推しが神様になりまして

チャビューヘ

文字の大きさ
1 / 24

遺影の角度が0.5度ズレている

しおりを挟む
 遺影の角度が右に0.5度ズレている。

 氷室朔の葬儀で、私が最初に思ったのはそれだった。

 祭壇のバラはメンバーカラーより彩度が低い。献花台の位置も、朔さんのステージ動線を考えれば右寄りにすべきだ。

 なんで私、こんなこと考えてるの。

 周りのファンは泣いている。嗚咽を漏らし、肩を震わせ、ハンカチを濡らしている。

 私だけ、無表情だった。

 泣けよ。

 5年も追いかけたんだから。

 目の奥が熱い。喉が詰まる。でも、涙は出ない。

 代わりに、祭壇のバラの彩度がズレていることばかり気になる。

 私、壊れてるのかもしれない。

 特急電車の窓に、自分の顔が映っている。

 能面みたいだ、と思った。

 東京から長野まで2時間半。その間ずっと、私は朔さんのパフォーマンスを脳内で再生していた。

 2019年の夏ツアー、3曲目のソロ。あのときのターンの角度は完璧だった。

 いや、待って。2020年の追加公演のほうが0.3度キレがあった。

 比較しなくていいから。

 もう、比較する必要ないから。

 長野駅で電車を降りた。

 実家までバスで40分。朝霧町は相変わらず過疎化が進んでいる。

 石段を登ると、見慣れた鳥居が見えた。

 日向見神社。

 私が生まれ育った場所。

「おかえり」

 縁側に祖母のさつきがいた。麦茶の入ったグラスを差し出してくる。

「ただいま」

「顔色悪いねえ」

「電車が揺れたから」

 嘘だ。

「そうかい」

 祖母は追及しなかった。

 ありがたい。今は誰とも話したくない。

「そうそう、ひなた」

「うん」

「本殿に新しい神様がいらしたよ」

「は?」

「若い男の子でねえ。銀髪の」

 心臓が止まった。

「なに、言って」

「夢でお告げがあったんだよ。日向見大神様から。あの子を置いてやってくれって」

 祖母はグラスを傾けながら、何でもないことのように言った。

「行き場がないから、しばらく預かってくれって」

 銀髪。

 若い男。

 行き場がない。

「本殿に、いるの」

「いるよ」

 石畳を踏む音が、やけに大きく響いた。

 本殿の扉は閉まっている。

 私は扉の前で立ち止まった。

 祈る。

 何を祈ればいい。

 会いたい。

 その言葉だけが、頭の中を支配していた。

 会いたい。

 声にならなかった。

 でも。

「誰だ」

 声が、聞こえた。

 低くて、少し掠れていて、でも確かに覚えのある声。

 振り向く。

 本殿の階段に、銀髪の男が立っていた。

 全体的に発光している。

 透けている。

 頭の上に、ペンライトみたいな光の輪が浮かんでいる。

「お前、俺が見えるのか」

 氷室朔だった。

 28歳で死んだ、私の推し。

 神様になって、実家の神社にいた。

「朔、さん」

「なんで俺の名前」

 知っているに決まっている。

 5年分のライブ、握手会、雑誌、ラジオ、SNS。全部覚えている。

「あなたのパフォーマンス、全公演分析してます」

「は?」

「2019年夏ツアー3曲目のターン、0.5度右にブレてました」

「お前、あの」

 朔さんの光輪が青く揺れた。

 驚いているのだろう。

 当然だ。私だって驚いている。

 でも、確認しないといけないことがある。

「質問していいですか」

「いや待て、状況を」

「2020年追加公演、MC中に水を飲んだタイミング。何分何秒でしたか」

「14分32秒」

 正解。

 間違いなく、本物だ。

「よかった」

 視界が滲んだ。

 涙だ。

 葬式で出なかった涙が、今になって溢れてきた。

「おい、なんで泣いて」

「わかりません」

「わかんないのかよ」

「推しが神様になってたら泣くでしょ普通」

 朔さんは困ったように頭を掻いた。

 その仕草も、ステージ裏のドキュメンタリーで見たのと同じだった。

「俺、死んだのか」

「はい」

「そうか」

「はい」

「で、神様になったと」

「そうみたいです」

「意味わかんねえな」

「私もです」

 沈黙が落ちた。

 蝉の声だけが響いている。

「名前」

「え」

「お前の名前。聞いてない」

「鈴原ひなた」

「ひなた」

 朔さんが、私の名前を呼んだ。

「お前、ファンの頃から変わってねえな」

 その言葉の意味を、私はまだ理解できていなかった。


----
新連載です!
頑張りたいと思うので続き気になる方はいいねくれると励みになります!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする

九條葉月
キャラ文芸
「皇帝になったら、迎えに来る」幼なじみとのそんな約束を律儀に守っているうちに結婚適齢期を逃してしまった私。彼は無事皇帝になったみたいだけど、五年経っても迎えに来てくれる様子はない。今度会ったらぶん殴ろうと思う。皇帝陛下に会う機会なんてそうないだろうけど。嘆いていてもしょうがないので結婚はすっぱり諦めて、“神仙術士”として生きていくことに決めました。……だというのに。皇帝陛下。今さら私の前に現れて、一体何のご用ですか?

『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』

宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...