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エピソード5 マオー来訪者
魔王と湯気と怒声
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女湯でサリアとスウィッシュがガールズトークに興じていた、ちょうどその頃――、
「ぶえっくしょおおおおいっ!」
石壁で隔てられた男湯では、洗い場で身体を洗い終わったギャレマスが、湯屋に響き渡る程の盛大なくしゃみをしていた。
泡だらけの素っ裸の姿で、木製の風呂椅子に腰かけていた彼は、ズズーっと音を立てて鼻を啜ると、ブルリと身を震わせる。
「うう、イカンイカン……。身体が冷えてしまったか……?」
彼はそう独り言ちると、湯桶に残った湯を身体にかけた。
――が、すぐに、
「い、痛熱っつうううううッ!」
と絶叫し、全身をくねらせながら悶絶した。
「か……身体が……全身がひ、ヒリヒリするぅっ……!」
苦悶の声を上げるギャレマスの背中は――見事なほどに真っ赤に腫れあがり、ところどころ血が滲んですらいる。
まるで火傷した時のようなひりつく痛みを堪えながら呟いたギャレマスは、涙の浮いた目で自分が手に持っているものに恨めしげな視線を向けた。
「や……やはり、いくらサリアに買ってもらったものだとはいえ、使うのは止めておけば良かった……」
それは、前日にサリアから渡されていた、トンカチザメの皮から作られたというボディタオルだった。
表面がまるでヤスリのようにザラザラとしているボディタオルで身体を洗った結果が、この有様である……。
――まあ、それも当然であろう。
何故なら、そのボディタオルは、蜥蜴獣人専用の代物だったのだから。
全身が硬い鱗に覆われた蜥蜴獣人の身体を洗う為のボディタオルを魔族の地肌に使ったら、そりゃこうなるに決まっている……。
そんな事とは露知らないギャレマスは、五分ほど悶絶していたが、ようやく痛みに慣れたようで、ヨロヨロと立ち上がった。
「さ……さてと、入るか……」
ギャレマスは、気を取り直すように独り言ちると、彼に深いダメージを与えたボディタオルを湯桶の湯で濯ぎ、きつく絞って肩に掛ける。
そして、湯舟の方へと足を向けた。
が――、
「む……」
ふと、彼は小さく唸った。
そして、おもむろに腹の辺りを擦ると、
「ううむ……いかん。また少し太ったかな……」
と憂い顔で呟く。
そして、彼は浴場の隅に据え付けられた姿見の前で、そこに映った自分の裸体を見ながら、クルリと一回転してみた。
……やはり、以前よりも身体がほんのり丸みを帯びているような……気がする。
特に――、
「うーん……昔は、もっとクッキリ腹筋が六つに割れていたはずだが……。前よりも境界線が曖昧になってきた気がする……」
自分の腹回りが気になったギャレマスは、恐る恐る腹の肉を摘まんでみる。
「――マズい、かも……」
試した結果、思ったよりも沢山の肉を摘まめてしまったという信じたくない事実に直面したギャレマスは、愕然として顔を引き攣らせた。
「これは……今回の件が片付いたら、少し体の鍛錬にいそしんだ方が良さそうだな……うん」
焦燥を顔に浮かべつつ、うんうんと大きく頷いたギャレマスは、再び気を取り直すと、濛々と湯気を上げる湯を湛えた湯舟にゆっくりと身を沈める。
「う熱ちちちち……!」
先ほどと同じヒリヒリした感覚が全身を襲ったが、予め身構えていたせいもあって、先ほどのように悲鳴を上げる事は無かった。
やがて、身体の中に心地よい温かさがじんわりと沁み通っていくのが感じられる。
「ふぅいぃぃぃぃ……」
彼は、噎せ返るような湯気の熱気の中、思わず溜息を吐いた。
「はぁあああぁ~極楽極楽ぅ……」
そんな、お約束で陳腐なリアクションが思わず口に上ってしまう程、乳白色の温泉の湯の熱さは気持ち良い……。
蕩け切った表情を浮かべたギャレマスは、温泉に肩まで浸かったまま、湯舟の中央まで進んだ。
そして、腰を下ろし、曲げていた足を真っ直ぐに伸ばす。
誰も咎める者は居ない。
これぞ、貸し切り温泉の醍醐味――!
