抜いた。
かつてそこそこ名の知れた冒険者だった父から無理を言って譲り受けたそれは、ごくごく普通のショートソードである。
リディアはあくまでも農家の娘だ。鍬や鎌を手にしたことはあれど、満足に剣を握った経験はほぼ皆無に等しい。
こんなことだったらもっとお父さんに剣を教えてもらえばよかった……。
今更後悔したところで、もう遅いけど……。
リディアは表情を固くしたまま、ショートソードを構えた。
「はいはい、そこまでにしておいてください」
ジンがひょいと、リディアの前に躍り出た。
いつの間にか彼の右手には、腰の剣がしかと握られていた。
「エルトルージェさん、お遊びも度がすぎるど見過ごせませんよ。この依頼はあくまでも俺個人が受けたもの。そしてそれを邪魔させるつもりは毛頭ありません。誰であろうと、例え……それがエルトルージェだったとしても」
「ジン様……そこをどいてください。その女、殺せません」
「俺がそれを許すと思ってますか?」
ジンがいよいよ剣を構えた。
しばし両者の間に流れる静寂だが、真冬のように冷たくて鉛のごとくずしりと重苦しい。
そんな空気に耐えるリディアの表情は、二人と比較して好調とは言い難いものだった。
な、なんて空気が重いの……。
そ、それなのにどうして二人はそんなにも平然としていられるのよ……!
人間じゃないのではないか。リディアはそんなことを、すこぶる本気で思ってしまった。
「……はぁ」
エルトルージェが先に殺気を解いた。
重苦しかった空気も次第に緩和されていく。
ようやく解放されたとリディアは大きな溜息を吐いた。
「わかりました。今回はわたくしが折れます――本気で戦ったジン様には勝てませんからね」
「わかってもらえてなによりです。でも、俺も久しぶりにエルトルージェと稽古がしたいんですけどね」
「お戯れを。わたくしでは、ジン様を満足させることはできませんわ」
「……ねぇ、あのメイドの人って強いの?」
リディアは何気なくジンに尋ねた。
「強いですよ」
さも平然とジンは即答した。
本当に強いんだ……。
リディアは改めてエルトルージェのほうを見やった。
あの美しかった大型ナイフも、いつの間にか彼女の手中より消えている。――なにかの魔法かしら。
「御冗談を。わたくしはジン様ほど強くありませんわ」
「冗談でこんなこと言いませんよ……アティルヘム家が雇っているメイドの中でダントツの実力者。家事能力はもちろん、特に戦闘面に関しては右に出る者なし。そこからついた異名がホワイトリリィ……弱い人は、ナイフでドラゴンを討伐したりしないものですよ、エルトルージェ」
「は?」
リディアは素っ頓狂な声をもらした。
本気でバケモノじゃない……。
なにをどうしたらそんなに強くなれるの……?
