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【25】無意味
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グリファートは冷たくなった指先を握り込んだ。
きっと教会に篭っている人々とグリファートとの溝は深い。
喪った者にしかその哀しみが理解できないように、どうしたって埋められない感情はある。
だからこれは、ルドガたちにとってはグリファートの傲慢な懇願でしかないのだ。
「……信じてくれとは言わない。今さら信じて欲しいとも願わないよ」
「………」
「でも。君や、オルフィスの人たちが許してくれるなら」
どうかオルフィスを救わせてほしい。
そう思いを告げようとしたと同時、教会奥の扉が音を立てて開いた。
中から出てきた存在にグリファートたちの視線が集まる。
途端、ピリッとした空気が肌を伝わりグリファートは思わず呼吸を止めた。
衣擦れの音ひとつ立ててはいけないような緊張が走る。視線が釘付けになる。瞬きをする事さえ躊躇われる。
「うるさい人たち。だから嫌だったのよ、人が集まるのは………」
ため息と共に吐き出された女性の声は特段低いというわけでもないのに、鉛のように重く静かに響き渡った。
男性に付き添われるように女神像の前までやってきた女性は、煩わしいという感情を隠しもせず気怠げな視線をこちらに向けた。
彼女の肩を気遣うように抱いている男性の雰囲気から察するに夫婦、だろうか。
「リゼッタ……」
ルドガは呟くと居心地悪そうに視線を逸らした。
リゼッタと呼ばれた女性は威圧感と支配力があるような、不思議な空気を纏っている。
ルドガもキースもトアも、レオンハルトでさえ口を開くのが憚られるような重圧がそこにはあった。
ひたり、と首元にナイフを突きつけるような視線をグリファートに向けたリゼッタは、口元だけでにこりと笑む。
「お優しい聖職者様、わざわざこんなところまで私たちを心配して来てくれてありがとう。それに、浄化もしてくださったんですってね?優秀で素晴らしいこと」
何だこの感じは。
グリファートは知らずごくりと唾を飲んだ。
「けれどごめんなさいね。わたしたちはあなたや獅子様たちのように強く生きるのが難しい、無力で無能な人間なの」
悪意でも拒絶でも疑心でも威嚇でもない。彼女が放つこれは────…
「どうか私たちのことはそっとしておいてくださいな」
無関心。彼女の態度を一言で表すならそれだ。
誰かに対してだけではなく、ありとあるゆるものを───言ってしまえば生きている事さえも煩わしく感じているような。
「…聖職者様、あの夫婦は」
グリファートのそばにやってきたレオンハルトが耳打ちをする。最後まで聞かずとも、レオンハルトのなんとも言えない表情を見て察してしまった。
彼らが、ロビンの両親なのだと。
リゼッタの視線はいつの間にかグリファートから外れ、興味なさそうに外方へ向いている。
その態度がまるでロビンに対する表れのようにも思えてしまい、グリファートは自分でもわかるくらいに顔を険しくしてみせた。
「…悪いけど、放っておくつもりはないよ」
「あら、どうして?」
「親なら放っておけない気持ちは分かるんじゃない?」
「親?………ああ、聖職者様はあの子の事を知っているのね」
その言葉さえも他人事のように、無関心に言ってのける。
わざとそうしているのではないとわかってしまうのがいっそ恐ろしい。彼女には親という仮面を取り繕う気配すらないのだ。
「私たち、あの子に興味がないの。聖職者様はきっと人間ができてらっしゃるから、こんな事を言っても理解してくださらないのでしょうけど。魔力も知恵も、何ひとつ秀でていないあの子が生まれてきて、わたしたちは心底失望したんです」
ふうとため息を吐くリゼッタに、グリファートは信じられないものを見るような視線を送るしかなかった。
