シリウスをさがして

朽縄咲良

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第二章

第十八話 図書館

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 宙に手伝ってもらって、ようやくカレーを完食した僕は、はち切れんばかりに膨らんだお腹をさすりながら食堂を出て、大学の敷地の一番奥に断つ建物に向かった。

「うわぁ……随分とボロいね」
「いや、そこは『歴史を感じる佇まいだね』とかにしてくれよ」

 三階建ての古ぼけたコンクリート造りの建物を見上げながら、僕が思わず漏らした呟きを聞いた宙が、呆れ声でたしなめる。

「あ、ゴメン……」

 さすがにこの大学の学生である宙の前で口にするべきではなかったと思って、慌てて謝った僕だったが、彼の顔には苦笑が浮かんでいた。
 建物に目を向けながら、宙は言う。

「まあ……確かにボロいのは否定できないけどな。何せ、もう築五十年くらい経つらしいし」
「五十年……そんなに?」

 宙の言葉に驚いた僕は、もう一度建物を見上げた。
 おそらく、建てられてすぐの頃はきれいな白色だったであろう外壁は、長い時間風雨に晒されたせいですっかり黒ずんでおり、至る所に塗装の剥げや亀裂がある。それだけじゃなく、窓ガラスもいくつか割れていて、ガムテープで申し訳程度に補修されていた。
 ……正直、この建物の写真を見せられて、「廃墟です」と説明されたら、まんまと信じそうだ。
 秘かに強い不安を覚える僕をよそに、宙は更に建物の説明を続ける。

「他の建物は最近になって建て直したらしいんだけど、この図書館棟だけは大学創立当時のまんまらしい。だから、こんなにボロいんだよ」

 そう言った宙は、急に大きなため息を吐いた。
 そして、なぜか不満そうな声で「……でも」と言葉を継ぐ。

「なんか、再来年かその次の年くらいに新しく建て直すらしいぜ。さすがに老朽化でヤバいって話で……」
「へえ、それは良かったね」
「良くねえっつーの!」

 僕の言葉に、宙は渋い顔で声を荒げた。
 そして、ビックリしている僕に「あ、悪い……」と謝ってから、声を荒げた理由を説明する。

「だって、考えてみろよ。オレは、四月になったら大学四年になるんだぜ? つまり、留年ダブりでもしない限り、来年の今頃には卒業してるってことだ」
「う、うん……そうだね」
「つまり、再来年に図書館が新しくなっても、卒業してるオレはその恩恵が受けられないってことじゃん!」
「あ……そういうことか」

 僕は、ハッとして頷いた。

「それは、確かにちょっと嫌だね」
「だろ? スバルもそう思うよな?」

 宙は、僕の同意の言葉を聞いて、嬉しそうな顔をする。

「卒業するから関係ないのに、オレたちが納めた授業料とかを充てて建て直されるって、なーんか釈然としないよな?」
「それは……まあ、そうだね」

 僕は、同意を求める宙に少し気圧けおされながら頷いた。
 それを見た宙は、満足げに頷き返し――ふっと表情を曇らせる。

「……同じことを、ホクトも言ってたよ」
「……っ」
「『悔しいから、図書館が新しくなったら在校生のフリして毎日通い詰めて、建て替えに使われちまった俺の学費の元を取ってやる!』ってさ……」

 彼は、哀しそうな……悔しそうな顔で空を見上げた。

「……死んじゃったら、通い詰めることも出来ないじゃんかよ」

 グッと唇を噛みしめた宙は、虚空を睨みつけながら震えた声で呟いた。

「――バカ野郎が」

 ◆ ◆ ◆ ◆

 それから――僕たちは図書館の中に入った。
 入ってすぐのところにあるカウンターで学生証の提示を求められ、僕はどうしようと焦ったが、すかさず宙が「こいつは今年入学予定の新入生で、顔見知りのオレが中を案内してるんです」とフォローしてくれたおかげで、あっさり顔パスで通された。
 中に入れたこと自体は嬉しいものの、僕のことを新入生と言った宙と、彼の言葉を司書の人があっさりと信用したことに、僕はいささか不満だった。

「新入生って……そんなにガキっぽい顔してるかな、僕……?」

 ずらりと並んだ書架の間を歩きながら、僕は自分の顔に手を当てながらぼやく。

「ははは。気にしてんの?」

 僕の言葉に、宙は吹き出しながら言った。

「いいじゃん。若く見えるってことなんだからさ」
「いいのかなぁ……?」

 宙のフォローに、僕は不満を覚えながら首を傾げる。
 でも、愉快そうに笑っている宙から、さっき垣間見せた悲痛な様子が消えていることに気づいて、心の中でホッとした。
 と、

「ほら、ここだ」

 そう言いながら、彼は書架の一角を指さし、寂しそうな笑みを浮かべた。

「……オレとホクトは、図書館で会う時、いつもここで待ち合わせしてたんだ」
「ここで……」

 宙の説明を聞いた僕は、大きく目を見開いた。
 そして、本棚に並んだ本のタイトルを見るや、納得して頷く。

「確かに……北斗ならここを待ち合わせ場所に選ぶだろうね……」

 そこは、天文学関係の本が並んだ棚だった。
 論文らしい難しいタイトルが付いた分厚い本や、天体望遠鏡で撮影したアンドロメダ銀河の写真が表紙になっている写真集などが並んでいる。
 僕は、まるで吸い寄せられるように本棚の方に歩み寄り、背差し陳列された大判の本の中から一冊を抜き出した。
 それは、『星の声が聴こえる』というタイトルが付いた写真集で、一面に広がる星空を映した写真が表紙になっている。
 その真ん中で一際明るく輝く星……その青白い光の色には見覚えがあった。

「シリウス……」
「……すごいな、スバル」

 思わず呟いた僕の背中越しに本の表紙を見た宙が、驚いた声を上げる。

「その本……ホクトが一番気に入ってた本だよ」
「え……?」

 宙の言葉にビックリする僕。
 彼は、本の表紙に映るシリウスを指さした。

「ほら……この写真の真ん中にシリウスが映ってるだろ。なんでも……中学生の頃、真夜中に行った天体観測で見てから一番好きな星になったらしくて、シリウスがキレイに撮れてるから気に入ってるって」
「……!」

 僕は、彼の言葉にハッと息を呑む。



『あれは……シリウスだよ』
『シリウス……おおいぬ座の星だっけ?』
『うん、それ』

『シリウスだけじゃないよ。こんなにたくさん星が見えて……作倉は天然のプラネタリウムってことだな』
『ははは、逆だよ。プラネタリウムの方が人工の星空なんだよ』



 ――僕の脳裏に、中学二年生の頃の記憶がまざまざとよみがえった。
 深夜の丘の上で、北斗と一緒に天体望遠鏡を覗き込んだ、冬休みの記憶――。

「……」

 僕は、無言で本の表紙を撫でる。
 冬の夜空に輝く無数の星。
 その真ん中で輝くシリウスに、大きな雫が一滴垂れた――。
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