と、その時――、
……むにゅ
「……むにゅ?」
伸ばした足の爪先が、何か柔らかいものに当たった。
その奇妙な感触に、ギャレマスは怪訝な表情を浮かべる。
「……なんだ? 今の感触は――」
「――こりゃ! このドたわけめが! それは、ワシのキャン玉袋じゃ!」
「ふぁ、ファ――ッ?」
突然、立ち込める湯気の向こうから浴びせられた怒声に、ギャレマスは仰天した。
「な……な? 何だ? 誰か居るのか? きょ、今日、この浴場は貸し切りのはずでは――」
「ええい! 温泉の湯舟の中で、みだりに足を伸ばす奴が居るかぁっ! 他の客の迷惑じゃろうがぁっ!」
「ええ……? い、いや、だから……ここは、余たちの貸し切りで、“他の客”など居るはずがないから、だから、つい――」
湯気の向こうからの、どうやら高齢の老人のものらしい抗議の声に、思わずムッとして言い返したギャレマスだったが、ハタと不都合な事に気付き、その顔を青ざめさせる。
(ま、マズい……! い、今は覆面を被っておらぬ……!)
まさか、自分たちの他に客がいようとは予想だにしていなかったギャレマスは、被っていた牛獣人の覆面を脱衣所で脱いでしまっていた。
つまり、今の彼は素顔のままだ。
その側頭部から伸びた立派な二本の角も、その背中から生えた翼も、全裸では隠しようがない。
どこからどう見ても、立派な魔族であった。
――これでは、人間族たちに、魔族の潜入作戦がバレてしまう……!
が、
(……い、いや! まだ、露見したとは限らぬ!)
彼は、自分たちを取り巻くある事実に希望を見出した。
(こ、これだけ湯気が立ち上っておれば、向こうからも余の姿は見えていないはず……!)
濛々と立ち込める湯気によって、彼の目から、怒声を上げた人物の姿は見えない。
……という事は、向こうの人物も自分と同じだという事ではないか? ギャレマスは、そう考えたのだ。
(そうであれば、まだ事態の挽回は出来る!)
そう考えた彼は、湯気の向こうにぼんやり見える人影に向けて声をかけた。
「こ……これは失礼いたした。余……儂はもう上がるゆえ、ご老体はどうぞごゆるりと寛がれよ」
彼はそう告げると、そそくさと湯舟を出ようとする。老人に姿を見られる前に、脱衣所で脱いだ覆面を被って、ミノタウロスになりすまそうと思ったのだ。
……だが、
「何じゃ、まだ入ったばかりではないか? もう上がる事はあるまいて。もっとゆっくりと浸かりんさい」
老人は、そんな彼の心の中を慮る事無く、鷹揚な声で引き留めた。
ギャレマスは思わず渋い表情を浮かべながら、なおも固辞する。
「あ……いや、ご老体の迷惑であろうから、儂はここで――」
「さっきはデリケートな部分をそふとたっちされて、つい怒鳴ってしもうたが、ワシャ別に怒っちゃおらんぞい。まあ、そう遠慮するでないわ」
「いや……だが……」
「何じゃ、ワシと一緒に風呂に入るのが、そんなにイヤか――ギャレの字よ?」
「いやいや! 本当に儂はもう結構…………は?」
大きく首を横に振り、構わずに湯舟を出ようとしたギャレマスだったが、老人の言葉に違和感を感じて、思わず振り返った。
「……『ギャレの字』? な……なぜ、ご老体は、余の名が“ギャレマス”だと知っておる? い、いや――!」
そこまで言いかけて、ギャレマスはカッと目を見開いた。
「よ……余の事をそう呼ぶのは……まさか――」
「ヒョッヒョッヒョ! お前さん、魔王のクセに、てんでニブいのぉ!」
愕然としているギャレマスに、特徴的な笑い声を浴びせかけた老人の声。
――その時、明り取りの窓から一陣の風が湯屋の中に舞い込み、白い湯気を吹き飛ばした。
湯気が晴れ、声の主の顔が露わになる。
――眩い光を放つ禿頭。湯に浮かぶ長い白髭。ピンと長く伸びた尖った耳。
そして、その皺くちゃな顔の真ん中で光る、いたずらっ子のようでいながら、油断の無い鋭い眼光――。
