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6.生命を吸い取る者

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 今日は新一学期が始まり、二年生初の体力テストである。
 運動が平均以下の真弓は現在グラウンドで50メートル走の列に並び、後ろで待っていた。
 続々と先頭の列が、体育担当の教師に「位置について」と言われた後、スタートの構えをとった生徒の横で旗役の生徒が開始の合図をし、生徒三人が走っていく。
 
「みんな速いな……」
「有式は走るのが苦手だったか」
「走るのが、っていうより、運動が他と比べて平均以下なんだよね」

 真弓は後ろに並んでいる赤塚に話している。
 本当は、赤塚とペアになって走りたかった真弓だったが、その隣は二人いて、隣にいるのは同じクラスの男子とその更に隣では、高身長イケメンの蓮杖祐樹が立っている。最悪のペアだ。

「赤塚は確か足、速かったよね。一年の頃は50メートル六秒以内だったじゃん。あーあーずるいな―足速い人って!」
「……こいつうるさいな」
「な、なんだようるさくないよ!」
「うるさい」

 真弓の横に並んでいる蓮杖が一緒に走るというのは、真弓にとって格の違いを見せつけられる嫌な展開だし、何といっても、蓮杖が走る番は、他の体力テストをしている女子たちが見てくるのである。
 いつも「可愛い」止まりな真弓は、足が遅くて可愛い程度に思われ、女子たちの視線を集めるのは言うまでもなく蓮杖がつかみ取ってしまうだろう。
 女子にモテたいという欲求が、普通の男子生徒並みにある真弓は悔しい思いを抱いてしまう。その思いを今から味わう故、真弓の気が少し立っていた。
 
「ねえ、有式君は、この三人の中で誰が一番早く走れると思う?」
「え」

 普段話しかけられない真弓の隣にいる男子生徒に突然話を振られ、驚きの表情を浮かべていた真弓だが、間違いなく自分に話しかけてきていると分かって、口を開く。

「田中くん、この三人の中で一番速いのは、悔しいけど当然蓮杖だよ」
「有式君もそう答えるんだね。本当にそうなのかな」
「だって蓮杖は去年、全国高校男子の50メートル最高記録を取っていて、少なくともこの学校で蓮杖の足の速さに勝てる奴なんて」
「ふふ、そう思うよね。あ、順番が回ってきたよ」
「本当だ。うわ、やだなあ……緊張してトイレ行きたくなってきた」

 不気味に笑う田中を見て、真弓は僅かな不安を覚える。
 何か、様子がおかしかった。
 訝し気に思う時間が、順番が回ってきたことで無理やりに胸の奥底に押し込まれ、真弓は先頭の列に嫌々ながら出る。
 
「あ、赤塚、クラウチングの足、固定しておいて」
「おっけー」
「位置について! よーい」

 真弓は隣二人と同じく、クラウチングスタートの構えを一拍子遅くとって、砂利が含まれいる地面を見る。
 ちらりと横を見てみると、蓮杖が前だけを向いて、一切の緊張がまるでないかのように堂々としていた。
 ──これか。この差が、僕と蓮杖との違い。びくびくして地面を向いている僕とは違って、蓮杖はただ前を向いていた。
 遠くのほうで女子たちがこちらを眺めて、中には月丘はづきの姿も確認できる。月丘はづきが見ていた、多分蓮杖を。
 見ている。彼女が。月丘はづきが見ているなら話は別だ。
 真弓も、ゆっくりと線が引かれたグラウンドを見る。
 そして、線の横に立っている旗役が旗を勢いよく上に振って、50メートル走が開始した。
 開始とほぼ同時に動き出す蓮杖。それに少し遅れて、田中がスタートし、真弓が一番遅く走り出す。
 特にスタートを失敗したわけではない。蓮杖が飛びぬけて反応が良く、田中だって蓮杖に食らいついたスタートを切っていた。真弓の反応が遅く、体が動き出すのが鈍いだけ。
 瞬き一回開ければ、蓮杖は遥か前、田中も大きく負けてない。
 必死に腕を振りながら、一瞬横を見る。
 加速していく蓮杖に女子たちの黄色い声援が飛び回り、月丘はづきが黙ってその様子をうかがっている。
 風で長い髪が靡く彼女の目は、蓮杖を追っていた。
 自分は視覚外、そう知って、真弓の腕はつい前に伸びていた。
 ”赤い巨人”になれば、こんな距離など、どうってことはない。けれど、赤い巨人にはなれない。
 赤い巨人ではない、自分はどこまでも遅く、情けないんだ──。
 真弓が走る距離の半分を超えたところで、蓮杖がゴール。田中がほんの少し遅れてゴールに続く。真弓はその後に大きく遅れてゴールした。
 次の番に赤塚が一番でゴールをし、真弓のところに近づいてくる。
 
