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四章
16、貸してあげる
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部屋に戻ってお風呂の用意をしていたら、波多野が傍に寄ってきた。
蒼い顔をして、ぼくと欧之丞の傍に正座する。
父さんは「お、なんやなんや」と面白がる様子で眺めてる。
さすがにもう夜やから、波多野は割烹着は着てへん。神妙な顔つきで、ぼくらを見つめてるんや。
「やっぱり私がついていったら、良かったんです」
「でも、そんなん悪いし。波多野も仕事があるし」
ぼくは顔の前で小さく両手を振った。
「家事よりも、坊ちゃんらの方が大事です。お二人で遊ぶのを邪魔しせんといてほしいと仰るのでしたら、距離を取って見守りますから」
「う、うん」
波多野がにじり寄ってきた。今日は皆、顔が近いってば。
「ごめん、波多野。勝手に出かけて」
「ごめんなさい。次はちゃんと言ってから、そーっと抜け出すね」
ぼくと欧之丞は、波多野に気圧されて背筋を逸らした。
けど、ほんまに心配かけてしもたんやな。
今夜、ぼくは知った。おんなじ組の中でもおんなじ大人でも、ぼくを「坊ちゃん」や「若」と恭しく呼ぶ人の中にも、裏側で考えてることがまったく違うんやと。
大事に思ってくれてる人もいれば、利用しようと企む人もおる。
それをちゃんと見極めんとあかんのや。
「絲お嬢さんもしんどいでしょう? 今朝から出かけてはったんですから」
波多野は今度は母さんに向き直った。
花瓶に挿した花から落ちた花びらが、畳に落ちとった。朱鷺色の愛らしい花びらや。珍しいなぁ、散った花がそのままになっとう。
そうか、今日はぼくらの所為で波多野も気が気じゃなかったから、拾てないんや。
「せやなぁ。絲さんも、もう休ませたらなあかんな」
「大丈夫ですよ」
母さんが答えるよりも先に、父さんが返事する。
これは分かる。母さんは平気やないのに平気なふりをするから。というか、多分自分の体力を過信……っていうん? 信じすぎとう。
「琥太郎と欧之丞は先に風呂に入ってき。絲さんは、しばらく横になっときな」
「……はい」
反論しても無意味と悟ったんやろ。母さんはしょぼんと肩を落とした。
「へいき」と、突然欧之丞が声を上げた。
「俺とこたにいもちゃんと言うこときくから。絲おばさんも言うこときかないと」
「欧之丞さん?」
正座してる母さんの前に、欧之丞が向かっていった。
「このギンヤンマといっしょに寝る? いい夢見ると思う」
「トンボの飴と?」
「ちがう。ギンヤンマ」
欧之丞のトンボへのこだわりは、なかなかに強い。母さんは結局「ギンヤンマ」と言い直しを要求された。
「でも、大事な物でしょう? ギンヤンマも欧之丞さんと一緒に寝たいんじゃないかしら。そうね、明日の朝にまた見せてもらってもいいかしら」
「うん、いいよ」
満足そうな笑顔を浮かべる欧之丞。それを見た父さんは口許を手で押さえて肩を震わせとう。これは笑いを噛み殺しとうなぁ。波多野は蒼い顔をして母さんと欧之丞を見比べてるし。
うーん、ぼくも母さんのことを親っていう風に見ぃひん時があるけど。欧之丞にとっても、もしかして母さんってお友達感覚なん?