「な……」
ギャレマスは驚愕の表情を浮かべながら、そのエルフの老人の名を呼ぶ。
「ヴァ……ヴァートス殿! な……なぜ、ここに――?」
「ぶえっくしょおおおおいっ!」
石壁で隔てられた男湯では、洗い場で身体を洗い終わったギャレマスが、湯屋に響き渡る程の盛大なくしゃみをしていた。
泡だらけの素っ裸の姿で、木製の風呂椅子に腰かけていた彼は、ズズーっと音を立てて鼻を啜ると、ブルリと身を震わせる。
「うう、イカンイカン……。身体が冷えてしまったか……?」
彼はそう独り言ちると、湯桶に残った湯を身体にかけた。
――が、すぐに、
「い、痛熱っつうううううッ!」
と絶叫し、全身をくねらせながら悶絶した。
「か……身体が……全身がひ、ヒリヒリするぅっ……!」
苦悶の声を上げるギャレマスの背中は――見事なほどに真っ赤に腫れあがり、ところどころ血が滲んですらいる。
まるで火傷した時のようなひりつく痛みを堪えながら呟いたギャレマスは、涙の浮いた目で自分が手に持っているものに恨めしげな視線を向けた。
「や……やはり、いくらサリアに買ってもらったものだとはいえ、使うのは止めておけば良かった……」
それは、前日にサリアから渡されていた、トンカチザメの皮から作られたというボディタオルだった。
表面がまるでヤスリのようにザラザラとしているボディタオルで身体を洗った結果が、この有様である……。
――まあ、それも当然であろう。
何故なら、そのボディタオルは、蜥蜴獣人専用の代物だったのだから。
全身が硬い鱗に覆われた蜥蜴獣人の身体を洗う為のボディタオルを魔族の地肌に使ったら、そりゃこうなるに決まっている……。
そんな事とは露知らないギャレマスは、五分ほど悶絶していたが、ようやく痛みに慣れたようで、ヨロヨロと立ち上がった。
「さ……さてと、入るか……」
ギャレマスは、気を取り直すように独り言ちると、彼に深いダメージを与えたボディタオルを湯桶の湯で濯ぎ、きつく絞って肩に掛ける。
そして、湯舟の方へと足を向けた。
が――、
「む……」
ふと、彼は小さく唸った。
そして、おもむろに腹の辺りを擦ると、
「ううむ……いかん。また少し太ったかな……」
と憂い顔で呟く。
そして、彼は浴場の隅に据え付けられた姿見の前で、そこに映った自分の裸体を見ながら、クルリと一回転してみた。
……やはり、以前よりも身体がほんのり丸みを帯びているような……気がする。
特に――、
「うーん……昔は、もっとクッキリ腹筋が六つに割れていたはずだが……。前よりも境界線が曖昧になってきた気がする……」
自分の腹回りが気になったギャレマスは、恐る恐る腹の肉を摘まんでみる。
「――マズい、かも……」
試した結果、思ったよりも沢山の肉を摘まめてしまったという信じたくない事実に直面したギャレマスは、愕然として顔を引き攣らせた。
「これは……今回の件が片付いたら、少し体の鍛錬にいそしんだ方が良さそうだな……うん」
焦燥を顔に浮かべつつ、うんうんと大きく頷いたギャレマスは、再び気を取り直すと、濛々と湯気を上げる湯を湛えた湯舟にゆっくりと身を沈める。
「う熱ちちちち……!」
先ほどと同じヒリヒリした感覚が全身を襲ったが、予め身構えていたせいもあって、先ほどのように悲鳴を上げる事は無かった。
やがて、身体の中に心地よい温かさがじんわりと沁み通っていくのが感じられる。
「ふぅいぃぃぃぃ……」
彼は、噎せ返るような湯気の熱気の中、思わず溜息を吐いた。
「はぁあああぁ~極楽極楽ぅ……」
そんな、お約束で陳腐なリアクションが思わず口に上ってしまう程、乳白色の温泉の湯の熱さは気持ち良い……。
蕩け切った表情を浮かべたギャレマスは、温泉に肩まで浸かったまま、湯舟の中央まで進んだ。
そして、腰を下ろし、曲げていた足を真っ直ぐに伸ばす。
誰も咎める者は居ない。
これぞ、貸し切り温泉の醍醐味――!