まるで訳がわからない。リディアははて、と小首をひねる他なかった。
国中に広がるこの情報は決して嘘偽りではなく、それが事実であると裏付ける逸話が彼にはいくつもあった。齢3才の頃にはすでに読み書きを完璧に覚え使いこないした――これはまだ序の口だ。
そしてジンは、幼少期の頃からとにもかくにも剣に興味があった。
その関心と注釈具合は異常と言うに相応しく、朝から晩までひたすら剣を振るうような子供だった。
「確か、10歳の時にたった一人で指名手配されていた盗賊団を壊滅させたんだったかしら……」
「あぁ、そんなことも確かにありましたね。懐かしいなぁ」
「えぇ……」
懐古の情に浸るジンを、リディアはいぶかし気に見やった。――やっぱり、この人は十分に変わってる。
「ジン様。懐かしいなぁ、ではありません。あの時、いったいみながどれほど心配していたかおわかりですか?」
「わかってますってば。ちゃんと反省してますよ」
「反省していると言っていますが、今回の行動はどう弁明成されるおつもりですか?」
エルトルージェがすっと目を細めた。
たったそれだけにも関わらず彼女の眼光は刃物のごとき鋭さを帯びる。
その眼光にジンがたじろいだ。――あんなに強いのに、このメイドさんには弱いのね……。
「そ、それはその……」
「ジン様。ジン様は次期国王になられるのですよ? それなのに」
「いえですから! 俺は国王になるつもりはこれっぽっちもないんですって! 俺にはこう、なにものにも縛られず自由気ままにのんびりとやっていくのが性に合っているんですよ」
ジンは食い下がった。
「だいたい、跡継ぎなら俺じゃなくてエリオットやランデルがいるじゃないですか! あいつらに任せてますので俺のことはどうかお気になさいませんようにはいこれでこの話は終わり! 終了!」
「はぁ……ジン様、わたくしはとても悲しいです。もしジン様の身になにかあったら一人残されたわたくしはどうすればよろしいのですか……?」
よよよ、とエルトルージェが泣き崩れた。もちろん、本当に泣いているわけではない。
そうとわかっているからこそ、彼女を見やるジンの視線はとても冷ややかなものだった。
かくいうリディアでさえも、同様の視線を送っていた。
こんなわかりきった噓泣きする人、はじめて見たかも……。
そんなことをリディアは思った。
「――、死にませんよ」
そう口にしたジンの表情は、さっきまでとは打って変わって真剣なものだった。
彼の言葉には一切の迷いも、嘘偽りの感情もなかった。
放たれる言霊の力強さは、リディアに安心感を憶えさせる。
「なにがあっても俺は死にません。例えどんな相手だろうと勝ってみせますよ」
ジンはふっと、不敵な笑みを浮かべた。
かっこいいなぁ……。
リディアはすっかりジンに見惚れていた。
そんな彼女を現実へ連れ戻したのがエルトルージェである。
鋭い眼光は氷のようにひんやりとしていた。――喉元にナイフを突きつけられてるみたい……。
ジトっとしたエルトルージェの目は、リディアを好意的に映していない。
どろりと熱を帯びた視線だが、しかし瞳は深淵の闇さながらにどす黒いものだった。
めちゃくちゃ怖いんですけど……!
え? 私、この人になにか粗相をやらかしちゃった……?
身に覚えがまったくないだけに、リディアはひどく狼狽した。
「ジン様をそのような目で見るのはやめていただけませんか? とてもけがらわしい」
「は……はぁ!?」
エルトルージェのこの発言にリディアは顔を真っ赤にした。
互いに初対面であるのは言うまでもなし。にも関わらず突然の罵声を喰らえば、例えリディアでなくとも怒りを露わにしよう。
な、なんで初対面の人にそんなこと言われなきゃならないのよ……!
