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第九章 Lakeside Woman Blues

全裸と豪炎

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 「キャアアアアッ! 何してんのよ!」

 前を隠す素振りも無く、ナニをプラプラさせながら大股でズカズカ近付いてくるヒースを、目を覆いながら怒鳴りつけるアザレア。

「何だよ。しょうがねえだろ、湖畔からここまで泳いで渡ってきたんだ。流石に胴丸着込んで遠泳は疲れるからよぉ」
「そんな事……どうでもいいから、早く前を隠しなさいッ!」

 アザレアは、顔を真っ赤にして喚きながら、手にした長鞭をヒースに向けて振るう。
 ビシィッと高い音が鳴り、アザレアの黒い長鞭は、ヒースの掌にしっかりと掴み取られていた。

「おいおい、得物を向ける相手が違うぜ、姐ちゃん」
「――! そんなドヤ顔する前に、隠しなさいって……言ってるでしょ!」
「おー怖」

 ヒースは、戯けた顔で肩を竦めると、力こぶを作ったり胸を反らしてみせたりと、様々なポージングを取り、血管が蔦の様に浮き上がった全身の筋肉を自在に隆起させて、自慢げに誇示する。
 彼の、雲衝く巨体と全身に隈無く刻みつけられた数多の傷痕のせいで、まるで古の遺跡に打ち捨てられた巨像が、命を得て動き出したかのような錯覚を抱かせた。

「――俺の自慢の筋肉達なんだけどよ……そんなに変かあ?」
「隠せって言ったのは、そっちじゃ……いや、ソッチもだけど、そっちじゃないのよ!」
「……何言ってるんだ、姐ちゃんよ?」
「おっさん……さすがにそれ以上はセクハラになっちゃうよ……」
「いえ……もう既に充分以上にセクハラだと思いますけど……」

 見かねたジャスミンが、二人の間に口を挟み、パームは顔を引き攣らせながら呟いた。
 言われたヒースは、「違えねえ」と苦笑して、頭をガシガシ掻く。

「そうは言っても、隠すモンも無いしなぁ……」
「よし、パーム! お前の着ているモンを渡してあげて」
「な……何がよし、ですか! 何にも良くないですよ! コレ脱いだら、今度は僕の着るものが無くなっちゃいますよ!」
「でも、流石に下着くらいは着けてるだろ? ならいいじゃん!」
「良・く・な・い!」

 これ以上無くキッパリと、パームが拒絶の意志を示す。
 ――と、

「……品性下劣極まる茶番劇ショートコントは、それ位でいいですか……?」

 すっかり蚊帳の外に置かれた形のウィローモが、こめかみにビキビキと青筋を立てながら言った。
 その声に呼応して、残る二頭の水龍が、攻撃体勢を整える。

「先ずは、乱入してきた破廉恥男! 前を隠すもので悩まなくて済むよう、キミから食い散らかしてあげるよ!」

 ウィローモの絶叫と共に、大水龍が水撃弾を放つべく、大きな口を開き、残る一頭の水龍が、その長い首を撓らせながら、四人の立つ場所へ突っ込んできた。

「おっと!」
「わ、わわわわッ!」
 咄嗟に、ヒースはジャスミンとパームの襟元を掴んで、後方へ投げ飛ばす。そして、残るアザレアに声をかけた。

「姐ちゃんは、あのデカい方の水の弾を、お得意の炎で何とかしてくれ! 逸らすだけでいい!」
「は――はあ? ちょっと待ってよ! いきなり言われても……」
「出来るだろ? ダリア傭兵団の女暗殺者!」
「――!」

 アザレアがハッと眼を見開いた次の瞬間、大水龍の口から巨大な水撃弾が放たれた。

「――くうっ! 『地を奔る フェイムの息吹 命の火! 我が手を離れ 壁を成せ』!」

 アザレアが聖句を唱和と同時に床に手をつくと、たちまち炎が吹き上がり、火炎の壁を形成する。

「フン! それしきの炎など、この大水龍の水の力の前には、蝋燭の火と同――!」
「火の女神 フェイムの魂 猛る火炎! 我が身に宿り 千々に爆ぜ散れッ!」
「な――ッ!」

 床から手を離すや、左手で自分の後ろ髪をむんずと掴み、右手のナイフでバッサリ切り落としたアザレアは、新たな聖句を唱え、火に包まれた紅い髪の束を炎の壁に向かって投げつけた。
 炎髪の束が炎の障壁に接触した瞬間、凄まじい爆発が巻き起こり、炎の障壁の火力も加わった豪炎の奔流が、渦を巻いて水撃弾を呑み込んだ。
 これには、如何に大水龍の放った水撃弾と雖も堪らない。圧倒的な劫火の嵐に曝された水の弾は、瞬時に膨大な水蒸気へと変わり、辺りには一気に膨張した大気によって、猛烈な熱気を伴う暴風が巻き起こった。

「ピキャアアアッ!」

 肉弾攻撃を仕掛けるべく突進していた水龍は、白い水蒸気に視界を奪われた上に、豪熱風に身を灼かれ、悲鳴の様な咆哮を上げてのたうち回る。元来、水中から滅多に出ることの無い水龍の鱗と皮膚は、熱に耐性が無い。
 と、狂った様に暴れる水龍の首根っこが、によって上から強い力で圧しつけられた。

「アチチチチっ! 『逸らすだけでいい』って言ったのに、ちいっとばかりやり過ぎだぜ、姐ちゃん! と、……さーてと」

 暴れる水龍の首を、片足で踏み付けるだけで完全に制したヒースは、全身火傷だらけになりながらも、その野趣溢れる顔を歪めてニヤリと凄絶に笑い、両手で掴んだ大棍棒を高々と振り上げた。

「――じゃあな」

 それだけ言うと、ヒースは振り上げた大棍棒を、渾身の力を込めて振り下ろし――、
 次の瞬間、水龍の巨大な頭は、乾いた音を立て、まるで地面に落ちた卵の様に四散したのだった。
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