と、その時――、
……むにゅ
「……むにゅ?」
伸ばした足の爪先が、何か柔らかいものに当たった。
その奇妙な感触に、ギャレマスは怪訝な表情を浮かべる。
「……なんだ? 今の感触は――」
「――こりゃ! このドたわけめが! それは、ワシのキャン玉袋じゃ!」
「ふぁ、ファ――ッ?」
突然、立ち込める湯気の向こうから浴びせられた怒声に、ギャレマスは仰天した。
「な……な? 何だ? 誰か居るのか? きょ、今日、この浴場は貸し切りのはずでは――」
「ええい! 温泉の湯舟の中で、みだりに足を伸ばす奴が居るかぁっ! 他の客の迷惑じゃろうがぁっ!」
「ええ……? い、いや、だから……ここは、余たちの貸し切りで、“他の客”など居るはずがないから、だから、つい――」
湯気の向こうからの、どうやら高齢の老人のものらしい抗議の声に、思わずムッとして言い返したギャレマスだったが、ハタと不都合な事に気付き、その顔を青ざめさせる。
(ま、マズい……! い、今は覆面を被っておらぬ……!)
まさか、自分たちの他に客がいようとは予想だにしていなかったギャレマスは、被っていた牛獣人の覆面を脱衣所で脱いでしまっていた。
つまり、今の彼は素顔のままだ。
その側頭部から伸びた立派な二本の角も、その背中から生えた翼も、全裸では隠しようがない。
どこからどう見ても、立派な魔族であった。
――これでは、人間族たちに、魔族の潜入作戦がバレてしまう……!
が、
(……い、いや! まだ、露見したとは限らぬ!)
彼は、自分たちを取り巻くある事実に希望を見出した。
(こ、これだけ湯気が立ち上っておれば、向こうからも余の姿は見えていないはず……!)
濛々と立ち込める湯気によって、彼の目から、怒声を上げた人物の姿は見えない。
……という事は、向こうの人物も自分と同じだという事ではないか? ギャレマスは、そう考えたのだ。
(そうであれば、まだ事態の挽回は出来る!)
そう考えた彼は、湯気の向こうにぼんやり見える人影に向けて声をかけた。
「こ……これは失礼いたした。余……儂はもう上がるゆえ、ご老体はどうぞごゆるりと寛がれよ」
彼はそう告げると、そそくさと湯舟を出ようとする。老人に姿を見られる前に、脱衣所で脱いだ覆面を被って、ミノタウロスになりすまそうと思ったのだ。
……だが、
「何じゃ、まだ入ったばかりではないか? もう上がる事はあるまいて。もっとゆっくりと浸かりんさい」
老人は、そんな彼の心の中を慮る事無く、鷹揚な声で引き留めた。
ギャレマスは思わず渋い表情を浮かべながら、なおも固辞する。
「あ……いや、ご老体の迷惑であろうから、儂はここで――」
「さっきはデリケートな部分をそふとたっちされて、つい怒鳴ってしもうたが、ワシャ別に怒っちゃおらんぞい。まあ、そう遠慮するでないわ」
「いや……だが……」
「何じゃ、ワシと一緒に風呂に入るのが、そんなにイヤか――ギャレの字よ?」
「いやいや! 本当に儂はもう結構…………は?」
大きく首を横に振り、構わずに湯舟を出ようとしたギャレマスだったが、老人の言葉に違和感を感じて、思わず振り返った。
「……『ギャレの字』? な……なぜ、ご老体は、余の名が“ギャレマス”だと知っておる? い、いや――!」
そこまで言いかけて、ギャレマスはカッと目を見開いた。
「よ……余の事をそう呼ぶのは……まさか――」
「ヒョッヒョッヒョ! お前さん、魔王のクセに、てんでニブいのぉ!」
愕然としているギャレマスに、特徴的な笑い声を浴びせかけた老人の声。
――その時、明り取りの窓から一陣の風が湯屋の中に舞い込み、白い湯気を吹き飛ばした。
湯気が晴れ、声の主の顔が露わになる。
――眩い光を放つ禿頭。湯に浮かぶ長い白髭。ピンと長く伸びた尖った耳。
そして、その皺くちゃな顔の真ん中で光る、いたずらっ子のようでいながら、油断の無い鋭い眼光――。
「な……」
ギャレマスは驚愕の表情を浮かべながら、そのエルフの老人の名を呼ぶ。
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