「じゃあ、お風呂入ってくるけど。その間、絲おばさんはギンヤンマいる? 持ってていいよ」
「え?」
そこまでか。そこまでジブン、ギンヤンマは特別か。ほら、母さんなんかびっくりして目を丸くしとうやんか。父さんはとうとう畳につっぷして「ひーっ」って引きつった声で笑ってるし。
「そうね。じゃあ、お借りしようかしら」
「うんっ」
相当大事な物やから、母さんは飴を丁重に受け取った。
「琥太郎さんの朝顔も見せてもらっていいかしら。帰り道は暗かったから、明るいところで見たいわ」
「う、うん」
差し出される母さんの手。いっつも手を繋いでる柔らかでしなやかな指。
ぼくは照れてるのを隠すために、ほとんどしゃべらずに朝顔の飴を手渡した。
母さんは不思議や。さっきも思たけど、子どもっぽく見えるとこもあるのに。ぼくのことを気遣って、ぼくがしてほしいことを提案してくれるから。実は大人よりも大人っぽいのかもしれへん。
蒼い顔をして、ぼくと欧之丞の傍に正座する。
父さんは「お、なんやなんや」と面白がる様子で眺めてる。
さすがにもう夜やから、波多野は割烹着は着てへん。神妙な顔つきで、ぼくらを見つめてるんや。
「やっぱり私がついていったら、良かったんです」
「でも、そんなん悪いし。波多野も仕事があるし」
ぼくは顔の前で小さく両手を振った。
「家事よりも、坊ちゃんらの方が大事です。お二人で遊ぶのを邪魔しせんといてほしいと仰るのでしたら、距離を取って見守りますから」
「う、うん」
波多野がにじり寄ってきた。今日は皆、顔が近いってば。
「ごめん、波多野。勝手に出かけて」
「ごめんなさい。次はちゃんと言ってから、そーっと抜け出すね」
ぼくと欧之丞は、波多野に気圧されて背筋を逸らした。
けど、ほんまに心配かけてしもたんやな。
今夜、ぼくは知った。おんなじ組の中でもおんなじ大人でも、ぼくを「坊ちゃん」や「若」と恭しく呼ぶ人の中にも、裏側で考えてることがまったく違うんやと。
大事に思ってくれてる人もいれば、利用しようと企む人もおる。
それをちゃんと見極めんとあかんのや。
「絲お嬢さんもしんどいでしょう? 今朝から出かけてはったんですから」
波多野は今度は母さんに向き直った。
花瓶に挿した花から落ちた花びらが、畳に落ちとった。朱鷺色の愛らしい花びらや。珍しいなぁ、散った花がそのままになっとう。
そうか、今日はぼくらの所為で波多野も気が気じゃなかったから、拾てないんや。
「せやなぁ。絲さんも、もう休ませたらなあかんな」
「大丈夫ですよ」
母さんが答えるよりも先に、父さんが返事する。
これは分かる。母さんは平気やないのに平気なふりをするから。というか、多分自分の体力を過信……っていうん? 信じすぎとう。
「琥太郎と欧之丞は先に風呂に入ってき。絲さんは、しばらく横になっときな」
「……はい」
反論しても無意味と悟ったんやろ。母さんはしょぼんと肩を落とした。
「へいき」と、突然欧之丞が声を上げた。
「俺とこたにいもちゃんと言うこときくから。絲おばさんも言うこときかないと」
「欧之丞さん?」
正座してる母さんの前に、欧之丞が向かっていった。
「このギンヤンマといっしょに寝る? いい夢見ると思う」
「トンボの飴と?」
「ちがう。ギンヤンマ」
欧之丞のトンボへのこだわりは、なかなかに強い。母さんは結局「ギンヤンマ」と言い直しを要求された。
「でも、大事な物でしょう? ギンヤンマも欧之丞さんと一緒に寝たいんじゃないかしら。そうね、明日の朝にまた見せてもらってもいいかしら」
「うん、いいよ」
満足そうな笑顔を浮かべる欧之丞。それを見た父さんは口許を手で押さえて肩を震わせとう。これは笑いを噛み殺しとうなぁ。波多野は蒼い顔をして母さんと欧之丞を見比べてるし。
うーん、ぼくも母さんのことを親っていう風に見ぃひん時があるけど。欧之丞にとっても、もしかして母さんってお友達感覚なん?
「じゃあ、お風呂入ってくるけど。その間、絲おばさんはギンヤンマいる? 持ってていいよ」
「え?」
そこまでか。そこまでジブン、ギンヤンマは特別か。ほら、母さんなんかびっくりして目を丸くしとうやんか。父さんはとうとう畳につっぷして「ひーっ」って引きつった声で笑ってるし。
「そうね。じゃあ、お借りしようかしら」
「うんっ」
相当大事な物やから、母さんは飴を丁重に受け取った。
「琥太郎さんの朝顔も見せてもらっていいかしら。帰り道は暗かったから、明るいところで見たいわ」
「う、うん」
差し出される母さんの手。いっつも手を繋いでる柔らかでしなやかな指。
ぼくは照れてるのを隠すために、ほとんどしゃべらずに朝顔の飴を手渡した。
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