「はぁ……有式、みんな何を騒いでるんだ?」
「あ、赤塚やっぱ速いね。なんか、田中が蓮杖とほぼ同時にゴールしたから、みんな驚いてるみたい」
「蓮杖と? それって、すごいことなんじゃないか」
「蓮杖は去年の自分の記録を更新して、また新記録を作った。それとほぼ同じタイムでゴールした田中は、去年の蓮杖が出した記録だったんだって」
「……田中、そんなに足速い奴だっけ。確か去年は病弱で、50メートル走にも参加してないぞ。もともと体が弱くて、走ると喘息で倒れてしまうらしくてな」
「そうだったっけ? あんま覚えてないや。でも、それが確かなら……田中はなんで今年になっていきなり。体が丈夫になったのかな」
「匂いがする」
「なんの?」
「超常現象」
「ふっ、赤塚もう超常現象は消えたよ、火を手から出す男を最後にね」
「おれはまだ続いていると思っている。それにまだ赤い巨人がいる」
「赤い巨人ね」

 赤塚が真面目にそう答えるものだから、真弓はまさかなと鼻で笑い飛ばす。
 超常現象はあれから起きていない。
 火を手から出す男の一回きりだったんだ。超常現象は。
 ”赤い巨人”を封印すれば、超常現象はこの街からなくなる。
 
===

 体力テストの体育の時間が終わって、昼休みにいつもの三人で食堂に飯を買いに行っている時であった。
 体育館の倉庫で謎の死を迎えた男子生徒が発見されたのだ。
 真弓たち三人も、食堂でパンを買ったついでに、生徒たちで溢れている体育館倉庫に顔を出す。
 体育館倉庫の入り口は教師陣が覆い隠し、集まった生徒に「教室に戻れ」と口々に注意している。
 
「結構みんな見に来てるね。でも、教師陣がいて中が見えない」
「それはそうだろ、死体なんか、絶対生徒に見せるわけにいかないって教師たちは必死になって隠してるんだろ」
「まゆみん、誰が死んじゃったの?」
「他の生徒が話しているのを耳にしたんだけど、二年生の男子生徒だって。話がまだ混雑してて、みんなよくわかってなくて、僕らと同じように見に来たんだ」
「じゃあ、見に来ているこの中に犯人がいるかもしれないってこと? まゆみん」
「古屋敷、それは──」

 古屋敷のその恐れの混じった台詞は、殺人があったのではいかと示唆するものであった。
 原因不明の死体。死亡原因が分からない状態で。
 もしも、殺人事件であって、教師、学校の関係者、それとも学校に侵入してきた不審者、あるいは生徒たちの誰か──。
 真弓はぞくりと背筋が凍った気がした。
 間もなく、教師たちに注意され、教室に戻された生徒たちは強制的下校となった。
 一日後、学校に登校した真弓は、昨日謎の死を遂げた男子生徒が殺人事件ではなく、これまた謎を呼ぶ衰弱死だということを知る。
 それから数日後、二年生の他クラスにいる生徒の死体がまた発見され、それで終わると思っていたが、その同日校舎裏で三年生の死体が見つかった。
 全て原因不明の衰弱死。
 昼休み、真弓たち三人は、この怪事件について話し合っていた。

