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遺影の角度が0.5度ズレている
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遺影の角度が右に0.5度ズレている。
氷室朔の葬儀で、私が最初に思ったのはそれだった。
祭壇のバラはメンバーカラーより彩度が低い。献花台の位置も、朔さんのステージ動線を考えれば右寄りにすべきだ。
なんで私、こんなこと考えてるの。
周りのファンは泣いている。嗚咽を漏らし、肩を震わせ、ハンカチを濡らしている。
私だけ、無表情だった。
泣けよ。
5年も追いかけたんだから。
目の奥が熱い。喉が詰まる。でも、涙は出ない。
代わりに、祭壇のバラの彩度がズレていることばかり気になる。
私、壊れてるのかもしれない。
特急電車の窓に、自分の顔が映っている。
能面みたいだ、と思った。
東京から長野まで2時間半。その間ずっと、私は朔さんのパフォーマンスを脳内で再生していた。
2019年の夏ツアー、3曲目のソロ。あのときのターンの角度は完璧だった。
いや、待って。2020年の追加公演のほうが0.3度キレがあった。
比較しなくていいから。
もう、比較する必要ないから。
長野駅で電車を降りた。
実家までバスで40分。朝霧町は相変わらず過疎化が進んでいる。
石段を登ると、見慣れた鳥居が見えた。
日向見神社。
私が生まれ育った場所。
「おかえり」
縁側に祖母のさつきがいた。麦茶の入ったグラスを差し出してくる。
「ただいま」
「顔色悪いねえ」
「電車が揺れたから」
嘘だ。
「そうかい」
祖母は追及しなかった。
ありがたい。今は誰とも話したくない。
「そうそう、ひなた」
「うん」
「本殿に新しい神様がいらしたよ」
「は?」
「若い男の子でねえ。銀髪の」
心臓が止まった。
「なに、言って」
「夢でお告げがあったんだよ。日向見大神様から。あの子を置いてやってくれって」
祖母はグラスを傾けながら、何でもないことのように言った。
「行き場がないから、しばらく預かってくれって」
銀髪。
若い男。
行き場がない。
「本殿に、いるの」
「いるよ」
石畳を踏む音が、やけに大きく響いた。
本殿の扉は閉まっている。
私は扉の前で立ち止まった。
祈る。
何を祈ればいい。
会いたい。
その言葉だけが、頭の中を支配していた。
会いたい。
声にならなかった。
でも。
「誰だ」
声が、聞こえた。
低くて、少し掠れていて、でも確かに覚えのある声。
振り向く。
本殿の階段に、銀髪の男が立っていた。
全体的に発光している。
透けている。
頭の上に、ペンライトみたいな光の輪が浮かんでいる。
「お前、俺が見えるのか」
氷室朔だった。
28歳で死んだ、私の推し。
神様になって、実家の神社にいた。
「朔、さん」
「なんで俺の名前」
知っているに決まっている。
5年分のライブ、握手会、雑誌、ラジオ、SNS。全部覚えている。
「あなたのパフォーマンス、全公演分析してます」
「は?」
「2019年夏ツアー3曲目のターン、0.5度右にブレてました」
「お前、あの」
朔さんの光輪が青く揺れた。
驚いているのだろう。
当然だ。私だって驚いている。
でも、確認しないといけないことがある。
「質問していいですか」
「いや待て、状況を」
「2020年追加公演、MC中に水を飲んだタイミング。何分何秒でしたか」
「14分32秒」
正解。
間違いなく、本物だ。
「よかった」
視界が滲んだ。
涙だ。
葬式で出なかった涙が、今になって溢れてきた。
「おい、なんで泣いて」
「わかりません」
「わかんないのかよ」
「推しが神様になってたら泣くでしょ普通」
朔さんは困ったように頭を掻いた。
その仕草も、ステージ裏のドキュメンタリーで見たのと同じだった。
「俺、死んだのか」
「はい」
「そうか」
「はい」
「で、神様になったと」
「そうみたいです」
「意味わかんねえな」
「私もです」
沈黙が落ちた。
蝉の声だけが響いている。
「名前」
「え」
「お前の名前。聞いてない」
「鈴原ひなた」
「ひなた」
朔さんが、私の名前を呼んだ。
「お前、ファンの頃から変わってねえな」
その言葉の意味を、私はまだ理解できていなかった。
----
新連載です!
