ゼーレンヴァイス

朽木 堕葉

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魂の在り処Ⅲ

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「立て続けにどうしてこうも……」 
 バスローブを巻いた身体から立ち昇る湯気に、エリーゼのため息が混じった。
 今日の一幕を思い返して、憂鬱ゆううつになりそうだった。
 夕刻、待ち合わせ場所〈格安料理屋トラヴァー〉の前で、傷ついたアズランドを抱えて泣き付いてきたリザに関して。
 ロウェルのところにいるヤブ医者曰く、魔導療院まどうりょういんで高い金を払うまでもない、とのことだった。
 それにしても、と思う。
 リザはリザで謎めいていたが、あの優男――アズランドも、エリーゼにとってはしゃくさわる部分がある。なにかとひた隠しにして、肝心なことは伏せたままでいる。今日のことだって、それが招いた結果に決まっている。
 今度、とっちめてやるわ。くしゅん! 心中でエリーゼが息巻くのを、くしゃみに邪魔された。
 目を遣り暖炉を確認する。今朝方けさがた、使用人に火加減を強くするように、頼んでおいた。まきはきちんと、ほど良く燃えている。
 冷え入る感覚がするのは、べつの要因。リザを寝泊まりさせた件で、父母ふぼへの釈明に追われたせい、と結論づける。それが久方ぶりの会話だった。
 いったい、いつから、この屋敷は常冬とこふゆみたいな状況におちいっていたのか。
 最初、父母との間にあったのは、真夏の陽射しのような気怠けだるいものだったはず。
 まだ、屋敷をこっそり抜け出し、南側サウスサイドの廃棄区画へ足を運んでいた頃。いいわけも底をつき、疑心を抱いた両親に嘘がバレたときの問答が、もっとも白熱した瞬間だろう。
 長いこと平行線のままでいた。――今もさして変わらないけれど。  
 エリーゼは、盛んに逃走劇を演じた。
 それも、使用人たちに追い詰められた際、二階の窓から飛び降りてみせたのを最後に、必要がなくなった。
 そのときは足を挫く程度で済んでいた。
 母は青ざめ、父は深く嘆き――そして、諦めた。三階からでも四階だろうとも、同じことをやりかねないのではないか。そう、思わせるに足りた。
 それ以上、なぜとは言わなくなった。ただ、エリーゼに、自分の身を大切に扱いなさいと、言って聞かせた。愚かなことは、してはならないとも。
 お前は特別なのだから。
 特別だから、それくらいは目をつむろう。今思い返せば、そういう意味だったのかもしれない。
 しばらくして、自立稼働型人形オートマタがエリーゼのお供になった。ちょっとやそっとの危機くらいは、なんだって助けてくれる。頼もしい護衛役ボディガード
 今も部屋の薄桃色の壁に、浮き彫りなる様子で控えている。夕刻過ぎ、屋敷に戻ったら当たり前のように寄って来た。修理は万全らしかった。
 自分の身を案じて、常にそばに置いてくれていることには、父母に感謝していた。
 お前のためだ、と軟禁することだって、可能なはずだ。それこそ、自立稼働型人形をそういう使い方に用いてもいいのだから。
 またぞろ、エリーゼは嘆息をこぼした。思いわずらっている自分に対する嫌気から。
 窓にひっついていた息がなくなってから、エリーゼはふっと目を細めた。その向こう側を見渡していた。街を一通り一望できる自分のこの部屋を、以前は嬉しがっていた気もする。
 まだ、開いている店も多く、ほのかに明かりが広がっている。酒場などは、街灯が消え入るまで営業しているものだ。
 幾ら目を凝らしても、南側サウスサイドは見えない。暗い明るいの問題以前に、王宮の陰にすっぽり隠れていた。南側に薄暗い印象を与えるのは、王宮が巨大な影を落とすせい、とエリーゼは思うことがある。
 昔はそこに、ちっとも関心を抱いていなかった。
 そこに暮らす人々のことなど、知りもしなかった。