「さすがに、やばいよね。今日あたりで学校封鎖になるんじゃない?」
「何もかも、おかしい。警察は殺人事件ではないと言っていたが、殺人事件の可能性もあるぞこれは」
「まゆみんはどう思うの?」
「この三人の死体が、どれも衰弱死っていうのが疑問だ。殺人事件だったら、何か薬を使ったとか、でも、警察は薬の線はないといっていた。これじゃ警察も手詰まりだ」
「いや、手詰まりじゃない」

 赤塚はそう言いながら、三枚の写真を二人の前に出す。

「それってもしかして」
「あぁ、今回亡くなった生徒の写真だ。この三人には、共通点がある。その共通点とは、三人とも運動が出来ることだ」
「……それが三人の共通点?」
「そうだ。そして、おれはこの事件、殺人だと思っている」
「殺人!? それじゃあ、この三人を殺した犯人がいるの!?」
「……声がでかい」
「ごめん。それで赤塚は誰が犯人か推測がついてるのか」
「犯人の推測は立っていない。けど、犯人の次のターゲットは予測がつく」
「あかつん、それでそれで、次のターゲットは?」
「古屋敷、次のターゲットは、蓮杖だ」

 赤塚は教室にいない蓮杖の名を呼んで、深刻そうな顔をする。
 古屋敷が驚きの声を漏らし、真弓は教室内を見回し、蓮杖と田中がいないことに気づく。
 
「そういうことか!」
「有式、お前どこいくんだ!」
「ちょっとトイレに!」
「トイレ、お前我慢してたのか……」
「あたしもまゆみんと一緒にいく~」
「古屋敷、それはやめとけ」

 赤塚の冷静な突っ込みが入り、真弓は教室を出て廊下を走っていた。
 学校中をあちこち奔走し、蓮杖を探すが姿は見当たらない。

「くそっ、蓮杖の奴どこ行ったんだ!」

 体育館、体育館倉庫、食堂、グラウンド、他の教室も探して、後は──屋上しか残っていない。

「屋上か!」

 真弓が屋上に続く階段を上り、外に出る扉をばたんと大きく開け、屋上に躍り出る。
 屋上には、案の定、蓮杖と田中の姿があり、「まだ間に合った」と息を荒げながら二人の前に立つ。

「有式、どうしたそんな息荒げて」
「蓮杖、逃げろ!」
「有式何を言って──」
「もう遅いよ、蓮杖」

 田中が、両手で蓮杖の手を掴み、にやりと笑う。
 触れ合った田中の手が淡く光り出し、握られている蓮杖の手からは激しい光が、田中のほうへ流れ込んでいく。
 
「な、なんだ、何かが吸われて! 田中やめろッ!」

 この一連の流れの中で、真弓はただぼーっと立ち尽くしていた。
 田中が今回の怪事件の犯人だってことは知っている。
 田中は去年病弱で、喘息で走れば気絶するほどであった。なのにもかかわらず、田中は今年体力テストであり得ないような記録を出していった。
 そして、原因不明の衰弱死を遂げた三人の生徒。
 この三人の共通点として、運動ができると知り、真弓の中で田中が怪しいという思いが芽生え、前に遭った”手から火を出す男”のことを思い出し、自身の”赤い巨人”も連想し、超常現象がこの事件の真相なのではと思い至った。
 田中は何か超常現象を使って、病弱な体を治し、更に驚異的な運動能力も手に入れた。そう考えれば、今回の怪事件に筋が通る。
 まあ、田中がどのような手を使って、生徒を衰弱死させて、力を得ていたかは今に至るまで分からなかったが、今分かった。
 田中の力は、手を物理的に接触させ、相手の生命力か何かを自分に吸い取っているのだと。
 しかし、現に今、命を吸われている蓮杖を前にして、真弓の体は止まっていた。
 真弓が動けば、蓮杖の死は救える可能性がある。
 そうなのに、真弓の体は動かない。
 ──蓮杖が死ねば、月丘さんが僕に意識を向けてくれるかもしれない。
 その思いが、頭にちらついて離れない。
 この期に及んで、なんと卑屈で最低な男なんだろう。
 ──やっぱり、僕はヒーローなんかじゃない。僕は……