リディアはキッとエルトルージェを強く睨み返した。
「あ、あのですね! どうしてあなたにそんなこと言われなくちゃならないんですか!?」
「ジン様はとてもかっこいいです。容姿端麗である上にものすごく剣の腕が立ちます。このわたくしでさえも、ジン様の剣の前では赤子にも等しい。だからものすごく女性から人気があって、それがわたくしは心底気に入らないのですよ」
「な、なによそれ……それってただの嫉妬じゃない」
「えぇそうですよそれがなにか?」
あっけらかんとエルトルージェが答えた。
「ジン様はわたくしにとっての生きがいなんです。もし失ってしまったらわたくしはきっと後をすぐに追うでしょう。それほどジン様のことをお慕いしております。それだけの覚悟も想いもない輩が富や名声、容姿に眩んでちょっかいを出そうとする……あなたにその怒りが抑えられますか?」
「……あなたってすっごく饒舌になるのね」
リディアは眉間をしかめた。
女の嫉妬とは、時になによりも狂暴にして恐ろしい刃とも化す。
特にそこに異性が絡めば、女の友情など紙切れ同然に薄くなり砂上の城のようにあっという間に崩壊する。
この人、ジンが絡むとすっごく厄介になりそうね……。
ひしっとジンの腕にくっついてはじろりと睨むエルトルージェに、リディアは頬の筋肉をひくりと釣り上げた。
ジンの容姿は整っている。それについてはリディアも差して異論はなかった。
だからといって、そこに恋愛感情にすぐに結びつくかとなると大きく異なってくる。
そう言う意味ではリディアはジンに対して、そのような感情はなかった。かっこいいものはあくまでもかっこいい、とそう思うだけにすぎない。
「――、あのそろそろ休みませんか? 明日も早いですし」
ジンがおずおずと言った様子で提案した。
彼が言うとおり、パム村にて魔剣を狩るという大切な任務がある。
しっかりと休息を取らなければ、いかに相手が弱者であろうと負ける恐れだって少なからずある。
いつ如何なる時も万全な状態で挑むのに越したことはない。ジンの言い分は至極真っ当なものだった。
「これは失礼しましたジン様。今宵はこのわたくしが寝ずの番をしますので、どうかお休みください」
「いや、俺はこのままで大丈夫だから……」
「なにを仰いますかジン様。しっかり寝なければお肌の敵ですよ」
「いやそれ、俺が言うべき台詞なんだけど……」
「……なんか疲れちゃったから私、もう一回寝るね」
リディアは大きな欠伸をしてテントへと戻った。
申し訳ないけど、でもあのメイドがいるんだったら大丈夫よね……。
そう思いつつも、再び暖かな空間でリディアはごろりと横になった。
間髪入れずして、テントの外よりエルトルージェの声がリディアの耳に届けられた。
「先に言っておきますけど、わたくしはあなたのことは守りませんので」
「なんでよ!?」
すかさずリディアはテントの外に飛び出た。
彼女の視線の先では、冷ややかな視線を返すエルトルージェの姿があった。
リディアがはたとその後ろを見やれば、いつの間にか新しいテントが立てられていた。
ジンが所有するものよりもやや小さくはあるが、独りだけならば十二分なスペースを確保していよう。
え? いつ立てたの? 私がテントに入った、あのわずかな時間で……!?
明らかに人間業ではない。リディアは唖然とした面持ちでエルトルージェを見やった。
そこに返されたのが、嘲笑の意味を兼ねた視線だった。ふんと鼻で一笑に伏したことで、より一層効果が飛躍する。
同時にそれは、リディアの闘争心を激しく燻らせる起爆剤とも化した。
絶対に今、この人私のこと馬鹿にした……!
リディアはうぅぅ、と唸りながら睨み返した。
「別に守ってもらわなくたって結構ですよーだ! 私には魔剣スレイヤーがいるんだからね!」
「……は?」
エルトルージェが重く低い声を出すと共にリディアをぎろりと睨んだ。
それを今度は、お返しだとばかりにリディアは鼻でふんと一笑した。
何も間違ったことではなかった。彼らとの間には正式な雇用関係が築かれている。
いかにジンが次期国王となるその息子であろうと、リディアが雇ったのはあくまでも魔剣スレイヤーとしての彼だ。
それを他者がとやかくいう資格はどこにもない。例えそれが専属のメイドであろうと、例外ではないのだから。
そうとわかっているからこそ、エルトルージェも睨むだけで言及しようとはしなかった。
厳密には、できなかったと言ったほうが正しいだろう。
「魔剣スレイヤーとして私が正式に雇ったんだから、彼には私を護衛する役目もある。いいのかしらねぇ、あなたが守ろうとする彼にもしものことがあったら。私が襲われそうになって、あなたが助けに入れば大事にならなかったのに……なんてことになっても」
「……言わせておけば」
「ちょ、ちょっとエルトルージェ。本当にやめてください」
「まぁ私は別に構わないわよ、あなたに守ってもらわなくても。私には魔剣スレイヤーがいるわけだし……ねぇ?」
リディアはジンにそう尋ねた。
ちょっと意地悪だったかしら……。
でも、馬鹿にされたんだもん。これぐらいやったって罰は当たらないわよね……。
リディアはそう結論を下した。
「……いいでしょう。ならばこちらも一つ奥の手を使いましょう」
次の瞬間、エルトルージェの両手に大型のナイフが握られた。
柄から刃まで、それは純白に染められていた。穢れが一点もない輝きは神々しくすらある。
最大の特徴は、そのナイフには繋ぎ目が一つもなかった。
まるで一つの鉄から作られたかのような滑らかな形状は芸術品のように美しい。
刃長およそ一尺八寸の両刃が月明かりを受けて妖艶に輝く。
い、いったいなにをするつもりなのよこの人……!