 丘の上の貴族街がエリーゼの世界だったし、それ以外の場所は地続きとは言い難いものだった。友人だって――それらしき者は、たくさんいた。
 彼女らをはべらせ、しきりにもてはやそうとする声で、えつたりしていた。
「ほんと、俗物ぞくぶつ……」
 思い描いた当時の光景に、エリーゼはつい詰らずにはいられなかった。とても、伯祖父おおおじを笑えたものではない。
 エリーゼの世界が開ける転機を迎えたのは、十二歳のときだ。
 建国二十年を祝う記念式典が執り行われるにあたり、王宮に赴いていた。
 終戦から二十年でもあることから、幕開けは大臣たちが格式ばった挨拶を述べ、しめやかに平和をとうとんだ。
 そして、国王ペーターソンの訓示のもと、五年に一度の祝宴が華やかに始まったが、エリーゼには退屈だったという記憶しか残っていない。閉幕を告げる花火が、大々的に夜空を瞬かせていたのは印象的だったが、今やくすんだ色でしか思い出せない。
 未だ鮮明であるのは、憎悪・・の眼だった。
 横転した馬車から身を乗り出したエリーゼが、見てしまったのがそれだった。
 式典からの帰路、父母とともに乗り込んでいた馬車が、襲撃されたのである。
 ときどき、大人たちが小火ぼやと呼ぶもの。昨日は、暴風雨で難儀だったね――それくらい気軽に交わされる些事さじ
 貧民の蜂起ほうきなど、日常茶飯事あると悠々としていた。
 だというのに、父も母も、馬車のなかで怯えている。
 御者台の従者は真っ先に銃火に呑まれ、載せていた自立稼働型人形もたちまち木屑きくずに変わり果てた。馬車に載るような自立稼働型人形では、うってつけの的がいいところだった。
 暴徒の目が、ぎろりとエリーゼを捉えた。手にした長銃が動き、エリーゼの目が吸い込まれた。銃口へと。そのときになってようやく、ここで死ぬの? とエリーゼは疑問を抱いた。
 銃火じゅうか夜気やきを汚し、光の筋となって空へと昇っていった。
「やめとけって」
 少年が厳しい声で、言った。突然だった。いつの間にかそこにいて、長銃を蹴り上げていた。
「ガキが! 邪魔すんじゃねえ!」
 暴徒が腰から新たに拳銃を抜いた。瞬間、少年が拳を暴徒の腹にねじ込んでいた。
 昏倒した暴徒に、まったくという感じに視線を投げ、少年はエリーゼに向き直り告げた。
「早く行ったほうがいいぜ。あっちの道なら、だいたいしてきたから、たぶん突っ切れる」
 ぐいと親指で横道を示した。屈託なく笑いながら。
 そんなふうに笑う者を初めて見た。
 こんなところで。こんな状況で。
 諦めることに慣れ切った顔ではなかった。苦し紛れに笑う者はいくらでもいたし、見飽きていた。
 けれど、この少年の笑みはまるで違った。
 苦しくても、笑う。そんな笑い方。どんな苦難も寄せ付けないような。
 今でも鮮烈に、瞼の裏に焼き付いている。
 エリーゼは不意に、くすっとした。
 もしかしたらあの子――リザのように、自分も赤面していたのかも。
 それから少しだけ、頭を振った。
 心惹かれたのは事実。それでも、恋心とは少し違う、とも思うのだった。それ以上でもそれ以下でもない、特別な――
 ノック音が耳に入り、エリーゼのとりとめのない雑念を散り散りにした。
「エリーゼ様、夜分に申し訳ございません」
 聞き馴染んだ声がドア越しに聞こえた。主にエリーゼの身の回りの世話を、長年してくれている使用人のものだ。
「なあに、アンネ? 母様からの言づて?」
「いえ、実は、エリーゼ様がお留守のあいだにケートネス様がお見えになり……」
 エリーゼの眉根が寄った。深くシワが刻まれるくらいに。
「近いうちにお会いしたい、とのことですが……いかがいたしましょう」
 胸中で反芻はんすうしていた、身の振り方を説く父母の言葉を払拭するのに手こずり、やがて告げた。
「……こう伝えて。今度はもっと、実りある話をしましょうって」
 耳を疑うようなを刻みながらも、使用人は「かしこまりました」と了承した。
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