『ヒーローって存在するのね。赤い巨人のおかげで私は今こうして生きてられるわ』

『でもヒーローなんて、そんな大したものじゃないと思いますよ。たまたま居合わしたから、犯人を倒したんじゃないですか?』

『む、有式君は赤い巨人のことよく思ってないのね。私はそうは思わない。彼は私たちを救ってくれたのよ? 有坂君も赤い巨人に対して敬意を払うべきだわ』

『……そうですね、赤い巨人には感謝してます』

 だが、過去の一連の会話を思い出し、真弓は──、
 
「蓮杖っ──」
「な、有式!?」

 蓮杖に向かって、身を投げて体当たりしていた。
 体当たりされた蓮杖は田中の手から離れ、屋上の床に派手に転げ落ちる。
 
「ちっ、余計な邪魔を! 有式君!」
「人を殺すな、田中くん!」

 田中と対峙する真弓。
 田中の手に真弓も触れられれば、今度は真弓が命を吸われて死んでしまうだろう。
 どうして、自分が危険に及ぶのに、自分は蓮杖を助けてしまったのか。真弓自身、よくわかっていなかった。
 それでも、月丘さんが悲しむ姿だけは見たくなかった。
 だから、真弓は徐に制服を放り捨て、ズボンに隠していたエロ本を取り出し、ページを開く。

「え、エロ本! 有式君、何をして!?」
「……蓮杖は意識を失ってる……大丈夫、やばい、来た! アレが、くる──グ、あぁ、ア」

 屋上を白い蒸気が満たし、風が吹き、白い煙が少し霧散して赤い巨体を空気に晒す。
 
「何だ、お前は! どこから現れた!」
「フー……フー……」

 急に現れた赤い巨人に対し、分かりやすく動揺する田中は、その規格外のデカさに冷や汗をかく。
 膨れ上がった赤い筋肉が、空気を熱し、蒸気に変えていく。
 
「誰だろうと関係ない! ボクの力なら! 死ねえええええ!」

 田中が赤い巨人の体を手で触り、その手が淡く光り出す。
 赤い巨人の体からも、大量の光が放たれ、その光が田中の手に移動する。
 
「何だ、なんだ、この生命(ちから)! 今までの誰よりも凄い! この力を吸えれば、ボクは──」

 赤い巨人から流れ込んでくる異次元の生命エネルギーに田中は歓喜し、その力が自分の力に変換されていくのを感じた。
 しかし。

「どうして! どうして! 容量オーバーだとでもいうのか! 力が、流れ込みすぎている! ま、まずいこのままでは……頭が、うわあああああああああああああああああ!!」

 力を吸っている途中に発狂しながら意識を失い、倒れてしまった。
 それを確認した赤い巨人の体は縮小し、赤くなった色が少しずつ元に戻り、通常の真弓がそこにいた。
 
「あ、危なかった……命が吸われ出した時、死ぬかと思った……でも、特にパワーを使っていないのに、どうして変身状態が。あ、パワーを吸われたからか」

 意識を失った田中を見て、真弓は「どうしよっかな、こいつ……」と頭を抱える。
 結局、真弓は偶然二人が意識を失っているのを発見したことにし、警察官に事件の犯人が田中だと説明した。
 田中は捕まったのか、力を告白したのか、真弓には知らないことだが、彼はきっと自分の犯したことに後悔し続けることになるだろう。
 赤い巨人が田中に見られていたことについては、真弓は警察に聞かれて知らんぷりを通した。
 蓮杖からは真弓が怪しまれたが、体当たりで田中も意識を失ったで苦し紛れな説明をしといた。
 けれど、事件後──。

「感謝はする。けどな、有式、お前に助けてもらわなくても、オレは自分で何とか出来た!」
「……うん」

 真弓は蓮杖にそんなことを言われ、「助けないほうがよかったかも」と後悔し始めた。
 そして、早速赤い巨人の封印を破ってしまった。

「超常現象は、終わってないのか」
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