リディアは思わず身構えた。
「……依頼主であるあなたを今ここで抹殺すればジン様は解放される。そういうことですね」
「いや物騒すぎるでしょ!? ちょ、本気で殺そうとしてる!?」
「わたくしが冗談を言っているようにお思いですか?」
エルトルージェの目がわずかに細められた。
本気だ……。
リディアはついに、腰の剣を抜いた。
かつてそこそこ名の知れた冒険者だった父から無理を言って譲り受けたそれは、ごくごく普通のショートソードである。
リディアはあくまでも農家の娘だ。鍬や鎌を手にしたことはあれど、満足に剣を握った経験はほぼ皆無に等しい。
こんなことだったらもっとお父さんに剣を教えてもらえばよかった……。
今更後悔したところで、もう遅いけど……。
リディアは表情を固くしたまま、ショートソードを構えた。
「はいはい、そこまでにしておいてください」
ジンがひょいと、リディアの前に躍り出た。
いつの間にか彼の右手には、腰の剣がしかと握られていた。
「エルトルージェさん、お遊びも度がすぎるど見過ごせませんよ。この依頼はあくまでも俺個人が受けたもの。そしてそれを邪魔させるつもりは毛頭ありません。誰であろうと、例え……それがエルトルージェだったとしても」
「ジン様……そこをどいてください。その女、殺せません」
「俺がそれを許すと思ってますか?」
ジンがいよいよ剣を構えた。
しばし両者の間に流れる静寂だが、真冬のように冷たくて鉛のごとくずしりと重苦しい。
そんな空気に耐えるリディアの表情は、二人と比較して好調とは言い難いものだった。
な、なんて空気が重いの……。
そ、それなのにどうして二人はそんなにも平然としていられるのよ……!
人間じゃないのではないか。リディアはそんなことを、すこぶる本気で思ってしまった。
「……はぁ」
エルトルージェが先に殺気を解いた。
重苦しかった空気も次第に緩和されていく。
ようやく解放されたとリディアは大きな溜息を吐いた。
「わかりました。今回はわたくしが折れます――本気で戦ったジン様には勝てませんからね」
「わかってもらえてなによりです。でも、俺も久しぶりにエルトルージェと稽古がしたいんですけどね」
「お戯れを。わたくしでは、ジン様を満足させることはできませんわ」
「……ねぇ、あのメイドの人って強いの?」
リディアは何気なくジンに尋ねた。
「強いですよ」
さも平然とジンは即答した。
本当に強いんだ……。
リディアは改めてエルトルージェのほうを見やった。
あの美しかった大型ナイフも、いつの間にか彼女の手中より消えている。――なにかの魔法かしら。
「御冗談を。わたくしはジン様ほど強くありませんわ」
「冗談でこんなこと言いませんよ……アティルヘム家が雇っているメイドの中でダントツの実力者。家事能力はもちろん、特に戦闘面に関しては右に出る者なし。そこからついた異名がホワイトリリィ……弱い人は、ナイフでドラゴンを討伐したりしないものですよ、エルトルージェ」
「は?」
リディアは素っ頓狂な声をもらした。
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