人間ができているできていない以前に、それは母親としてあるまじき物言いだ。理解できるわけがないし、理解したくもなかった。
「ああ。神に誓って言えますけど、私たちはあの子に手を上げたりなんてしてませんよ。ただ、優秀ではないあの子を愛せなかった。それだけのこと」
「それだけのことって……優秀だろうとそうでなかろうと、」
「大事な子供、ですか?ええ、そうですね。優秀な聖職者様はやはりそう仰いますのね」
リゼッタはそう言うとグリファートに再び視線を向けた。
それと同時にレオンハルトが一歩前へ出る。突然視界を遮られたグリファートが驚いてレオンハルトを見上げる中、リゼッタはただ口元に笑みを浮かべただけだった。
「あら…どうなさったの獅子様。せっかく楽しくお喋りをしているところだったのに、そんなふうに背中に守られては聖職者様の美しいお顔が見えないわ」
「リゼッタ、アンタはもう少し自分の言葉の重さに責任を持つべきだ」
「責任なら持っていますわよ。私は本当に思っている事しか口にしないわ」
くすくす、と笑うリゼッタの表情はレオンハルトの背によって見えないが、きっと彼女はその言葉通り、悪意なく興味なく思ったままを口にしているのだろう。
それがわかってしまうからこそ、グリファートは嫌な予感に胸が重くなる。
「何の魅力もない、育ててもきっと何の価値にもならないだろうあの子をどうして愛する必要があるのかしら。だって平凡な子なんて他の誰かがいれば替えが利いてしまうのよ?『あの子』である必要がない。誰でもいい、誰でもできる事、じゃ意味がないの。どこに行ったって何をしたって、『あの子』が必要とされる事はないわ」
「リゼッタ」
「私はそんなあの子を見ていると、疲れるの。惨めになるの。いらなくなってしまうの」
レオンハルトが言葉を制するように口を挟むが、無情にも彼女の声は空気を伝い鼓膜を揺らした。
「必要とされないって、『無意味』って事なのよ」
リゼッタの声が途端鋭く低くなる。
その言葉はレオンハルトの背後にいるグリファートへと、真っ直ぐに向けられているようだった。
きっと教会に篭っている人々とグリファートとの溝は深い。
喪った者にしかその哀しみが理解できないように、どうしたって埋められない感情はある。
だからこれは、ルドガたちにとってはグリファートの傲慢な懇願でしかないのだ。
「……信じてくれとは言わない。今さら信じて欲しいとも願わないよ」
「………」
「でも。君や、オルフィスの人たちが許してくれるなら」
どうかオルフィスを救わせてほしい。
そう思いを告げようとしたと同時、教会奥の扉が音を立てて開いた。
中から出てきた存在にグリファートたちの視線が集まる。
途端、ピリッとした空気が肌を伝わりグリファートは思わず呼吸を止めた。
衣擦れの音ひとつ立ててはいけないような緊張が走る。視線が釘付けになる。瞬きをする事さえ躊躇われる。
「うるさい人たち。だから嫌だったのよ、人が集まるのは………」
ため息と共に吐き出された女性の声は特段低いというわけでもないのに、鉛のように重く静かに響き渡った。
男性に付き添われるように女神像の前までやってきた女性は、煩わしいという感情を隠しもせず気怠げな視線をこちらに向けた。
彼女の肩を気遣うように抱いている男性の雰囲気から察するに夫婦、だろうか。
「リゼッタ……」
ルドガは呟くと居心地悪そうに視線を逸らした。
リゼッタと呼ばれた女性は威圧感と支配力があるような、不思議な空気を纏っている。
ルドガもキースもトアも、レオンハルトでさえ口を開くのが憚られるような重圧がそこにはあった。
ひたり、と首元にナイフを突きつけるような視線をグリファートに向けたリゼッタは、口元だけでにこりと笑む。
「お優しい聖職者様、わざわざこんなところまで私たちを心配して来てくれてありがとう。それに、浄化もしてくださったんですってね?優秀で素晴らしいこと」
何だこの感じは。
グリファートは知らずごくりと唾を飲んだ。
