無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました

芳一

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【14】和らぐ棘

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薄暗い馬小屋の中、奥に向かって歩みを止めず真っ直ぐに進んだ。近寄れば、ピクリとも動かなかった馬の瞼が薄く開きその目にグリファートの姿を映す。
かなり弱っているが毛艶が良い。きっと青年が馬たちの世話を欠かさずしてきたのだろう。
生きて欲しい、まだ生きられる、と。そんな願いを込められたかのように馬たちは身綺麗にされていた。

「……良く頑張った。もう、大丈夫だ」

グリファートはそう言うと馬たちに向かって両手を翳した。
「…何してんです?」
聖職者サマのくせに、と続きそうだった言葉は青年の口から紡がれる事はなかった。グリファートも青年の問いには返事をせず瞼を閉じる。
先ほど見た馬たちのつぶらな瞳は、不安そうに揺れてはいたものの煌めきを失ってはいなかった。
動物は時に人より人の気持ちがわかるものだ。会話ができないからこそ、視線や表情でお互いを理解し合う。
きっと青年の願いは、誰よりも馬たちに伝わっていただろう。

深呼吸をし両の掌に魔力を集中させる。
グリファートは治癒を施す際に意識して浄化をしているわけではない。いざ浄化を、それも大地にではなく生きている存在に対してするのだと思うと不思議な感覚だった。
掌がいつものように熱くなり、グリファートの身に瘴気が纏う。
何度味わっても慣れない───いや、慣れたくもない息苦しさと不快感に顔が歪む。だが、それも今だけだ。浄化さえしてしまえばこの苦痛も途端に軽くなる事をグリファートは知っている。
背後で息を呑む青年の気配を感じながら、そのまま魔力を放出した。

閉ざされた瞼の向こうで光が弾ける。



「……っ、ふう」
小さく息を吐く。どことなく疲労感はあるが身体は軽い。
頬を掠めていく風を浴びながらグリファートはそっと目を開けた。

視界に飛び込んできたのは光の粒子を浴びる美しい馬たち。
輝き放つそのあまりの美しさにグリファートも思わず魅入ってしまった。背を撫ぜたのは無意識によるものだったが、馬たちも気持ちが良さそうに瞳を細めグリファートに身を寄せてくる。
さらりとした毛並みの心地良さに浸っていれば、青年がボソリと呟いた。
「なんで」
振り返れば青年は驚愕に目を見開いたまま固まっていた。

「…俺は命を繋いだだけ。この子たちが今生きてるのは、君が今日まで諦めずに生かそうとしてくれたおかげでしょ」

信じられないものを見ているかのような青年に向かって、グリファートは笑って教えてやる。これは君が起こした奇跡だ、と。
「………そうじゃ、なくて」
「え?」
気まずげに視線を逸らす青年にグリファートは首を傾げたが、そう言えばこの青年はグリファートが浄化の力を持った聖職者だと知らないのだ。治癒しか施せない筈の聖職者が何も言わずにいきなり穢れを取り除けば、確かに驚いて固まってしまうだろう。
(その上この見た目だしね。聖女様と同じ力があるなんて、そりゃ思わないわな)
祭服姿だけを見ればただの、それもどことなく頼りない雰囲気の聖職者だ。
グリファート自身でさえ自覚するまで時間を要したくらいである。現実をいまいち受け止めきれないのも仕方がない。
「俺、なんかよくわかんないけど浄化の力を持っているみたいでね」
信じられないでしょ、と戯けるように笑ってみせたが青年は顔を顰めただけだった。
「だからそうじゃなくて、俺にあそこまで言われてなんで…」
「ん?」
「…………もういいですよ」

青年は大きなため息を態とらしく吐いて顔を背けた。機嫌はすっかり悪くなってしまったようだが、刺々しかった声色がどことなく穏やかになっているのは気のせいか。
(…待てよ、この流れなら)
グリファートの頭に避難の二文字が浮かぶ。
ここで避難を促せば青年も一緒に着いて来てくれるのではないだろうか。僅かながら期待が膨らんだグリファートは勢いのままに口を開いた。
「あー実はね。俺、聖壁の外を一部浄化したんだよ」
「…はい?」
「今、皆をそっちへ少しずつ避難させている途中でね」
「………」
「俺とレオンハルトもこの後、浄化されたところまで戻るんだ。君もよかったら」
「悪いですけど、今はできませんね」
間髪入れずに拒否され言葉に詰まった。

少しばかり棘を収めた雰囲気を感じて交渉してみたのだが、会話を断ち切るような物言いに彼の信用はまだ得られてないのだなと思い知る。
ただ、『今は』という物言いが引っかかった。彼の中でまだここに留まらなければいけない理由があるという事だ。
(馬のそばを離れたくない、とか…?)
馬の穢れを浄化したのは良いが、聖壁の外に連れて行けばまた瘴気に触れてしまう。それでは再び馬が穢れを纏ってしまうし、青年も嫌がるだろう。

馬を、延いては青年を避難させるために、聖壁から学舎までの道のりを浄化しなければ。
いや──待て。それなら聖壁内を浄化して周るのはどうだろうか。そうすれば無理に学舎まで避難させる必要も………ああ、だが教会付近には近寄れないから聖壁内全てを浄化すると言うのは無理な話か。聖壁の範囲も中々に広く、端から端までとなるとどちらにせよ「今すぐに何とかします」とはいかない。それに聖壁は永久的なものではないのだ。瘴気の噴出があった鉱山から遠いのは学舎の方であるし、それならばやはり説得して学舎まで避難させた方が───…


「聖職者様、何してるんだ」

グリファートが馬小屋を出ればちょうどレオンハルトがこちらに駆けてくるところだった。
しまった、少し散歩するだけのつもりがすっかり忘れていた。
「あー…ちょっと馬小屋を見つけちゃってね」
散歩している筈のグリファートがどこにもいなかったので隅から隅まで探し回ったのだろう。息を切らしたレオンハルトの表情は安堵と呆れと僅かな怒りが混ざったような複雑なものだった。
教会の人間は外には出てこないと言うが、教会外がすべて安全かと言うときっとそうでもない。事実、馬の穢れを浄化するまでグリファートは青年に悪意を向けられていたのである。
レオンハルトの小言が飛んでくる前にとグリファートは口を挟んだ。
「馬の穢れを取り除いてたところなんだよ」
「馬を……?」
その言葉にレオンハルトは驚いて小屋の中を覗く。ぶるると顔を振る三頭の馬を見てその目がさらに見開いた。
「馬がいたのか」
「君も知らなかったの?」
「そもそもここに馬小屋が建てられていた事すら知らない」
聖壁内を定期的に見て回っているだろうレオンハルトならば知っているかと思ったが、そうでもなかったらしい。
確かに木々の中に隠れるようにひっそりと建っているくらいだ。グリファートのように無駄に散歩をしない限りは見つからないのかもしれない。
「あ、そうだ。そういえばまだ名前を聞いて………って、あれ」
互いに名前を教えあっていなかったと振り返ったが、青年の姿はどこにもなかった。
「どうした」
「あー……いや、学舎に帰ったら話すよ」
「そうか。それよりこっちも進展があってな」

そうしてレオンハルトと馬小屋を後にすれば、今度はグリファートが驚きで目を見開くことになった。
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