義姉の身代わりだった私

雨雲レーダー

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 王宮の廊下を歩くたび、刺さるような視線が背中を追ってくる。

「どっちの王子様にも色目使ってるのよ。欲張りすぎじゃない?」

「自分に価値があるって勘違いしてるのよ。セシリア様の影のくせに」

「笑ってるけど、あれは人を見下してる顔よ。あんな目つき、まともじゃないわ。さすがは忌み色持ちね」

 囁いているのは、セシリアの取り巻きたちだった。
 その中には、王子と密会していたカーラの姿もある。

 よくもまあ、そんな顔で人の噂話ができるものね。

 エレナは、咄嗟に微笑みの仮面を貼りつけた。
 侍女たちや若い貴族令嬢の耳にも、その噂はすぐに届いていく。

「どちらの王子様とも関係をもってるみたい」

「いやらしい……油断ならないわね」

「そういえば、この前、深夜に第一王子殿下と話しているのを見たわ」

「私は第二王子殿下を強引に部屋に誘い込もうとしているところを見たわよ」

 ひそやかな中傷は、火花のように瞬く間に飛び散り、王宮中へと広がっていった。
 表向きは礼儀正しく微笑む令嬢たちの視線が、冷えた水のように背を撫でていく。

 茶会では隣の席をそっと空けられ、話しかけられることも減っていた。笑顔はあるけれど、その奥には、明らかに棘が潜んでいる。

 それでも、エレナは表情を崩さなかった。ただ静かに、いつも通りを演じていた。

 午後の中庭。柔らかな日差しが薔薇の花びらを照らし出す。

 薔薇の手入れをしていた庭師が離れたすきに、エレナはふと立ち止まった。庭の奥、陽に透けるように咲く赤い花が、視界の端で揺れている。

 あの時の言葉が、不意に脳裏をよぎった。

 ――君には、そっちのほうがよく似合っていると思う。

 思い出すつもりはなかったのに。
 あれほど無愛想だった彼が、まっすぐにエレナを見つめてそう言った。
 今、周囲で囁かれている噂の数々。王子ふたりを惑わせているだとか、あざといだとか。

 彼も、あの噂を耳にしただろうか。それを聞いてどう思っただろうか。

 ……彼は、たぶん信じない。

 小さく息を吐いて、エレナは視線を薔薇から外した。
 誰にどう思われようとかまわない、そう思っていたはずなのに、こんなこと気にするなんて馬鹿げている。

「君はいつもひとりでいるね。まあ、それも君らしいけど」

 聞き慣れた明るい声に、エレナは顔を上げた。

 そこにいたのは、第二王子レオナルド。相変わらず完璧な笑みを浮かべている。

「王宮での生活、大変だよね。……いろいろ言われてるみたいだけど、気にしなくていいよ」

 そう言いながら、レオナルドはゆっくりと歩み寄ってきた。
 気づけばすぐ目の前。
 そして、ごく自然な仕草でエレナの手へそっと触れた。
 
 一瞬、反射的に引こうとしたが、彼の腕の力は思いのほか強く、逃れようとしても簡単には抜けない。
 笑顔を崩さぬまま、彼はそのまま言葉を続けた。

「僕は君の味方だから」

 レオナルドは赤い薔薇を一輪、ぶちりと乱暴に引きちぎる。
 そのまま、ふわりとエレナの髪へと手を伸ばした。
 唇がほとんど触れる距離まで近づかれて、あまりの嫌悪に顔を顰めてしまった。
 あくまで優雅な仕草のように見せながらも、どこか押しつけがましい。

「ふふ、嫌がるふりが上手なんだね。そうやって男たちを翻弄してきたんでしょ?」

 軽口を叩くような声と裏腹に、レオナルドの目は笑っていなかった。
 エレナはわずかに眉を動かし、静かに一歩距離を取る。

「どういう意味でしょうか?」

「セシリアがいつも言ってたんだ。君には平民の男友達が多くて、朝帰りすることもあるって。ねえ……それは本当?」

 レオナルドの口元がゆるむ。
 エレナは一瞬だけ目を伏せ、それからゆっくりと顔を上げた。
 微笑みは消えていた。代わりに浮かんでいたのは、研ぎ澄まされた冷ややかな眼差しだった。

「……王子の口から、そんな下劣な言葉が出るとは思いませんでした」

 レオナルドの笑みが、ぴたりと止まる。

「手強いなあ。セシリアとは違って、ちょっとだけ棘がある」

「お気に召しませんでした?」

「いや、悪くない。君は……見てて飽きないな」

 その声には妙な熱がこもっていた。
 レオナルドの目がエレナの顔から胸元にかけて舐めるように動く。何を考えているか、簡単に想像がついた。

 ぞわりと、背筋に寒気が走る。

「君って、怒った顔も面白いんだね。さっきの目、すごく綺麗だった。燃えてるみたいでさ」

 その言い方は、感嘆でも賛辞でもなかった。
 まるで玩具を見つけた子どものような、純粋で残酷な好奇心。

 エレナは一瞬だけ息を止めたが、視線を向けることなく静かに言い放つ。

「……それ以上は、ご自重ください。気分が悪くなります」

 短く、それだけを告げて、早足でその場を離れた。

 背中に、まだ何かを呟いている気配があったが、もう聞く気にもなれなかった。

 足音を響かせることなく通路を歩きながら、エレナは指先で袖口をぎゅっと握った。

 セシリアがレオナルドに送ったという手紙の内容が、頭から離れない。

 平民の男友達がたくさんいて、夜遊びをして、朝帰りをしている?

 くだらない。そんな事実は一つもない。

 レオナルドの言葉の端々ににじむのは、好意でも興味でもない。
 ただ、刺激的な娯楽として自分を消費しようとしている目だった。

「……私が、何をしてきたかも知らないくせに」

 ぽつりと吐いた言葉は、小さなさざ波のように心の奥を震わせる。

 彼女の目は、誰もいない回廊の先を静かに見据えていた。

 笑って流せるほど、優しい妹ではもういられない。
 誰かの物語の中で、勝手に作られた役を演じるつもりもない。

 エレナは立ち止まり、深く息を吸い込んだ。

「……まだ我慢よ」

 声は小さかったが、その響きは、誰よりも冷たく、確かだった。
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