「けれどごめんなさいね。わたしたちはあなたや獅子様たちのように強く生きるのが難しい、無力で無能な人間なの」
悪意でも拒絶でも疑心でも威嚇でもない。彼女が放つこれは────…
「どうか私たちのことはそっとしておいてくださいな」
無関心。彼女の態度を一言で表すならそれだ。
誰かに対してだけではなく、ありとあるゆるものを───言ってしまえば生きている事さえも煩わしく感じているような。
「…聖職者様、あの夫婦は」
グリファートのそばにやってきたレオンハルトが耳打ちをする。最後まで聞かずとも、レオンハルトのなんとも言えない表情を見て察してしまった。
彼らが、ロビンの両親なのだと。
リゼッタの視線はいつの間にかグリファートから外れ、興味なさそうに外方へ向いている。
その態度がまるでロビンに対する表れのようにも思えてしまい、グリファートは自分でもわかるくらいに顔を険しくしてみせた。
「…悪いけど、放っておくつもりはないよ」
「あら、どうして?」
「親なら放っておけない気持ちは分かるんじゃない?」
「親?………ああ、聖職者様はあの子の事を知っているのね」
その言葉さえも他人事のように、無関心に言ってのける。
わざとそうしているのではないとわかってしまうのがいっそ恐ろしい。彼女には親という仮面を取り繕う気配すらないのだ。
「私たち、あの子に興味がないの。聖職者様はきっと人間ができてらっしゃるから、こんな事を言っても理解してくださらないのでしょうけど。魔力も知恵も、何ひとつ秀でていないあの子が生まれてきて、わたしたちは心底失望したんです」
ふうとため息を吐くリゼッタに、グリファートは信じられないものを見るような視線を送るしかなかった。
人間ができているできていない以前に、それは母親としてあるまじき物言いだ。理解できるわけがないし、理解したくもなかった。
「ああ。神に誓って言えますけど、私たちはあの子に手を上げたりなんてしてませんよ。ただ、優秀ではないあの子を愛せなかった。それだけのこと」
「それだけのことって……優秀だろうとそうでなかろうと、」
「大事な子供、ですか?ええ、そうですね。優秀な聖職者様はやはりそう仰いますのね」
リゼッタはそう言うとグリファートに再び視線を向けた。
それと同時にレオンハルトが一歩前へ出る。突然視界を遮られたグリファートが驚いてレオンハルトを見上げる中、リゼッタはただ口元に笑みを浮かべただけだった。
「あら…どうなさったの獅子様。せっかく楽しくお喋りをしているところだったのに、そんなふうに背中に守られては聖職者様の美しいお顔が見えないわ」
「リゼッタ、アンタはもう少し自分の言葉の重さに責任を持つべきだ」
「責任なら持っていますわよ。私は本当に思っている事しか口にしないわ」
くすくす、と笑うリゼッタの表情はレオンハルトの背によって見えないが、きっと彼女はその言葉通り、悪意なく興味なく思ったままを口にしているのだろう。
それがわかってしまうからこそ、グリファートは嫌な予感に胸が重くなる。
「何の魅力もない、育ててもきっと何の価値にもならないだろうあの子をどうして愛する必要があるのかしら。だって平凡な子なんて他の誰かがいれば替えが利いてしまうのよ?『あの子』である必要がない。誰でもいい、誰でもできる事、じゃ意味がないの。どこに行ったって何をしたって、『あの子』が必要とされる事はないわ」
「リゼッタ」
「私はそんなあの子を見ていると、疲れるの。惨めになるの。いらなくなってしまうの」
レオンハルトが言葉を制するように口を挟むが、無情にも彼女の声は空気を伝い鼓膜を揺らした。
「必要とされないって、『無意味』って事なのよ」
リゼッタの声が途端鋭く低くなる。
その言葉はレオンハルトの背後にいるグリファートへと、真っ直ぐに向けられているようだった。
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