頑張りたいと思うので続き気になる方はいいねくれると励みになります!
氷室朔の葬儀で、私が最初に思ったのはそれだった。
祭壇のバラはメンバーカラーより彩度が低い。献花台の位置も、朔さんのステージ動線を考えれば右寄りにすべきだ。
なんで私、こんなこと考えてるの。
周りのファンは泣いている。嗚咽を漏らし、肩を震わせ、ハンカチを濡らしている。
私だけ、無表情だった。
泣けよ。
5年も追いかけたんだから。
目の奥が熱い。喉が詰まる。でも、涙は出ない。
代わりに、祭壇のバラの彩度がズレていることばかり気になる。
私、壊れてるのかもしれない。
特急電車の窓に、自分の顔が映っている。
能面みたいだ、と思った。
東京から長野まで2時間半。その間ずっと、私は朔さんのパフォーマンスを脳内で再生していた。
2019年の夏ツアー、3曲目のソロ。あのときのターンの角度は完璧だった。
いや、待って。2020年の追加公演のほうが0.3度キレがあった。
比較しなくていいから。
もう、比較する必要ないから。
長野駅で電車を降りた。
実家までバスで40分。朝霧町は相変わらず過疎化が進んでいる。
石段を登ると、見慣れた鳥居が見えた。
日向見神社。
私が生まれ育った場所。
「おかえり」
縁側に祖母のさつきがいた。麦茶の入ったグラスを差し出してくる。
「ただいま」
「顔色悪いねえ」
「電車が揺れたから」
嘘だ。
「そうかい」
祖母は追及しなかった。
ありがたい。今は誰とも話したくない。
「そうそう、ひなた」
「うん」
「本殿に新しい神様がいらしたよ」
「は?」
「若い男の子でねえ。銀髪の」
心臓が止まった。
「なに、言って」
「夢でお告げがあったんだよ。日向見大神様から。あの子を置いてやってくれって」
祖母はグラスを傾けながら、何でもないことのように言った。
「行き場がないから、しばらく預かってくれって」
銀髪。
若い男。
行き場がない。
「本殿に、いるの」
「いるよ」
石畳を踏む音が、やけに大きく響いた。
本殿の扉は閉まっている。
私は扉の前で立ち止まった。
祈る。
何を祈ればいい。
会いたい。
その言葉だけが、頭の中を支配していた。
会いたい。
声にならなかった。
でも。
「誰だ」
声が、聞こえた。
低くて、少し掠れていて、でも確かに覚えのある声。
振り向く。
本殿の階段に、銀髪の男が立っていた。
全体的に発光している。
透けている。
頭の上に、ペンライトみたいな光の輪が浮かんでいる。
「お前、俺が見えるのか」
氷室朔だった。
28歳で死んだ、私の推し。
神様になって、実家の神社にいた。
「朔、さん」
「なんで俺の名前」
知っているに決まっている。
5年分のライブ、握手会、雑誌、ラジオ、SNS。全部覚えている。
「あなたのパフォーマンス、全公演分析してます」
「は?」
「2019年夏ツアー3曲目のターン、0.5度右にブレてました」
「お前、あの」
朔さんの光輪が青く揺れた。
驚いているのだろう。
当然だ。私だって驚いている。
でも、確認しないといけないことがある。
「質問していいですか」
「いや待て、状況を」
「2020年追加公演、MC中に水を飲んだタイミング。何分何秒でしたか」
「14分32秒」
正解。
間違いなく、本物だ。
「よかった」
視界が滲んだ。
涙だ。
葬式で出なかった涙が、今になって溢れてきた。
「おい、なんで泣いて」
「わかりません」
「わかんないのかよ」
「推しが神様になってたら泣くでしょ普通」
朔さんは困ったように頭を掻いた。
その仕草も、ステージ裏のドキュメンタリーで見たのと同じだった。
「俺、死んだのか」
「はい」
「そうか」
「はい」
「で、神様になったと」
「そうみたいです」
「意味わかんねえな」
「私もです」
沈黙が落ちた。
蝉の声だけが響いている。
「名前」
「え」
「お前の名前。聞いてない」
「鈴原ひなた」
「ひなた」
朔さんが、私の名前を呼んだ。
「お前、ファンの頃から変わってねえな」
その言葉の意味を、私はまだ理解できていなかった。
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